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03.葛藤

 ――次の日の朝。

 レクトは教室で、自分の身体をようやく見つけた。


「レクト!!」

「お、エステル。おはよう」

「うん、おはよう! ちょっとこっちに来て!!」


 レクトはレクトの身体を、教室の外に連れ出した。

 時間が無いため、急いで憑依を解かなければいけない。


「おいおい、どうしたんだよ。もうすぐ授業が始まるぞ?」

「すぐ終わるから、大丈夫!」


 レクトは憑依解除の手順を踏んでいく。

 やはり初めてのことだが、やり方は十分に知っている。

 レクトの身体にそっと触れてから――



 ――≪憑依解除≫



 頭の中で、パチッと弾ける音がした。

 先日と同様、思わず目を瞑ってしまったが……慌ててすぐに目を開ける。

 するとそこには――……エステルの姿があった。


「よし!」

「え……? 何がいいのよ……」

「いや、何でもない。エステルは大丈夫か?」

「あー……。最近、何だか眠れなくてね……。

 ……あれ、私がレクトを呼び出したんだっけ?」

「そ、そうだな? 何か用事か?」


 レクトは思わず、そんな返事をしてしまった。

 憑依のことは謝るべきだが、自分の中でもう少し整理をしたい――

 ……一方のエステルは、レクトの質問の答えを見つけられなかった。


「うーん……? ごめん、何の用事か忘れちゃった」

「そ、そんなこともあるさ……。それじゃ、教室に戻ろうぜ」

「そうだね。……あぁ、それにしても眠い……。

 レクトも昨日、眠いからってサボったんだよね? 私もサボっちゃおうかな……」

「ははは……。夜まで我慢すれば、今日はすぐに眠れるんじゃないか?」

「そうだね……、これだけ眠いんだもん……。

 レクトも最近眠そうだし、一緒に気を付けようね……」


 エステルはふらふらしながら、教室に戻っていった。

 レクトもそれを追いかけ、しばらくぶりの自分の席に座る。


「よう、レクト。エステルちゃん、何だって?」

「うん? ……いや、何でも無かったようだぞ?」

「一昨日から、ずいぶんお前のことを探してたんだぞ? 隠すなよ……!!」

「はぁ……。それじゃ、内緒ということにしておこう」



 ――授業が進む中、レクトは憑依スキルのことを考えていた。

 元の身体に戻ることはできたが、このスキルには分からないことが多そうだ。


 ふと、下を向いてみる。

 当然ながら、レクトの腕に、レクトの腹、レクトの腰――

 ……今は、本来の自分の身体が見えている。


 何となく右足を揺らしながら――今度はエステルに憑依していたときの、レクトの身体の記憶を探ってみる。

 ……おかしなことはしていない。ただ、ひたすら眠かったようだ。

 しかし、今は眠くない。これは十分に睡眠を取ったからだろうか……。


 寮でサボっていたにも関わらず、昨日の――エステルの身体で受けた授業のことは、しっかりと覚えている。

 ……同じ時間の、2つの記憶。


 ただ、エステル本人にも、昨日の記憶は残っているようだ。

 憑依されている間は、意識が無くなる。しかし、そのときの記憶はしっかり残っている……。


 それなら憑依して、おかしなことは出来ないか――

 ……そう思った瞬間、レクトは首をぶんぶんと振った。


 もう、エステルに憑依をすべきではない。

 こんなスキルは、二度と使うべきではない。


 2限目の授業が終わり、何となくエステルの席を見てみると……彼女の姿は見えなかった。

 そのまま3限目も終わり、心配になってエステルの友達に声を掛ける。


「すまん、エステルはどうした?」

「あ、レクト君。ちゃんとエステルと話したの?」

「え? いやぁ、そこは大丈夫だから……。問題は無いぞ?」

「ふーん……? エステルなら、保健室に行ったよ。

 寝不足もあるけど、昨日の朝に胸が痛くなったんだって。それで、念のため……って」


 昨日の朝に胸が――

 ……それはレクトのやらかしで、レクト自身はその原因を察している。

 しかし、そのときの思考までは……エステルの記憶には残らなかったということか。


「そ、そうか。俺も様子を見に行くかな……」

「休み時間は短いし、無理なんじゃない?

 それに、男子は女子の保健室には行けないでしょ?」


 様々な立場の人間が集うこの学院では、保健室も男女で別になっている。

 そんな細かい積み重ねこそが、学院の信用に繋がっているのだろうが――

 ……こういうときは、どうしても不便なものに感じてしまう。


「そうだったな……。それじゃ、戻ってきたときに声を掛けるよ」

「あんまり心配させないように、気を付けるんだよ?」

「そうそう。レクト君とエステルじゃ、ハートの作りが違うんだから!」

「ははは……。肝に銘じておくよ」



 ――しかしエステルは、大事を取って早退することになった。

 ただ、胸の痛みも寝不足も……悪いのは完全にレクトだ。

 レクトは申し訳なさに苛まれながら、引き続き午後も、憑依スキルについて考えていた。


 ……憑依をするときも、解除するときも、レクトが相手に触れている必要がある。

 憑依していられる時間は、今のところ制限が無さそうだ。

 憑依された人間には、その間の記憶は残る。ただ、一部は残らない部分もある。

 憑依する人間――つまりレクトが、何かしらの一線を越えようとすると、胸に強い痛みが走る。


「――……まぁ、こんなところか。

 とはいえ、こんな危険なスキルは使わない方が良いよな……」


 気分転換で中庭のベンチに座っていると、ひとりの女性が近付いてきた。

 それはレクトもよく知っている、剣術の教師のフローラだった。


「あ、フローラ先生。こんにちは」

「はい、こんにちは。レクト君は、休憩中?」

「そうですね、最近いろいろあって」

「へぇ、そうなんだ?」


 そう言いながら、フローラはレクトの横に座った。

 20代後半のフローラは、同年代の女子とは違う何かがある。

 レクトはそれを、憧れ……と理解していた。


「それで、ポーターの方はどう? 上手くやってる?」

「俺にはポーターの職才はありませんからね。

 まわりがどんどんこなしていく中、地道な努力を続けていますよ」


 そうは言いつつも、レクトのポーターとしての実力は着実に上がっていた。

 実際、先日『朽ちた鏡』を手に入れたのも、レクトが迷宮で秘密の広間を発見したところが大きいのだ。


「それは何より。でも私は、剣術の授業でレクト君を見れなくて……本当に残念」

「ははは。もう、1年以上が経ちますから。フローラ先生も、そろそろ忘れてくださいよ」


 ……レクトが右足を怪我したのは、入学直後の屋外授業だった。

 フローラはそのときの引率をしていた教師のひとりで、その後もレクトの面倒を見てくれた。

 そんなフローラは、空を見上げるレクトをまじまじと見つめる。


「ところで、エステルさんとは同郷なのよね?」

「はい、昔からの幼馴染ですよ。あいつが何か、しましたか?」

「この前、剣術の授業でね……。素晴らしい攻撃を繰り出したの。私も驚いちゃって」


 その言葉に、レクトは思い当たるところしか無かった。

 レクトがエステルに憑依して、剣術の授業に出ていたときのことだ。


「そ、そうなんですか。あいつは才能がありますからね。

 どうか今後も、ご指導をお願いします」

「ふふ、もちろんよ。私は教師だから、みんなの可能性を見るのが好きなの」


 そう言うと、フローラは静かに立ち上がった。

 手に持った紙の束を見るに、どこかへ向かう途中だったのだろう。


「レクト君、それじゃまたね。元の夢は難しいかもだけど、ポーターの夢は叶えてね」

「はい、ありがとうございます」


 レクトはフローラの背中を追いかけて、見えなくなってから……改めて空を見上げる。

 ――夢、か。


 以前の夢は、エステルと交わした約束を守ること……。

 剣聖として大成して、様々な冒険や困難に向かって……一緒に戦うこと。


 今の夢は、ポーターとして大成すること……。

 一緒に戦えないのであれば、影ながらエステルを支えてやりたい。

 右足が上手く動かず、魔力が少ないレクトにとって……ある意味、消去法でもあった。


「――剣聖、か」


 思い起こせば、昨日は――エステルの身体ではあったが、久し振りに剣を振るうことができた。

 エステルとはそもそも剣筋が違うが、それでも少しくらいは、自分の思った通りに動けた。


 自由に動ける、あの感覚。

 もしかして、あの感覚を、自分の身体で体現できるなら――


 ……レクトの足は、自然と修練場に向かっていった。

 あの感覚を覚えているうちに……最初の一歩を、踏み出すために。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「――くそッ!!」


 2週間の間、レクトは屋外にある修練場に通い続けていた。


 ヴァルセリア学院では、月の前半に授業を行い、それ以外を自由行動としている。

 自由行動の際は、学院の中で自習をしても良いし、冒険に出ても良い。

 推奨はされないが、実家に戻ってサボることも可能だ。

 だからこそ、生徒それぞれの自主性が、彼らの将来に大きな影響を与えていく。


 ……レクトは努力型の人間だった。

 職才という才能の上に努力が重なり、将来はとても有望視されていた。


 何度も立ち上がっては、何度も折れる。

 それでもやがては立ち上がり、そして努力を積み増していく。

 レクトがポーターとして頭角を現してきたのも、これが理由だ。


 しかしその努力も、しっかりと動かせる身体があってこそ。

 ……今のレクトは、再び自分の身体に絶望を感じ始めていた。

 束の間の希望が、徐々に徐々に、剥がれ落ちていく――



 ……そんな彼の姿を、エステルは遠巻きに見つめていた。

 そこに近寄る、影がひとつ。


「――あら、エステルさん。今日も来ていたの?」

「はい……。今月は、どうしても冒険に出る気がしなくて……」

「そうなのね。エステルさんがいれば、レクト君も安心かしら」


 フローラの言葉に、エステルは返事をしなかった。

 ただひたすら、レクトの姿を追っている。


「……ふぅ。修練場は22時まで開いてるけど……。

 エステルさん。レクト君のこと、止められないかしら?」

「そうですね……。もう少ししたら、私が止めます」

「それじゃ、お願いね。私ももう行くから――」

「はい、お任せください」


 そうは言いつつ、フローラはしばらく残っていたが――

 ……ふたりに根負けして、静かに去っていった。



 ――ふと、雨が降ってきた。

 エステルは屋根の下にいるが、レクトは雨空の下だ。

 地面は徐々にぬかるみ、足場が悪くなっていく。


 時間も遅くなり、空も暗い。

 雨の中、魔導具の光だけが煌々と辺りを照らしている。


 そんな中、レクトはついに膝を突き、天を仰いで大きく嘆いた。

 その慟哭を――エステルは見守ることができず、レクトの元に駆け寄った。


「レクト……!!」

「……俺は、やっぱりダメなのか……。

 本当に、剣術を諦めなければいけないのか――」


 実際のところ、右足を怪我していたとしても……レクトは強かった。

 しかし一流かと聞かれれば、そんなことはまるでない。

 自分の理想とする姿と、現実の姿。

 その乖離こそが、レクトを苦しめていたのだ。


「――あの感覚。

 怪我をする前の……足の感覚を、俺が思い出せれば……!!」


 レクトの濡れた身体を、エステルは強く抱きしめた。

 理由は分からないが、身体がそう、勝手に動いてしまった。


「大丈夫だよ。

 ね? ゆっくりと、落ち着いて……?」

「エステル――」


 濡れた制服の上から、温かさが伝わってくる。

 自分の傍らには、優しい少女がいる。

 だからこそ、そんな彼女には――許されると思ったのかもしれない。


「――すまん」

「え……?」



 ――≪憑依≫



 エステルは用具室に戻り、彼女の身体に合った剣を持ってきた。

 そのあと彼女は、何度も何度も、動きを思い出すように、なぞるように――

 ……ただひたすら、剣を振り続けた。

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