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虚飾まみれの魔導書の世界をスッキリさせます。〜整理の天才児による、澱みゼロの最短魔術ライフ〜  作者: 寝不足魔王


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第17話:王都の新居と、押しかける人々


 王都ルミナスの石畳に、馬車の車輪が乗り上げた瞬間、音が変わった。


 村の柔らかな土道とは違う、硬く乾いた石の上を転がる音。それに合わせるように、窓の外の景色も一変した。軒を連ねる商店、行き交う人々、所狭しと貼り付けられた色とりどりの看板。王都の朝は、すでに情報のノイズで満ち溢れていた。


(……もったいないな。あの看板、三枚を一枚にまとめれば、どれも見やすくなるのに)


 窓の外を流れる雑然とした街並みを眺めながら、僕は思わず眉間にシワを寄せた。情報の整理を生業とする整理のプロとしての本能が、目に入るノイズの数だけ反応してしまう。


「……もう始まってるのか」


 向かいの席で腕を組んでいた父カイルが、呆れたような、けれどどこか誇らしげな苦笑いを浮かべた。息子の整理欲がすでに王都の街並みに向いていることを、一目で見抜いたのだろう。


「だって、情報の渋滞がひどくて。あの看板だけで、もう五つは不純物が見えるんだ」


「まあ、お前の目から見ればそうなんだろうな。……ほら、もうすぐ着くぞ」


 カイルが顎で前方を示した。窓の向こうに、白亜の石造りが続く静かな通りが見えてきた。王立図書館からほど近い、落ち着いた区画だ。馬車がゆっくりと速度を落とし、こぢんまりした石造りの家の前で止まった。


 扉の前に、セリスが立っていた。


 銀縁の眼鏡をかけ、使い込まれた司書服を清潔に整えた彼女は、馬車が止まるのを見るなり、小走りで駆け寄ってきた。その表情には、久しぶりに会えた安堵と、準備が整っているかどうかの緊張が入り混じっていた。


「アルス様、カイル様、リーサ様。道中はいかがでしたか。昨日から準備を整えておりましたので、どうぞ中へ」


 案内されるまま玄関の扉を開けると、そこには小さいながらも、驚くほど丁寧に整えられた部屋が広がっていた。余分なものは一切なく、必要なものだけが、それぞれあるべき場所に収まっている。机の上は真っさらで、窓からは王都の空が切り取られるように見えた。


(……スッキリしている。セリスさんが整えてくれたんだ)


 部屋の中を一度見渡し、その純度の高さに静かな満足感を覚えた。


「セリスさん、ありがとう。とても気持ちがいい部屋だよ。本が喜びそうな空気がしている」


 僕が誠実に礼を言うと、セリスは一瞬固まり、それから耳の先まで真っ赤になった。眼鏡の奥の瞳が、みるみる潤んでいく。


「い、いえ……アルス様のお役に立てるなら、これくらいは何でもございません。昨夜は嬉しくて眠れなくて、夜明け前から準備を始めてしまいましたが、アルス様にそう言っていただけるなら、その甲斐が……その甲斐が……!」


「セリスさん、ちゃんと眠らないと体に悪いよ。今夜は早く休んでね」


「は、はい……おっしゃる通りです……アルス様……」


 セリスが静かに項垂れる横で、父カイルが部屋の中を見渡し、感心したように頷いていた。母リーサは「まあ、素敵なお部屋ね」と穏やかに微笑んでいる。


 ◇


 荷物を降ろし、四人でしばらくお茶を飲んだ後、両親が腰を上げた。


 カイルは立ち上がりながら、僕の肩に大きな手を置いた。元勇者の手は相変わらず重く、温かかった。


「アルス。何かあったら、すぐ手紙を寄越せ。父さんはいつでも飛んでくるからな」


「うん。ありがとう、父さん」


「……あと、飯はちゃんと食えよ。整理に夢中になって忘れるなよ」


 カイルはぶっきらぼうにそう言って、視線を逸らした。耳の端が、わずかに赤い。


 母リーサは、僕の頭を優しく撫でてから、セリスの方へ向き直った。賢者としての凛とした眼差しで、けれど温かみを失わない声で言った。


「セリスさん。この子をよろしくお願いしますね。整理のことになると、周りが見えなくなる癖があるので」


 セリスは深く頭を下げ、眼鏡の奥の瞳に真剣な光を宿して答えた。


「はい、リーサ様。アルス様のお側で、本と知識を守るために、私の持てるすべてをお役立てする所存です。どうかご安心ください」


「頼もしいわ。……アルスのこと、よろしくね」


 リーサの言葉に、セリスが静かに、けれど力強く頷いた。


 馬車が動き出す。窓から父さんと母さんが手を振るのが見えた。僕は玄関の前に立ったまま、二人の姿が石畳の向こうに消えるまで、静かに見送った。


(また会いに帰ろう)


 僕は静かにそう思い、扉を閉めた。


 ◇


 部屋に戻ろうとして、僕は居間の椅子に人が座っていることに気づいた。


 深緑のローブを纏い、脚を組んで優雅にティーカップを傾けているその人物は、エレナだった。セリスが「いつの間に……」と言葉を失っている。


「エレナさん。いつ入ったの?」


 エレナはティーカップをゆっくりとソーサーに置き、立ち上がって僕の方へ歩み寄ってきた。その足取りは熟練魔法使いとしての威厳に満ちていたが、僕に近づくほどに、その瞳の奥に隠しようのない熱が滲み出てきた。


「アルスくんの純度が新たな場所に宿ると知って、一秒でも早くその空気を確かめたかったの。あの程度の鍵錠が、私の想いの前に障害として立ちはだかれると思って? ……それより、この部屋の空気、もうアルスくんの整理の息吹が染み込み始めているわね。なんて清々しいのかしら」


 エレナが室内をゆっくりと見渡し、うっとりとした表情を浮かべた。セリスが僕の隣に静かに寄ってきて、疲れ果てた顔で耳打ちした。


「……私がご案内する前から、すでにいらっしゃいました。止める間もなく」


「そうなんだね」


 僕は特に驚かず、エレナの向かいの椅子に腰を下ろした。エレナは待っていたとばかりに、身を乗り出してきた。


「アルスくん、ちょうどよかったわ。王都での生活についての心得を、私が直々にお伝えしようと思っていたの。まずこの街の魔法使いたちの派閥について説明すると、大きく分けて三つの系統があって、それぞれが複雑に利害関係を持ちながら、長い歴史の中で独自の虚飾を積み上げてきたわけなのだけれど、その背景には建国当時の魔法体系の分裂が――」


 始まった。


 形容詞が積み重なり、結論が遠のいていく、あの独特の語り口。情報の澱みに満ちたエレナ式の説明が、勢いよく幕を開けた。


「エレナさん」


「なあに、アルスくん」


「要点だけ教えてもらえると、助かります」


 エレナが固まった。


 それから、じわじわと頬を赤く染め、震える手でティーカップをソーサーに置いた。彼女の熟練魔法使いとしての凛とした表情が、みるみる溶けていく。


「……要点……。アルスくんに、そう言ってもらえるなら……この私、今すぐ人生のすべての情報を最短の術式へと整理し直したい気持ちで溢れてくるわ……! 喜んでまとめます……!」


 エレナが感極まったように胸を押さえ、椅子からずり落ちそうになった。セリスが「エレナ様……」と呆れたように呟いている。


 それでも彼女は気を取り直し、今度はきちんとまとめられた話をしてくれた。王都の魔法使いの派閥、図書館周辺の治安、信頼できる商店の場所。必要な情報だけが、一本道で届いてくる。エレナの知性は本物で、整理を頼むだけでこれだけ変わる。情報の純度を高めることの大切さを、僕は改めて感じた。


 話が一段落したところで、セリスがお茶のおかわりを持ってきた。エレナが「明日、王都を案内してあげるわ。アルスくんの純度が汚されないよう、私が先導する」と言い、セリスが静かに「図書館への最短経路は、私が責任を持ってご案内いたします」と返した。二人の間に、穏やかな、しかし確かな火花が散った。


「二人とも、ありがとうございます」


 僕が誠実にそう告げると、エレナとセリスが同時に「アルスくん……!」「アルス様……!」と声を上げた。エレナは胸に手を当てて天井を仰ぎ、セリスは眼鏡をずらして静かに目元を押さえた。七歳の子供の一言で、大人が二人揃って崩れ落ちている光景は、なかなかに壮観だった。


 ◇


 夜、一人になった部屋で、僕は荷物の最終整理をした。


 魔導書の写しを棚に並べ、羽ペンをペン立てに立て、インクを机の端に置く。着替えは引き出しの中へ。母さんのクッキーの袋だけは、机の上の目に入る場所に置いておくことにした。


 作業が終わると、部屋は最初から僕がいたかのように、静かに整っていた。机の上は真っさらで、窓からは王都の夜景が見える。あちこちで灯る明かりが、石畳の上に揺れていた。情報のノイズが多い街だけど、この窓の景色だけは、どこかスッキリとして美しかった。


 僕は机の前に座り、胸のポケットからフィナの花の絵を取り出した。拙いけれど一生懸命に描かれた青い花が、ランプの光の下で柔らかく輝いている。机の隅に、丁寧に立て掛けた。


 その時だった。


(アルス~! 新居はどうですか! 王都の澱みは感じていますか! 女神として一つだけ大切な助言を授けてあげようと思うのですが、まずこの街の魔力の流れについて説明すると――)


 脳内に、あの賑やかな声が響き渡った。


(女神様。今日は少し疲れたので、内容をまとめてから来てください)


(えっ、また!? せっかく降臨してあげているのに! ちょっと、無視しないで――)


 僕は思考のスイッチを静かに切った。

 女神の声が、遠ざかりながら消えていく。


 部屋に沈黙が戻ってきた。


 窓の外では、王都の夜が静かに更けていく。石畳の上の明かりが揺れ、遠くで馬車の音が聞こえる。明日からここが、しばらくの僕の場所だ。


 机の上のフィナの花の絵を、もう一度だけ見た。


(明日から、始まる)


 僕は静かにランプを消し、目を閉じた。

 整理すべき澱みが、すぐそこで待っている。

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