99話 僕がやるべきこととミントさんが出来ること
小鳥の囀りを聞きながら、僕はベッドから起き上がります。
ミリアシスで一番高級だった宿よりも寝心地の良いベッドなので、つい寝坊しそうになるのが玉に瑕。
後ろ髪を引かれる温もりを振り切り、着替えてから一階へと降りるのです。
するとダイニングには、眠そうな目を擦りながらパンを食んでいるシフォンの姿がありました。
「おはようございますシフォン」
「……ん。はよー」
そんな兄妹のやり取りを微笑ましく見ていたラシアさんが、すぐに僕の前にも朝食を準備して下さいます。
「なんだか懐かしいですねディータ様。あの頃に戻ったようで、とても嬉しく思います」
ここは以前住んでいたポードランのお屋敷。
ラシアさんが言う通り、あの頃が戻ってきたような生活なのです。
彼女に釣られて懐かしさに目を細めていると、少し遅れてナティも起きてきました。
「おはようディータ」
「おはようございますナティ。今日も早いですね」
時間はそうでもないのですが、ダイニングに現れた彼女はすっかり身支度を整えているのです。
僕なんかは精々顔を洗ったくらいですけど、ナティは洗顔など当然。その上髪型もしっかりセットし、ほんのりお化粧も済ませているようなので、きっと随分早くから起きているのでしょう。
「そ、そうかしら? 普通よ普通」
「私の部屋には王女がバタバタと身支度を整える音が、二時間も前から聞こえていたがな」
「ミ、ミント!? 余計なこと言わないでよっ!」
以前と違うところがあるとすれば、今はナティとミントさんも一緒に住んでいるということでしょうか。
人口が一気に倍近いですが、大きなお屋敷なので特に不自由することはなく、騒がしい毎日なのです。
「二人は仲が良いですね」
「……にぃ……ばか?」
何故にっ!?
ナティとミントさんがじゃれあう姿を微笑ましく思っただけなのですが、何故かシフォンのジト目に射殺されてしまいました。
やはり反抗期で間違いありません。
そのうち「にぃの下着と一緒に洗うのは嫌」とか言われそうで、先が思いやられる兄マインドでしょうか。
「おいディータ! ゆっくりしてる時間はないぞ! もう時間だ!」
慌てだしたミントさんに釣られて時計を見れば、もう八時五十分。
これはマズイです!
「んぐ――っ」
一息にパンを口に突っ込み、紅茶で流し込んでから僕は席を立ちました。
それから荷物を持ってミントさんと共に玄関へ。
「いってらっしゃいディータっ! あぁっ! いいわっ! 毎朝のこの感じっ! 最高に幸せを感じるわねっ!」
「そ、そうですか? ありがとうございます。じゃあ、行ってきますね」
朝からテンション爆上げのナティ達に見送られ、僕とミントさんは城下町の外れへと向かうのです。
そこにあるのは二週間前に僕が決闘を行った闘技場……ではなく、その隣にある造りかけの巨大建造物。
ほとんど出来上がっているのは、例のごとく神獣さんにお手伝い頂いているからですね。
「おはようございます神獣さん。今日も一日頑張りましょう!」
「や~るっぺよぉ~っ!」
「私もやるぞ!」
こうして僕達は、今日も一日汗を流すのでした。
しかしさて。
どうしてこうなっているのかというと、話は二週間前に遡ります。
勇者ディアトリさんが魔王を倒したという話は、若干数名にはどうでも良い話のようでしたが、それ以外の人にとってはやはり衝撃的だったようで、その日のうちにポードラン中を駆け巡りました。
その影響でナティの妊娠話がうやむやになったのは、僕達としては棚からぼた餅でしょうか。
ナティ本人は、歯軋りをして悔しがっていたようですけど。
ただし僕としては、悔しい想いもあります。
勇者と共に魔王を倒すと息巻いて旅に出たのに、結局何も出来ませんでしたから。
その瞬間に立ち会えなかったことが、僕の心に暗い影を落としていたのです。
とはいえお目出度い事に変わりありません。
ディアトリさんは魔王討伐報告の為にポードランへ向かっているらしいので、今は首を長くして彼等の到着を待っています。
最初の報告は伝書バードによるものだったので、同時にディアトリさん達が出発したとなると、ポードランまで戻るには三週間くらいでしょうか?
ヘーゼルカお姉ちゃん。怪我などしていなければ良いのですが。
そんな感じで旅立つ必要がなくなってしまった僕ですが、これ幸いと話を持ちかけてきたのがポードラン国王。
宰相さんと内務大臣であるラシアさんのお父さんは、王様の配慮で罪に問われることなく現職に復帰したのですが、しかし現状が変わったわけではありません。
魔王が倒れたとなれば魔物の襲撃は勢いを失くすでしょうけれど、北からの侵攻は相変わらず。
ポードランは、依然として困窮しているのです。
「英雄に祀り上げて操ろうなどと二度と致さぬ。だからここからは純粋なお願いだ。頼む。ポードランに力を貸してはくれぬか?」
そう言って、王様は頭を下げてきたのでした。
色々足りないものはあるけれど、やはり厳しいのは財政事情。
僕達が納めた金貨十万枚は返すことも吝かではないけれど、今は貸しておいて欲しい。
そして可能ならディータランド2号をポードラン国内に、というのが王様のお話です。
ミントさんは「放っておけ」と仰ってましたが、僕はこれに協力することにしました。
ヘーゼルカお姉ちゃんの家であり僕の義実家でもある義母さんの家は、ポードラン領内ですし。
それにナティの国ですからね。
まさか捨て置ける筈もないのです。
ちなみにディータランドも放置は出来ないので、あちらはラムストンさんにお譲りしようと思ったのですが、思いがけず固辞されてしまいました。
「それはいけませんですよ! もちろんディータ様達がいらっしゃらない間もちゃんと営業は続けて参りますが、あくまで総支配人はディータ様。支配人代理ということでしたら、謹んでお受けいたします」
と、そのようになったのです。
そして今も、彼はきっちりディータランドを営業してくれているようです。
動力が切れるといけないので、新たにレシビルが得意な魔法使い職の方を大量に雇用したのだとか。
二十人が毎日毎日レシビル祭りを開催しているようで「今までどうやって電力を補充していらっしゃったのでございますですか!?」と、ラムストンさんは驚かれていました。
あまり意識してませんが、僕の魔力量はやっぱりちょっと人より多いみたいですね。
そんな事もあり、今作っている施設は残念ながらディータランド2号ではありません。
ディアトリさんが魔王を倒したので旅に出る必要はなくなりましたが、いつまでもあのお屋敷でお世話になるわけにもいかないでしょうし。
となれば消費電力の少ない施設にしておかないと、僕がいなくなった後で困るという結論なのです。
「よしっ! これでほとんど完成だなっ!」
「だっぺな~」
ディータランドよりずっと簡単だったとはいえ、完成までわずか二週間というスピード施工はさすがの神獣さんでしょう。
「あとは内装を整えれば営業可能か。……私はあと何をしたらいい?」
出来上がった建物を満足気に眺めるのも束の間。
いつもの快活さを失い、どこか物憂げな瞳でミントさんが訊ねてきたのです。
心なしか銀色のサイドテールも悲しげに揺れているよう。
どうしたというのでしょうか?
「なぁディータ。私はあと何をすればお前の役に立てるんだ?」
「こちらで雇うスタッフさんの教育は、またラシアさんにお願いするつもりですから、ミントさんのお仕事は当分ないかもしれないですね」
この施設。実はカジノなのです。
ディータランドはミリアシス大聖国に近すぎた為にカジノにすることは出来ませんでしたが、ポードランならば大丈夫。
複雑な施設ではないですし、雰囲気作りの為の電飾などは使っていますが、電力もそう多く必要な施設じゃありません。
これならば僕がいなくても問題ないでしょうし、十分な売上もあがるだろうと、今回はこのようにしたのです。
なのでミントさんのお仕事もここまで。
そもそも今までずっと手伝ってもらってきましたし、お休みして欲しいなという想いもあってそのように告げたのですが……
「……私はもう……必要ないんだな……」
「え?」
「だってそうだろ? 玩具を売らなくたって、もうディータは世界に名立たる大富豪だ。身の回りのことはあのメイドがやるし、王女なんていう婚約者までいる。私に出来ることなんて、もう何もないじゃないか」
ど、どうしたんですか急に。
怒鳴るでもなく淡々と語るミントさんが、あまりにも儚く寂しげに見え、僕は焦ってしまいます。
「ミ、ミントさん?」
「……すまん。なんでもない。心配しなくてもカジノが営業を始めるまでは、ちゃんと責任をもってやるさ」
「い、いえ、そういうことではなく……」
自嘲気味に笑った彼女は、そのままスタスタと帰路へ。
結局「どうしたのか」と聞きそびれたまま、僕達は今日を終えたのでした。