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虚飾まみれの魔導書の世界をスッキリさせます。〜整理の天才児による、澱みゼロの最短魔術ライフ〜  作者: 寝不足魔王


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第19話:魔導書の声と、整理できない壁


 図書館の閉鎖から、数日が経過していた。


 書庫の空気が、少しずつ変わってきた。最初に足を踏み入れた時の、澱みに満ちた重苦しい密度が、日を追うごとにわずかずつ薄れていく。埃を払われ、あるべき場所に収められ始めた本たちが、長い眠りから少しずつ目を覚ましているような気配がした。


 基礎術式系の魔導書は、着実に整理が進んでいた。


 火、風、水、土。それぞれの属性ごとに、著者の理解の深さは異なるが、どの本にも共通していることがある。本質の情報は必ずそこにある。ただ、恐怖と迷いという名の不純物が、何層にも重なって覆い隠しているだけだ。その不純物を丁寧に取り除き、著者が本当に伝えたかったことを救い出して、誰でも辿り着けるように清書する。その工程を繰り返すたびに、僕の中で整理の精度が少しずつ高まっていくのを感じた。


 隣では、あの若手の司書の青年が、見よう見まねで同じ工程を試みていた。


 本を手に取り、目を閉じて、脳内で術式を追おうとしている。うまくはいかない。目を開けると、どこか困惑した顔で首を傾げている。それでも諦めずに、また目を閉じる。その繰り返しだった。


「その感覚で合っているよ。最初は脳内で組み立てようとしても、著者の迷いが混ざって見えにくいから」


「……やっぱり、アルス様にはすぐわかるんですか。その、本質がどこにあるか」


「慣れると見えてくるようになるよ。まず、著者が一番丁寧に書いている箇所を探してみて。そこが核心に近いことが多いから」


 青年は真剣な顔で頷き、また本へと向き直った。その背中に、数日前とは違う、確かな方向性が見えている。


 ◇


 この数日で、書庫全体の魔導書の全貌が、おおよそ見えてきた。


 基礎術式系は整理が進んでいる。上級術式系は封印が幾重にも重なっており、エレナが一冊ずつ封印の構造を解析しているが、まだ本格的な整理には入れていない。呪い系はエレナの担当で、触れるだけで術式が反応するものも多く、慎重な作業が続いている。用途不明系は文字ではなく図形と記号だけが並んでいるものが多く、別のアプローチが必要だと感じていた。そして奥の禁書エリアは、今はまだ手をつける段階ではない。


 そして今日、僕は複合術式系の一冊に取り組むことにした。


 複数の属性や工程が絡み合った術式を記した魔導書だ。手に取った瞬間、その情報の密度が他とは違うことがわかった。基礎術式系のように、一つの属性の本質を救い出せばいいという話ではない。複数の流れが絡み合い、互いに影響を与え合いながら一つの現象を生み出している。


 脳内で丁寧に読み解き始めた。


 火と風を組み合わせた術式だった。二つの属性を同時に操り、一つの現象として発現させる。著者の記述を追いながら、それぞれの属性の流れを脳内で組み立てていく。火の術式の核心的な工程は、魔力の起点から一点へ収束させる流れだ。風の術式の核心は、逆に広がりながら収束させる流れだった。


 二つを同時に走らせるイメージを作る。


 その瞬間、脳内で二つの流れが激しく干渉し合った。


(……打ち消し合っている)


 火の収束と風の拡散が、互いの流れを乱し合って、どちらの現象も発現しない。脳内の整理では答えが出なかった。僕は目を開け、指先に意識を集中させ、最小規模で実証を試みた。


 小さな炎が指先に灯りかけた瞬間、風の流れと干渉して、音もなく消えた。


 もう一度。今度は風を先に走らせてみる。同じだった。二つの属性の流れが出会った瞬間に、互いを打ち消し合って霧散してしまう。


 また実証する。また消える。


 僕は珍しく、眉間に深いシワを寄せたまま、黙り込んだ。


 前世で膨大な論文を整理してきた時でも、答えが見えない瞬間はあった。でも、それはいつも「もう少し読み込めば見えてくる」という手応えがあった。今はその手応えが、どこにあるのかわからない。著者の記述の中に解決策があるはずなのに、どこを探しても、二つの流れが干渉するという問題を回避する情報が見当たらない。


(火は魔力の起点から収束へ向かう流れ。風は逆に、広がりながら収束する流れ。この二つを同時に走らせようとすると、互いが打ち消し合ってしまう。著者はこの干渉を、どうやって解決したんだ)


 セリスが目録の作業の手を止め、心配そうにこちらを見ているのが視界の端に映った。声はかけてこない。ただ、静かに見守っている。


 書庫の別の区画からは、エレナの気配がした。持ち場を離れてこちらへ来ようとして、セリスに先ほどから三度連れ戻されている。


「アルスくんが眉間にシワを寄せて黙り込んでいるわ……。あの尊い苦悩の表情を、もっと近くで……」


「エレナ様、持ち場へ」


「でも……」


「持ち場へ」


 二人のやりとりが遠くで聞こえたが、今の僕にはそれを意識する余裕がなかった。


 ◇


 もう一度、著者の記述を最初から読み直すことにした。


 今度は、答えを探すのではなく、著者がどこで何を感じたかを追うように読んだ。魔力の流れを追いながら、著者の思考の軌跡を丁寧に辿っていく。迷いの産物である言い換えや補足を脳内から取り除き、純粋に情報の流れだけを追い続ける。


 百ページを超えたあたりで、ふと、一つの記述が目に留まった。


 他の箇所と比べて、明らかに筆致が違う。迷いのない、確信を持った線で書かれた一節。著者がここだけは、恐怖を忘れて書いたのだろうと感じるような、清潔な記述だった。


 内容を読み解いた瞬間、脳内で何かが繋がった。


(……同時に走らせるのではなく、一瞬だけ順番を入れ替える)


 著者は知っていたのだ。二つの属性の流れを同時に走らせると干渉することを。その解決策として、火の流れを先に走らせ、その収束が完了する一瞬の間を置いてから、風の流れを重ねるという方法を、すでに発見していた。


 その発見が、無数の補足と言い換えと、著者自身の不安が生んだ余計な注釈に埋もれて、まるで見えなかっただけだ。


「あった……。著者はちゃんと、解決していたんだ」


 思わず声に出ていた。


 脳内で改めて術式を組み立て直す。火の流れを先に走らせ、収束の瞬間を確かめてから、風の流れを重ねる。二つの工程の間に置く「一瞬の間」が、干渉を防ぐための鍵だった。


 指先に意識を集中させ、最小規模で実証する。


 小さな炎が灯り、収束した瞬間。風の流れが重なった。


 二つの属性が干渉せず、螺旋を描くように美しく合わさった。指先の空間に、火と風が一体となった小さな旋風が、静かに、確かに存在していた。


(……これが、著者の本当に伝えたかったことだ)


 胸の奥に、これまでとは少し違う感覚が広がった。「もったいない」ではない。もっと静かで、深いところから湧いてくる何かだった。


(こんなに美しい発見が、こんなに深い澱みの中に隠されていたなんて)


 僕はしばらく、指先に残る旋風の余韻を感じながら、動けなかった。


 ◇


 清書を始めながら、僕はふと思った。


「セリスさん、この著者の名前、目録にちゃんと残しておいてほしいんだ」


 セリスが顔を上げた。


「この発見は、この人のものだから。整理された形になっても、誰がこれを見つけたのかは、消えてしまわない方がいいと思う」


 セリスは一瞬固まり、それから眼鏡の奥の目元をそっと押さえた。


「……はい。必ず、残します」


 その声が、微かに震えていた。


 ハミルト館長も作業の手を止め、「アルス様……」と呟いたきり、言葉が続かなくなっていた。眼鏡を外して目元を拭う仕草が、もはや見慣れたものになってきた。


 清書を終えた紙を棚に収め、次の本へと手を伸ばしかけた時、用途不明系の一角が目に入った。


 棚に並ぶその本たちは、他とは明らかに違う外観をしていた。引き寄せられるように一冊を手に取り、表紙を開く。そこには、文字ではなく、幾何学的な図形と、見たことのない記号が、びっしりと並んでいた。


 術式の記述でも、著者の言葉でもない。何らかの法則に従って並んでいることはわかるが、その法則が何なのかが、今の僕には掴めない。


(これは……今までとは別の整理方法が必要だな)


 僕は丁寧にその本を閉じ、元の場所に戻した。


 焦らなくていい。整理には順番がある。今日わかったことは、著者の発見を正しく救い出すためには、答えを探すのではなく著者の思考の軌跡を辿ることが大切だということだ。あの用途不明系の本にも、きっと著者の思考が宿っている。ただ、それを読み解くための言葉を、まだ僕が持っていないだけだ。


 書庫のランプが、夜の訪れを告げるように揺れた。


 今日も、一冊の本が、本来の姿を取り戻した。それだけで十分だと、僕は静かに思った。

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