不器用な兄と、天才の妹
# 第1話 不器用な兄と、天才の妹
魔法が使えないわけじゃない。
ただ、僕には少しだけ、魔法を使う才能が足りないらしい。
「……燃えろ」
指先に意識を集中させる。
頭の中に、小さな炎を思い描く。赤い舌が揺れて、空気を熱し、ゆらゆらと燃え続ける炎。
魔力を指先へ流し込み、想像した形を現実にする。
それだけのことだ。
それだけのことなのに。
ぽんっ。
指先から、頼りない火花が散った。
「……消えた」
「うん。見てたよ」
背後から、楽しそうな声がした。
振り返らなくてもわかる。僕の妹、セラだ。
「見てたなら、せめて応援してくれない?」
「頑張れー。次こそ火花より長く燃えるといいね」
「応援の仕方ってものがあるだろ!」
「じゃあ、お兄ちゃん。次こそ火花より長く燃やしてね」
「そういうことじゃない!」
セラは声を立てて笑った。
長い淡い銀色の髪が、朝の光を受けてきらきらと揺れる。顔立ちも魔法の腕も、僕とは比べものにならない。おまけに、こうして人をからかう才能まで持っている。
まったく、神様は不公平だ。
「……次」
僕はもう一度、指先に意識を集中させた。
魔力を流す。炎の形を思い描く。
今度は火花で終わらない。
小さくてもいい。ほんの少しでも長く。
ちりっ。
赤い炎が灯った。
「おっ……!」
炎は指先で揺れていた。
一秒。二秒。三秒。
四秒を数えたところで、ふっと消える。
「四秒!」
「前は三秒だったっけ?」
「そう! つまり成長してる!」
「一秒でそんなに喜べるの、ある意味すごいよね」
「お前、いつか絶対見返してやるからな……!」
僕が睨むと、セラは悪びれもせずに笑った。
悔しい。
悔しいけれど、セラがすごいのは本当だった。
魔法を使うには、魔力量と想像力が必要になる。
どれだけ鮮明に炎を思い描けても、それを現実にする魔力が足りなければ、すぐに消えてしまう。反対に、魔力があっても想像が曖昧なら、魔法はうまく形にならない。
そして、子供は大人よりも多くの魔力を持っている。
魔力量は成長とともに増えていき、十七歳ごろにピークを迎える。その後は少しずつ減っていくけれど、大人になっても魔法が完全に使えなくなるわけじゃない。熟練した大人なら、技術や経験で若い魔法使いを上回ることだってある。
ただ、僕の場合は話が別だ。
「ノアって、ほんとに魔力量が少ないよね」
「朝一番に言うことがそれか?」
「だって、同い年の子ならもっと燃やせるでしょ。十秒くらいなら普通に」
「普通の基準をお前にするな!」
セラは十四歳。
僕より一つ年下なのに、魔力量も想像力もずば抜けている。複雑な魔法だって、少し見ただけですぐに使いこなしてしまう。
対する僕は、簡単な炎を十秒間維持することすらできない。
それでも。
「……今日こそ十秒、いけると思ったんだけどな」
呟くと、セラは少しだけ目を細めた。
「じゃあ、明日もやれば?」
「簡単に言うなよ」
「簡単だよ。お兄ちゃん、諦め悪いもん」
「褒めてる?」
「半分くらいは」
「残り半分は?」
「面倒くさいところ」
「やっぱり褒めてない!」
セラはまた笑った。
僕も、つられて少しだけ笑った。
両親がいなくなってから、僕たちは二人で暮らしている。
家事も、買い物も、生活に必要なことはだいたい二人で分担してきた。僕が失敗した料理をセラが文句を言いながら食べることもあれば、セラが魔法の練習に夢中になって夕飯を焦がすこともある。
そんな毎日が、ずっと続くものだと思っていた。
少なくとも、その朝の僕はそう信じていた。
*
昼過ぎ、僕たちは街の広場へ出かけた。
今日は王都から来た魔法使いによる公開披露があるらしい。広場には大勢の人が集まり、子供たちは目を輝かせて舞台を見つめていた。
「ねえ、あれ見て。すごい人だかり」
「そりゃ、王都の魔法使いだからな」
「お兄ちゃんも、あんなふうになれたらいいのにね」
「……一言余計なんだよ」
舞台の上に立った魔法使いが、指先を軽く振った。
青白い光が空中に広がり、鳥の形を作っていく。
翼が生まれ、羽毛の一枚一枚が描かれ、最後には本物と見間違えるほど精巧な魔法の鳥が現れた。
鳥は広場の上を優雅に飛び回り、子供たちの歓声を浴びる。
「わあ……!」
セラも素直に感嘆の声を上げた。
僕も、思わず見入っていた。
すごい魔法だ。
ただ、僕の目には少し違うものも映っていた。
鳥が右の翼を広げるたび、翼の付け根に流れる魔力がわずかに乱れている。
ほんの一瞬。普通なら気にも留めないほどの歪みだった。
けれど、僕には見えた。
「……あそこ、無理してつないでるんだ」
「え? 何が?」
「鳥の翼。魔力の流れが、ちょっとだけずれてる」
セラが僕を見た。
「見えるの?」
「まあ……僕には、そう見える」
魔法を使うとき、僕には魔力の流れや、その形を作っている構造が見えることがある。
どうしてそうなるのか、僕にもよくわからない。
ただ、他の人が完成した魔法だけを見ているとき、僕はその内側にある仕組みまで見てしまう。
それが僕の、唯一の取り柄だった。
鳥が大きく旋回した。
その瞬間、翼の付け根がわずかにぶれた。
魔法使いはすぐさま指先を動かし、乱れた魔力を修正する。
鳥は何事もなかったかのように、再び優雅に飛び始めた。
「……今、直した」
僕が呟くと、セラは舞台と僕を交互に見た。
「ほんとだ。よくわかったね」
「見えてるからな」
「ふうん」
セラは少しだけ感心したように頷いた。
「じゃあ、その目で見たら、お兄ちゃんもあの魔法を使える?」
「……それは無理」
「なんで?」
「構造がわかるのと、実際に動かせるのは別だから。あの鳥を飛ばすには、僕の魔力じゃ全然足りない」
わかることと、できることは違う。
どれだけ仕組みを理解しても、足りない魔力まで増えてくれるわけじゃない。
僕はそれを、誰よりもよく知っていた。
「そっか」
セラはそれ以上、からかわなかった。
その代わり、僕の袖を軽く引いた。
「でも、見えるのはお兄ちゃんだけなんでしょ?」
「……たぶん」
「じゃあ、いいじゃん」
あっさりと言われて、僕は返事に困った。
自分の魔法はろくに使えない。
それなのに、魔法の欠陥だけは見つけられる。
そんな力に何の意味があるのか、僕自身にもわからなかった。
それでも。
セラがそう言ってくれたことは、少しだけ嬉しかった。
*
広場を離れようとしたとき、僕たちの前に二人の男が現れた。
一人は王国軍の紋章をつけた兵士。もう一人は、仕立てのいい外套を着た男だった。
「セラ・ヴェイルさんで間違いないかな」
外套の男が、丁寧な口調で尋ねた。
「そうですけど」
「王国軍から、君に話があってね。少し時間をもらえるだろうか」
セラの表情が変わった。
ほんのわずかだったけれど、隣にいた僕にはわかった。
「……どんな話ですか?」
「勇者一行への参加についてだ」
男は淡々と続けた。
「君の魔法の才能は、すでに王都にも届いている。魔王軍との戦いにおいて、君の力は大きな助けになるだろう」
「勇者一行……?」
僕は思わず声を上げた。
魔王軍と戦う勇者一行。
子供でも知っている、王国を代表する戦力だ。
そこにセラが選ばれた。
誇らしいことのはずだった。
なのに、セラはすぐには喜ばなかった。
「断ることはできますか?」
セラの問いに、男は少しだけ間を置いた。
「もちろん、君の意思は尊重したい」
その言葉に、セラの肩からわずかに力が抜けた。
けれど、男は続けた。
「ただ、君たち兄妹への生活支援は、国の制度に基づいている。今後も同じ支援を継続できるかどうかは、君の協力も含めて判断されることになるだろうね」
男の視線が、ちらりと僕に向いた。
すぐに戻ったので、僕は特に気に留めなかった。
「君のような才能ある子供には、国も大きな期待を寄せている。よく考えて、返事をしてほしい」
男はそう言って、セラに書類を渡した。
僕は隣で首を傾げた。
「すごいじゃん、セラ。勇者一行だってさ」
「……うん」
「でも、すぐに決めなくてもいいんだろ? 嫌なら断ればいいし」
セラは答えなかった。
書類を握る指に、少しだけ力がこもっていた。
僕は、その意味を考えもしなかった。
国からの支援がなくなったら、僕たちの生活はどうなるのか。
セラは、そんなことを考えていたのかもしれない。
けれど僕は、彼女が何を恐れているのか、気づけなかった。
*
その日の夜、セラは勇者一行への参加を受け入れると告げた。
「……本当に行くのか?」
夕食のあと、僕は尋ねた。
「うん」
「魔王軍と戦うんだぞ。危ないんじゃないのか?」
「危なくない戦いなんてないでしょ」
「それはそうだけど……」
言い返せなかった。
セラは強い。
僕なんかとは比べものにならないほど、魔法の才能がある。
それでも、戦争に行くとなれば話は別だ。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「ちゃんとご飯、食べてね」
「……は?」
「あと、パンを焦がさないこと。洗濯物も溜めない。魔法の練習に夢中になって、夜更かしもしない」
「お前は僕の母親か!」
「だって、お兄ちゃん放っておくとすぐ生活が雑になるじゃん」
「そこまでひどくないだろ!」
「この前、夕飯を食べ忘れてたの誰だっけ?」
「……僕です」
「でしょ」
セラはいつもの調子で笑った。
でも、その笑顔はどこかぎこちなかった。
「……セラ?」
「なに?」
「怖いのか?」
セラの笑みが消えた。
少しの間、彼女は黙っていた。
「……怖いよ」
返ってきた声は、思っていたよりも小さかった。
「そりゃ、怖いよ。戦争なんだもん」
「だったら……」
「でも、行かなきゃ」
セラは僕の言葉を遮った。
その目は、いつもよりずっと真剣だった。
「お兄ちゃん」
「……なんだよ」
「何があっても、生きててね」
「急に何だよ、それ」
「いいから。約束して」
僕は困惑した。
どうしてそんなことを言うのか、わからなかった。
セラはいつも強気で、何でもできて、僕よりずっと先を歩いている。
そんな妹が、今は少しだけ弱く見えた。
「……わかったよ。生きてる」
「絶対?」
「絶対」
セラはようやく、少しだけ笑った。
「じゃあ、私も帰ってくる」
その言葉を聞いて、僕はほっとした。
帰ってくる。
それなら、待っていればいい。
僕はそれ以上、何も聞かなかった。
*
出発の日。
朝早く、セラは荷物をまとめて家を出ようとしていた。
「忘れ物、ないか?」
「ないよ」
「本当に?」
「お兄ちゃんじゃないんだから」
「どういう意味だよ!」
いつも通りのやり取り。
いつも通りの朝。
なのに、玄関の向こうには、いつもと違う道が続いていた。
セラは扉を開ける前に、ふと思い出したように振り返った。
「そういえば、お兄ちゃん」
「ん?」
「これ、もらっていい?」
セラが指さしたのは、机の上に置いてあった小さな星の飾りだった。
僕が作ったものだ。
魔法の道具でもなければ、高価な装飾品でもない。形だって少し歪んでいる。手先が器用じゃない僕が、時間をかけて作っただけのものだった。
「……そんなの、持っていくのか?」
「うん。悪くないし」
「悪くないって……もっと言い方があるだろ」
「じゃあ、すごく素敵な飾りですねー」
「絶対思ってないだろ!」
セラは笑いながら、星の飾りを大事そうにしまった。
それから、僕の顔を覗き込んだ。
「お兄ちゃん」
「今度は何だよ」
「帰ってくるまでに、炎を十秒燃やせるようになっててね」
「……十秒?」
「そう。帰ってきたら見せてよ」
僕は胸を張った。
「当たり前だろ。次に会うときには、十秒どころか十五秒だって燃やしてやる」
「はいはい。楽しみにしてる」
「絶対だからな!」
「うん。絶対、帰ってくるから」
セラはそう言って、家を出た。
振り返った彼女は、いつものように笑っていた。
僕も笑って、手を振った。
その背中が見えなくなるまで、僕は玄関先に立っていた。
そして、いつか帰ってくる妹に見せるため、僕はまた魔法の練習を始めた。
*
一年後。
僕の炎は、まだ十秒に届いていなかった。
「……帰ってきたら、絶対に笑われるな」
ノートを閉じた、そのときだった。
玄関の扉が叩かれた。
こんな時間に誰だろう。
扉を開けると、紺色の軍服を着た男が立っていた。胸元には王国軍の紋章。
男は僕を見ると、何かを言いかけて、口を閉じた。
「……ノア・ヴェイル君、だね」
「はい。セラから何か連絡でも?」
男の表情が、わずかに曇った。
その変化を見て、僕は無意識に背筋を伸ばした。
「妹さんのことで、伝えなければならないことがある」
「……セラに、何かあったんですか?」
男はすぐには答えなかった。
帽子を脱ぎ、胸の前で抱える。視線を落としたまま、ひとつ息を吐いた。
「セラ・ヴェイルさんは、任務中に命を落とされた」
意味がわからなかった。
いや、言葉の意味はわかっていた。
ただ、それがセラのことだとは思えなかった。
「……何を、言ってるんですか?」
「本当に、申し訳ない」
男の声は低かった。さっきまでより、少しだけかすれていた。
「現地での戦闘が激しく、遺体を回収することができなかった。ご家族に、直接お伝えするべきだと思い……私が来た」
「そんな……」
何か言わなきゃいけない。
間違いだと。別の人と勘違いしているんだと。
セラは帰ってくると約束した。
僕の炎が十秒を超えたら、きっと馬鹿にするみたいに笑ってくれるはずだった。
「……セラは、帰ってくるって言ったんです」
男は顔を上げた。
何も言わなかった。
慰めの言葉も、希望を持たせるような嘘も口にしなかった。
ただ、深く頭を下げた。
その姿を見て、僕はようやく理解した。
セラは、帰ってこない。
僕の妹は、もういない。
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