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1話目


 ――あぁ、これは夢だ。

 ひどく懐かしい昔の夢。


 黒雲が僅かな星影を遮り漆黒の闇が林に広がる。

 幽かな星の光であっても暗闇の中では一縷の望みとなるが、それすら潰えたのだ。


 走ろうにも足元が見えない。

 だが、そう遠くない所からけたたましく吠える犬の鳴き声が聞こえてくる。

 犬は確実に俺を追いかけて来ているが、ただ吠えて場所を知らせるだけで襲ってはこない。

 襲ってくれば性根を据えて殺すか殺されるかの勝負を挑むのに敢えて近づかずに俺の居場所を飼い主に知らせているのだ。いっそのこと此方から仕留めに行ってやろうかという考えも頭を過ぎるが、それこそ相手の思う壺だろう。


 今の俺にできることは、父から託された銭財を守り追っ手から逃げきること。これこそが最も好ましい選択。いや、取るべき選択肢だ。それ以外は無い。


 暗闇で見えない木の根に引っかかったり草で目をやられて動けなくなることが無いように慎重に動く。駆けることなく、それでも歩くこともなく必死に林の中を移動し続ける。

 流れる汗が運動のせいか、それとも恐怖のせいか分からず冷たい。少しでも視界の邪魔にならぬよう拭うが妙に汗が冷たい。その時、ようやくそれが頬にあたった雨滴なのだと理解した。広がる雨雲から少しずつ降り始めていたのだ。


 雨が降れば追跡は難しくなるはず。ひょっとすると追跡を諦めることもあるかもしれない。


 追っ手から見れば、ただの旅商人の父と息子でしかない。

 俺に犬が放たれたということは囮になった父は、もうダメかも分からんと言うことだが、そうであれば父の持つ財と荷を奪ったということ。俺よりもしっかりと持っているから、それだけあれば稼ぎとしても充分だろう。だから数えで十一歳の子供など放っておいても良いはずだ。


 木の葉や幹に当たり少しずつ音を鳴らしながら降り始めた雨に感謝しながら足を動かす。



 ――甘いんだよなぁ……ガキを逃がすわけがねぇんだよ。

 捕まえて売っぱらうなり罠として教育するなり、はたまた顔立ちがよけりゃあ歪んだ欲望をぶつけるなり、年端もいかねぇガキなんざ利用方法が掃いて捨てるほどあるんだよ。

 それが分かってるから、わざわざ怪我させないように捕まえようとしてんじゃねぇか。

 それに逃がすくらいなら犬けしかけて殺すしな。


 過去の自分が必死に這いずり回るように逃げているのを、どこか冷めた目で見ている俺がいた。

 そう。これは夢。もう変えようのない変わらない過去の出来事。ただそれを追体験しているだけだと分かっているからだ。


 ほら。ランタンの火が近い。そろそろ捕まるぞ。



「いってぇっ!!」


 ボーラがまきつきながら、その遠心力で太ももを殴りつける。

 鉄球が腿にめり込み骨が砕かれたのではないかと思う痛みにその場でたまらず転げる。



 ――ほーら終わった。

 今はもう、どれくらい痛かったかも覚えてないが、あれはかなり痛かった気がするな。

 しかし、こんなことを思い出すってことは相当意識してんのかな俺。




 辛気臭く、そして寒々しい空気。

 洞窟を利用したこの牢の中で感じるのはただ空腹だけ。

 地面も岩ばかり。たまに見つける虫はご馳走だ。

 匪賊に捕らえられた日から何日経ったか、もう数えるのも忘れた。

 

 ただ腹が減った。

 腹を満たす飯をくれるなら、喉を潤す水をくれるのなら、父を殺した賊の一物だって咥えよう。


 あぁ腹が減った。


 腹が減った。


 腹が減った。


 足音が聞こえてくる。

 頼む。食い物を、飲み物を恵んでくれ。いや、恵んでください……


 外は昼間なのか戸の隙間から足の影が見えた。


 もしかすると干し肉のかけらでも当たるかもしれない。

 また殴られても良い。食い物が欲しい……水が欲しい……


「あかねぇなぁ! おい、この戸めっちゃ固ぇぞ! こりゃあなんかお宝とか隠してあるよな! 鍵ぶっこわしていいよな! ……あ? しらねぇよ。めんどくせぇ!」


 粗野で太い声が聞こえる。

 話しぶりも声の大きさも匪賊のヤツらにはなかった声のような気がする。でもそんなことは大したことじゃない。


「オラァっ!」


 金属が激しくぶち当たる音、そして木材部分がへし折れる音。

 戸が割れたのか、外の陽が、たった今、新しくできた隙間から差し込んでいる。


「なんだ? 意外ともろいな。もういっちょぉ! オラァっ!」


 金属が割れる高い音、そして完全に木材が折れきる音が響き、これまでに無かった量の陽の光が洞窟牢を照らした。岩に反射する光に目が眩む。反射した陽の輝きが眩し過ぎ、つい動くのも億劫なのを忘れて顔を隠す。

 ただ、隠すまでに、なんとなく人影が動いていたことは分かった。


「なんだ? あ~………ちっ、めんどくせぇなぁ……お宝ねーじゃん。ガキしかいねーじゃん。」


 あからさまに落胆した声。

 ただ、この声の主はいつもの匪賊じゃない、もしかするとメシをくれるかもしれない。


「……メシ……メシ…を、くだ、さい。」

「はぁ……まぁ見ちまったもんは仕方ねぇか。」


 ゴトリとなにか大物を壁に立てかける音が鳴り、人影がのしのしと近づいてくる。

 後光が差していてよく見えないが匪賊よりも身体は大きそうだ。そして不思議なことに怖いと感じない。


「おう、ガキンチョ。メシは分かったが、とりあえず水のんどけ。ホレ。」


 革の水袋が近くに放り投げられた。

 俺はようやく与えられたそれを必死に掴もうとする。だが中の水がくにゃりくにゃりと動いて掴めない。いや手の物を握る力が落ちているんだ。それを理解し腕全体を使い、何とか水袋を掴み、その栓を抜こうとする。だが、また苦戦する。押し込まれた栓が固くて抜けないのだ。


「くっ! ぅっ!」


 だが水だ。

 ようやく水だ。

 爪が剥がれようが、俺は水を飲む。


「あ~、分かった分かった。」


 だが、やっと掴んだ希望が、水袋が奪われた。

 奪い返そうともがくが頭を押さえる腕は岩のように固くそこから動かない。


「み、い、ず、ぃぅ」

「開けてやってんだろが! たぁくよう……」


 片手で俺の頭を押さえているせいか栓を口で噛んで抜く男。


「ほれ、いいか? がぶ飲みすんなよ? ちびちび飲め。」

「ぁ、あ、ぅ ぅ?」

「あ……そういえば酒も入ってたっけか? まぁいいか。飲め飲め!」


 豪快な笑い声が聞こえたと同時に目の前が真っ暗になった。



 ――まぁ最悪の出会い方だよなぁ。


 俺もこん時は、ちょっとマシそうな匪賊が来たって思ってたもんな。

 にしても戸の鍵くらい探せよな。誰かしらが持ってただろうが。戸をぶち破るなんてことするのがまさか匪賊じゃなくて傭兵団とか思わねぇよ。


 でもまぁ、なんだ。最悪の出会いではあったけど、俺にとっては最高の出会いでもあったよな。




「おいオッサン! 少しは俺を信用しろよ! マジであいつら罠張ってるから!」


 狭い路地の中央を肩で風を切りながらまっすぐ歩く背中に声をかける。

 何とかこの直情径行なままに敵陣に正面から突っ込もうとしているオッサンの考えを変えさせようと必死に声をかける。ほんとアホじゃないか? このオッサンは!


「おー! 信用してるぞー! ガキンチョ程度が見破れるくらいの罠しかないってなぁ! その程度なら真正面からねじ伏せるだけのこと! アッハッハッハッ!」

「あ~! もう! クソが! あんた早死にするぞ?」

「おかしいなぁ? 早死にだったら、もう死んでてもよくね?」

「いつか死ぬぞ!?」

「なぁに。どうせあれだろ? どうせ扉ひらいた瞬間に矢がめっちゃ飛んでくるとかだろ? その程度はなぁ……」


 足を止め、大槌を握るオッサン。


「扉を開かなきゃいいんだよ! おーし壁ぶっこわすぞ!」

「はぁ……とりあえず、壊す壁はあちらがおすすめです。どうぞ。」


 目的地のレンガ造りの建物を指差す。


「おうっ!」 


 オッサンは得意げな顔で笑い、すぐに大槌を振るった。



 ――おぉ……結構記憶飛んだな。もう俺も戦いに参加してるじゃねぇか。

 傭兵団に入るとかごねた記憶も見せられるかと思ったけど違ったな。


 ……あ~。このとき潰した連中はなんだったけかなぁ? なんかの依頼だった気もするが……まぁ、まだ下っ端の頃だ。覚えて無くてもしゃーねぇ。つーかこん時も相手の連中は、ほぼオッサンが殺してたんじゃなかったけかな?

 んで俺が……あ~、まだ何人やっただのを嬉しいと思ってた若造の頃だ。恥ずかしいなぁ。




「怪我人の方は任せてください。」

「はぁ~。」


 俺の天使が優しい微笑みを浮かべている。そしてその口から放たれる自愛に満ちた歌声。

 傭兵団だろうがなんだろうが気にすることなく、誰しもがただの人間として接してくれる天使だ。


「カーリン……はぁ。俺の天使。」

「……アホなのか?」


「はぁ? なにがだよオッサン!」

「アレが天使とか、おまえマジでアホなのか?」

「なに言ってんだよオッサン! あんたの目は節穴か!? あの病人だろうが怪我人だろうが、分け隔てなく身を削って看病してくれる天使はマジ天使だろうが!」

「あ~……オマエの方が完全に節穴だが……あ、まだ知らねぇんだったな。」

「なにをだよ?」


「ヴォステベリ教のこと。」

「は? 知ってるよ。『人の嫌がることを進んでしよう』のヴォステベリ教だろ? 俺たちだって時々世話になることあるじゃねーか。」

「まぁ世話になる時は田舎とかだからなぁ。極力距離とってるのが裏目に出てんな……でもいい機会だ。教えてやるよ。ヴォステベリ教にはなできるだけ関わるな。近づくな。」


「……なんだよ。珍しく真面目な顔してよ。」

「真面目な話だからな。関わるにしても、せいぜい末端も末端くらいとか、後は怪我がどうしようもない時くらいの最低限にしておけ。」


 いつもであれば少し茶化しても気にしないオッサン。

 だが、今、発している言葉にはそれを許さない強さがあった。


「……お、おう。」


 その強さに俺はただ首肯することしかできなかった。




 ――あ~、思い出した……この頃からオッサンちゃんと注意してくれてたんだな。

 ただよう……もっときちんと説明してくれてもいいんじゃねぇかとも思うが……まぁオッサンだし仕方ないか。

 

 現に今、オッサン……ヴォステベリ教に監禁されてんだもんな。



唯一の問題は、このタイトルが許されるかどうかだと思うの。




ヴェステルベリ教 → ヴォステベリ教

ググったらひっかかったので、名詞を変更しました。

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