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ヤマアラシの少女 第3章

 夜になり、携帯が鳴った。

 透花からに違いない。名前の表示も見ずに、慌てて電話に出た。

「伊吹くん。わたしよ」

 冷たい感じがする、女の人の声。

 違う。透花ではない。

 青柳海月(あおやぎみつき)

〈ホーム〉の関係者である。

 忍の返事を待たず、端的に彼女は言った。

「仕事よ。すぐに来てちょうだい」

 今この時から、〈ホーム〉の狩人としての時間が始まる。



 

 この世界は、かきわりだ。

 全部うすっぺらくて、色あせていて、みんな同じ。

 そう思っていた。

 だけど――


 呼び出された場所は、武梅市の陸上競技場だった。

 現場に到着した忍を、正面ゲートで仁王立ちする青柳海月が迎えた。

 毛先を定規で切りそろえたかのような、腰まで届く長い黒髪。棒でも背中に入っているかのように、背筋の良い立ち姿。スーツのように見える〈ホーム〉の制服に包まれた、スラリとしなやかな身体。青柳海月は、凛とした美しい少女である。

「遅い」

 ビシリと指を突きつけられる。電話を切ってから、すぐに制服に着替え、自転車を全力でこいでここまできたというのに、まったく人使いが荒い先輩だ。

「新人くん。遅刻するとは何事?」

「すいません。道に迷いました」

「方向音痴はなおしなさい」

「善処します」

 道に迷ったというのは、本当だった。忍は人の顔や風景を覚えるのが苦手だ。道順だって、さっぱり頭に入ってこない。

「どうかした? 顔色悪いわよ」

 朝のことを引きずっているつもりはないけれど、そんなことを言われてしまう。

「夜だからそう見えるだけじゃないですか」

「それならいいけど」

 さして気にした風もなく、海月は本題に入る。

「今回の仕事は、能力を暴走させた影響者の確保よ」

 足早に競技場に入っていく海月を、忍は慌てて追いかける。

 海月は忍の上司にあたる人物で、人使いが荒い。透花がらみの事件からずっと〈ホーム〉に世話になっているから、忍はまるで頭があがらなかった。

 こんな夜更けに呼び出して、いったいなんの仕事だろうか。

「目標は現在、グラウンド中央の芝生に陣取って動きを止めているわ。すでに人払いはすませてある。こっちよ」

 グラウンドへと続く扉の前で、海月は止まる。扉は半開きになっており、隙間から外が覗ける。外を見るように、海月は視線で合図する。

 冷たく堅い扉に手を当て、目を見開いて外の様子をうかがった。

 暗くて深い夜闇が広がる、陸上競技場。見知った昼間の光景とは、別世界だ。ひときわ闇がくすぶっているグラウンドの中央に、意識は集中する。


 幾千幾万の棘、その塊。


 そんなものがあった。その姿はウニや丸まったヤマアラシを連想させた。時折、棘がザアーとこすれながら、揺れた。あれは生きている。

「なんですか、あれ」

「さっき言ったでしょう。あれが目標」

「人間なんですか、あれ」

「今さらそんなことを驚いてどうするのよ。わたしたちは影響者よ」

 

 影響者――と海月は言った。

 影響者とは、なんなのか。なにから影響を受けているというのか。そう呼ばれる人間たちを説明するには、その前にまず〈異形幻夢〉のことについて説明せねばなるまい。

〈異形幻夢〉。

 あるいは〈異形〉。

 別の世界からやって来た化け物の総称である。

 彼らは、この世界の進化の系統樹から外れた存在であり、この世界のルールから外れた超常の力を使う。彼らの多くは古くから地球に住んでおり、神話や伝承といった形で登場している。日本では妖怪と呼ばれていた存在が、これにあたる。現在でも、土着信仰の神様として奉っている地域がある。

 信仰対象というと、なにやら牧歌的な雰囲気だが、恐るべきことに〈異形〉は、認識されることで力を増し、また自分を認識したものに影響を与える。

 ここで影響者だ。

〈異形〉の影響を受けた人間を、そう呼ぶ。

 影響者は、自分に影響を与えた〈異形〉に関連する特異な能力を行使できる。その能力はサイキックパワーのようなものから、肉体の一部を変化させてしまうものまで、様々だ。

 影響者は人の理から外れた存在であり、そんな彼らを社会的に守るために作られた組織が、忍の所属する〈ホーム〉である。

 そう――忍もまた影響者のひとりである。

 

 目をこらす。

 棘の塊には、片膝をつく人間のシルエットがあった。その人物が身に纏う漆黒の鎧から無数の棘が生えているのだ。頭部は兜で、顔は仮面で覆われており、その表情はわからない。

 どうやら肉体を変化させるタイプの影響者らしい。

「どういうやつなんです?」

 忍は訊いた。外に注意を払いながら、海月は口を開く。

「短くまとめて話すわね」

 彼女が説明したのはおよそ次のような内容だった。

 月凪家。

 古くから異能の人間を出している家である。

 その月凪の長女が能力を暴走させ、行方をくらませた。彼女を取り押さえようとした屋敷の人間に多数の死傷者が出た。月凪の長女は、一族のなかでも特異な力を持っていたため鬼子とされ、そんな彼女を誰も止めることができなかった。

「だけどね〈ホーム〉の独自の調査でわかったことなんだけど、月凪の家に本来、娘はいないはずなのよ」

「存在しないはずの、娘?」

「屋敷の奥に幽閉されてたらしいわ」

「みんなと違うから、か。えげつない話だ」

 再び目標を確認する。あれが女であるとは、驚きだ。言われてみると、目標の鎧や仮面のシルエットには女性的なラインがある。

「そうね。そしてそれが二週間前のこと」

「二週間前? ちょうど透花が狙われた事件と同じ時期だ」

「鋭いわね。あの時発生した大量の瘴気が関係あると、わたしは睨んでる。人を狂わせるには十分すぎる量だったから。……先、続けるわよ」

 月凪家での騒動。

 それだけならば、まだ内輪でおさまる話だった。

 ところが今日になって事態が動いた。彼女が、一般人を殺したのだ。場所は、繁華街の地下クラブの一室。殺されたのは十代から二十代の若い男ばかり。状況から考えて、月凪の娘は、レイプされそうになったところで能力を行使し、反撃したのだと思われる。

「ふうん。自業自得だ」

「同感ね。だけど彼女は人を殺した」

〈異形〉の存在は、公にされていない。

〈ホーム〉が行う情報操作によって、長い間、秘匿されてきている。化け物の存在が引き起こすパニックを防ぐためでもあるし、特異な力を持つ自分たちの身を守るためでもある。

〈ホーム〉がもっとも警戒することの一つが、影響者による犯罪である。

 犯罪を犯した人間を、〈ホーム〉は許しはしない。

「現場にもっとも近いおれたちが駆り出されたってわけですか」

「ええ、その通りよ」

 忍は嫌そうに顔をしかめる。

 影響者が一般人に対して殺人を行った場合、罪が非常に重くなる。今回の確保には、「生死を問わず(DEAD OR ALIVE)」という意味が含まれることになる。

 好き好んでやりたい仕事ではない。

「保奈美さんは?」

 海月の相棒である愉快な少女が、ここにいないことを疑問に思った。

「保奈美は来てないわ。不摂生がたたってね、三九度の熱でダウン」

「そりゃまたけっこうな高熱で」

「あー、もうイライラする。自分の体調管理もできないなんて、狩人としての自覚が足りてないのよ。もっと口うるさく言ってあげないと。……もっとも、彼女は非戦闘系だから、今回みたいな荒事には向いていないけどね」

「やっぱ今回は荒事ですか」

 殺人犯が相手なのだから、それも当然か。

「月凪の家は〈炎天の鋼打ちヴァッザ〉の影響者。その能力は、鋼鉄の鎧で全身を包むというもの。防御に特化した、そんなに強い能力ではないけれど、油断してはだめよ。あれは月凪一族の鬼子。あんな風に棘の生えた鎧は他にないらしいわ」

「攻撃力と防御力を兼ね備えているとしたら、厄介ですね。どうやって近づくんですか。相手はグラウンドのど真ん中、隠れる場所なんてなさそうですよ」

「逆側の出入り口に、応援がいるわ」

 このために臨時に派遣されてきた狩人で、格闘戦に定評のある男だという。

「たった三人?」

「狩人は慢性的に人手不足なのよ」

 狩人――戦闘員に志願する、または抜擢される人間は、そう多くない。

「二カ所の出入り口を押さえてあるから、これで逃げ場所はない。気づかれるのを前提に、両側から挟み撃ちする。ある程度まで近づいたらわたしの〈魔狼の銀鎖(グレイプニル)〉で取り押さえるから、あなたはディフェンスをお願い」

「わかりました」

 制服の上着を脱ぎ、シャツの右袖をまくり上げる。こうしないと能力発動と同時に、服が破けてしまうのだ。

 忍が準備している横で、海月は通信機に話しかけている。逆側にいる狩人に簡潔に要点を告げ、海月は通信を切った。

「準備はいい? 行くわよ」

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