表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚飾まみれの魔導書の世界をスッキリさせます。〜整理の天才児による、澱みゼロの最短魔術ライフ〜  作者: 寝不足魔王


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/59

第42話:ただいまの声と、変わらない場所


 王都を出た馬車が、緑の野道を進んでいた。


 石畳の音が消え、柔らかい土道を転がる音に変わった瞬間、何かがスッと凪いでいくのを感じた。窓の外に広がる景色が、王都の建物と看板の密度から、緑と空の広がりに変わっていく。情報のノイズが、少しずつ薄れていく。


 向かいの席で、エレナが珍しくおとなしかった。


 膝の上に手を重ね、窓の外を見ている。いつもなら王都を出た瞬間から「アルスくん、旅の準備は……」と話し始めるのに、今日は静かだ。


「エレナさん、静かだね」


「……村にご挨拶に伺うのは初めてだから、少し緊張しているの」


「緊張するの?」


「当然でしょう。あなたの故郷に伺うのよ。カイル様とリーサ様にもご挨拶しなければ……失礼があってはいけないし、でも馴れ馴れしくするのも違うし……」


 エレナが真剣な顔で呟いていた。熟練魔法使いとして大陸に名を轟かせた人間が、農村の家族への挨拶を心配している。その組み合わせが少し可笑しかったが、同時に、そういう一面があるとは思っていなかったので、少し驚いた。


「カイルとリーサは、そんなに気にしないと思うよ」


「あなたはそう言うけれど、私はあなたの親御様に初めてお会いするのよ。ちゃんとしたいの」


 エレナがそれだけ言って、また窓の外を見た。その横顔が、いつもより少し子供っぽかった。


 馬車はさらに進み、緑が濃くなっていった。


 ◇


 見慣れた木の門が見えた瞬間、馬車の速度が落ちた。


 同じ場所に咲いている花、変わらない石塀、子供の頃から知っているあの家の屋根。全部が前のままだった。でも、それを見ている自分が少し違う気がした。同じ景色が、前とは少し違う角度から見えている。


 馬車が止まる前に、走ってくる姿が見えた。


「アルスくん! おかえり!!」


 弾けるような声が、野道に響いた。


 フィナだった。三つ編みを揺らしながら、全力で走ってくる。頬が赤くて、息が切れていて、それでも顔中で笑っている。あの笑顔は、王都で会った時と全く同じだった。一点の濁りもない、変わらない笑顔だった。


「ただいま、フィナ」


 その言葉が口から出た瞬間、王都の自室で言う「ただいま」とは少し違う温かさがあった。上手く説明できないけれど、この場所で言う「ただいま」が、一番しっくりくる気がした。


 フィナが馬車の後ろから降りてくるエレナに気づいた。


「エレナさん! 来てくれたんですね!」


「ええ、フィナちゃん。あなたのことは……アルスくんから色々伺っていたわ」


 エレナが、普段より丁寧な言い方で答えた。


「えっ、どんなこと!?」


「押し花が上手になったこと、旅に来ると約束したこと……それから、アルスくんの隣にいる時の彼が一番穏やかだということ」


 フィナが「えへへ」と俯いた。僕の耳が熱くなった。エレナが「あら、どうかしたの、アルスくん」と聞いてきたが、「なんでもないよ」と答えた。


 その時、家の扉が開いた。


 カイルとリーサが出てきた。カイルはいつもの大きな体で、少し目を細めながらこちらを見ている。リーサは穏やかな笑顔のまま、静かに歩いてくる。


「……大きくなったか?」


 カイルが、アルスを頭のてっぺんから足先まで確かめるように見て言った。


「そんなに変わってないよ」


「変わってるよ。目が、な」


 カイルがぶっきらぼうにそう言って、それ以上は何も言わなかった。でも、その目が少し潤んでいるのを、僕はちゃんと見ていた。


「おかえり、アルス」


 リーサが僕の頭を撫でた。その手が、変わらず温かかった。どこへ行っても、何をしてきても、この手の温かさだけは変わらない気がした。


 エレナがカイルとリーサの前に進み出た。背筋を真っ直ぐに伸ばし、普段の凛とした佇まいを保ちながら、少し緊張した顔で頭を下げた。


「カイル様、リーサ様。アルスくんがお世話に……いえ、私がアルスくんに大変お世話になっております。エレナと申します。図書館の整理を通じて、お力添えをさせていただいておりました」


「ああ、エレナか。話は聞いてるぞ。うちの息子に色々やられてるんだって?」


 カイルが豪快に笑った。エレナが「……っ! やられているとは少し違いますが……はい、大変お世話に……いえ、私が……」と混乱し始めた。


「エレナさん、うちに来てくださってありがとうございます。アルスのことを守ってくれていたんでしょう?」


 リーサが穏やかに声をかけた。エレナが「……はい、守るというか……守られていたというか……」と、珍しく言葉に詰まっていた。


 カイルがその様子を見て「まあ、立ち話もなんだ。入れ」と言った。


 ◇


 カイルの家の食卓に、久しぶりに座った。


 リーサが用意してくれた夕食が、テーブルに並んでいる。王都のどんな料理とも違う、この家の味だった。シンプルで、必要なものだけがそこにある。


「おいしい……!」


 エレナが目を見開いた。食べた瞬間の、作ったような感動ではない、本当に驚いた顔をしている。


「リーサ様、これは何で味をつけているんですか。魔法的な何かが……」


「ただの野菜と塩ですよ。アルスが好きだから、昔からこの作り方で」


 エレナが「……シンプルなものが、一番本質に近いのね」と静かに言った。カイルが「大げさだな」と笑った。フィナが「私もこのお料理大好きです」と言いながら食べていた。


 賑やかで、温かい時間が流れていた。


 王都の図書館での日々も、ヴァルナへ向かう緊張も、この食卓の前では少し遠くなった。


 ◇


 食後、フィナとアルスで庭を歩いた。


 村の夜は静かだった。虫の音だけが聞こえて、星が王都では見えないほどの数で出ていた。情報のノイズが、ここにはない。脳内の機能的な整理棚が、自然に静まっていく感じがした。


「変わった? アルスくん」


 フィナが歩きながら聞いた。


「どう思う?」


「うーん……」


 フィナが少し考えた。足元の草を踏みながら、空を見上げながら、真剣に考えている。


「なんか、前より少し遠くを見てる感じがする。でも、隣にいる感じは変わらないよ」


「そうかな」


「うん。ずっと変わらないよ、私には」


 フィナがそれだけ言って、笑った。説明も補足も何もない、ただそれだけの言葉だった。でも、その言葉が一番、正しい気がした。


 少し歩いてから、フィナが「ヴァルナって遠いの?」と聞いた。


「馬車で数日くらい」


「一緒に行くの、ずっと楽しみにしてたんだ」


「本当に来てくれるの?」


 確かめるように聞くと、フィナが「当然じゃん。約束したもん」と言いながら小指を差し出した。


 僕はその小指に、自分の小指を絡めた。


 あたたかい。王都の広場で絡めた時も、村の庭で絡めた時も、いつも同じ温かさがある。この感覚だけは、整理しようとしなかった。整理しなくていいものだから。


 ◇


 夜、自室の窓から星空を見た。


 王都では見えなかった星の数が、ここでは当然のように広がっている。澄んでいて、静かで、どこまでも続いている。


 村を出て、王都で整理を続けて、セリスに図書館を渡して、これからヴァルナへ向かう。その先にも、整理を待っているものがある。でも、帰ってくる場所がある。カイルとリーサがいて、フィナがいて、変わらない木の門があって。


 旅立って、また帰ってくる。それが自分の一本道になったと、今日初めてはっきりとわかった。


 枕元にセリスの本を置いた。旅の記録、著者が何かを見つけることを楽しんでいる本。


「著者みたいに、旅先でも何かを見つけよう」


 声に出すと、その言葉は静かな夜に溶けていった。


 窓の外で、星が変わらずに輝いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ