第2章:舞踏会の夜、二度目の誓い -7
それから、しばらく時間が経って。
ようやく顔を上げられるようになったらしいダリルに、ネリネは尋ねた。
「……もう、大丈夫なのですか?」
「はい。ご心配をおかけしてすみませんでした。……姫様、遅くなってしまいましたが、今度はあなたが話そうとしていたことを聞かせていただけませんか」
「私が、話そうとしていたこと?」
「姫様は、俺に先を譲ってくださったでしょう?」
そう言われて、ようやく合点がいった。
そういえば、そうだ。
最初は二人で同時に話を始めようとしてしまい、ネリネは彼が先に話すようにと命じていたのだ。
ネリネは首を横に振り、苦笑した。
「ダリル様のことが、心配だったんです。どこか、無理をなさっているように見えて。何か、気がかりなことを抱えていらっしゃるのではと思ったから……」
「それで、姫様は俺を気遣おうとして、声をかけてくださったんですね」
「……はい」
ネリネがうなずくと、ダリルは少しの間沈黙して、顔を上向けた。
彼の視線は遠く、夜空へと向けられている。
「……俺はもうずっと、あなたの騎士になりたいと願ってきました。あなたを近くでお守りしたい。そのために、誰よりも強い騎士になると誓いました。……けれど、こうして姫様の騎士になれた今、どうしても迷いが出てきてしまったんです。もとは貧民だった俺が、本当に姫様のおそばにいていいものなのか……。あなたはご迷惑に思うだけなのではないか、と」
「ダリル様、私があなたのことを迷惑だなんて、思うはずが――」
すぐにそう声を上げかけたが、再びネリネに向けられた彼の表情に、その眼差しに、喉まで出かかった言葉は一瞬で霧散してしまう。
……ダリルは、微笑んでいた。
思わず息を呑んでしまうくらいに、安らかで優しい微笑みを、彼は浮かべていたのだった。
うなずいて、ダリルは言葉を続ける。
「けれど、そんなふうに考えるのは間違いだったと気づかされました。姫様は、出自で人を分け隔てするような方じゃない。……それを、俺はもうとっくに、身をもって知っていたはずなのに」
「…………?」
引っかかりを覚えて、ネリネは首を傾げる。
今のダリルの言い方は、まるで彼が、ずっと昔からネリネの性格を知っているとでも言うようなものではなかったか。
そういえば、ダリルはさっきだって言っていたのだ。
ネリネの存在は、彼にとって唯一の光だったのだと――。
(私とダリル様は、初対面ではない……?)
けれど、やはりネリネには、過去にダリルと会っていたような記憶はない。彼と会って言葉を交わしたのは間違いなく、今日が初めてのはずだ。
軽く頭を振って、ネリネは違和感に蓋をする。
……今、考えるのはよそう。
迷いや不安を感じる必要などないことを、彼にきちんと伝えておかなければならないのだ。
ネリネはダリルにまっすぐ向き直ると、無意識のうちに胸元に手を当てながら言った。
「……もう、ご自分のことを、迷惑かもしれないだなんて思わないでくださいね。どこで生まれ育ったかなんて、関係ないです。私はこれから先ずっと、ダリル様が近くで仕えてくださることが嬉しいですし、その……、あなたに、そばにいてほしいと思っていますから」
そう言って、まもなく。
ネリネはまた、顔が真っ赤になるのを感じた。
……何気なく言ってしまったことだったけれど。
近くで仕えてくれることが嬉しい、とか。そばにいてほしい、とか。
よくよく考えてみれば、ネリネは……
(どうしよう。私……、もしかしたら今、ものすごく恥ずかしいことを言ったかもしれない……?)
その証拠に、ダリルは一瞬ぽかんとした表情をしていたが、やがて先ほどのように顔をそむけ、それまでの落ち着きが嘘のように激しい動揺を見せたのだから。
ひどく慌てふためいた様子を見せると、ダリルは上ずった声で早口に言ってくる。
「あ、あの、姫様。先ほどもお願いしましたけど……やっぱりその呼び方と敬語は、やめにしましょう」
「は、はい……!?」
「呼び捨てにしてくださって結構です。敬語も、お願いですからやめてください。……姫様に敬語を使われるとは思っていなかったから……気がおかしくなりそうなのは、たぶんそのせいだ……。だから、せめてそれさえ改めていただければ……」
「気? おかしく……?」
ダリルの言葉は途中でぼそぼそとしたものになって、ネリネには聞こえなかった。だから聞き返したのだが、なぜか彼は余計に慌てるばかりだった。
「何でもありません。姫様が気になさる必要はないことですので。とにかく、それだけはどうか」
「わ、わかりました。すぐに直します……あ、いえっ、違いますね。直し……、えっと、直す、わ。あの……これで、いいのかしら。ええと、その……、ダリル……?」
どうにかダリルから希望のあった通りに呼び方を改め、話し言葉から敬語を取り払う。
敬称をつけずに名前を呼んで、普通に話すようにしただけだ。
それなのに、なぜだか一気に距離が縮まったような感覚になって、頬に熱が集まってくるのを感じる。
(なんだか……やっぱり恥ずかしい、かも)
とはいえ、ぎこちなかったものの、これで問題はないはずだ。
……ないはず、だったのだが。
「…………っっ……!??!」
「ど、どうしたの、ダリル?!」
なぜか悶絶したように崩れ落ちたダリルに、ネリネは急いで駆け寄る。
何でもありません、と悲痛に叫ぶ声だけが、星々が穏やかにきらめく夜空の彼方まで響き渡った――
*
……ネリネとダリルがバルコニーにいたのと、同じ頃。
そのバルコニーと大広間を隔てる窓の近くに、ひそかにたたずむ人影があった。
人影はうっすらと開いたカーテンの向こうをじっと見つめる。
窓の、向こう。
互いにほのかに頬を染めながら、嬉しそうに、幸せそうに語り合う今宵の主役達の姿を。
(よかった……)
心の底から安堵が込み上げる。
万が一にも、ここにいて二人を見守っていたことを、彼らに……特にネリネには、知られるわけにはいかない。
そろそろ、立ち去らなければ。
後ろ髪引かれるような思いを抱えながら、人影は踵を返す。
「よかったね、お姉様――」
そう、去り際に、祝福の言葉を残しながら……




