杜の木 動物病院。
小さな紙切れに書きなぐられた文字。たぶん、こんな時、やっているはずもない。そう思いながら、一筋の期待を胸に、電話をかけてみたが、通じる事はなかった。こんな時に、居る訳もないない。そう思いながら、親父から聞いた道順をあてに、歩いて尋ねてみる事にした。今まで、店近くの、商店街の事なんて、よく見た事もなかった。歌を歌った路地裏の記憶はあるが、この辺の通りなんて、よく見た事もない。親父が、よく和菓子を届けたという動物病院は、街の中心を外れた並木通りにあった。
「ここか・・。」
震災のせいだろう。看板と、お洒落なブロックが見事、崩落していた。
「すみません・・。」
人のいる気配はなかったが、小型犬の鳴き声が、併設されたトリミングルームから聞こえてきた。何匹かは、震災のその時まで、普通にカット待ちで、この部屋にいたのだろう。今も、飼い主の都合で、引き取りに来られないのか、ガラス越しに、飾り毛を丁寧に刈られたダックスの姿が見て取れた。
「すみません。」
もう、少し声を大きくしてみた。やはり、いないのか、諦めかけたその時、ドアが開いた。
「ごめんなさい。まだ、お店は、やっていないのよ。」
ダックスに、よく似た若い女の子が顔を覗かせた。
「お店の中は、こんなだし・・。」
女の子は、見たところトリマーのようだった。
「それとも、診察のかた?」
俺の後ろを、覗き込むようにして、怪訝な顔をした。
「わんちゃん?」
「あぁ・・。あの」
アレクの事を言おうとしたとき、店の奥から、熊みたいな男が顔を出した。
「お客さんか?」
「そうなのかしら?」
若い女の子は、目くばせした。
「診察は、無理だよ。」
無愛想に男は、言った。
「あぁ!あの。」
俺は、あせった。
「親父が、ここへ行けって・・。犬が・・。」
「親父?」
男が眉をしかめたので、俺は、あわてて、自分家の店の名前を告げた。
「あぁ!あれ?犬なんて、いたっけ?」
「それが・・。」
急に、今まで起きた事が頭を過った。哀しい現実。まだ、莉子が、見つかっていない、現実。
「知り合いの犬なんです。津波で・・。被災して。」
男の顔が、くもった。
「そうか・・。お宅のもか・・。」
曇った顔に、来てはくれない予感がした。
「すぐ、行ってあげて」
若い女が、声をあげた。どうやら、娘のようだ。
「可能性があるなら、助けなきゃ!ぱぱ!必要とされているなら、行かなきゃでしょ!」
「そうだな・・。」
そう答えながらも、腰が重い。
「ごめんなさいね。いろいろありすぎて・・。年をとると、編実を受け入れる事が出来なくなるみたいね」
女は笑った。
「バカ言うな!」
男は、奥から、黒いバックを取り出した。
「店にいるのか?」
「はい。」
俺は、ようやく、アレクの治療が出来そうな事にほっとしていた。「杜の木 動物病院」路地に、ひしゃげた看板が、陽の光に、反射していた。