002 鮮華の白扇と風来坊の錬清
清香帝国の帝都より離れた中規模の邑、李川にはいつになく多くの人が集まっていた。
馬を駆り、武装した屈強な男の姿が多く、邑に住む民は不安がったが、彼らの掲げる旗の印を目にするや、態度は目に見えて安堵の色を強くした。
そんな屈強な男たちの一団は馬を厩に預け、とある人物の下へと集まっていく。
その中心となっている拵えの良い軽装の甲冑に身を包んだ人物は男たちがあらかた集まったのを確認すると、
「私たちはこれよりここ李川に駐留し、情報を集める。無論、私たちがここにいる以上、紅紗の奴らに好き勝手させることを見過ごすつもりはない。近隣に出没の報あれば、ただちに打って出る。よいな?」
彼の声はとりわけ大きいという訳でもなかったが、芯の通ったその声は男たちの耳にしっかりと聞こえ、そして、野太い声で応の一声が返る。それを聞いて中心の人物は微笑みを浮かべ、しかっりとした頷きを見せた後、駐留に当たっての支度を行うように命じた。
めいめいに散っていく中で、一際体躯の良い偉丈夫だけがその場に残った。彼は背中に背丈に見合った長大な矛を背負い、一見して武人とわかる風貌だ。
「白扇兄者。俺たちはどうします?」
武人は拵えの良い鎧を纏った者、白扇を兄者と呼ぶ。白扇――姓を児辰という――は武人の顔を見上げ、
「そうですね、駕刻。まずは私たちも宿を探しましょう。その後に、ここの代表者に目通りします」
治尚駕刻は黙して頷き、先に歩き出した白扇の後を付いて行く。
李川の邑は帝都や大邑のような賑やかさはないものの、道行く人々の穏やかな表情と身なりの程度から、かなり安定した執政がなされていることが窺えた。ひとえに、邑の政治を執り行う政官、とりわけ邑主が人格者だということだろう。
しかし、この邑こそ安定した暮らしを実現できているが、近隣の邑もそうであるとはとても言えず、最悪な場合、飢餓や疫病の類で邑が滅びることも多々ある。
また、その安泰を妬む者がいるのも確かなことだ。そんな者らが徒党を組み、賊となって村や邑を襲うことも多くなっている。そんな情勢の中で、官軍もただ黙っている訳ではないが、動きの鈍さと神出鬼没ともいえる賊に対する決定打のなさゆえに、手をこまねいている。
そして、その賊の中で昨今猛威を奮っているのが紅紗の連中だ。紅紗は当初こそ官軍の手の届かない辺境における義勇軍だったのだが、脱走兵や傭兵崩れが集まるにつれ、組織の精神は段々と曲がり始めた。そして、数年前に炉火と呼ばれるものがその頭となって以降、まさしくただの賊と成り果てた。それ以来、いくつの村や邑が襲われ、何百人もの人が彼らの欲望の犠牲となった。
白扇は賊が我が物顔で清香の土地を闊歩する彼らに対抗すべく、有志を集めて義勇軍を立ち上げた。旗印には白扇の名に含まれる『扇』を用い、鮮華と名乗っている。立ち上げから一年と少し経った今、官軍やその他の義勇軍と協働して賊を討ち、民を守ってきた彼らはまさしく英雄と言えた。
そして、今現在白扇たちが李川の地に来ているのは、この邑の周辺で紅紗と思われる者たちの目撃情報があったからだ。
白扇は駕刻を共連れに歩き、宿屋を探そうと辺りを見回していると、鮮華に属する男の一人で李川の周辺を哨戒していた者が駆け寄ってきた。
「児辰殿、たった今聞いた話ですと、数日前に北の李篭を襲った紅紗はその後西へと進路を取ったそうです」
「北の李篭? 数日前だとして今から行ってもすでにいないだろう。李篭の西にはなにがある?」
「この周辺の状況はまだ詳しくわかりませんが、紅紗が無駄な進路を取るとは考えにくいのも事実です」
「確かに、な。そこの青年、少し良いか?」
白扇は通りを歩いていた平民の男に声を掛けると、無造作に歩み寄る。男は突然のことに面食らったようで、
「い、いきなりなんだ?」
と、落ち着きなく辺りを見回しながら答えた。白扇はその様子を疑問に思ったが、今はそれを詮索する時ではないと判断し、李篭の西になにがあるかを問うた。すると、彼は白扇の顔を直視しないまま、
「た、確か、李篭の西には小邑がある。名前はなんだったかな……えっと、ああそうだ。李庵だ。うん、李庵。そこがどうかしたのか? 多分、行ってもなにもないぞ」
「いや、この周辺のことを知りたかっただけだ。情報感謝する」
「い、いや、いいさ。知ってることを喋っただけだから」
男はそそくさとその場を後にしたが、少し離れた位置で立ち止り、白扇の顔を何度も見返しては首を傾げていた。
白扇はそんな彼の行動には気付いていなかったが、その男の態度も頷けるものだ。白扇は軽装とは言えしっかりと甲冑を身に着けていたが、その体はどちらかというと華奢であるし、顔立ちは化粧をすれば女に見えなくもないほどである。
「兄者」
駕刻が言葉少なに白扇を促す。彼はそれへ頷きを返し、報告をしてきた男に人を集めるように命じ、自らは馬を繋いだ場所へと走り出す。
程なくして再集合した男たちの表情は険しい。到着早々再び呼び集められたのだ。何かがあったと考えるのが自然。そんな彼らへ白扇は、
「数日前、ここより北の李篭にて紅紗の目撃情報があったようだ。彼らはその後進路を西に取り、李庵という小邑の方へと向かっているらしい」
そこでいったん言葉を切り、白扇は胸に手を当ててから、
「李庵の状況は絶望的だ。しかし、今からでも追えば、足取りは掴めるものと考える。足の速いものを選抜し、残り半数をここ李川に駐留してもらおうと思う。各隊長は部下を選抜し、すぐさま出立の準備をしてほしい」
白扇の声をかき消すほどの大きさで応答の声が返る。それへ満足げな頷きを返し、駕刻と共に出立の準備を始めた。
鮮華の構成員は白扇を盟主と置き、駕刻を総隊長、そして、その下に分隊を指揮する分隊長がいる。分隊は今のところ三つに分かれており、それぞれに騎兵と歩兵を有するが、各隊でその比率は異なる。騎兵戦力を多く有し、戦場での機動力を生かす第一分隊は佐料鈴という女性が分隊長を務めている。もともと別の義勇軍として活動していたが、白扇と通じるところがあり、今では肩を並べて戦っている。
歩兵を主とする第二分隊は袁理督が率いている。もともとはとある邑で政官をしていたが、邑の財政が傾き、その役職を罷免されたところを結成直後の鮮華が拾ったのだ。聡明な男で、今では鮮華の財務を取り仕切り、軍師としてもそれなりに優秀である。
第三分隊は公修刑が率いているが、この分隊は少々特殊性が強い。第二分隊と同じく歩兵が多いのだが、その役目は主に諜報である。先ほど報告をしてきた男もこの分隊の者で、斥候や敵地への単独潜入を得意とした特殊な技能を持った者が多く属している。
このような者たちを囲っていることこそが鮮華の特殊性である。
白扇が支度を済ませて馬にまたがると、すでに第一分隊の者を中心として、およそ百五十人が準備を済ませ、白扇の命を待っていた。
「白扇、号令をお願いするわ」
鈴に促がされ、白扇は腰から采配を抜き放ち、天に掲げた。
「これより紅紗の足取りを追うため、李庵の地へと向かう。可能ならば、李庵の地が紅紗の牙にかからぬうちに辿り着きたい。では、参るぞ!」
采配を振り下ろすと、進路を北西に取る。先頭を白扇が走り、その横に駕刻が付ける。その反対側には鈴と修刑の弟で第三分隊の小隊長である蒼刑が並び、道を知らせる。すでに蒼刑は近隣の地図を入手していたようで、馬を駆りながら、手元の繊維紙に目を走らせている。
「礫地帯みたいっすね」
軽い口調で言う蒼刑に視線を向け、
「回避できないか?」
「できないってこたぁないすけど……」
彼は眉を寄せて一度視線を地図に落とし、
「そんなことしてら、見失っちまいますよ」
「そうか。では、馬の脚に注意してもらうしかないな」
その話を間で訊いていた鈴はすぐにその内容を後続へと伝えていく。騎馬隊の隊長だけあって、馬の扱いは素直に賞賛に値するが、今は悠長なことをしている場合ではない。一刻も早く李庵の地に向かい、可能であるならその地を救わなければならない。
馬を駆り、一刻と少しを行き、少しの休息で馬を休ませ、また長い距離を駆ける。馬の疲労は勿論だが、その乗り手の消耗も馬鹿にならない。
焦りが産む汗が掌を濡らし、手綱を持つ手を滑らせる。いくら鞍を置いていても、動く馬上では体勢を整え続けるのは流石に辛い。
そうして更に二刻を行き、休息の頃には中天にあった陽が西に傾いたころ、ようやく集落の影を捉えた。
「蒼刑、あれか?」
問うと、無言で頷き、彼は目を細めて遠方を見る。
「っ! この臭いは――」
風が向かい風に変わり、その中に混じる嗅ぎ慣れた、しかし、決して慣れたくない臭いが鼻腔をかすめる。そう、まぎれもない血の生臭くも鉄錆のような臭い。
合図をするまでもなく、馬軍はさらに速度を上げた。
しかし、視覚と嗅覚が一致しない。
「火がない。不自然ね」
鈴の言う通りだ。紅紗のような野盗なら、邑に火をかけ、人を炙り出すのが常套なのに、だ。
違和感を心に抱いたまま、四半刻もしないうちに白扇たちは李庵の地に辿り着いた。
白扇は馬に乗ったまま、李庵を囲む簡易な柵へと足を向ける。そこに在ったのは、裕福ではないものの、いたって普通の小邑の姿。略奪の後はおろか、野盗が訪れた気配すらない。突然現れた馬軍に驚いて、警戒をする様子はあるが、それ以外は普通だ。
白扇は血の匂いが未だ漂っていることを確認しながら、慎重に馬を降り、辺りを探る。
蒼刑は耳を澄まし、周囲の音を探っているようだが、伏兵のようなものはいないらしく、頭を振った。
「どういうことだ?」
背後に歩み寄ってきた駕刻に問うが、彼も困惑を隠しきれず、
「わかりませぬ。ただ、血の臭いがあることは確か」
鮮華の人員も少し足を伸ばして周囲を見て回るが、この周辺を馬が通った形跡はない。普通に考えれば迂回した、と思うべきなのだろうが、それにしては血の臭いが濃すぎる。
「駕刻、あの岩の方へ行ってみよう。丈もあるし、周囲を探るのにはいいだろう」
「わかった。蒼刑、お前も来い。佐料殿はこの周辺の警護を」
「あいよ」
「わかったわ」
それぞれに返答が返り、白扇は改めて馬にまたがる。目的は李庵の入り口から少し離れたところにある巨岩だ。
馬にこれ以上無理をさせるのは帰りに響くので、並足で行く。
近付くにつれ、血の臭いが濃くなっていることに気が付き、速度を落として警戒する。
駕刻も無言で矛を抜き放ち、周囲を警戒する。
「蒼刑?」
蒼刑の耳が何かを捉えたらしく、彼の視線が突如跳ね上がる。
「いる」
つられて白扇が巨岩の上を見ると、そこには確かに誰かがいた。
西日に照らされた人影はゆるりと立ち上がると、顔を隠していた比礼のような長い布を外し、鋭い目で白扇たちを見下ろした。
「随分と遅かったな。おかげで待ちくたびれた」
不遜に言い放ち、岩の隙間に刺していた鞘入りの剣を引き抜き、無造作に飛び下りて来た。十尺以上は優にあった筈だが、着地の際になった音はごく小さく、立ち上がるその姿は軽やかだ。
「義勇軍鮮華の盟主、児辰白扇はお前で間違いないか?」
ずいと剣を突き出し、まっすぐに白扇を指し示す。
「そうだ。私が白扇だ。貴殿は……?」
この男は明らかに白扇たちを待っていた。
「俺か? 俺は応唯錬清。ただの風来坊だよ」
「応唯、錬清」
名を口の中で反芻する。聞き覚えはない。それなりの武芸者なら、例え風来坊であっても名は知れている筈だ。改めて容姿を見る。黒ずんだ比礼を肩に掛け、纏った衣服は薄汚れているが、元々の仕立ては悪くないようで、ほつれはほとんど見られない。特異なのはその髪と瞳の色か。老翁のごとき白い髪と翠玉をはめ込んだような緑の瞳。ひと言で言えば異貌。だが、不思議と違和感を感じない。
「さて、白扇」
錬清は剣を肩に負い、ゆったりと歩き始める。白扇はその姿を目で追う。
「俺がいなかったら、李庵の邑はどうなってたと思う?」
「どう、とは?」
心当たりは十分にあったが、こちらが手札を出すこともない。そう判断して、白扇は惚けて見せた。錬清はしばらく白扇の顔を見つめていたが、
「紅紗は李篭を襲った後、進路を西に取った。そして、李篭の西にあったのがここ李庵の邑だ。お前らだって、その情報が入ったからここに来たんだろ?」
「…………」
無言を送る。彼は白髪を掻くと、
「だんまりか。まあ、それでもいいが、多少は手札を見せないと交渉ってのは出来ないんだぜ?」
「交渉? 貴殿と何を交渉することがある」
「あるさ。さしあたっては李庵の安全。場合によっては李州の治安にも関わるな」
その物言いに、白扇は彼の正体を推測した。紅紗の手の者か。だとしたら、話の辻褄が合う。つまり、邪魔な鮮華を排除するためにここにおびき寄せた。こちらの出方次第では、李庵やその他の邑を襲うと暗に言っているのだ。
白扇は警戒を強め、駕刻に目で合図を送る。彼もこの男には警戒心を抱いているし、ほぼ同じ結論に至っているだろう。
駕刻が白扇と錬清の間に割って入る。それも、武器を構えて。
「いいのか、俺を脅しても? どうなっても知らないぞ?」
「野党の話など聞く価値もない。ここで貴様は黙らせればいいだけの話」
鋭くにらむと、錬清は肩を竦め、
「こんなのが本当に救ってくれるのか? ただの阿呆じゃないか」
訳の分からない呟きを漏らしている。だが、もはや訊く意味もない。もう一度駕刻に合図を送ると、一つ頷きが返り、
「せいっ!」
長大な矛がほとんど前動作なしで錬清に突き込まれた。手練れならこれでやられることはないが、距離は取れる。そう思っていたのだが。
「とめ、た……?」
渾身の一撃という訳ではないが、駕刻の力は相当なもので、小岩なら軽々と砕いて見せるというのに、錬清は肩に負っていた剣の鞘で矛の一撃を止めていた。
「力任せ、という訳でもないみたいだが……それでも力に頼りすぎ、だな」
最後の言葉と同時に剣が動き、矛に絡みついたように見えた。実際は滑らかな動きで矛の動きを上から抑え込んだのだが、一瞬固い筈の剣が蛇のようなしなやかさを得たかのような滑らかさ。
只者ではない。そう実感した途端、悪寒が襲う。万が一にも駕刻が遅れをとるとは思えないが、代償なしに討って取れる相手ではなさそうだ。その証拠に、蒼刑も腰から短刀を抜き、臨戦態勢に入っている。
「兄者、お下がりを」
「わかった」
大人しく後ろに下がり、自身も腰から剣を抜く。重いものは扱えないので、細身のものだが、技量にはそこそこ自信がある。
「勘違いもほどほどにしとかないとさ――」
矛を抑えていた剣をどかし、後ろに半歩下がる。
「余計な手間かかるだけだって」
柄に手がかかり、一瞬で鞘走る。
現れた刀身は黒一色。刃の部分ですら黒い、あり得ない色の刀剣。
「まあ折角だし、味見とするか」
錬清の顔に獰猛な笑みが浮かんだ。




