英雄と聖女 1
それは、聖女が召喚されるなんて誰も想像もしていなかった頃。
「キャアー!!」
「アッ!静かにしろッ!!」
女は殴られた。殴った男は生温い笑みを浮かべながら女の口を手で塞ぎ、服に手をかけた。
「へへ……捕虜になっちまって、可哀想になァ。気持ちよくしてやるからな……」
女の顔にギトついた男の鼻が擦り付けられる。女は身を捩って必死にそれを避けようとするが、体は男に抱きすくめられていて動けない。涙が止まらなかった。今すぐ死にたいと思った。殺して欲しいと思った。
ダァンッと一発の銃声が響く。同時に男は潰れたカエルのような声を上げ蹲った。男の右脚、脹脛を銃弾が貫通しており、血がダクダク流れている。男の背後にはピストルから煙を伸ばしながら、体格の良い青年が立っていた。物置の中、廊下からの逆光でその表情は良く見えない。
「その足ではもう戦えんな。故郷に帰れ!このことは俺から部隊長に全て報告する」
心底軽蔑した声で、青年は蹲ってうめいている男を踏みつけた。青年の名前はマルエル。革命軍の太陽とも言える存在だった。
すぐに廊下から人が集まってくる、女はまだ涙が止まらなかった。震えながら衣服を抱えていると、一人の女性隊員が部屋に飛び込んできた。女性隊員は自分のコートを脱ぐと、女の体を覆って隠しながら謝罪した。
「本当に申し訳ない。もう、もう大丈夫です。」
そう、女を抱きしめた。
「マル」
「わかってる。冷やかしは出ていけ!!」
ハッキリとしたマルエルの声に、野次馬も蟻の子を散らすように去っていった。多方、銃声に寄ってきただけだろう、マルエルは呟く。
「オリヴィエ、彼女を頼む。俺はこいつを部隊長の所へ連れていく」
「うん、分かった。頼むよマル」
マルエルは片手でまだ呻いている男の首根っこを掴むと、引き摺って廊下へ出ていった。女はその横顔と瞳の強さに一瞬目を奪われる。明るい茶色の髪が、廊下のあかりに透けて光って見えた。
「本当に申し訳なかった。謝って済む問題ではないけど......。これからはあなたの監視は私に変わる。捕虜として保護している以上、私にはあなたを守る義務がある」
女は真っ直ぐなオリヴィエの瞳を見ていた。正直に言えば、今の今で信頼できないと思ったが、捕虜である自分を守ると言い切った目の前の瞳は澄んでいた。だから、涙を堪え震える手でオリヴィエの袖を掴んだ。それだけで、十分だった。
「マル、さすがに格好良かったな」
シュウは椅子に座りながらマルエルに微笑みかける。処理を終えたマルエルとオリヴィエは、少し遅れた昼食をとっていた。パンと、豆のトマトスープだけの簡単なものだが、とにかく腹が立っていたし腹が空いていた。
「格好いいもんか。彼女が悲鳴をあげられなかったら、俺たちは気づかなかった。あの馬鹿にはもっと目を光らせておくべきだったよ。」
むしゃくしゃした表情のまま、マルエルは乱暴に硬いパンを食いちぎる。
「しかも最初はオリヴィエが突っ込もうとしたんだぞ、力で叶うかも分からないのに。」
「それは、悪かったよ。確かに頭がカッとなって冷静な判断じゃなかった……」
「まあ、最悪の事態は2人のお陰で免れたんだ。彼女にトラウマが残らなければいいけど……」
場を収めるようにシュウが笑みを浮かべる。革命軍とは皆、強い意志の元集まった同志だ。しかし過酷を極める現状や戦闘の中で、確かに倫理が緩んでいく者もいる。一般市民に威張り散らかしたり、金銭を要求したり。それでも、今回の男に比べれば可愛いものである。捕虜の女を襲おうとしたあの男は、おそらくもう歩けないだろう。名誉の負傷でもないのに故郷に強制的に返された男の家族に真実を教えないのは、せめてもの温情だったと言えるかもしれない。
オリヴィエは、この3人で過ごす時間が好きだった。幼馴染のマルエルはオリヴィエの誇りでもあった。明るく優しく、誠実。恋人がいないのが不思議なくらいの好青年。2人は一緒に田舎から出てきて革命軍に入った。いや、正しくはオリヴィエがマルエルの静止を無視して着いてきたのである。2人は隣合って戦ってきた。そして、オリヴィエはシュウと出会った。色恋をしにきた訳ではないとオリヴィエの心には最初、激しい情動に抗うような理性が働いたのだが、シュウの隣にいるだけで理性は簡単に折れた。シュウから好意を告げられた時もそうだったし、意地っ張りなオリヴィエの背中を押したのはやっぱりマルエルだった。
「好きなんだろ?なら一緒にいたらいいじゃないか。その方が幸せそうだ」
そう笑って、いとも容易く難儀なオリヴィエと奥手の気があるシュウをくっつけたのだ。結果こうして2人は交際をはじめ、マルエルと3人で過ごすことが増えた。オリヴィエは、マルエルは幸せを作る才能があると、こっそり思っている。目の前に選択肢が並んでいる時、必ず誰もが幸せになれる方法を選びとる。それを当たり前みたいな顔をして笑いながら、皆に提示するのだった。
「でもオリヴィエ、今回ばかりは本当にマルに感謝しないと。マルが止めてくれて良かった。勢いのまま突っ込んでいたら、オリヴィエまで危険な目に遭うところだったんだ。」
シュウがお茶を飲みながら話しを蒸し返した。確かに心配の色が滲む声に、思わず目を逸らす。
「分かってるってば」
「いーや分かってないね!オリヴィエは時々危なっかしいことをする!!シュウももっと言ってやってくれ!!」
マルエルまで参戦した。明らかにおちょくっている。
「うるさいなぁ、マルは私の兄にでもなったつもり?」
「おう、お兄ちゃんって呼んでいいぞ〜!こんなに守り甲斐のある妹も居ないだろうな。危なっかしくて気が休まらない」
「呼ばないし、危なっかしくない。今日は少し動揺しただけだよ!」
ワシワシと頭を撫でるマルエルの手を、オリヴィエは払い除ける。まるで本当の兄妹のようなやり取りに、シュウも笑っていた。
人は今ある大切な時間が永遠だと錯覚してしまう。どんなに戦場に立っていても、どんなに冷静なつもりでも、どこかでここだけは例外だと、信じてしまうのだ。




