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虚飾まみれの魔導書の世界をスッキリさせます。〜整理の天才児による、澱みゼロの最短魔術ライフ〜  作者: 寝不足魔王


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第57話:二つの国と、歪んだ言葉


 馬車の中で、クレアが書類を読み込んでいた。


 レオン三世から持参を許可された外交資料と、ハミルトがまとめた依頼書の両方を、一枚ずつ丁寧に照合している。その集中の仕方が、図書館で本を読んでいた時よりずっと真剣だった。知識で判断したいと言っていた言葉が、今日は行動として現れていた。膝の上に広げた資料を、馬車の揺れにも構わず、真剣に目で追い続けている。


「父上から聞いた話と少し違うわ。現地の情報はもっと複雑ね」


「どう違うの?」


「父上はエルダとガルムの対立は百年前の領土問題だと言っていたけれど、書類を読むと実際には領土より情報の歪みの方が大きいみたいで。領土は既に解決しているのに、対立だけが続いている」


 馬車の揺れに合わせながら、クレアが資料から顔を上げずに言った。その言い方が、父親から聞いた話を鵜呑みにせず、自分で資料を読んで確かめた人間の言い方だった。


「情報の歪みって、具体的にどういうこと?」


 フィナが聞いた。


「例えば……エルダがガルムに送った贈り物が、ガルムでは侮辱だと受け取られたとか。本当は親善のつもりだったのに」


「それって、ただの誤解じゃない?」


「そうなの。でも誤解が百年積み重なると、誤解だったことを誰も覚えていなくなって、対立が本物になってしまう。最初の贈り物を送った人も、受け取った人も、今はもういない。残っているのは、対立という形だけ」


 クレアが静かに言った。その言葉に、外交資料を読み込んできた人間の重みがあった。長い年月をかけて積み重なった澱みが、もはや誰の責任でもなく、ただそこにある状態になっている。


「……もったいないな」


 アルスが呟いた。


 本来なら届いていたはずの親善が、届かないままになっている。百年間、対立という形で続いてきた。その間にどれだけのものが失われたか。人の時間も、国の資源も、そして本当は必要なかったはずの壁も。


「エレナさん、エルダに知人がいるって言ってたね」


「ええ。私が若い頃に、短い期間だけ研究で滞在したことがあって。当時の同僚が今もエルダにいるはずだから、情報を集める時に役立てると思うわ」


 エレナが答えた。いつもとは少し違う、熟練魔法使いとしての人脈を使う、という落ち着いた顔だった。


 ◇


 エルダ王国の首都に入ると、王都とは全く違う景色が広がっていた。


 建物の様式が違う。石造りであることは同じだが、城壁が高く、通りが細く、防衛を強く意識した作りになっている。国境に近い国だからだろう。長い年月をかけて、外からの脅威に備えることが、この国の文化に染み込んでいるようだった。石の壁が重なり合い、そのすき間から空が細く見えていた。


 窓の外を見ながら、アルスはこの国の空気を感じ取ろうとした。


 王都の情報のノイズとは違う種類の密度がある。王都の情報は外向きで、広がっていく感じがした。でもエルダの情報は、内向きで、閉じている感じがした。守ることに長けた国の空気だ。


 案内された建物で、担当の外交官と会った。


 ヴィクトという名前の、二十代後半の若い男性だった。誠実な目をしているが、疲れている。外交の仕事を長く続けてきた人間の疲れ方をしていた。問題が解決しないまま時間だけが過ぎていく、という種類の疲れだ。目の下にうっすらと影がある。


「アルス様のことは、レグリアから聞きました。ただ……正直、魔法の整理と外交問題がどう繋がるか、わからなくて」


「まず、両方の話を聞かせてもらえる? エルダが伝えたかったことと、ガルムに届いた言葉の両方を」


「……わかりました」


 ヴィクトが頷いて、話し始めた。


 百年前のことから始まった。エルダがガルムに送った贈り物は、ルーナ花と呼ばれる白い花だった。エルダでは「豊穣の象徴」として知られる花で、収穫を祝い、相手の繁栄を願う時に贈る花だ。花びらが大きく、香りが強い。エルダの農地には、夏になると一面に咲く。


 ところがガルムでは、そのルーナ花は「喪の花」として知られていた。山岳地帯に自生するこの花は、ガルムでは古くから死者を悼む儀式に使われてきた。白い色が、ガルムでは清めと鎮魂を意味していた。


 エルダからの贈り物を受け取ったガルムの王族は、「我が国に死を贈るとはどういうことか」と受け取った。エルダは謝罪しようとしたが、送った使者が途中で言葉を誤り、謝罪がさらに別の誤解を生んだ。それが積み重なって百年が経った。


 同じ花が、二つの国で全く違う意味を持っていた。その事実が、ただそれだけが、百年の対立の始まりだった。


「今の担当者たちは、その花のことを知っているの?」


 クレアが静かに聞いた。


「……知っています。記録には残っています。でも、百年分の積み重ねがあるので、今更それを理由に和解しようとしても、誰も信じてくれないというか……。記録を見れば誤解だとわかる。でも、記録を見ることと、百年の対立を終わりにすることは、別のことで」


「なぜ信じてもらえないと思うの?」


「対立が続きすぎて、今は和解することよりも対立を続けることの方が、慣れ親しんだ状態になってしまっているんです。変化することへの恐怖の方が、対立の苦しさよりも大きくなっている」


 その言葉が、脳内に静かに響いた。


 変化への恐怖。複雑な術式を磨くことが目的になってしまっていた魔導師団のことを思い出した。難解さという澱みに慣れ親しんで、それを手放すことが怖くなる。対立も同じだ。対立という澱みに百年間慣れ親しんで、それを変えることが怖くなっている。


(整理できる。本質を見つけて、ちゃんと届ける形にすればいい)


 著者の本質は「親善」だった。贈り物を送った人間は、相手の繁栄を願っていた。その本質は、百年経っても変わっていない。変わったのは、届く過程で生まれた澱みだけだ。


 ◇


 クレアがヴィクトにいくつか質問を続けた。


 外交資料を読み込んできただけあって、的を外さない質問だった。現状の把握から始まり、双方の意向、解決の障壁、これまでの交渉の経緯。ヴィクトが「王女殿下がいらっしゃるとは聞いていませんでした」と少し驚きながらも、クレアの質問に誠実に答えていた。


「ガルムは今も謝罪を求めているの? それとも、もう謝罪より別の何かを求めているの?」


「……実は、ガルムの担当者と最近話す機会がありました。彼らも対立を続けたいわけではないと言っていた。ただ、どうやって終わりにすればいいかわからないと。百年続いたものを終わりにする方法がわからなくて、ずっと止まっている状態らしくて」


 ヴィクトがそこまで言って、少し疲れた顔で続けた。


「どちらの国も、終わりにしたいんです。でも誰も、最初の一歩を踏み出せないでいる」


「じゃあ、ガルムの話も直接聞こう」


 アルスが言うと、クレアが「私が橋渡しをできるかもしれない。王族として、中立の立場でガルムに連絡できるから」と言った。


「ありがとう、クレア」


 クレアが少し驚いた顔をした。


「……初めて、名前で呼んでくれたわ」


「そうだったかな」


 アルスは少し考えた。これまで「王女殿下」か「クレアさん」と呼んでいた気がするが、今日は自然に名前が出てきた。外交の場で実際に動いているクレアを見ていたら、肩書きより名前の方がしっくりきた。


「……いいわ。その方がいい。殿下より、ずっといい」


 クレアが静かに言った。頬がかすかに赤くなっていたが、視線はヴィクトの方に向けていた。


 フィナが「クレアさん、外交ってすごいんだね」と言った。


「当然よ。王族として学んできたことが、初めて役立てる場所かもしれないから。知識で判断するというのは、こういうことだと思う」


 その言葉に、図書館で初めて会った時のことが重なった。「知識で判断したい」と言っていた少女が、今日は実際に外交の場で動いている。整理されることで本質が現れてくるように、クレアも、この場所で本質を見せ始めていた。


 エレナが「アルスくん、今日の話を聞いてどう思う?」と聞いた。


「魔導書と同じだよ。著者が伝えたかったことが、届く過程で歪んでしまった。その歪みを整理して、本質を届ければいい。百年かかっていても、本質はちゃんとある」


「……そうね。あなたらしい見方だわ」


 エレナが静かに言った。


 ◇


 宿に帰る道で、フィナがアルスの隣を歩きながら聞いた。


「ねえ、アルスくん。これって整理できるの? 百年分の誤解って」


「できると思う。百年分の澱みでも、本質はちゃんとある。最初に花を贈った人の本質は親善だったから。その本質を届ける形に整理すれば、百年の誤解は一本道に変えられる」


「……アルスくんって、すごいと思う。でも大変じゃない? 百年分って、すごく重いじゃない」


 フィナが少し心配そうな顔で聞いた。その心配の仕方が、フィナらしかった。難しいかどうかではなく、重くないかを心配している。


「もったいないから、やるんだよ。届かないままなのが、もったいないから。百年間、親善が届かないままになっているのが、もったいなくて」


「そっか」


 フィナが静かに笑った。それ以上は何も言わなかった。でも、その笑い方が、「アルスくんらしい」と思っている顔をしていた。


 夜の石畳を歩きながら、脳内で今日の情報を整理した。


 エルダの著者は「親善」を伝えたかった。届いた形は「侮辱」だった。その間にある歪みが、百年分積み重なっている。歪みを一つずつ取り除いて、本質を届ける。それが、今回の整理の工程だ。


 魔導書の整理と、本質は同じだった。ただ、著者が本ではなく人であり、国であり、百年という時間だというだけで。


 整理の方法を、脳内で静かに準備し始めた。

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