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【小話】僕の願いが世界を変える──泥より出でて、泥に染まらぬもの  作者: 露隠とかず


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狂気の終焉

久是の最期です。スカッとした。

「かあさま、やめて、たすけて」

「泣き言は聞きたくないわ。えいじ、あなたは神となる子なのよ」


えいじは、あの子は神となる者だった。

そのために(しんじ)とは違う育て方をした。


世を統べる知識と他を捻じ伏せるだけの暴力を得るよう、折檻で皮膚が裂け泣き喚こうが躾けを施し、知識を得るまで叩き込んだ。

愛など必要ない。腐敗したこの世界を正すべく、血の中で絶望に身を置くように。

混沌の神(イドラ)に相応しくなるように。



「…かあさま、このひと、は?」

「あなたの兄よ。イドラの道具となるべく生まれた者。しんたろう、というの。優しい男の子だそうよ?」

「しんたろう…にいさま……」


年相応の笑みを浮かべるしんたろうの写真を、えいじはしばらく無言で眺めていた。その瞳の奥に、微かに光が宿ったと確信し、久是は薄く笑む。

しんたろうの写真を与えたのも、どういう人柄か伝えたのも全て、えいじに執着させるため。そしてその手で殺させるためだった。


目論見通りえいじは、しんたろうの存在に希望を持った。

自分の兄なら、自分を愛すのではないかと。その感情は地獄を這う内に執着という形に変質していく。


いずれ全ての研究を終えたしんたろうを、えいじは用済みとして嬲り殺すだろう。その時こそ、えいじは狂気の神として完成する。


自覚があるかどうかは関係ない。えいじが愛憎の全てを注いでいることが重要で、それでもしんたろうに愛を乞うこともできず自らの手で壊す。

その瞬間えいじは人間としての全てが壊れ、破滅の神となる。

そして世界は終焉を迎え、新たな秩序が、混沌とした世界が生まれるはずだった。



「エリアス…ッ」


暗闇からエリアスと肩を組みながら歩くえいじが現れる。見たこともない柔和な笑みを浮かべ、語り合うその姿に久是はぎり、と歯を軋らせた。


えいじの手で傭兵団を壊滅させたのは、イドラに従順でなくなりつつあったからだ。


まさかエリアスがえいじに親のように振る舞い、その心に温かさを教えるとは思いもよらなかった。

結果として手をかけたえいじが、より心が凍てつくことになったのは僥倖だったが。



「えいじ…っ! 何故神にならなかったの!?」


久是は般若の如き表情で、えいじに怨嗟の叫びを上げる。だが二人とも久是の姿など見えていないかのように、視線一つ寄越さず通り過ぎていく。


カッとなって思わず掴み掛かろうとしたその手を、別の手が掴んだ。怒りのまま手の主を見上げた久是は、その顔を見て顔を引き攣らせた。


「し、しんじ…!? あなたは器として消えたはずじゃ…」

「もう関わるな。あなたは間違っていた。そして俺も」


暗い声で久是に語りかけたのは、えいじに体を奪われ殺されたしんじだった。

えいじが重傷を負っても躾けを続けたのは、全てこの(しんじ)があったからだ。


神となるための痛みを伴う試練は避けられない。ならば傷ついた身体は腐り落ちる前に変えてしまえば良い。

躊躇いなど持たせないために、えいじの古傷を悪化させ、しんじの身体を乗っ取るよう仕向けたのだから。

そこまで思うように進んだのに、何故今ここで。


「はっ離しなさい! 私はえいじをもう一度…」


無表情のまま腕を掴むその手は氷より冷たく、振り解くこともできない久是の背に冷や汗が落ちる。手を離すことはないまま、しんじは久是に顔を寄せた。


「《間違いは、正さねばならない》」


小さくしかしはっきりと、しんじは告げる。その瞬間久是の足元から無数の肉塊のような触手が這い上がり、その体を締め上げた。


「ひ、ひぃ!?」

「あなたが望んだものだろ? これが混沌(イドラ)だ」

「こんな、こんなはずじゃ…イドラはこんなものではっ」


苦悶の表情で身を捩り、悔しそうに喚きながら久是の体が闇に呑まれていく。

四肢を引きちぎられるように捥がれ、久是は絶叫を上げた。肉塊はそのまま久是を呑み込み闇に消えていく。

何も無くなった空間を見やり、しんじは瞼を伏せた。



五歳になるまで、しんじはえいじと二人きりで過ごしていた。寝る時も遊ぶ時も。

強くて優しい兄。二人きりの狭い世界には、何の恐怖も哀しみもなかった。


『しんじ、いっしょにねよ?』

『うん、にいたん』


兄がいたから安心して眠ることが出来たのに、突然引き離された夜は、哀しくて眠れなかった。

兄は大事にしてくれたのに、虐待される悲鳴を聞いても、母を恐れて何も出来なかった。


十数年後再会した時、変わってしまった兄を直視することが出来なかった。

傷ついた身体で乾いた笑みを浮かべ、目から光を失った兄から逃げ出してしまった。



エリアスと笑い合うえいじを遠目で見ながら、しんじも静かに微笑む。あの頃のはにかむような笑顔をまた見ることが出来たから。

祈るように片手で胸元を掴む。


自分では兄を止めることも救うこともできなかったが、しんたろうとその子どもがそれを成し遂げてくれた。

えいじが死の間際に、自分を想ってくれたことが嬉しかった。

無駄ではなかったのだと、やっとそう思えたから。



「…やっと、終わったんだ。次があったら今度こそ普通の兄弟になろう。兄さん」


小さく呟くと、振り向かないままえいじが軽く左手をあげる。

思わぬその仕草に、しんじの目から涙が溢れた。



「……兄さん。また、いつか」


静かに告げるしんじの姿は、闇に溶けていった。

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