サイレントナイト
裏切られた。
それも―― 一番、信じていた男に。
「敵襲だ!」
その日、インスティクト大聖堂は静かな闇夜に包まれていた。
――遠くの喧騒がじわじわと不吉に膨れ上がり、 静謐せいひつな大聖堂の伽藍に反響し始める。
オレは泥のような眠りの中から、瞬く間にうつつに引き戻された。
「ラメールはおらんか!」
喉が裂けるほどの声で叫んだ。
「何の騒ぎだ?」
息を切らせながらも凛とした佇まいを失わず、ラメールが扉を開けた。
「敵襲です!オデル公爵。一万は超えると思われます」
「何者の仕業だ?」
ラメールのその均整の取れた面持が歪んだ。
「水色の桔梗の紋……」
その一言で、嫌な予感は確信に変わる。
それは、オレが筆頭家臣のアデル伯爵に授けた旗印だった。
あのキンバレーの戦いで、しんがりを務めてオレを守った報酬として。
退路を断たれたオレを守るため、アデルは自ら最後尾に残った。
あの日、あいつは笑って言った。
「閣下がおられれば、この国はまだ終わりません」
その言葉を疑ったことは、一度もなかった。
あいつだけは裏切らないと信じていた。一番愛した家臣の裏切り。
「……是非に及ばず」
腋から悪い汗がしたたり落ちる。
切れ者のアデルが謀反を起こす以上、絶対の勝算があるはずだ。
オレの失意は、恐怖に代わる。
「ラメール、ボウガンを持て」
扉を開け、矢を放った。
オレは最強覇王と恐れられているが、
その実、死の恐怖に手が震える。
悪い汗が噴き出す。
無表情な強面に生まれついたのが、周囲の誤解を招いているに過ぎない。
いつでも死ぬのは恐怖だ。
周囲が勝手に英雄扱いしているだけだ。
――そして何も残せずに終わるのが、怖い。
すると、――けたたましい音とともに引き戸がけ破られ若いナイトが現れた。
「我こそは一番乗り!」
「公爵閣下、援護します」
ラメールがロングスピアを持って助太刀に現れた。
敵は咄嗟に槍を一振り、オレは隙を突かれた。
「――すわっ!」
左腕を刺され、ボウガンの弦が切れた。
不覚だ。雑魚に。
油断した――その代償がこれか。
鮮血が滴り、徐々に左腕に心臓があるかのように脈が波打つ。
痛い。痛い。痛い。
ラメールは詠唱を始める。
「我が体躯に沈む灰燼よ、記憶を薪に燃え上がれ――イグニス!」
ラメールは一発、敵に炎の雨を降らせた。
敵の躰は炎に巻かれて溶けてゆく。人が焦げる臭いが鼻を刺す。
――次々と敵のナイトが現れる。
しかし、実物のオレと対峙したものは、滲み出る紅蓮の炎に縮み上がる。
「おのれ裏切者、百代後までお前の血を許さじ」
オレは一突きに敵となった雑魚のナイトどもを駆逐する。
傷を負ったせいで目が覚めた。
ビビりは失せ、勇気が漲る。
――覇王オデルを舐めるな。
アデル伯爵はオレの家臣。
つまり、こいつらは皆、それに従った裏切者だ。
――しかし、多勢に無勢か。
インスティクト大聖堂にいる味方は千も下らん。敵は一万余。
次から次に現れる雨後の筍どもめ。
「殿! オデル殿! 危ない。引きなされ!」
オレを守りながらラメールは叫んだ。
アデル軍のナイト達が次々になだれ込む。
「我が体躯に沈む灰燼よ、記憶を薪に燃え上がれ――イグニス!」
ラメールの魔術イグニスが敵を炎に包む。
再び人の焦げる臭いが鼻につく。
――その時であった。
昇り龍の如くなった水流が道を切り開き、そこを一人のナイトが歩いてきた。
蒼き光を放つ装束を纏い、
その整った面持ちにひと際怨念の情を宿らせる。
静まる戦場。兵士たちが道を開ける。
コツコツと足音が大聖堂の伽藍がらんに反響する。
――アデル伯爵の参上。
「……遅いですよ、オデル殿」
「来たな、アデル。なぜだ! ……なぜ裏切った?」
声が掠れる。問わずにはいられない。
目の前に広がる敵の数千人の部隊の先頭に、水龍を従えたアデル伯爵が歩んでくる。
「なぜ?」
アデル伯爵は不快そうに右眉だけ吊り上げ小首をかしげた。
その態度が、何よりも答えだった。
「あなたは、何も分かっていない」一歩踏み出す。
「セント=ヘレナ修道院焼き討ちの時、燃えていたのは大聖堂ではない。 人間だ。
――その中に私の母もいた」
オレの眉間がわずかに瞬く。
「あなたは進軍を強行した。躊躇する私を怒鳴り飛ばした。
――もはや、あなたは人の世の膿でしかない」
アデルはオレをきつく睨みつけた。
「あれは戦だ」
「あの時、止まればわが軍は滅んでいた」
オレは覇王の正論を打ち付けた。
「オデル公爵、あなたには――もう、守る価値がない」
オレは不快な眼差しをアデルに向ける。
「あなたを信じていた。あなたが世界を変えると。
だからあなたの剣つるぎとなった。――だが、違った」
アデル伯爵は天を仰ぐ。
「――オデル公爵、あなたは守ってきたものが、何を生んだか
……見ていない」
アデル伯爵の胸が、静かに燃え上がっていた。
「地獄に堕ちて、冥界の主ハデスに聞いてみろ!」
アデル伯爵は言い放った。
すぐに眉間に右手を掲げて人差し指を立て、詠唱のポージングを取る。
「……本当は、あなたに斬られたかった。
それなら――俺は最後まで、あなたの剣でいられた」
アデル伯爵の感情が滲んだ。
「甘いんだよ、アデルは。オレは神になる器だ」
思いっきり強がってやった。
……鼓動は震えるが、ここはかますしかない。
「あなたに認められたかった。――でも、あなたは変わった」
「あなたはあなたの闇に気付いていない――だから、オレが終わらせる」
アデル伯爵は言い放った。
慌てたラメールが、オレと目を合わせてきた。
「オデル殿……」
分かっている……。
襲われた時点でオレの負けだ。
束の間の、無防備なところを襲われた。
この日を襲えるのは味方しかいない。
アデルの軍にしかできない。
――戦乱の世に生まれたナイトとして、ビビりだが覚悟は決めている。
オレも眉間に右手を構え人差し指を立てる。
地の底から持てる力を漲らせる。
下半身から心の臓にパワーを高める。
突き立てた右手から火花が飛び散り赤や青の電流が発光する。
――見るがいい。
覚悟を決めたら、ビビりは失せる。
最強覇王の全力魔術を!
「我が身を代価に我が内の灰燼焔を焚べよ
――イグニス・シネレア・フランマ‼」
アデル伯爵の放った水龍を、オレの灰燼焔が呑み込む。
本来のタイマンなら、絶対にアデルには負けない。
――裏切りで寝込みを襲うとは。
「ああ、そうか……卑怯者、お前は“敵”だったか」
「ならば遠慮はいらんな」
怒りが恐怖を塗り潰す。
敵が地平まで続いている。
一千対一万、差は圧倒的だ。
それでも、――オレの首を渡すわけにはいかない。
自害して自身の魔術イグニスで、灰燼として消え失せるより手はない。
――紅蓮の炎が立ち込める中で、オレの心臓は鼓動が止まらない。
――終わらせなければ。自分の手で、
......自分自身を。
アデルめ、このままで終わると思うなよ。
地獄の底から絶対に戻ってきてやる。
オレの執念深さを甘く見るな。
「神よ、一度だけ戻してみろ。」
オレは静かに白装束を羽織った。
「……そのお姿は?」
ラメールが問うた。
「最後くらい、好きに躍らせろ。」
「見よ。」
「覇王オデルの......ラストダンスを。」




