8、おしまいの前に。
冬が過ぎて、春が来れば毎朝集う教室が変わる。
うちの高校は、二年のクラスは三年にそのまま持ち上がりになる。
何かが変わったというわけではないにしても、確実に季節は変わっていく。
特別棟北側の階段も、寒さが緩んで暖かい。冬にここを昇ったときは、息が白かったことを思い出す。
放課後の特別棟は、不思議な空間だなあと今更のように思う。
上の方の階では吹奏楽に演劇に合唱にPC研に地学に放送局と、かなり文系の趣き溢れる部活動が展開されているのに、二階や一階では体育館との渡り廊下の長さを利用した体育会系部活動の練習場所に利用されている。
普通科の授業が行われる平日の時間帯は、人も余りいないような閑散とした雰囲気を発しているのに、放課後になると一気に賑やかになる。
……まあ、普通棟は放課後になると、定時制の人が使うから、部活動でさえ利用申請をしないと使えないんだけど。
いつの間にやら、この特別棟の北側階段を昇るのも恒例になってしまった。
そういえば、放課後も活動してる委員会なんて、図書委員だけなんだなあ、とこれもまた今更なことを考えた。
図書室の扉を開けると、いつものように続木さんがカウンターの向こう側で折り畳み椅子に座っている。
今日は読書に勤しんでいるらしい。彼女は参考書なら集中力が散漫になっているのか、扉が開いたら顔を上げて、大体誰が入ってきたのかを確認する。
そして今日は顔を上げずに、手元の何かに向かって目を逸らさない。多分、文章を追っているのだと思う。
こういうときは話しかけないと、来たことすら分かってもらえないから悲しいなあ。
「お疲れさま、続木さん」
小さい声で話しかけると、続木さんはバッ、と顔を上げて俺を見た。
途端に表情が緩んで、可愛らしい笑顔を見せてくれる。なんか妙に心臓の端がざわつく。
「お疲れ、山階君」
「はい、これ返却」
本をカウンターの上に置くと、続木さんは急にじいっと本を眺めた。
「……どうしたの?」
思わず尋ねる。
「いや、なんていうのか……、かなりオタクな推理小説読むようになったなあって思って」
彼女が言っているのは、最近猛烈な勢いで売上を伸ばしている推理小説家のことだ。この間気になったので図書室にあるのかと探してみたら、ほぼ初版の処女作が出てきた。今ではどこの本屋も出版社も熱帯雨林でさえ「品切れ中」「絶版」の文字を掲げている本で、きっと頭のいい人ならうっぱらって小金に換えてしまおうと思うような一冊だった。
……彼女の一言から、そのように本の経緯まで瞬時に脳内で展開されるまでには、俺も大分詳しくなってしまっていた。
「まあ、高校生ですから進歩は早いですよ」
真面目に言うと、彼女はふっと笑った。俺もつられて口の端を上げる。
そういえば、と今まで疑問だったことを聞いてみることにした。
「思ってたんだけど、司書席の隣って、椅子はあるのに誰も座らないんだね」
「うん、単なる予備席だしね。第一司書業務なんて今は一人居れば足りるし」
ふうん、と相槌を打つ。
「……どうせ一緒に帰るし、そこ座ってもいい?」
「え」
「駄目?」
一瞬詰った彼女に、お願いしてみる。
続木さんは一回瞬きすると、仕方ないなあ、といった感じで笑った。
「多分、全く問題ないと思われます。司書の先生も、山階君が委員会来ないの『サボりじゃないか』って言ってたくらいだし」
むしろカウンターのこっちに座ったら、歓迎されるんじゃないかな、と彼女は言った。
「じゃあ、お邪魔します」
カウンター側に入ったことがなかったから、図書室がいつもと違って見えて面白い。
おもむろに傍にあった折り畳み椅子を引き出して、腰を掛ける。
ふと隣を見ると、続木さんがこちらを見ていた。彼女は顔を赤くして、手元の本に視線を落す。
駄目だなあ。思わずニヤついてしまうのを止められないじゃないか。
若干緊張しているのが分かる肩を、ぽんぽんと叩く。
「なに」と振り向いた彼女の頬に、人差し指を伸ばす。古典的な方法だけど、これってやられると結構いらっとくるよな。
続木さんの頬が、俺の指で歪む。うん、今日もいい触り心地ですな。
「もう!」
小さい声で怒る続木さんが可愛くて、俺はしてやったりな笑顔で手を離す。
こうして帰宅部だった俺は、図書委員の彼女と放課後を一緒に過ごすようになりました。
おしまいおしまい。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
当初はここまで引きずる予定ではありませんでした。そう、予定は未定です。
けれど、4話で全てがひっくり返り、そこからは割りと早く進められた気がします。一回終りまでの道筋を立ててしまうと、全く進まなくなる人間なので。あそこでてっくり返してくれたキャラクター達に感謝です。
そしてラヴはあってもコメはなくなりました。当初の話の流れには結構あったのですが。まあいいか←
重ねまして、ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます。