疾風のヴァン
「これでよし……と」
しかし、カトリーヌはなぜトアさんを攫った?
奴隷商にでも売って金に換えるのだろうか。
いや、違うな。
カトリーヌはトアさんに妙な執着を見せていた。
となれば、トアさんが竜人だってことに気づいているのか? 飲んだ者の身体の奥底に眠る力を引き出すという、竜の血を狙っているのか?
仮にそれが狙いだとして、いつトアさんが竜人だって気づいた?
いや、今は考えるよりもここから抜け出すのが先だ。
真相はカトリーヌ本人に会って確認すればいい。
セバスチャンの上着のポケットを漁るが何も見つからない。
てっきりこいつが牢屋のカギを持っていると思ったのだが……
「探しているのはこれか?」
牢屋の外から声がした。そこにはメイドが嗜虐的な笑みを浮かべ、鍵を見せつけきた。
しかもその背後には殺気を漲らせたメイド軍団がありとあらゆる暗器を手に、待ち構えていた。
「いい気になるなよ。セバスチャンを倒したからといって、お前が牢屋から出られないという事実には変わりない」
もう動揺から立ち直っているし、こいつら普通のメイドじゃない。何かしらの訓練を受けている。
こうなったら片腕を犠牲に《|火炎球》《フラム》で牢屋ごとこいつらを吹き飛ばすのが最善だろうか。
そんな考えを読み透かしたのか、メイドが得意げな顔で言う。
「無駄だ。その牢は幾重もの魔法防壁が張り巡らされている。何者であってもその牢を破ることは叶わない」
「なんだ、そんなことか」
「……何?」
「簡単だ。魔法障壁が破れるまで《|火炎球》《フラム》を撃ち続けりゃあいいだけの話じゃねえか」
ここからは我慢比べだ。
それまで俺の身体と魔力は持ってくれる保証はない。
だが、トアさんを救うと俺は決めた。これから何度死のうとも抜け出してみせる。
覚悟を決めて右腕を構えたとき。
ふいに、石畳を歩く音が響いた。
メイドたちが暗器を手に、足音の方へ顔を向けたとき、
「誰だ!?」
「儂じゃよ」
老人のようなしわがれ声と共に、閃光が駆け抜けた。
あれは槍だ。
老人が槍を振り回しただけですさまじい風圧が、地下牢に吹き荒れている。
「ぐあっ……!?」
悲鳴と共に、メイドたちが紙細工のようにちぎっては投げられていく。
「く、曲者め!」
無事なメイドたちが素早く暗器で応戦しようとするが、老人の手にした槍の柄が腹に一撃入れる方が先だった。
そして瞬く間に、メイド軍団が呻き声を上げて、倒れ伏している。
しかもその全部が峰打ちで、誰一人として死傷者を出していないという器用さ。
こんな神業をやってのけられるのは俺の知る限り、一人しかいない。
「どうやら無事なようじゃのう」
「ヴァンじいさん……あんたがなぜここに?」
ヴァンは気を失ったメイドから鍵を拾い上げると、何でもない事のように言った。
「約束の刻限を過ぎても来ないから、迎えに来ただけじゃよ」
それがかつて《剣姫》スカーレットの右腕を務め、《疾風》と称されるヴァンの実力だった。
◇
「なんかやけに街中がざわついている気がしての。もしかしたらおぬしらがそれに巻き込まれているのではないかと思って、迎えに来たんじゃよ」
俺を牢屋から解放したあと、ヴァンはそんなことを言った。
やはりヴァンもこの街の異常性には気づいていたらしく、いつまで経っても姿を現わそうとしない俺たちを不審に思い、領主の館に乗り込んだらしい。
「急ぐのじゃ。トアさんは三階の、領主の部屋にいるらしい」
「たしかなのか?」
「ああ。ここに来るまで締め上げた衛兵がそう言っておったから本当じゃろう。おぬしの居場所もそうやって聞き出したんじゃ」
……こういうところまで手際が良いとは流石だ。
「儂は出来るだけ暴れて警備の目を気を惹きつけておく。おぬしはその間にトアさんを助けるのじゃ」
「……一人で大丈夫なのか?」
「愚問じゃな、この儂を誰だと思ってる。儂は《疾風》のヴァンじゃぞ」
「そうだったな」
苦笑する。
冒険者時代から、ヴァンじいさんの機転にはよく助けられることが多かった。
まったく、このじいさんには頭が上がらない。
きっと適当に増援を惹きつけて、適当なタイミングで脱出するはずだ。
「ほれ、お前さんの装備を見つけておいた。増援がくる前にさっさと身に着けておけ」
「すまない、ヴァン」
「礼は言い。そんなことより、おぬしの役目を果たせ」
「ああ、任せろ」
ひとつため息を吐くと、俺は屋敷の最上階めがけて階段を駆け上る。
待っていろよ、トアさん。
今すぐ俺が助けてやるからな。




