ヤマアラシの少女 第1章
この世界は、かきわりだ。
全部うすっぺらくて、色あせていて、みんな同じ。
「……あの、通り過ぎちゃうんですか」
そんな風に言われ、伊吹忍は、なんのことかわからず眉毛を片方つり上げる。
放課後の帰宅路を、タラタラとした足取りで歩いているところだった。
伊吹忍は、枯れている雰囲気がある少年だ。
背丈は高くもなく低くもなく、体格もまた良くもなく悪くもなく、中肉中背という言葉がぴったりの身体である。目つきは悪いが、よく見れば顔はまあ整っていると言えなくもない。ただ全体的に覇気が欠けており、若者らしい活力が見あたらない。同居人である従姉妹によく「じじむさい」と評されるのは、そのせいだろう。
「なんだよ、透花」
隣をちょこまかと歩いていた、見た目小学生くらいの女の子にそう尋ねる。
星見透花。
それが彼女の名前である。
その身体は、全体の作りが小さく細やかで、職人が技巧を凝らして作った人形を思わせる。肌は驚くほどに白く、降り積もったばかりの雪のよう。艶やかな黒髪をリボンで結んで二つのお下げにしており、とても愛らしい。
彼女は、忍と同じく、武梅高校の制服を着ていた。どれだけ小柄でちんちくりんだったとしても、彼女は立派な女子高生であり、忍のクラスメイトだった。
とある事件で知り合ってからというもの、たびたび一緒に帰るようになった。
付き合っているわけではない。
忍の語彙では、この関係をどう表現すればいいのか見当もつかない。
縁があった――のだと思う。
「ああ。見落としたんですね」
透花はひとりで納得し、ゴミ捨て場を指さす。
「ほら、あれです。人が倒れてます」
「ん、本当だ。よく見つけたな」
指摘されるまで、忍は気がつかなかった。
レンズのピントがあうように、ようやく像が浮かびあがってくる。青いゴミバケツにすがるように、人が力なく倒れている。なかなか目立つ光景であり、あれが視界に入らないとは、我ながらどうかしている。
「最近は変なのがいるな」
さしたる興味も湧かず、新たな一歩を踏み出したところで、
「えーと、通り過ぎちゃうんですか」
再び透花が尋ねてくる。
「透花」
忍は呼んだ。
「なんでしょうか、忍くん」
透花は、キョトンとした目つきで言葉を待つ。
「お前は色々あって世間知らずなところがあるから、一応忠告しておく。ああいう、いかにも『わたし行き倒れっス』って感じのやばそうなやつとは、かかわらないほうがいいぞ」
「まさか、見捨てるんですか」
透花は、ショックを受けたようにたじろぐ。まるで忍が、こういう場面で決して人を見捨てるような人間ではないと信じ込んでいたかのようだ。
「…………だってめんどうだし」
正直なところ、赤の他人にかかわって厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだ。
触らぬ神に祟りなし。
そんな日本語があるではないか。
「もしもーし。大丈夫ですか」
「って、おれの話、聞いてねえし」
透花はすでに、行き倒れに話しかけていた。ちんまりとした指先で、行き倒れの頬を、ツンツンと突いている。
「忍くん。この子、女の子ですよ」
透花は目を丸くした。
年の頃なら十四か十五。忍たちとそう変わらない。さらりとしたおかっぱ頭は可憐の一語に尽きる。驚くべきことにその格好は、和服だった。今時、街中をそんな格好で歩き回るなんて珍しい。そしてもっとも気になるのは、彼女の薄汚れた様子だった。
まるで、長いことを街をさまよい歩いていたかのような――
「こういう時、どうすればいいんでしょうか」
反応がないことに焦りながら、透花が振り返る。
「一応、警察呼んでおくか。事情を話せば十分だろ」
「やめて、くださ、い」
携帯をいじる指が止まる。透花に視線を向ける。「わたしじゃないですよ」と彼女は首を振った。
「――ないで、ください……」
呻きながら声を上げたのは、行き倒れの女の子だった。すぐさま透花が、女の子の肩をつかみ、ゆさゆさと揺すった。二言話すだけで力を使い果たしたのだろう。女の子は「うう」と苦しそうにするだけだった。
「ダメです。また気を失っちゃったみたいです」
「警察はよせ、か。こりゃいよいよ厄介ごとだぞ」
家出娘というならまだいい。犯罪がらみの可能性がある。巻き込まれたのか。あるいは起こしたのか。後者だとしたら、絶対にかかわりたくない。
なのに、
「助けてあげましょう」
透花はそう提案した。
「困ってる人を見捨ててはいけないのです。忍くんもそう思うでしょう」
おまけに同意を求められた。ギョッとしながら忍は返す。
「どうするつもりだよ」
「とりあえず、わたしの家に連れて行きます。そして、落ち着いたところで事情を聞きたいと思います」
「そういうのを、なにも考えてないっていうんだよ」
そう言いながら、透花の体格と、行き倒れの女の子の体格を見比べる。比べるまでもない。行き倒れの女の子は、やせてはいるけれど透花よりもずっと背が高い。透花の細腕で、彼女を連れて家に帰るなんて無茶だ。
透花はそんなことを考えていないだろう。連れて行くと言ったからには、なにがなんでも実行するつもりだ。透花は内気なくせに、妙なところで頑固だから。
「こういう時は、行動あるのみです。えいしょー」
透花は、本人的に気合いを入れてるつもりのかけ声を上げ、行き倒れの腕を持ち上げようとしている。力の抜けた人間の身体は、かなり重い。背負うつもりらしいが、いっこうに持ち上がる気配がない。
そんな透花が見ていられなくて、ひょいと忍は手を伸ばす。
「わわっ。なんですか」
透花がびっくりする横で、黙々と行き倒れを背負う。
「手伝う」
極力、透花に顔を向けないようにしながら、忍は言った。
「ありがとうございます。やっぱり助けてくれるんですね」
少々癖のある、甘く囁くようなかすれ声。透は心から嬉しそうに眼を細める。
「今回だけだからな」
わざとぶっきらぼうに忍は言う。