寂れた温泉地
カルディ氏も説明の為に同行してくれるので、早めの昼食を取って、馬車でラグーン地方へと向かう。
「ペイシェンス? この街道はかなり補修がおざなりにされているように思うが、この馬車は揺れないな」
お父様、ここまでずっとゲイツ様が下さった揺れない馬車に乗っていたのに、浮いているのに気づかなかったの?
ヘンリーは知っていたから、嬉しそうに笑う。
「この馬車は浮いているから平気ですよ!」
「そうか、ゲイツ様がお前の誕生日プレゼントに馬車を下さったとワイヤットが言っていたな」
ゲイツ様なら浮かぶ馬車も作れるのだろうとスルーするお父様! やはり変人なのかも?
なんと、馬の王を説得して、ベリンダが乗っている。ローラン卿が凄く羨ましそうな顔をしていたけどね。
「馬の王に馬車と同じスピードで走るように訓練します」
ベリンダ、強いね! パーシバルですら、馬の王の我儘に振り回されているのに!
「金の鬣も頑張ってみますが、爆走してしまうかもしれません」
そう言っていたパーシバルだけど、馬車のスピードに合わせて金の鬣と走っている。勿論、ベリンダもね!
ローラン卿が領兵と先頭を走り、後ろにはエルビス卿が領兵と走っている。
護衛が多いのでは? と思っちゃうけど、私は平和ボケした日本の常識を捨てなきゃいけないんだ!
特に、今回の視察先は、貴族主義者のウッドストック伯爵の元領地だからね。
カルディ氏の報告だけでも、孤児をこちらに押し付け、有能な冒険者は引き抜いている! 本当に腹立つ!
「ヘンリー、領地に着いたらカミュ先生から離れてはいけませんよ。エルビス卿が警護してくれますからね」
万が一、ヘンリーに何かあったら、ウッドストック領をぶっ潰すよ!
「本当はモラン館に……」お留守番して貰った方が良かったのかも? 悩んだけど、常にヘンリーはお留守番ばかりなので、連れて来ちゃったんだ。
「お姉様、温泉ってお湯が湧いているのですよね?」
そう! 好奇心旺盛なヘンリーの目に負けちゃったんだ。
普通の貴族なら、十歳以下のヘンリーは連れ歩いたりしないのかも。
「ええ、楽しみですね!」
ライナス卿の報告書には間欠泉もあると書いてあったけど、丁度の時間に噴き出すかわからないから、ヘンリーには言わないでおく。
「温泉の池もあるそうですよ」と言ったら、ヘンリーが喜んだ。
「そこなら、冬でも泳げるのでしょうか?」
「さぁ、お湯の温度次第ですよね? 熱すぎたら火傷してしまうでしょうし、ぬるかったら風邪をひいてしまうわ」
ふと、前世のヨーロッパの温泉地の映像を思い出した。
何となく、温泉と聞いた時から、日本の温泉地を想像していたのだけど、ここはヨーロッパ寄りの方が良いかもね!
そんな風に馬車の中で気分は上がっていたのだけど、ラグーンに着いた途端、テンションはダダ下がりだ。
「この匂いは硫黄なのか?」
馬車の中にも硫黄の匂いが入ってくる。
「温泉ですから……でも、硫黄だけではない感じですわ」
硫黄って卵の腐ったような匂いで、良い香りとは言えないけど……こんなに酷い匂いだったかな?
「お嬢様、これをお使い下さい」
メアリーが手提げ袋から、大きめのハンカチを出してくる。
覆面するのは、こちらの世界では禁止だけど、口と鼻を押さえるぐらいは良いのかも?
でも、今回は新領地の視察だ。
「メアリー、それは良いわ」と断って、馬車から降りる。
冬なのにムッとした硫黄の匂いが満ちている。
「ペイシェンス様、これは酷い匂いですね!」
そう、これは硫黄だけではない。ゴミが腐った匂いが混ざっている。
「綺麗になれ!」こんな臭い空気をヘンリーに吸わせる訳にはいかない。
かなり魔力を吸われたみたい。パーシバルが支えてくれる。
やっとラグーンを視察し始める。呼吸するのが嫌になりそうな匂いだったからね。
「カルディ様、この悪臭はずっとですか?」
「いえ、この前から酷くなって……原因は、彼方の沼だと思います」
沼? ライナス卿の報告書にはそんな物は書いて無かったけど?
「池があるとは聞いていましたが、沼ですか?」
「池もありますよ! 彼方です!」
池自体は良い感じだったけど、周りにバラック街が広がっていて、生活用水をそこに流しているのか、生ゴミが浮かんでいるのは頂けない。
「このバラック街は?」
パーシバルが不快そうに質問している。
「これは……ウッドストック伯爵が年貢を納められない領民を追い出したのです! こちらに親戚がいる者は、何とかこうして暮らしています」
池の周りは、冬でも温かいから粗末なバラックでも凍死しないとかの説明を聞いている間、レディらしくない悪態を内心で吐きまくった。
「これは酷い!」と珍しくお父様も怒っている。
ああ、そうか! グレンジャー家が極貧だったのは、貴族主義者の陰謀もあったんだ。
元ウッドストック侯爵までは、罰せなかったけど、後ろで糸を引いていたのは分かっている。
サリンジャーさんが脱税を厳しく調べて、追徴課税を取り立てたので、伯爵に降爵したのだ。
「ペイシェンス、ここはやめておいた方が良いかもしれない。ウッドストック伯爵の領地の近くは、良くない気がする」
悪影響が続くかもしれないと、お父様なりに忠告してくれる。
「そうですね! 私もここまで酷いとは考えていませんでした。これからも、孤児や役に立たない老人を押し付けられるかもしれません」
バラック街の住人、老人と何故か子どもが多い。つまり、働き盛りの人はいないって事! それに、全員が痩せこけている!
「領地にするかは、よく考えますが……見た以上は、何かしなくては! 孤児院は、教会に併設されているのですね!」
教会には近づきたくないけど、孤児の保護と炊き出しはしているんじゃないかな?
「ペイシェンス、見たら引き返せませんよ」
そうかもしれない。今なら、手を引けるかも? いや、ずっと貧しいバラック街の痩せこけた住人や、孤児達を思い出しそう!
「いえ、見ないと余計に心配で夜も眠れません!」
パーシバルが「そう言うと思っていました!」と抱きしめてくれた。
心配してくれるけど、私が決めた事は反対しない。
「私もできる限りの手助けをします。先ずは、ウッドストック領との道に領兵を派遣しないといけません!」
これ以上の難民は御免だ! と二人で顔を見合わせて笑う。
「もしかして、ハープシャー伯爵、ここを治めて下さるのですか? ありがたいです!」
カルディ氏には、色々と質問しなくてはね!




