婚約破棄の裏側
「おかしいと思ったのよね。はいはい、なーる。そういうことね」
先程まで、あたしは煌びやかで豪奢な大聖堂で、幸せの絶頂な結婚式をしていた筈だった。
隣には、素敵な王子様がいて、みんなが祝福してくれていて。王様や王妃様もあたしを認めてくれて。
……でも、違った。
全部みんな、嘘だったんだ。
「これだからお貴族様ってヤツは!あたしたち平民を駒みたいに……!」
涙は出なかった。だって、ホントは何かおかしいって、気付いてた。赤点ばっかりだったアカデミーの授業で王国伝承記に初めて触れて、ただの伝説じゃなかったんだって思ったのを覚えてる。
あの授業の講師は、高位貴族だった。そして、あの授業を選択出来るのも。多分、限られた貴族だけが知らされる内容だったんだろう。
遠回しな表現がいくつもあってちんぷんかんぷんだったけど、違和感が少しだけあった。
クリシュナ嬢がずっと言ってたのは、こういう事か。
まさか捧げ物になる筈の人が庇ってくれてるなんて、夢にも思わなかった。
シヴァ様は、婚約して数ヶ月あたしを見ながら遠くを見る様になった。……つまり、そういう事だ。
「王子様、かぁ。……めっちゃクソじゃん、シヴァ様。酷い、ひどいよ……」
あの赤い宝石が砕け、謎のふわふわした空間にあたしは飛ばされた。周りには何も見えない。白い、見渡す限りの白い空間が広がるだけ。何もないけれど、何故か暖かい場所だった。
裏切られたあたしは、泣いてもいいと思う。恨んでもいいと思う。
……けれど、驚くほど、そういった感情が湧き起こらない。
「あたし、おかしくなっちゃったのかな」
若しくは、このまま何も感じなくなって消えていく……とか?
『人の世には過ぎた力であったのだ、我が番』
遠くから?それとも近くから、声?がする。
正確には声じゃなくて、音……なのかもしれないけれど。あたしにはよくわからない。
『お前を呼んだのは、我である。魂の形が、我に一番近しい人の子よ』
その言葉?を聞いた直後、唐突にあたしは『理解』した。頭の中に、たくさんの、溢れんばかりの情報が流れ混んできたのだ。
「魔力が一番多い人が供物になるんじゃなかったんだね」
近くて遠い声?が同意するのがわかる。
近くて遠い声?の主と、魂の形が近いほどかの人と同じ力が使える様になる。……それが魔力。
『我が新たに、この地の守護となる』
どうやらこの近くて遠い主は代替わりがあるようで、その度に魂の選定があるようだった。
「あたしに全てを捨てさせて、あんたも物凄い、我儘ね」
主も、王子様も国も、みんな我儘。
……だけど。
「すっごく悔しいんだけど、全く腑に落ちないんだけど、怖いくらい、ここが心地よいの。……なんで?」
両親と暮らした街は、楽しかったけど何かが足りなかった。お貴族様の世界は、満たされたけれど何かが違ってた。
『魂の形が、お前に合って無かったのだ、人の世は』
近くて遠い主は、穏やかにあたしを包み込む。
『ここはお前の全て。還る場所。お前の望む全てが叶う。問おう、我が番。全てが叶うこの場で、お前は何を願う』
厳かで、清廉で、繊細で、神聖で、邪悪で。この近くて遠い主が、どんな存在なのか、あたしにはわからない。人が決められる存在ではないから、あたしにはわからないのだろう。
そんな存在が、あたしの願いを叶えると言う。
「あたし、結構強欲よ。ちやほやされたいし、甘やかして欲しい。願い事はめっちゃたくさんあるの。それでもいいの?」
聞かなくても本当は理解している。近くて遠いこの存在は、全てを許すだろう。
『それが本当に、お前の願いならば』
やっぱりな、そう思った。
あたしの本当の、心からの願い、本当の望み。……それは。
「近いわ。遠いわ。あなたに会いたい。とびきり優しくて、誰よりもカッコイイあなた。そして、あたしを、あたしだけを愛しているあなた。あたしもあなたを愛したい」
両親の愛は、あたしだけのものじゃなかった。シヴァ様の愛も、あたしだけのものじゃなかった。みんなみんな、あたしだけのものじゃなかった。
あたしは誰よりも強欲で、あたしだけのものが欲しかった。何にも囚われない、あたしだけのもの。
『そのくらいでなければ、我が番ではないな』
近くて遠い主が、笑った気配がする。
そして、それと同時に目の前に神秘的な真っ赤な瞳の人?が現れた。
「……人型になるなんて……、凄くサービス過剰ね。なんかドラゴンとかユニコーンみたいに、幻想世界の生き物の姿かと思ってた」
人の世にはドラゴンもユニコーンもいなかった。魔力や魔法は有るのに。
『お前が望む形だ。それとも、ドラゴンやユニコーンも作ろうか?』
姿を現したというのに、声?は近くて遠い。変なの。
「あなたがいればとりあえずいいわ」
『思いの外欲がない』
主がそう笑った。
「でも、これだけは教えて」
『良かろう、何だ』
「あなたの名前は?」
主は真っ赤な瞳を丸くして、それから大きく笑い出した。
『なんだ、やはりお前は我が番。なかなかの強欲さだ、気に入った』
「名前を聞くのが強欲なの?」
あたしはただ、あなたを呼びたいだけ。あなたを愛したいだけなのに。
『ここには我とお前しかいない。区別のための名など、必要ないのだ。それでもお前は、我をその枠にはめようとする。これを強欲と言わず何とする』
言葉は割とキツい内容だったけれど、主はずっと、楽しそうで、嬉しそうで、愛しい気持ちが感じ取れた。だから、嫌じゃないみたい。
「ね、教えて。あたしだけのあなた。魂の半分」
あたしも、心から笑った。足りなかった日、違うと思った日は過ぎ去った。楽しくて、嬉しくて、愛しい。
パズルのピースがはまるみたいに、当たり前だった結末。
『我が名は……』
特別なあたしだけのあなたの名前は、誰にも教えてあげない。
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