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未完成なイデア  作者: 綴 朔哉


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お守りのカードと、未来への自信 弥side


 久々に過呼吸を起こした翌日——。


 目が覚めてから少し話した後、綴さんは笑顔を残して、僕の部屋を出ていった。

 

「なにかあったら、いつでも連絡してきていいからね」 

 ひとりになりそんな綴さんの言葉を思いだしながら、微睡み始めると過去をふと思い出す。

 

 星空が綺麗だったあの夜に僕が綴さんによって、助けられてから約十一年の月日が経つ。


 リヒトへ来たばかりの頃の僕は、本当に何も出来なかった。


 エニスキシ実験による痛みの記憶が僕を縛り付けて、毎日のように魘される。

 そうなると夢と現実の区別が上手く付けられなくて、泣いて叫んでリヒトのみんなをたくさん困らせた。


 朝起きた段階では調子が良かったからと、みんなと一緒にリビングで過ごしていても、突然何の前触れもなく恐怖の感情に襲われる。

 怖い人なんてここにはいないと分かっているのに、体が勝手に強張って、自分の体なのに制御できなくなってしまう。

 みんなは優しい声で話してるのに、僕は部屋の隅に逃げて体を丸めて蹲って涙を流す。


「大丈夫だよ、弥」

 綴さんは僕がそうやって怖がるたび、いつもそう言ってそばにいてくれた。

 

 ――ここには痛いことや、怖いことをしてくる人はない。


 それだけは、はっきりと理解しているのに、自分の意志では、襲ってくる怖い気持ちをどうすることも出来なくて。


「……ごめんなさ、い」

 そう言うと、綴さんは首を振って背中を撫でてくれて、伝わってくる温かい体温が、僕とこの世界を繋げてくれていた。

 

「謝らなくていいんだよ、弥。無理せず、今日はゆっくり休もうね」

 そんな優しい声にいつも心の奥ではとても安心しているのに、それを当時の僕は上手く伝えることすら出来なくて。


 泣きすぎて上手く整わない呼吸で、綴さんの服をきゅっと掴むと、そっと抱き上げられて背中を優しく擦られる。

 僕が落ち着いた頃を見計らって、ふわふわの毛布でそっと包まれて、僕が眠れるまでそばにいてくれた。


「おやすみ、弥。怖い夢からは、俺が守ってあげるからね」

 そんな優しい声はまるで、魔法のようで。


 幼い頃の記憶が全くなく、十四才になるまで外の世界を知らなかった僕にとって「生きる」ということは、思っていた以上に難しくて。

 

 人が生きる上で教えられずとも出来る初歩的なことすら、僕は一から全て教えてもらわないといけなかった。


 初めの頃なんて睡眠も、食事もひとりでは満足に出来なくて。

 

 狭い箱の中へと閉じ込められて、強制的に能力を使わされるだけだったから、お腹が空いたとか、眠いという感情に全く実感がわかなくて。


 いつもどこか一歩置いた遠い視点から、自分のことを見るのが癖になってしまっていた。


 そうしなければ、実験に耐えられないと過去の僕はどこかで悟ったのかもしれない。


 そんな思考すら今はもう思い出すことは出来ないが、初めて綴さんが抱きしめてくれたときの温かさだけは鮮明に記憶として残っている。


 それから僕は少しずつ、普通の生活を取り戻していった。


 毎日三食摂り、八時間以上眠る。


 周りと言葉を交わし、体を動かす。


 少しずつ体調も落ち着き、リヒトへ来てから一年半くらいが経った頃、僕は学校へ通ってみることになった。


 初めての制服を着て登校し、授業を受ける。


 僕が知らないことを知れるのはとても楽しかったし、普通の子と同じように過ごせるのは純粋に嬉しかった。

 けれどそれ以上に、他人が常にいる空間への恐怖心がどうしても拭いきれなくて。


 登校したのに五分も教室内にいられなかったり、過呼吸の発作を起こして倒れてしまったり。

 

 結局、殆ど僕は学校へ通うことは出来なかった。


「無理してみんなのペースに合わせなくても、弥は弥なんだからゆっくりでいいんだよ」

 そう言って綴さんやリヒトのみんなは誰も僕のことを責めたりしなかったし、色んなことを一緒にたくさん考えてくれたり、時には優しく見守ってくれたりした。


 そしてそれは、今でもずっと変わらない。

 

 みんなのおかげで、学校へは上手く通えなかったけれど、誰もがみんな当たり前に行うことへ少しずつ挑戦し出来るようになっていった。


 調さんに頼まれたおつかいのために悠と一緒にスーパーへ行ったり、電車やバスを使って和くんと美術館へ足を運んでみたり。


 最初の一歩を踏み出すことは怖かったけれど、出来たときに綴さんやみんなが喜んでくれることが、嬉しくて。


 そして紆余曲折がありつつも、時は穏やかに進み、僕が十八歳になる少し前のこと――。

 

「弥、車の免許を取ってみないか?」

 平日の昼下がり。和くんから勉強を教わった後、リビングで日向ぼっこをしていたら、調さんにそう言われた。


「……免許?」

「あぁ、車へ乗れるようになると世界が広がるかもしれないからね」


「……でも……僕には」

「もちろん今すぐじゃなくてもいいし、弥が嫌なら無理に取らなくてもいいんだよ」

 調さんの表情も、声もただひたすらに優しくて。


「だけどね、今後の人生の選択肢として、持っていてくれると嬉しい」

 免許なんて僕には無理だと、最初は思っていた。けれどある時、ふと思い立つ。

 僕が車に乗ることが出来れば、悠や桜を学校に送っていってあげられるんじゃないかって。


 僕にとって学校へ行くということは難しいことだったけれど、悠と桜は頑張って毎日学校へと通っていた。

 それを僕は、純粋に尊敬していて。


 だけどその中でも特に悠の方は体調が優れなさそうな日もあったりして、辛そうにしているところを見ることも少なくはなかった。


 だからもし僕が運転できるようになって、朝だけでも送ってあげることができたら、学校生活が少しでも楽になるだろうか……なんて、考えるようになった。


 そして数日後の夕方――。


 リビングには穏やかな空気が流ていて、向かいのソファには綴さんと調さんが座っている。


 僕の手には、オレンジ色のマグカップ。

 

 少し前に淹れた紅茶は冷めてしまい、温度をなくしてしまっていた。

 

 綴さん膝の上には任務の資料らしき紙の束があって、調さんの手元にもタブレット端末。

 

 だから話の邪魔をしてしまわないよう、静かにしてた。


 しばらくして一段落ついたのか雑談が聞こえ始め、僕は覚悟を決める。


 ――今日は言おうと思ってここへ来たんだから、頑張れ……僕……。


 だけどいざ言おうとすると、声が喉に張り付いてしまって、上手く音にならない。


 ――もし……今さら遅いと、呆れられてしまったら……。


 ――駄目……だと、言われてしまったら……。


 二人がそんな人じゃないというのは知ってるし、そんなことあるはずはないとわかっているのに、過去の狭い箱の中での記憶はいつまでも僕を蝕んでくる。


 だけど僕は少しでも、そんな自分を変えたかった。


 形のない何かにただ怯えているだけではなく、たくさんの愛情をくれる優しいこの人たちに、少しでも何かを返せるようになりたくて。


 だから僕は、頑張ることを決めた。


 深呼吸をひとつしてから、口を開く。

 

「……あの、調さん」

「ん、どうした?」

 二人の視線が同時にこちらへと向いて、緊張から心臓が跳ねた。


「この間の……免許のことなんだけど」

 徐々に声は小さくなっていき、それに比例するかのように視線も下がってしまう。


 ――言った……言ってしまった。


「その、僕……取りに行ってみたくて」

 意を決して、顔を上げると二人はとても優しい顔をしていた。

 

「そうか、応援するよ」

 調さんの返答は短いものだったけれど、その声は穏やかなもので、責めたり呆れたりするような響きなんて、一切なくて。


「えー弥、免許取るのー? いいじゃん」

 綴さんも、ふわりと微笑んでくれた。


 通うのは不安だし、知らない人ばかりのところは怖い。

 だけど、それ以上に挑戦してみたくて。


「ありがと、調さん」

 そしてそれから、一週間後。僕は教習所へ通い始めることになり、初日は免許を持っている燎くんが僕の事を教習所まで送ってくれた。


 だけど燎くんと別れて一人で自動ドアの前に立った時、少しだけ後悔の感情が過る。


 ――やっぱり行くなんて、言わなければよかったかも。

 

 そう思ってしまう。


 そんな感情を必死に飲み込んで足を踏み入れると、建物の中には、思っているより人がいた。

 制服姿の高校生や大学生くらいの人たちに対して、僕は委縮してしまう。


 誰も僕の事なんて、見ていない。


 そんなことは分かっているけれど、それでも落ち着かなかった。

 手に持っている書類に、じわりと汗が染み込んでいく。


 受け付けはどこにあって、何を言えばいいのだろう。

 ここへ来るまで車の中で何度も燎くんと確認したはずなのに、頭が真っ白になる。


 ――帰りたい。


 心の奥で何度もそんな言葉が浮かんでは、消えていく。


 何とか受付を終えて、名前を呼ばれると肩が跳ねた。

 

 周りの人は僕に対して、普通に接してくれる。


 きっとこれが当たり前の事なのだとは思う……だけど僕にとっては、全部が初めての経験。


 他人は痛いことをしてくるもので、誰も僕のことなんて人として扱ってくれないのが、当たり前の世界にずっといた。


 だけどこっちの世界は何かを失敗しても怒鳴られることはないし、怯えなくていい。


 僕にはまだそれが少しだけ、信じきれなくて。

 

 次の時間までの待ち時間に、人のいない待合スペースへ腰を下ろして一息つく。


 ――まだ何も始まっていないのに、疲れた……。

 

 ――はやく帰りたい。


 そんな事を思いながら取り出したスマホの画面には、綴さんからのメッセージ。


「無理しすぎないで、辛くなったら帰っておいでね」

 そんな言葉と可愛らしい猫さんのスタンプに、僕は思わず小さく笑ってしまう。


 決して頑張れと言わない綴さんの優しさが心強くて、もう少し頑張ってみようと思えた。


 怖くて……不安で仕方がないけれど、自分で決めたことだから――。



 ◆

 

 教習所へ通っている間は、ずっと不安の繰り返しだった。

 座学、実技、仮免の試験。


 けれどそのたびに、綴さんがくれたメッセージや悠の事が浮かんだ。

 それだけじゃなくて免許の取得に当たり、和くんや燎くんは座学の勉強を見てくれたし、葵くんと湊くんはこまめにメッセージをくれた。


 そして僕が通い始めてから、一カ月と少し。


 夕方、少しくたくたになりながらアジトの玄関扉を開けた。足を踏み入れたリビングにはいつも通りの穏やかな空気が流れていて、みんな思い思いに過ごしている。


「おかえり、弥」

 僕の帰宅に気付いた綴さんが、顔を上げた。


「おかえり」

 燎くんや和くんも振り向いてくれる。


「……無事、取れました」

 その数秒後――。


 みんなの表情が、ぱぁっと明るくなった。


「おめでとう!」

「頑張ったね、弥」

「すごいよ!」

 みんなが掛けてくれ言葉に、心の奥が温かくなる。

 

「……ありがとう」

 行きたくない日もあったし、知らない人と同じ空間にいるだけで息苦しくなってしまう日もあった。


 それでも通ったからこそ、みんながかけてくれた言葉が何より嬉しくて。


 その時――。


 僕の背後の扉が開き、調さんがリビングへと入ってくる。


「ただいま」

「おかえり、調。ちょうどよかった、弥が免許取れたって!」

 綴さんのそんな言葉に、僕はなぜか少し緊張してしまった。


「そうか……頑張ったな、弥」

 調さんは、いつもと変わらない優しい笑顔を浮かべてくれて、安心する。


「お祝いしなきゃ!」

「弥の運転する車の助手席に乗れるの、楽しみだね」

 綴さんや燎くんがそんな会話をしている横で、調さんが内緒話をするみたいにそっと耳打ちしてきた。


「悠のこと、おねがいね」

 驚いて目を瞬いてしまう。僕が免許を取ろうと思った理由を、調さんは知っていたのか。


 少し恥ずかしかったけれど、嫌ではなくて。


「……はい」

 僕は小さく答えた。


「ふふ、よかった。あってた」

 普段は凛としている調さんの少し悪戯っぽい笑い方は、どこか少し綴さんに似ていて。


 大好きな二人が一緒に過ごしてきた時間を感じれて、僕は嬉しくなった。

 

 手の中にあるのはただのカードなのに、施設を出てから初めて掴み取った戦利品のように僕には思えて。

 

 この経験によって、僕は少しだけ外の世界で認められたような気がした――。

 


 ◆

  

 そしてその出来事をきっかけに、少しずつではあるが、任務にも参加できるようになった。

 

 僕の等級は当初、翠の判定が出ていたらしい。


 最高等級の判定が出るなんて思ってもみなくて、能力測定の結果だけを見れば妥当だと説明された。


 能力認定の際、僕の希望としては蒼等級だった。だけど純粋な能力評価において、僕の能力である「石化」は出力威力、応用性などの面で高い数値が出たと調さんは言っていた。

 能力を使う上で代償となるサクリファイスも「睡眠」と比較的、体に負担のかかりにくいもの。

 

 だから任務適正は低かったのに、その要素だけで翠等級だと認定された。

 

 けれど正直、自信がなくて。


 当時の僕にはよく分からなかったけれど、周囲は納得しているようだった。


「力に対してリヒトは、組織として正しい評価をする必要があるんだ」

 リヒトの本部に調さんと一緒に判定を聞きに行ったとき、偶然会った縁さんにそう言われたのを覚えてる。調さんが任務の事で呼び出され、一人でいた所に声をかけられたんだ。


「だけどな、だからと言って無理に任務を受けろとは誰も言わないから安心しろ」

 縁さんは穏やかに笑って、背中を撫でてくれた。


「それにお前を任務に無理やりつかせるなんて、調や綴が黙ってないだろうからな」

「……はい」

 何を考えているのかが分かりづらいし、あまり関わることが今までなかったから縁さんのことは、少し苦手。

 だけど綴さんや調さんが、縁さんに対して信頼を置いているのが分かるから、頼りにはなるのだと思う。

 

「……なんで、あなたがここにいるんですか」

 突然聞こえた普段殆ど聞くことのない調さんの冷たい声音に、僕は少しだけ驚いてしまった。だってリヒトのみんなには、いつもすごく優しいから。


「いつも通り、辛辣だねぇ……調。野暮用だよ」

「弥に変なこと吹き込んでないでしょうね」

「俺がそんなことするように見える?」

「……まぁ、いいです……弥、綴が待ってるからアジトへ戻ろう」

 そう言って、縁さんとはそこで別れたのだった。

 

 僕なんかが調さんと同じなんて荷が重い、それに想像もつかない。


 だからその帰り道に等級を下げてもらうように、僕自身が調さんにお願いした。


 結果を聞いた時、最初に思ったのは嬉しさじゃなくて、無理だ……という感情。


 翠ともなれば危険な任務へ向かい、誰かを守るために迷わず判断を下さなければいけなくなる。


 僕には、絶対にできない。能力が強いことと、責任を負えるかどうかは違う。


 少なくとも僕は、そう思った。

 

 下された等級を下げてほしい——。なんて今思えば、ずいぶん勝手な話だったかもしれない。


 認定結果自体を、否定したようなものなのだから。


「そうか」 

 だけど調さんは、否定しなかった。


 僕が伝えた言葉に対して、怒られることも説得もされることもなく、静かに頷いただけ。


「弥が考えて導き出した答えなら、俺はそれを尊重するよ」

 調さんは翠の等級が、何を意味するのか。


 それを理解しているからこそ、僕のことを無理に引き止めたりしなかったんだと思う。


 責任、判断、失敗した時の重さ。


 それを知っている人だったから、僕の言葉をそのまま受け入れてくれた。


 あの時は本当に安心したのと同時に、少しだけ情けなかった気もする。


 けれど後悔はしていないし、少なくともあの頃の僕は、本当にそこへ立つことはできなかったし、今だって立てるかと聞かれたら分からない。


 それでもあの時よりは、少しだけ前へ進めていると思う。


 人と話すことが、昔ほど怖くはなくなった。


 周りと比べて足りないものは、まだまだたくさんあると思う。


 それでもあの時の僕は、逃げたかったわけじゃなかった。

 ただ背負う準備が、できていなかっただけ。そしてそれを調さんは急かさずにいてくれたから、今の僕がいるんだと思う。


 それから僕は紅等級として後方支援や、救助補助。危険度のそこまで高くない案件の調査や、綴さんや燎くんの補助任務を主にしてきた。

 最近は単独任務も少しずつ受けられるようになってきたから、周りの人に少しずつ恩返しが出来ているといいな、なんて思ってる——。


 そうして記憶の糸を辿っているうちに、いつの間にか眠ってしまっていたようで、お昼ご飯を持ってきてくれた葵くんの気配で目が覚めた。


 眠る前よりも体はさらに軽くなっていて、体調は殆ど万全な状態に戻っている。


 燎くんが作ってくれたという梅雑炊を葵くんと一緒に食べて、色々なお話をした。

 最近読んで面白かった本の話とか、リヒトのみんなのこと。

 葵くんはそこまで口数が多いわけではないけれど、真っ直ぐ向き合ってくれている誠実さはわかる。


 それに今度気分転換も兼ねて、僕が気になっていた洋服屋さんに行ってみようなんて話にもなって、とても楽しみな予定がひとつ増えた。


 そして夕方、窓から見える空がオレンジ色に染まり始めた頃——。


 任務から帰ってきた調さんが、部屋へと様子を見に来てくれて、そのときに湊くんが過呼吸を起こしたことを聞いた。

 

「綴と湊の体調が安定してからにはなるが、弥にも俺が今調査してる案件について聞いてほしい」

 調さんが今調査しているのは、人体溶解のギフトについて。

 

「……わかりました」


 ——だけど本当は、聞くのが少しだけ怖かった。


 調さんも、葵くんも部屋から出ていって、ひとりになった僕は、目を閉じる。


「次は、この個体だ」

 今でも時々、耳の奥で響いてくる低い男の声。誰の声だったかなんて思い出せないけれど、その声を思い出すたびに胸がぎゅっと痛くなって、息が詰まる。


 視界の端で白衣の袖が動き、手首を冷たい金属に締めつけられる感触。

 

 それから針が光を反射して鈍く光るのを最後に、見えている世界がぐるぐると回り始める。


 そこからの記憶は、曖昧。だけど意識がはっきりと覚醒した頃、痛みと苦しみが襲ってくる。


 狭い箱の中に逃げ場なんてなくて、その恐怖が立ち去ってくれるまで、僕は小さくなってやり過ごすんだ。


「……っ、はぁ……」

 目を開けて、僕の手に冷たい金属がないことを認識すると、凄く安心する。


 僕はもう、あの狭い箱の中じゃないんだって——。

  

 昨日あの話を聞いたのだって、本当に偶然だった。

 

 燎くんが任務で遅くなるというのは聞いていたけれど、それ以外はいつもと変わらない夜。


 その日、調査任務があった僕は少し疲れてしまったからいつもより早めにベッドへと入った。

 任務で少しだけ力を使ったから、いつもよりも眠りが浅くて。


 僕は三十分ほど眠っては起きて……というのをずっと繰り返していた。


 それが三回ほど続いたとき、眠ることを諦めて僕はベッドを出る。

 お茶を飲もうと、リビングへと降りた時に聞こえた燎くんの声。


「人だけが忽然と消えたみたいに……服だけが……重なって落ちてた」

 

 どくん――。


 言葉の意味を理解したとき、心臓が大きな音を立てて、なぜかその場に足が縛り付けられたみたいに、動くことができなくて。


 そこから僕の記憶は、部分的に抜け落ちている。気付いた時には、ベッドに寝かされていた。


 だからこそ……もし調さんから話を聞いた時、また同じように過呼吸を起こしてしまったら……?


 そんな不安は、消えてはくれなかった。

 

 だけど僕は信じたかった。優しいみんなから「愛」をたくさん教えてもらったことで、守られるだけでなくて、守る力を得た。


 昔とは違うはずだから、きっと大丈夫だって——。

 

 綴さんはいつも僕のことを気にかけてくれて、何かあればそばにいてくれて、調さんは僕の体調に合わせた、食べやすいものを作ってくれる。

 

 和くんは学校で習うような勉強から専門的な知識まで、僕の知らないことをたくさん教えてくれて、燎くんは僕の体調が良くない時、なぜか一番に気付いてくれて、最近では強くなるために稽古もつけてくれるようになった。


 葵くんは実験の後遺症によって、傷だらけの僕にも似合う服を選んでくれるし、湊くんは一番親身に身の回りの相談を聞いてくれる、年の近いお兄ちゃんみたいな存在。


 桜とは最初は距離があったけど、少しずつ仲良くなって任務の話に始まり、最近行った美味しいお店とか、色々な話を聞かせてくれるようになった。

 悠はこんな僕のことをとても慕ってくれて、誰よりも気にかけてくれて、一緒に遊びに行ったりできるようになった。


 そんなふうにこの数年で僕を取り巻く環境は、大きく変わったんだ。


 僕だって、みんなの役に立てる。


 だから、大丈夫——。そう、信じるしかなかった。


 

 

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