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自作小説倶楽部 第11冊/2015年下半期(第61-66集)  作者: 自作小説倶楽部
第66集(2015年12月)/「初雪」&「カメラ」
35/38

03 らてぃあ 著  初雪 『雪の思い出』

挿絵(By みてみん)

     挿絵/深海様より


「お嬢さん。バスはあと二十分くらいで来ますよ」

 女が文字のかすれた時刻表を見ようとしていると声がしたので思わす飛び上がりそうになった。しかし飛び上がることなく不安定な姿勢で立っていた足を踏み違え傷のある箇所を地面に着けてしまった。

「痛たた」

「まあ、大変、傷だらけよ」

 木の屋根とトタン板で出来たバスの停留所の椅子に座った老婆が手拭いを差し出した。

「いえ、いいです。ハンカチありますから」

 ハンドバックから履けなくなったヒールの高い靴を放り出し、ハンカチを取り出す。老婆の横に腰を下ろして相手をそっと観察した。小さな老婆だ。顔にはいくつもの深いしわが刻まれ何年もそこに座っていたかのようにすら思える。暗い色の服で着ぶくれしたその姿は人というより岩のようだ。

 耄碌したおばあちゃんよね。きっと明日には私のことなんて忘れてるわ。お巡りさんでなくてよかった。

 傷だらけの足を拭こうとしたら老婆が手を出して止めた。

「ここも怪我してるわ」

 指さされた頬を触ると鋭い痛みが走る。鏡を出して確かめると少し切れて血が固まりつつある。ひどい。明日にはあざになってるだろう。

 さいあく。最悪。大馬鹿。全部あいつが悪いんだ。

「まあ、雪だわ」

 女の心の呪詛をよそに老婆がのんきな声を上げた。

 見上げると風に乗って雪がちらついていた。

〈寒気が流れ込み、いよいよ初雪になりそうです〉

 女が家を出る前に見た天気予報が当たったようだ。

「雪を見ると思い出すことってありません? 」

 老婆が言って女の髪に引っかかっていた落ち葉を摘み取って捨てる。

「少しの雪でも世界ががらっと変わって見えて、何もかもきれいに見えるでしょう。昔ね。あたしの亭主が出征したのも雪が降る日だった。今じゃこんなしわくちゃ婆だけど、あの頃はちょっとした美人で、亭主もいい男だった」

「どうせ戦死したんでしょ。きっとみじめな最期だったのよ」

 苛立って女は言った。老婆の美しい思い出を壊して、老婆の口をふさぎたかった。他人の幸福な思い出なんて聞きたくない。今はもっと考えなくてはならないことがある。怪我をごまかすこと。何も知らないとしらを切りとおすこと。これからの自分の人生。しかし頭の中は空白のままだ。

「もちろん。綺麗な死に方なんて無いよ。あたしだってすぐに再婚したし。死んだ亭主たちに言えないような汚いこともたくさんしてきた。でも、思い出だけは綺麗なままさ。若いあんたにだって、二十年くらい生きてれば綺麗な思い出が一つや二つあるでしょう。だからね。悪い思い出を作って綺麗なものをよごしちゃ駄目よ」

 しばらくの間、二人は無言で雪を眺めていた。

「私、雪乃っていう名前なんです」

 女が震える声でぽつりと言った。

「綺麗な名前ね」

「皆そう言ってくれます。彼だって、」

 後は言葉にならなかった。こみ上げて来た涙を止めることはできなかった。

「ねえ、雪乃さん。あたしが警察に電話してもいいでしょう? 山の中に残してきたものがあるんでしょう。あんたが道じゃなくて山の中から滑り下りて来たのをあたしは見てたんだよ」

 女は泣きながら頷いた。


「で、殺人未遂にはなりそうにないの? 」

 刑事は年下の相棒に聞いた。

「そうなんです。加害者の村雲雪乃ほうが殺意があってハンドル操作を邪魔したと言ってるんですが、被害者の檜山晴夫は自分がハンドル操作を誤って崖から車ごと落ちたと言うんですよ」

「別れ話で揉めている恋人と山にドライブなんて男の方にも後ろめたい思惑があったのかもね。なにはともあれ。つぶれた車体に挟まれたまま凍死しなくて良かった」

「今回は鬼沢のお婆さんのお手柄ですね。雪の日の旦那さんとの別れなんて話を持ち出して」

「アレ? 僕は夏の日にみんなで万歳三唱して旦那さんの出征を見送ったって聞いたことがあるよ」

「再婚されてるなら、それは二番目の旦那さんのことじゃないですか? 」

「そもそもあの婆さんって何歳? 」

「あれ? 調書でお婆さんの年齢だけ空欄になってる」


 鬼婆と子供達のあだ名するところの鬼沢村・万亀山千代が実際何歳なのか誰も知らず、役所の記録はすでに抹消されていたという。

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