44話 僕はシフォンを叱ります
グロウシェルの大群。
確かにそういうものが近場を通るというのはギルドのお姉さんに聞いていました。
が、しかし
「こっちに向かってくることはない筈です。だって、グロウシェル除けの光晶石を配置しているから安心だと……」
「だったらアレをどう説明するんだよ!」
遥か地平線には依然として黒い土煙。
いえ、先ほどよりも僅かに近付いている気がします。
あれが全てグロウシェル?
あんなものが町まで到達してしまったら……。
風邪とは違う意味で、背筋がブルリと震えました。
「とにかく逃げるぞ! 川を渡って中心街まで行けば安全な筈だ。グロウシェルは川を渡れないからな!」
「し、しかしそれでは……」
もちろん僕も、自分やシフォン。ミントさんの安全を考えれば、すぐに逃げるべきだと分かっています。
ですが窓から見える眼下には、広大な貧民地区が広がっているのです。
川から東に位置する彼等がどうなってしまうのか。
それを考えると自分達だけ逃げるというのが、なんだか卑怯な気がして二の足を踏んでしまったのです。
「馬鹿かっ! アイツ等だって逃げるに決まってるだろ!」
「そ、それはそうですけど……」
人々は、我先にと西へ走っています。
ミントさんの言うとおり、彼等は住居を捨てて川西へ向かうのでしょう。
しかしその中で、一人だけ逆走している人を発見してしまいました。
桃色の髪をふわふわ揺らせ、人の波に揉まれては右へ左へ流されて。
それでも着実に、その人物は東へ向かっています。
エリーシェさんです。
食い入るように見つめる僕の視線に気付き、ミントさんとシフォンもエリーシェさんを見つけました。
思わず窓の淵に手を掛け、身を乗り出すようにミントさんが悪態をつきます。
「なにしてんだあの馬鹿はっ!!」
「……んっ!!」
エリーシェさんの後ろにはゾモンさんの姿も確認出来ました。
彼は当然ながらエリーシェさんを引き戻そうとしているみたいですが、その手をすり抜けて彼女は東へ向かっていくのです。
どういうつもりかは分かりませんが、止めなければならない。
そう思っているのは、ミントさんもシフォンも同じでしょう。
ですがミントさんは僕に向き直り、何も見なかったかのように言いました。
「肩を貸してやる。私達は西へ向かうぞ」
「で、ですがエリーシェさんが……」
「アイツは自分の意志で行ったんだ。聖女候補だかなんだか知らないが、そんな奇行に付き合って巻き添えなんてゴメンだからな」
ミントさんの言葉は正論。
病気でフラフラの僕が行ったところでどうにもなりませんし、エリーシェさんは望んで東へ向かったのですから。
僅か数日の付き合いでしかない僕達に、そこまでする義理はないのかもしれません。
割り切れない想いは確かにあります。
出来ることなら助けたいです。
でもそれより、僕はシフォンとミントさんの安全を守らなければならないのです。
「……分かりました。行きま――」
窓から目を逸らし、ミントさんの意見に同意しようとした刹那。
ダッと走り出す気配がしました。
シフォンです。
シフォンが走って出ていってしまったのです。
慌てて手を伸ばしますが、思うように動けない僕はそのままベッドから転げ落ちてしまいました。
「シフォンっ!! 戻りなさいっ!!」
駄目です!
あの娘はきっと、エリーシェさんの下へ行こうとしているのです!
ミントさんもそれに気付いて追いかけてくれました。
が、すぐに顔面蒼白で戻ってきてしまいます。
「すまないっ! 人混みに紛れられて見失ったっ!!」
まだ小さなシフォン。
西へ殺到する人混みに入り込めば、あっと言う間に見えなくなるのは仕方ないこと。
ミントさんが悪いわけじゃありません。
悪いのは僕。
エリーシェさんに懐いていたシフォンが、土壇場でどんな行動に出るか。
考えなくても分かっていなければならなかったのですから。
「……ミントさん。すいませんが肩を貸してもらえますか?」
「あ、あぁ……。それはもちろんだが……どっちへ?」
「聞くまでもないじゃないですか」
ギュッとミントさんが瞼を閉じました。
シフォンを見失ってしまったこと。
それによって、僕も死地へ向かうことになった責任を感じてしまっているのかもしれません。
そんなもの感じる必要はないのに。
「ミントさんのせいじゃありません」
「だ、だが……っ! すまん……」
せめて僕が元気な状態であったなら。
そう歯噛みしますが、今はそんなことを後悔している状況ではないでしょう。
僕はミントさんに肩を貸してもらいながら、ゆっくりとシフォンの。
いえ、エリーシェさんのもとへと歩き出したのでした。
運良く見つけられたら、ミントさんにはシフォンを抱えて全力で西へ走ってもらいましょう。
その後で僕がどうなるかは……。
まぁ、頑張るしかないですね。
二人の命には換えられませんし。
……。
僕とミントさんがようやくシフォンを見つけたのは、人混みを抜けた辺り。
壊れそうな民家が立ち並んだ一角でした。
「シフォンっ!!」
朦朧としていて崩れ落ちそうだったことすら忘れ、シフォンを見つけた瞬間僕の足は走り出していました。
そしてそのまま倒れるように、シフォンを抱き締めたのです。
「良かったです……無事で……。さ、ミントさんと一緒に逃げてください」
「……や」
「我がまま言うんじゃありませんっ!!」
一瞬だけ。
僕は、怒りに我を忘れそうになりました。
こんなに心配をかけて。
ミントさんにまで迷惑をかけて。
なのに謝罪より先に拒絶の言葉を口にしたのですから。
僕がシフォンに本気で怒ったのは、これが初めてかもしれません。
だからでしょう。
ビクッと全身を硬直させた彼女の大きな瞳に、みるみる涙が溜まっていくのが分かります。
わなわなと唇が震え、今にも泣き出してしまいそうな顔。
それを見ると、つい抱きしめて許してあげたくなってしまうじゃありませんか。
……でも駄目です。
これを許したら、いつか必ず取り返しが付かない事態が訪れます。
今だってギリギリなのですから。
「いいですかシフォン。遊んでいる場合じゃないんです。このままだと、貴女もミントさんも死んでしまうんですよ?」
真っ赤になった頬っぺたで、むすーっと聞いているシフォン。
泣き出しこそしないけど、もうボロボロと涙は零れ落ちていました。
「お願いですから、僕に貴女を守らせて下さい」
伝わったでしょうか?
いえ例え分かってくれなくても、これでいいです。
あとはミントさんにお願いしてシフォンを連れ帰ってもらいましょう。
今ならまだ、僕も逃げる時間があるかもしれませんし。
そう考えて、今度こそシフォンを抱き締めながらミントさんに視線を移すと、褐色エルフさんの目は建物の中に釘付けでした。
つられて僕もそちらに目を向けます。
どうやら民家だと思っていた建物は公民館のような広い間取りで、その中に数多くの人々が取り残されていたのが目に映ります。
「ここは……診療所か? 見たところ怪我人や病人ばかりのようだが」
ミントさんの言う通りかもしれません。
彼等は動かないのではなく、動けないのでしょう。
痩せ細った方や咳き込んでいる方。
身体の一部が欠損している方も見受けられますから。
その中心には、真っ白い修道服のような看護服のような。
変わった衣装を身に纏った少女が立ち、周りを見渡しながら皆を励ましていました。
「大丈夫ですよ~! 神様にお祈りすれば、きっと助けて下さいます~!」
しかし周りの人々は、一様に暗い顔をしています。
神に祈れば助かる。
そんな御伽噺は、辛い現実を知っている人達の心には届かないのです。
実際に、僕もそんなことが起こりえるなどとは思ってません。
「エリーシェ様。お気持ちは嬉しいのですが、せめて貴女だけでもお逃げ下さい」
頬が痩せこけてしまっている女性が、懇願するようにエリーシェさんに声をかけました。
すると他の人々もそれに同調します。
「俺達はもう諦めてる。だから構うこたぁないんだ」
「貴女は聖女になってこの国を守るお人だ。こんなところで死んでいい筈がない」
「お願いしますエリーシェ様。早くお逃げを」
見ているだけで、僕も辛いです。
生きている。
生きて、自分のことを案じてくれている人々。
それを見捨てて逃げろなんて、到底頷ける話じゃありません。
中には子供もいます。
動けない親に付き添っているのでしょう。
親は「早く逃げろ」と言っているのですが、泣きながらしがみ付いている子供達。
その中には、シフォンやミントさんと一緒に遊んでいた子もいるようでした。
ここは今、きっと地獄なのです。
ですがエリーシェさんは、辛そうな顔一つ見せていませんでした。
いつものように。
まるで暖かな日差しを浴びて、散歩でもしているかのように。
人々の中を呑気に歩いては声をかけていくのです。
「私も一緒にいますから怖くなんてないですよ~。神様は、きっと見ていて下さいますから~」
あぁ……。
聖女というものが実在するなら、エリーシェさんこそがそうなのでしょう。
だって、僕は気付いてしまいました。
彼女も知っているのです。
神に祈りを捧げても、奇跡なんて起こらないだろうと。
いつものように胸の前で指を組み、祈りを捧げているかのようなエリーシェさん。
でもその指は、白くなるほどに力が込められてしまっていたのです。
怖くないわけがない。
ぽわぽわ~っとした印象の彼女ですが、それでも現実をちゃんと見ている。
現実を見たうえで、それでも人々の不安を少しでも和らげるため、彼女はこうしてここにいるのです。
それこそ自分の命をなげうって。
すると、胸の中でシフォンがポツリと呟きました。
「……にぃ。お願い」と。




