物陰からの視線
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「わあ、これって精霊降誕祭のお土産? どうもありがとう!!」
精霊降誕祭の翌日、アルバートとシルヴィアから土産を受け取ったユーリは、嬉しそうに大きな瞳を輝かせていた。
二人がユーリに見繕ったのは、スミレの花を砂糖漬けにした鮮やかな青紫色をした菓子と、ユーリの瞳にもよく似た緑色のエナメルで装飾が施された金色のペンだった。
「精霊降誕祭では、記念式典へのご参加お疲れ様でした、ユーリ様」
「ありがとう、うん、ちょっと肩は凝ったかなあ。仕事だから仕方ないけどね。……精霊降誕祭はどうだった?」
「アルバート様のお蔭で、とても楽しかったです」
「俺も、シルヴィアと一緒に精霊降誕祭に行くことができてよかったよ。あの篝火もシルヴィアと見られたしね」
視線を交わして笑い合ったシルヴィアとアルバートを、ユーリは少し羨ましそうに見つめた。
「二人のこと、いいなあって思っちゃうな、やっぱり。……ところでシルヴィ、今日は可愛い髪飾りを着けてるね!」
ユーリの言葉に、シルヴィアは再度アルバートを見上げると、頬を軽く赤らめた。
「これは昨日、アルバート様にプレゼントしていただいたのです」
「ああ、そうだったんだ! さすがアルバート先生、センスいいね。シルヴィの雰囲気にぴったり、よく似合ってる」
ユーリは楽しげに二人を見つめてから、鞄の中から一つの包みを取り出した。
「これは、僕からシルヴィへのお礼だよ! よかったら開けてみて?」
ユーリの言葉に頷いたシルヴィアが包みを解くと、中から一冊の本が現れた。皮の背表紙に金文字でタイトルが書かれたその本は、ちょうど王都で人気になっている長編の小説だった。
「どうもありがとうございます、ユーリ様! 今、この本は人気で、なかなか手に入らないのですよね……」
本を手に取って表情を輝かせたシルヴィアに、ユーリがにっこりと笑った。
「シルヴィがこの前、読んでみたいって言ってたから、ちょうど取り置きをお願いしてたんだ」
「とても嬉しいです! 帰宅したら、早速読んでみますね」
優しい瞳でシルヴィアとユーリのやり取りを眺めていたアルバートは、シルヴィアがユーリから贈られた本を鞄にしまい終えるのを待ってから、口を開いた。
「さて、今日もそろそろ授業をはじめようか。……まず、連絡事項だが、魔物討伐の見学は、予定通り明後日に行くことになっている。君たちも知っての通り、魔物の駆除を行うのはこの学校の最上級生だ。比較的力の弱い魔物相手ではあるが、見学をする君たちも、くれぐれも注意を怠らないようにしてくれ」
「はい」
今回の魔物討伐は、魔法学校の最上級生である三年生にとっては、学んできた魔法を使う実践の場であり、二年生以下にとっては、実際に魔法を使って魔物を倒すところを目の前で見る見学の場になる。力の弱い魔物が出没した場合、すぐに対応が必要なほどに人里近くで見られるものでなければ、最上級生たちは順番にそれを倒す実習を行い、下級生はそれを見学することが多かった。
アルバートは、頷いたシルヴィアとユーリに続けた。
「今回は、火魔法のクラスの最上級生の一部が、魔物討伐に参加することになっている。リスクは低いとは思うが、誤って火魔法に巻き込まれることのないようにも気を付けて欲しい」
(今回参加するのは、火魔法のクラスの最上級生なのね。ランダル様も、もしかしたらいらっしゃるのかしら……)
シルヴィアは、昨夜、精霊降誕祭の帰りに見掛けたランダルの表情を思い出して、その顔を翳らせていた。
暗がりの中、まるで幽霊のように青白い顔をしてシルヴィアを睨み付けていたランダルに、彼女は恐怖を感じずにはいられなかった。
マデリーンにシルヴィアが襲われ掛けた時、彼女が最後に見たランダルの、初めて目にした、彼女に縋るような必死の表情には、シルヴィアは少しだけ、つきりと胸の痛むような感覚を覚えていた。けれど、そんな感覚がどこかに吹き飛んでしまうくらいに、昨夜のランダルは、背筋がぞくりと冷えるような表情をしていたのだ。
(ランダル様を昨夜お見掛けしたのは、きっと偶然よね? さすがに、あんな時間まで私を待っていたなんていうことはないわよね……)
ランダルが魔法学校の令嬢たちにとても人気があることを、シルヴィアもよく知っている。昨年の精霊降誕祭の時にも、シルヴィアの隣にいたランダルのところには、次々と美しい令嬢が笑顔で声を掛けに来ていたのだ。シルヴィアがランダルの元を去ったところで、彼が相手に困るとは思えなかった。
シルヴィアが最後に聞いたランダルの言葉は、君を愛しているというものだったけれど、マデリーンに襲われ掛けた自分をただ見ていただけの様子だった彼の言葉は信じられなかったし、なぜそんなことを口にしたのかも、どうしてあれほど必死な表情を浮かべていたのかも、シルヴィアにはよくわからなかった。シルヴィアはただ、ランダルとはもう顔を合わせたくはないと、そう考えていた。
「どうしたの、シルヴィ? 何か心配なことでも?」
表情を曇らせたシルヴィアを気遣うように、ユーリが彼女の顔を覗き込んで尋ねた。シルヴィアは、慌てて首を横に振った。
「いえ、何でもありません。見学前に、もう一度、防御魔法を復習しておきたいですね」
内心の不安を押し隠すようにして、シルヴィアはユーリに微笑みを浮かべた。
***
光魔法の授業を終えて、アルバートとユーリと一緒に教室を出て行くシルヴィアの姿を、ランダルはまたも、近くの柱の陰から見つめていた。シルヴィアにランダルが話し掛ける隙は、この日もなさそうだった。
アルバートをにこやかに見上げるシルヴィアの髪に、彼から贈られた髪飾りが輝いているのを、ランダルは悔しげに眺めていた。
(あんなに嬉しそうに、アルバートにもらった髪飾りを身に着けて。……シルヴィ、僕は君のいない人生なんて、やっぱり考えられないよ……)
けれど、と、シルヴィアの後ろ姿を見送りながら、ランダルは頭を巡らせていた。二日後に行われる魔物討伐に、ランダルは火魔法のクラスから参加することになっている。その日の見学は、光魔法のクラスの生徒だということも、既にランダルの耳に入っていた。
今回魔物の駆除に向かう場所は、視界の悪い森の中だった。討伐対象の魔物も、雑魚しか確認されてはいなかったし、上手くやれば、教授の目を掻い潜ってシルヴィアと二人で話をすることも、場合によってはシルヴィアをしばらく連れ去ることすらも、さして難しくはなさそうだと、そうランダルは考えていた。
(シルヴィ。婚約解消したとはいえ、僕たちの間には、積み重ねてきた八年間もの時間があるのに。あんな、会ってからたいして時間も経っていない男に、君のそんな笑顔を見せないでよ)
ランダルは、シルヴィアの隣にいる時にいつも感じていた、あの陽だまりのような彼女の温かさも、彼女の優しい笑顔も、恋しくて仕方がなかった。シルヴィアが側にいなくなってからというもの、未だ彼の不調は続いていた。ただ、それでも、彼は火魔法のクラスの学年トップを譲らない程度の実力は兼ね備えていたし、魔物討伐の場でも、教授を満足させる程度のパフォーマンスなら、簡単に見せられる自信はあった。
「さて、どうやって、君を取り戻しに行こうかな……」
そう呟いたランダルの口元には、薄い笑みが浮かんでいた。