Story:17『****** Knockout』
皆様の意見を見て今後の参考にしたいと思いますので、気になったらぜひ気軽に感想や評価をお願いします!
「っ…………、スノォォォォウ!!」
「"アルカトラズ"!」
「うっ!?急に体が…重くっ」
目を見開いて凄む時雨と、それとは対照的に目を細めてスキルを行使する雪。駆ける黒雷と共に威圧感が増す時雨が足を踏み出そうとすれば、次の瞬間には重力の監獄がその歩みを止めさせた。
ジジジ──と、嫌な音を立てながら微振動を繰り返す紫色の檻は直ぐに霧散して消えるが、AGI等に対するデバフがかかるのか時雨の動きが鈍くなる。
「"フレイムアロー"」
「"追憶"──危な!なんとか逃げられた」
時雨の相当高い数値であるAGIでも僅かとはいえ行動を縛れるほどの拘束力、それから固定値系ではなく割合系の減少率があることが予想された。そこに雪のフレイムアローが容赦なく降り、やりくりが難しくなってきたMPを絞って追憶で逃げる時雨は若干後手に回る。
「今度はこっちの番、"轟脚"!」
「"蜃気楼"」
「ぶふぅ…!?」
風切り音を鳴らしながら雪を捉え───そのまま突き抜けた。確かにそこにいたはずのその姿は、爆発するようにして膨れ上がった熱気でゆらゆらと揺れながら次第にその影を薄くして消える。
分身…いや、残像に近いものを時雨は蹴っていた。火系の魔法を操る雪が使った《蜃気楼》は、その名の通り光の屈折する方向を熱した空気で無理やり捻じ曲げ、離れたところに居る自身の虚像を映し出し、本体は退避していたのだ。
「ん"ん"ん"!目、目がぁ…!!」
「………んぐふ、ふふ、3分間待ってあげようか?」
そしてその熱気を直に受けた時雨は幸いHPが減るようなダメージを受けるようなことはなかったが、熱波によってダメージ判定外の痛みを覚えた目を両手で覆いながらゴロゴロと転げ回る。
その様相を見てさすがの雪も耐えられなかったのか、氷のように冷たかった表情から一転笑いをこらえるようにしてネタを呟く。なんとかすぐに起き上がれたが涙目になっていた時雨がジト目で睨みをきかせれば、なんの事かわからないと言って風に表情を元に戻した。
「~~~っ!今笑ってたでしょ!?私も怒ったよっ!!」
「ここから本気ってわけだ……ぇ?」
いざ勝負。と身構えた雪はぽかんと間の抜けた顔になる。原因は自分から急にかなりの距離を取った時雨の謎の行動。逃げるにしても背中を見せてという不自然さ。怒ったと言ったのにそもそもそんな事を?
そして次の瞬間───ビルの1つが倒壊した。
「ほぁ…?」
廃都市の風化し、ボロボロになったビルが建ち並ぶ大通り。何を思ったか時雨はビル郡を相手にサーチアンドデストロイし始めた。粉砕し、激震が起こり、粉塵が舞う。笑顔でビルを殴り倒す少女は第三者視点で見れば完全にサイコパスのそれだった。
「あはははは!ねぇ、snow、これなら避けようがないでしょ!?」
「や、やりすぎぃぃぃい!?」
振り返った時雨の顔はそれはもう満足そうな可愛らしい笑みを浮かべ、透き通った声は激しくビルの倒壊する音が鳴る中でも高笑いのおかげでよく響く。薄く上気した頬は興奮、高揚し始めていることがうかがえた。
「次ぃ!」
「ちょっ、そこは!?危なァァ!」
「はい、避けたところに追加でドーーン!!天然(?)の破壊兵器がいっぱいあるよ!はい次!」
「むしろシグレの方が破壊兵器だよ!?にょわぁ!」
「あははははははは!ほらほら、もっと走んなきゃ!」
「く、狂ってやがるっ!」
ドミノ倒しのようにして崩れていくビル、真下には元凶の時雨と必死に逃げ惑う雪。響くは歓喜と絶叫。完全に悪役と被害者の図。
「んぐんぐ…ぷはぁっ、これでMP満タン!」
「隙あり!"轟脚"、続いて"轟撃"ィ!最後にビルも追加!」
「"蜃気楼"!"多重展開/フレイムランス"!うぉおぉぉ!!堪えろ私のMP!」
MPポーションを一気飲みして空き瓶を投げ捨て、背後から迫る攻撃を蜃気楼で回避、総数20以上の砲門が止めどなく炎槍を吐き出す。雪に向かって崩れるビルと炎槍が激突、衝突、紛紜。一切合切を吹き飛ばした爆煙が晴れれば、クレーターのように凹んだフィールドの中心に、1箇所だけ無事な地面が残っている。
そこに雪が立っていた。どうやら無事に生き残ったようである。
「しぶといなぁ…」
「はぁ…はぁ…んぐ、ぷはっ。今度課金して今の技に"王〇財宝"ってスキル名つけようかな」
「…?」
「気にしないで、別世界の話だから」
どうせならこれで終わってくれれば楽だったのに…と、苦笑する時雨に荒い呼吸音と投げ捨てた空き瓶の音で雪が答える。
「ていうか、ほんと凄い威力の魔法だね、それ」
「私からすればデメリットで瀕死のシグレ相手で本来なら王手のはずなのに、盤外戦術で兵器を持ち込まれたような気分だけどねっ!」
時雨には言われたくないと憤慨する雪は頬を膨らませ、当の本人は「おっしゃる通りで…」と言い返せず暫く微妙な空気が流れた。
「はぁ…なんだかなぁ。結局真面目な雰囲気も少ししかもたなかったよ」
「それはsnowがふざけるから」
「でも、私の中にある蟠りはまだとけてない。だから負けられ───」
「へへへっ、隙ありぃぃい!!」
「「うるさい!!」」
「おべゃ」
「よくも仲間を!…って、あれ?あの時のハイテンション黒うさg───」
「「邪魔すんな!!」」
「あふん…」
もはや運命なのだろう。『真面目な雰囲気になれない運命』───なんて余計なことか。リスタートを切ることすら許されない呪いの類いだ。隙を見る目があるなら空気を読む力も身につけて欲しい。野次馬が出てくるだけでなく乱入となれば2人のすることはただ1つ、除外。
時雨に左頬を殴られ、雪に右頬を杖で叩かれた男の首が嫌な音を鳴らしながらエフェクトをばら撒き吹き飛ぶ。敵討ちに飛び出してきた仲間は腰を蹴られ炎槍を当てられ、まさに腰砕け状態…生まれたての子鹿のような見た目で光の粒となった。むしろなぜ近場で起きていた災害を生き残れたのにあっさり2人に負けたのか謎すぎる。
そして、ついにその時が訪れてしまった。
「っ…もうか…」
「ん…?動きが鈍くなったけど──あ、もしかしてスキルの効果切れちゃった?"フレイムランス"」
「"追憶"!」
《仙才鬼才》も〈鬼人演舞〉も既に残り時間が0となり、時雨は慌てて逃げた。が、目敏い雪に動きの変化に気がつかれただけでなく、〈追憶〉の性能にも目星をつけられてしまっており次の行動が予想されていた。
まさに飛んで火に入るなんとやら。
「そこらへんかな?"フレイムランス"」
「うぁっ…!」
「ちぇ、ちょっと右すぎたかな。…そのスキル、多分だけど1度行ったことのある場所じゃないと転移出来ないでしょ?"フレイムランス"」
「う"…」
転移場所の数m右側に炎槍が着弾した場所から逃げ、倒壊したビルの瓦礫を背にして耐え忍ぶ時雨。徐々に削れていくコンクリートの壁にヒビが走り、背中に重い衝撃が伝わる。
「最初から自由に転移できるなら、ここまで戦いが長引くことがそもそもありえないもん。出てくる場所は大抵少し前にいた場所だったしね。つまり、1度も通ったことない場所にいれば不意はつかれない」
「この壁ももうもたない…」
雪は時雨の不可解な戦い方から〈追憶〉の弱点を導き出していた。一度行ったことのある場所ならほぼ無制限に移動出来る理不尽な転移スキル…だが、裏を返せば行ったことのない場所には行くことが出来ない。
唯一にして最大の欠点で、攻略の鍵。
〈多重展開〉でいくつか空中待機させた炎槍が転移候補場所を常に狙い、雪から直接放たれる攻撃も着実に壁を崩し始めている。
逃げても即死に繋がる可能性が高く、このまま留まっても結果は同じように敗北の可能性が濃厚。
「はぁ、案外呆気なく終わりそうだね。じゃあ、さよならシグレ。私は勝つ、もうシグレの後ろでヘラヘラしてるだけの私と決別するの。───"フレイムランス"」
過去を思い、未来に希望を抱く。ゲームとは言えビッグタイトルの初イベントである大会で好成績を残せば、時代的にe-sportsが一般的に認められた今なら一個人の評価は大きく覆る。
時と場合、運によってはそれが仕事となり下手すれば普通に働くより富と名声が手に入る。一発逆転下克上の底辺カースト脱出。他作品の大会やリアルイベント等でも輝かしい成績を数回残したことのある雪はさらにその可能性があり、すでに名のあるゲーミングチームに誘われた経験もある。
「陰キャ」「なんであんなのが笹森さんと」などど学校の影で自分をよく思わない同級生に笑われても耐えられたのは大成するため。なんでこんなあからさまなのに時雨や教師は気がついてくれないんだと怒りを覚えたこともあった。だが、今度は笑ってやる側になるんだ…私が、勝ち組だ。感慨にふけり、嬉しそうに口角を上げた雪が見た時雨は
同じように口角を上げて笑っていた。
「───まだ終わってないよ!」
たしかに時雨の定石とも言える手は使い果たし、ステータスもデメリットで信じられないほど低く、1度でも雪の攻撃が掠ればそのHPは小さな灯火の如く簡単に消え去るだろう。
だが、雪に知られていなかった手は〈追憶〉だけではない。恐怖に抗い、絶望に打ちひしがれてもなお立ち上がり、大切な家族を笑顔にするために手に入れた力が残っている。
「"百鬼夜行"!」
薄く西日が刺し始め、2人の影がほんのり濃くなる時間……
異常に濃い影が時雨から解き放たれた。
「はぁ!?マ、"多重展開/フレイムランス"!また余計なスキルを手に入れてたみたいだね!」
それぞれが思考し、バラバラに行動を始める影。一斉に飛び出した彼女達に雪は明らかに動揺する。《仙才鬼才》や〈鬼人演舞〉、〈孤軍奮闘〉などでステータスに補正がかかっていないとはいえ、周辺には数多くの遮蔽物がころがっており雪の攻撃から身を隠すには充分すぎた。
「処理が追いつかない…!"フレイムアーマー"、"フレイムサークル"、"レイジングピラー"!」
「"轟撃"!」
「かはっ───くそ…捨て身ってわけ!?」
防御系の魔法を使い、範囲攻撃魔法で一気に殲滅を図るが打ち漏らした1人が背後から一撃を加える。時雨にステータス補正が無い分一撃で死ぬこともなく鎧と結界の副次効果で影は即死したが、要は捨て身攻撃を数十人で行うことが可能ということ。ダメージ量は約1割強、10回も受ければ負けてしまう。
「私だってある程度自分のスキルの弱点は分かってるつもりだよ。だったら、もしもの場合の対応策もあるに決まってるじゃん!」
「"ヒール"、"レイジングピラー"、"レイジングピラー"!!「"轟撃"!」──がっ…!?」
追走してくる時雨から回復をしつつ距離を取り、反撃を試みるが視界外…死角からの攻撃にはやはりどうしようもなく対応が杜撰になる。
殴られては回復し、反撃を試みてはまた殴られる。減っては増えてを繰り返す雪のHPと反対に減り続けるMP、1人また1人と消える時雨の影。場が混沌を極め、収拾がつかなくなり始めるほどに荒れ始めていた。
雪にも勿論HPとMPの限界は存在し、同じように時雨の影にも限界数がある。どちらが先に息を切らすかがそのまま勝敗に繋がる持久戦。
最初に息切れしたのは───
・MPポーション 0/5
「あっ…」
「"轟脚"!」
「っ─────」
何度も魔法スキルを使い撃退と回復、防御をしていた雪が右手を動かしてインベントリを操作する。雪ほどのプレイヤーになれば画面を見ることなく的確にアイテムを選べるくらいには作業が確立されていた。
が、ブブーッというエラー音と共にそこに表示されていたのは無情な数字である0。メリメリと嫌な音を立てながら腹部を蹴り上げられ、あまりの衝撃にまともな声も出せずしばらく蹲る。
「うぅ…な、なんで…なんでなの!?ゲームだけは…ゲームだけが私の取り柄なのに!どうしてシグレはなんでも出来るのにゲームまで!」
嗚咽混じりに漏れる答えを求めている訳では無い独白。言葉の端々から嫉妬、羨望、苦悩がはっきりと伝わってくる。そんなものを間近で聞いた時雨は
「わ、私だって…なんでも出来るわけじゃ──出来たわけじゃない!!」
「え?」
ここに来て初めて雪のように声を荒らげた。俯いて拳を力強くにぎりしめ悲しそうな表情の時雨、その表情に僅かな怒りを含んでいるように見える。唇を噛み締め、必死に泣くのを堪えているかのような。
それが見えない雪からすれば下手な同情をしないで欲しい所で、普段から見ていた時雨の様子からそれが本当の事だとは思えなかった。
「そんなことないじゃん。勉強もスポーツもそれに───」
「わ、私だって!みんなに守ってもらえるか弱い女の子になってみたかったし、可愛い服も着てみたかった!!」
「………はぁ?」
多くの人の上に立ち先に進む者達にも、それぞれ周りと共有することの出来ない考えを抱えていたりするものだ。
時雨のメルヘン思考の場合は少し特殊な家庭環境が理由となる──
■■
──小学1年生
『時雨。柊家に産まれたからにはお前にも強い人間になってもらう』
『はいっ、おとうしゃん!』
『柊家は代々武術を重んじる家系だ。そして、お前は俺と氷雨の子供、最高の武術家になれる才能がある。小学生となった今日から稽古を始める』
『おにぃわ?どうしてここにいないの?』
『あいつはダメだ。年中部屋に篭もって機械をいじるばかりのロクでなし。あんなものを兄とは思うな、居ないものと考えろ。あれはお前の邪魔にしかならない』
『………』
『分かったな?では、稽古に入る』
『…はぃ』
──小学5年生
『何故こんな簡単な事も出来ないんだ!!』
『痛っ…』
『何故出来ない!?私と氷雨の血が流れ、ここまで噛み砕いて稽古をつけてやっているというのに!』
『すみません…お父さん』
『っ、道場に入ったら師匠と呼べと言っているだろう!何度言えば───』
『あなた、時雨は女の子でまだ小学5年生よ。少し厳しすぎるわ』
『厳しすぎるなんてことはない!ほら立て、続きを始めるぞ』
『…はい』
──小学6年生
『そうだ、再来週から修学旅行よね!せっかくだし新しいお洋服土日に買いに行きましょ、時雨』
『ほんと!お母さん!』
『えぇ。どんな服がいいかしら?』
『えっとね…あ、スカート!それとね、えっと…フリフリのやつ!』
『あら、やっぱり時雨も女の子ね』
『うぅ…だって着たことないから着てみたいんだもん!』
『うふふ、そうよねぇ。あ、時雨は綺麗な黒髪なんだからリボンとかも似合いそ──』
『そんなもの時雨には必要ない。それと、再来週は関西で大会があるから道着の手入れを入念にしておけ。修学旅行などという戯れに貴重な時間は使えない、お前は周りの人間とは違って特別なんだ』
『えっ…ちょっとあなた、それはさすがに…』
『うるさい!口出しするな!』
『きゃっ…』
『お母さん!?』
──中学1年生
『君とは…西城家とは縁を切らせてもらう』
『!?なんでですかお義父さん!』
『なんで、だと?私の娘である氷雨、孫である時雨の生々しい痣や傷を見ても同じことが言えるか!?明らかな家庭内暴力、行き過ぎた指導という名の元の虐待…それを許せる家族がいるはずないだろう!君にはこの家から出て行ってもらう。2度柊の敷地に入ることも許さない!婿養子として君を選んだ私は恥ずかしい限りだ』
『待ってください!考え直してくださいお義父さん!』
『君にお義父さんと呼ばれる筋合いは無い!さっさと書類にサインをしたら出て行きなさい!!後日用がある時に弁護士を通して連絡を入れる、それまでは一切顔を見せるな』
『時雨、今度一緒に買い物にでも行かない?お兄ちゃんこれでも結構お金もってるからなんでも買ってあげるよ?というか買いたいし貢ぎたい。中学生になった時雨はもっと可愛く着飾るべきなんだよ!僕の妹として!』
『あ、うん。でも可愛いのはちょっとね…』
『……まだ父さ───西城のこと気にしてるの?あの人はもう居ないんだ、時雨も着たい服を着て、行きたい場所に行って、自由にしていいんだよ?』
『うん。でも、あの頃の生活が体に染み付いちゃったって言うか…違和感があるんだ。だから、もうちょっと待って』
『そっか…うん、分かったよ』
『私もいつか…絵本の中のお姫様みたいに、可愛くなれるかな…』
■■
「私はいつも、あの人の命令で稽古ばっかりだった。楽しくなかったし、怖かった。やっとあの人が居なくなったと思っても、ずっとあの人が私を見張ってる気がして…私は私が何をしたいのか分からなくなった。『全てにおいてその才を示せ』だってさ。私はあの人の言葉にずっと縛られてた。それなのに、いざ他の事をってなっても私には武術しか残ってなかったんだよ」
父が家から去り厳しすぎる虐待まがいの稽古は消え、母が夜な夜なリビングで声を押し殺しながら泣くことも無くなり、家の隅に追いやられ不当な扱いを受けていた兄はよく笑うようになった。
以前と比べればそれは正しく自由に…幸せになったと言える。だが、人の過去は未来への強制力を持つことが多い。過去のトラウマが、父親の存在が時雨を縛っていた。
だいぶマシになり最近ではその暗い影が時雨を見つめることも無くなってきていたが、昔はよく、稽古を怠れば不安で夜も眠れず、女の子らしい服を手に取れば怒声が頭に響き、兄と一緒にいれば引き離すために力強く握られていた手首が何故か傷んだ。
結果、時雨には武術しか残らなかった。
「そ、それでも!何も無い私よりはマシだよ!」
「自由に生きられた雪の方がずっと羨ましい!」
1つを得るために多くを失った時雨と、多くを諦めて1つに絞った雪。どちらが幸せで、どちらが不幸か……
「私だって…私だって!!」
そんなこと、誰にも決められない。
今の言葉はどちらから出たのか、そもそも、どちらが言ったわけでもないのか。
2人は同時に力強く地面を蹴った。
潤んだ視線が重なり合い、言外の意思が衝突する。
時雨の一撃を為す術なく受けた雪は残り僅かのHPを確実に減らし、また雪の杖術により時雨の影も散る。そうして、雪のHPが残り1割半、時雨の影が20人弱に減ったところで事態は劇的に急変した。
雪の胸部に禍々しい紋様が光る──そこから筆舌に尽くし難いおぞましい触手が這い出てきた。
「"魔女の夢:虚空"!」
「「「えっ───────」
白黒の世界が2人を包み色が消え、残ったのは悲しいような虚しいようなそんな不思議なモノ。そして輝きが戻った世界で時雨の影は消失していた。
「この隠しアイテムは30秒の間、効果範囲内のスキルを全て無効にするの。たった30秒でも発動制限があるような切り札にはよく刺さる確実なメタになるよね。最後まで残しておくつもりだったけど、これは今、シグレに使うべきだと私は判断した」
「…今まで使わなかったのは舐めてたってこと?」
「違うよ。本気だからこそ、シグレには使いたくなかった」
決して侮っていた訳ではなく、ただ純粋に自分の持ち得る実力のみで時雨に勝とうとしていた雪。だが、ここに来て使えるものを使わずに負ける方が馬鹿らしいと隠しアイテムを使うことに決めた。むしろ時雨の言う通り持つ物全てを使わない方が舐めていることになってしまうから。
「さぁ、ファイナルラウンドだよシグレ!」
今まで雪は杖を胸の前で構えて魔法スキルを使っていたが、ガラッと型が変わり背中の後ろ側に伸ばされた右手に力強く握られている。まるで剣を握っているようなその姿勢から近接戦闘に移行したことが簡単に推測できた。時雨も型を整えて夜叉を正面に構えて雪を静かに睨む。
沈黙が終わりを告げた。
「"芯破杖"!」
「"轟脚"!」
『Antagonism:No Damage』
「"轟撃"!」
「"痛打"!」
『Antagonism:No Damage』
ガキィンッ…という甲高い音が武器同士のぶつかり合いで響き渡る。攻撃が最大の防御とでも言うように1歩も引かずに攻めつづける2人のスキルが拮抗し、ダメージを発生させずに相殺した。
クルクルと器用に杖を手先で回しながら変則的な攻撃を仕掛ける雪と、それを確実に捉えて寸分の狂いもなく完璧に受けきりつつ自らも一手を加える時雨。
「驚いた。まさか雪が近接戦闘も出来たなんて」
「これでもVR格ゲーだったり別のVRPVPでランカーになったことがあるからね。リアルなら比べるまでもないけど、ゲームの中でなら私の方が先輩だよ!」
著しく変化し続ける戦況。ほんの数秒前まで優勢だった雪がたたらを踏みながら守勢に回り、次の瞬間には時雨が受け身になる。
視線の動きや指先の小さな挙動、呼吸のリズム、筋肉の弛緩と膨張。それら全てに隙を作ることの許されない一進一退の攻防が全ての人を魅了する。「すげぇ…」「なんだあれ」そんな言葉が彼女達を映しているモニターの前で呟かれた。
そして、そんなことを知る由もない2人はついに終着点へと向けて大きく舵を切る。
「埒が明かない。私も、使う気はなかったけど……!!」
「はぁ…はぁ…何か、来るっ!」
何かを決断した時雨が特殊インベントリからある物を取り出す。それは、なにかの儀式にでも使うのかと聞きたくなる、異色の触媒だった。牡羊の頭を持った体は蛇という、生命としてどこまでも歪で神格化を果たした存在。雪にはソレがどんな力を持つのかは分からないが、持ち運べる物の中になかったその見た目がどう考えても隠しアイテムであるという事が一目で分かる。
そして、設定された詠唱の表記を読む時雨の言葉で空が消えた。
「"我が願いを聞き届けろ…来い、ケルヌンノス"!」
『我が名を呼ぶ者に勝利を──"神の気まぐれ/壱・狩猟の外法"!』
真上に居座る闇が大きく口を開く。暗闇が空を喰い、徐々に広がっていく裂け目はあの世とこの世を1つにつなげていき、何者かの声が聞こえたと思えば蹄のついた毛深い脚が降ってきた。風を切る音が雪の頭上、すぐそこまで迫る。
破壊、崩壊の化身がその身の一部を限界させ、尽くの障害物を踏み抜いていく。そこに差異はなく、等しくその姿を塵に変えて崩れ去った。
『Kill:────────』
『Kill:────────』
天変地異とも呼べるそれに巻き込まれた人達のネームが流れるログに時雨は目を向ける余裕もない。それこそ、壊れていく世界の真ん中でそこだけが無事でいるという異常性が時雨の目を捕らえて離さない。
「もう1つも出し惜しみは出来ない…!」
「なっ…2つ目!?」
「"我が願いを聞き届けろ…来い、アウロラ!"」
雪の右手で輝く幻想的な極光の塊。
『この世の全ての闇を払いましょう。夜が明けても、我が子達が道に迷わぬように──"終わりと始まり"!』
黒と白、闇と光が全てを飲み込まんと鬩ぎ合う。主の願いを成就させるためだけの生体型兵器である彼らに本来であれば意思はない。だが、今この瞬間だけは、彼らが本当に生きているかのようだった。まるで、2人の気持ちが乗り移ったかのように。
『『我が主に───我が主に絶対の勝利を!!』』
刹那、世界から音と色が消えた。
「どう…なったの…?」
いったいどれだけの時間が経ったのか…光と闇の爆発によって受けたダメージから回復した時雨の視界は急速に色を取り戻す。夕陽の差し具合からほとんど時間は経っていなさそうだ。
廃都市と言うぐらいなのだから元々荒れてはいたのだが、今はもうここに都市があったのか分からないと言っても差し支えないほどには原型を失っている。
尻もちをついている体勢では一部激しく凹んだ地面や所々に残る瓦礫のせいで周囲を完全には見渡せないので手と足に力を込めて立とうとするが、プルプルと震えるだけで上手く立てそうにない。
すると、すぐ真横にある瓦礫の山がガラガラと音を立てて崩れた。
「げほっ…うっ…イタタ」
「そっか、倒しきれなかったんだ…」
「あり…シグレも無事だったんだ」
「この状況を見てもそう言えるなら凄いと思うよ?」
「あはは…」
土煙をあげた場所から雪が瓦礫をどけながら姿を現した。時雨に言われてキョロキョロと見回せばそこにあるのは建造物や街道だったコンクリートが砕けて散乱していて、さすがにその惨状を見て無事とは言えないらしい。
「………」
「………」
2人は暫し無言で見つめ合い、消耗しきった体に鞭を打ってすぐ側まで近寄る。
「「すぅ〜〜………」」
同時に息を吸い込んで大きく胸をふくらませた。
「私は、シグレちゃんみたいになりたかった!」
「私だって、snowみたいに女の子らしい格好がしたかった!」
「「ぐぬぬぬぬ…」」
隣の芝生は青く見える──特に自分が不幸だと思っている人には。ゼロ距離まで近づいた2人のおでこがぶつかり、圧でだんだんと赤くなる。力比べまがいは筋力戦に発展し手のひらを合わせ指を絡めた押し合いになった。爪が甲に深く突き立てられているがお互いにそんなこと既に気にしていない。
「シグレちゃんのバカーー!!」
「snowのアホーー!!」
HPもMPも、スキルも、隠しアイテムまでをも使い切った2人にはもうまともな戦いは出来なかった。足場の悪さで雪が押し倒されるが、直ぐに逆転し、また逆転。ゴロゴロと転がりながら互いの手が行き先を求めて伸びる。
「うううぅぅぅ!」
「むぅぅぅぅぅ!」
『No Damage』
『No Damage』
『No Damage』
︙
お互いがお互いの頬をつねり、引っ張り、ぐにぐにとするが、どうやら明確な攻撃として判定を受けないとダメージは発生しないらしく、2人はゴロゴロとその場を転がるだけで決着がつきそうにはない。
1~2分ほどCQCを繰り広げ、元いた位置から数メートル離れた地点で2人は大の字で横たわり、とぎれとぎれになった浅い呼吸のせいで大きく胸が動く。そのまま天を仰げば濃い茜色に染まり始めた雲ひとつない空が半壊した廃都市からどこまでも続いているのが良く見えた。
「「はぁ…はぁ…」」
「いやぁ、切り札の隠しアイテムでもsnowを倒しきれないとは…」
「こっちが2回連続で隠しアイテムを使って反撃しなかったらシグレちゃんが勝ててたろうねぇ~、残念でしたー!」
「ひゃんはふはふふ…」
苦笑いしながら時雨が足をパタパタさせて一言声漏らせば、「やーい、やーい」と横からぷっくりと膨らんだ時雨の頬を雪が人差し指で潰し、ぽひゅと軽い音が鳴る。そのまま指先でこねくり回される頬はだんだんと緩み、やがて音は鳴らなくなって雪の指も離れた。
時雨が顔を横に向け、隣に同じように寝ている雪の方を見ようとすれば同じタイミングであっちも顔を向けてくる。不意に重なった2つの視線は、頬を僅かに赤く染めて恥ずかしげに反対方向に向けられる。盗み見る、とまではいかなくとも、今どんな表情をしてるんだろうか…という考えが重なったことが何よりも2人はこそばゆく、指で頬を掻く。
「あ~…もう動けない、シグレちゃんの脳筋めぇ」
「わ、私だって体動かないし、HPもMPもカラッカラだよ…snowの変態卑屈おバカ」
「言いすぎじゃない!?」
なんだかいたたまれないような変な雰囲気になってしまった現状をどうにかしようと思ったのか、それともただ単に恥ずかしさを隠すためだったのかは分からないが、雪が場の流れを変えようと時雨を冗談交じりに揶揄う。それに習って同じように冗談のつもりで時雨の口から出た言葉はなかなかに辛辣であった。
「ぷっ…あははは」
「えぇ…そこ別に笑うところじゃ…ぷふ、ふひひひ」
そして、ついにもう我慢できないといったふうに時雨が笑い出す。目の端に小さく光りの筋が頬を伝い、地面に小さな染みを作っていく。それを横で見ていた雪も笑顔とも泣き顔ともとれない微妙な顔で小さく笑いを堪えながら雫を流した。
「なんだかなぁ、悩んでるのが馬鹿らしくなってきたよ。あのシグレちゃんにも少女趣味があるって分かったらあほらしくなってきた」
「え、それは遠回しに私のことをバカと?アホと?」
憑き物が取れたような、長年の苦悩が晴れたような…そんな清々しい気持ちになった雪がニヤニヤしながら時雨の脇をつつく。「あの雪にそんなふうに言われるなんて…」「どういう意味!?」なんて言い合っている姿にもう暗く重たい影は見て取れない。
だが、まだどこか思うところがあるのか時雨は真剣な顔付きに戻って雪の目をしっかりと正面から見つめる。それを受けた雪も、どこか軽い空気から真剣なものに変わったのを敏感に感じ取り、しっかりと見つめ返す。数秒の間を開けて、ゆっくりと時雨は口を開いた。
「……その、友達なのに、snowの悩んでることに気づいてあげられなくて、ごめんね」
「ううん、シグレちゃんは悪くないよ。私が勝手に被害妄想を膨らませてただけ、ごめん。あと変態で卑屈過ぎたところもね」
「さては根に持ってる?」
「なんのことやら~」
深く、心を込めて───雪の左手を自身の右手で軽く握り謝る時雨。ふるふると小さく震えるその手は、もし許してもらえなかったら…という不安を簡単に相手に知らせてしまう。そんな時雨に雪は真剣に、だが重く考えるなとでも言っているかのように、優しく、少しの冗談を織り交ぜて許すという気持ちを伝える。
「で、どっちももう限界な訳だけど、どうするおつもりですかシグレちゃん」
「んー…どうするって言われてもなぁ。もうsnowとこれ以上戦う気力もないし、その、これからも隣で笑っててほしいって思っちゃったし、今から戦えって言われてもそれはそれで…なんか困る」
上半身を起こして高くなった視界から時雨を見下ろす雪。「どう決着をつけるの?」という直接的な表現はしていないが、はっきりと伝わってくるその問いに時雨は少しの間考え、すっかり和んでしまった後で戦うのも…と、これから特に攻撃をするつもりがないと答えた。
「そ、そっか」
「うん」
「ふふ、シグレちゃんが隣に…あぁ、シグレちゃんの完璧な姿をいつでもどこでもずっとずっと隣で見てられるのか…うん、それもいいなぁ。やっぱりシグレちゃんと言えば美しい黒髪?いや…しなやかなんだけど程よい筋肉がエロティックな足?魔性の魅力が溢れ出るお胸も捨てがたい!ぐふふ」
「うわぁ…」
一部告白とも思える言葉を真面目な顔で言う時雨に、僅かに動悸が早まり、顔が紅潮していくのを感じた雪は、それを隠そうとそっぽを向いて素っ気なく答える。が、次第にその感情もおかしな方向へアクセルを踏み込み始めた。はぁ…はぁ…という呼吸音はどこか艶めかしく、瞳はとろんとし、肌は一層赤みを増す。思考はすでに若干トリップ気味。
それを真横で見て聞いた時雨はげんなりといった感じで僅かに起こした体を後ろへ引き、両腕で自身の体を抱きしめるようにして「私、今引いてます」という感情を顕にしている。そして、それは新たな雪の地雷だった。今まさに、時雨は思いっきり踏み抜いてしまったのだ。
「え、なんで私から離れるの?」
「いや、なんかちょっと怖いっていうか…」
「怖い?私が?なんで?どうして?こんなにシグレちゃんのことが好きなのに?好きだから一緒にいたいのに、シグレちゃんは違うの?ずっとずっと隣にいてくれるってさっき言ったじゃん!」
「怖い怖い!なんか微妙に私が言った言葉が改竄されてるし!」
グリンッ…という効果音が似合うと言えるような首の曲げ方をして時雨を見つめる雪。直後、その無機質な光を宿さない瞳とボソボソと震える唇からとめどなく溢れる出てくる、疑問と困惑の色が感じ取れる口撃の連投。時雨が後ろに体を引けば身を乗り出して進んでくる雪に、戦闘中とは違った意味で早くなる鼓動が時雨の心を恐怖に誘う。
そして、ついに仰向けの体勢で倒れた時雨の上には、両手を時雨の肩の横で地面につき、馬乗りになる雪がいる。白い肌と白い髪、アルビノを想起させる怪しく揺らめく紅い瞳がさらに場を支配する空気を演出し、薄い桃色の唇にちろりと舌が這う……どこか危なげな、狂気を孕んだ微笑みを乗せて。
「ふふ、ずっと私の隣に……居てくれるんだよね?そうだよね?ね?」
「ひえっ…ちょ、まっ───」
「私も、本当に少しずつだけど自動でMPを回復する手段、あるんだよ?"フレムスフィア"」
「あっ…」
「これからはたくさん2人で可愛い格好しようね?それと、これからも時雨ちゃんの隣は…私だからね?」
雪に覆いかぶさるようにされて退路を絶たれた時雨は、ポッと現れた火球が徐々にドーム状に変わる中、その中心で逃げることも許されず飲み込まれていく。時雨は意図せずして親友の暗黒スイッチを押してしまったかもしれないと、爆発とともに霧散していく2人の体と流れるログを感じる僅かに与えられた時間の中、強く後悔する。
ただ、影がかかる醜い心の奥底………本当は誰にも知られたくない、触れられたくない自らの醜悪な汚点。そんな所に少しでも、本当に少しでも明かりを灯してくれれば、余裕が出来れば人は救われることだってあると、お互いのおかげで気がつけたのだから。
でもやっぱり暫くは雪に不用意に近づかないようにした方がいいかもしれない…と、激しく悩んだ。そして、次に意識が戻った時にはいつものちょっと馬鹿な雪に戻っていてくれと、切に願った。
これから先、隣で仲良く笑い合える未来が来ることを同時に願うと共に。
(ありがと…時雨ちゃん)
雪のバラバラで不揃いなピースに1つ、時雨の笑顔がカチリとはまる。
『You are died!!あなたの順位は47位です。お疲れ様でした。特設ステージへ自動転移しますので、引き続きお楽しみください』
シグレ:snow/同率47位
『#o&b@e knockout』
︙
『Double Knockout』
何度も決着が着きそうになっては逆転して…っていうのが個人的にはあんまり好きじゃないんですけど、この2人だからこそこういう結末になったんだろうなと私自身書いてて思いました。2人のしぶとさと、目指す理由は違えど勝ちへの執着心が表現出来ていたら嬉しいです。