第六話
第六話
あれからオレは、ヨシのことを避け続けた。“瑞稀”としてならば友達でいられると思ったのに、“薫”のときみたいな優しい眼差しに触れたり、反対に“薫”のときの扱いと比べてしまったり。特に、あの『目』だ。気がつくとオレを見つめている、優しくてまっすぐな眼差しに吸い込まれそうになる。オレと目が合うといつもそっと視線を外す伏目がちな瞳も、綺麗だと思う。ヨシは何も変わってないのに、オレ一人が変に意識してしまって平静を保っていられなくて、勝手に距離を置くことにした。もともとメッセージのやり取りも多くはなかったし、なんとなく一緒に授業を受けていただけだから、オレが家を出る時間をずらして、同じ講義でも始業ギリギリに教室に入るだけで簡単に会わなくなった。
二十年弱の間、ずっと隣にはヨシがいたから、隣がぽっかり空いてしまった。他にも友達はいるけど、他の友達は大切な他の友達であって、代わりにはならない。今更ながらオレの中でのヨシの存在の大きさを実感する。
あ〜あ。いたずらなんて変なこと考えなければ良かったなぁ。失恋だけじゃなくて、大切な幼なじみとの関係まで変わってしまった。……いや、違うか。変わってしまったのはオレだけだ。
冬休みも目前のかなり冷え込んだ日、オレはついに講義をさぼった。本当ならヨシと一緒に講義に出て、そのままカラオケに行くか飯に行くか。オレは自分の部屋で布団にくるまって、ぼんやりスマホを眺めていた。
突然、インターホンが鳴る。リビングには姉ちゃんがいたはずだから大丈夫だろうと動く気配すら見せないでいると、階下から話し声がする。少し間をおいて、やけに慎重に階段を登ってくる音。音の主は俺の部屋の前で立ち止まると、これまたやけに慎重にドアをノックした。
姉ちゃんかな?のそのそと起き上がり、扉を開ける。
「なに……って、ヨシ⁈」
扉の前には、ヨシが所在なさげに立っていた。
「とりあえず、入れよ。」
部屋に招き入れる。突然のことで混乱しきったオレは、こないだ掃除したばかりでよかった、などと現実逃避みたいに考えていた。
き、気まずい。いや、全部オレが悪いんだけど……。ベッドの前の床に座ったヨシは、記憶よりも小さくなったような気がする。向こうもオレも、しばらくは何も言わなかった。
やっぱりオレが謝るべきだ。ようやくそう思い立って、口を開く。
「あのさ、ヨシ……」
「すまなかった。」オレが話し始めるのとほとんど同時にヨシが小さく、しかしはっきりと謝罪の言葉を口にする。ヨシは何も悪くないのに。
「最近俺のことを避けているだろう。きっと俺が何かしたからだよな。悪かった。……もう、俺とは友達で居られないか……?」
ヨシの言葉はどんどん尻すぼみになっていって、最後の方はほとんど消えいるようだ。
「違うんだ。いや、確かに最近はお前に会わないようにしてた、けどヨシは全く悪くなくて……、なんて言うか、オレが全部悪いんだ。」
ヨシはずっと下を向いていて、サラサラの前髪に隠れて表情はよく分からない。
「……せめて、理由を教えてくれないか?」
普段はクールで冷静なヨシがここまで取り乱すのは珍しい。凄まじい罪悪感だ。はぁ、とひとつ大きく息をつく。
「……オレ、ヨシに謝らないといけないことがある。オレの誕生日に飲んだ翌日、お前のバイト先に行くって言いながら行かなかった日があったよな。あの日、実はちゃんと顔見せに行ってたんだ。“薫”って名乗る女に連絡先聞かれただろ。あれ、オレなんだ。」
自分で言ってて突拍子もないとは思うが、アルコールと女体化について軽く説明する。ヨシはその間、黙って聞いていた。
「ほんとは早めにネタバラシするつもりだったんだ。だけど、なんか言うに言えなくて、そのまま水族館まで行った。騙してて本当にごめん。……許してもらえるとは、思ってない。」
今度はオレが目を逸らす番だった。ヨシがオレの話を信じたかどうかは分からない。ヨシは澄んだ低い声をわずかに震わせて、
「それじゃあ、騙してた負い目から、俺を避けてたのか……?」
「……それもゼロじゃねぇんだけど……。」
この期に及んでまだ本当のことを言う勇気がないオレを誰か殴ってくれ。今迄こんなこと無かったんだ。これまでのオレならサクッと告って、サクッと付き合えたのに。はっきり言葉にしようとすると、言葉よりも先に心臓が飛び出そうだ。
「……その、好きな人、が、できたんだ。」
言い切れなくて中途半端に濁す。それでも、よく考えたらこんなの告白と同義だと言い終わってから気づく。さすがに気恥ずかしくてヨシの方を盗み見た。
「……っ!」大きく見開かれた目に息を呑む音。ヨシは微かな声で「そうか……」とだけ呟いた。
永遠みたいな沈黙が降りる。
突然、すっと立ち上がったヨシが、机の前に座るオレを見下ろす形で目の前に歩いてくる。何か言いたそうに口を開くが、声にならずに吐息になって消えた。目が忙しなく泳いでいる。珍しい姿のヨシを前にしていたたまれなくなったオレは、気がついたら言い訳を口にしている。
「だから、その……ヨシのことが嫌いになったとかでは全くなくて、ちょっとオレの中で整理がつくまで距離を取りたいな〜みたいな?マジでオレの勝手だって分かってる、愛想尽かしたか?いや、正直尽かされて当然だと思ってるよ。これまでオレってずっっとヨシの優しさに甘えてきたもんな。そんで今度は距離置きたいなんてさ、身勝手にも程があるよな。マジでごめん。」
「……だ。」
つらつらと言い訳を並べるオレに重なるように、ヨシが弱々しく何かを呟く。
「え?ごめん、なんか言った?……っ!」
聞き返そうとヨシを見上げると、あまりにも信じられない光景が目に映って絶句してしまった。
「……いやだ、瑞稀の、そばにいたい。……瑞稀が、好きだ。」
震える声でそう溢したヨシの綺麗な目元から、大粒の涙が溢れていた。
弾かれたように椅子から立ち上がったオレは、思わずゴツい手でそっとヨシを抱き寄せる。オレの肩に頭を乗せて小さく震えるヨシを、どうしたらいいのか分からなくて、せめてメガネを外してやれば良かったか、なんて考える。
目の前の事象に気を取られていたが、今、ヨシは「瑞稀のことが好きだ」と言ったか?
にわかにオレの心臓が駆け足になる。それがヨシにバレたくなくて、少しだけヨシから離れた。空回る頭で必死に考える。
「ええっと……。その、ヨシは今、混乱してるんだと思うんだ。そりゃあそうだよな、ずっと一緒にいた幼なじみに距離を置こうなんて言われたらさ。でも、よく考えて欲しいんだけど、ヨシが好きなのは“オレ”じゃなくて、“薫”じゃないのか?急に目の前のゴツい幼なじみがこないだデートした美少女だなんて言われたら混乱もするよな、でもさ……。」
ヨシが勢いよく顔を上げる。
「気づいてた。薫が、お前だって。」
「は?」
頭が真っ白になる。
「瑞稀だって分かっててやりとりしてたし、会ったし、……デートも行った。」
ヨシは『デート』の単語だけ気恥ずかしそうに視線を逸らす。ヨシの口から聞く『デート』って言葉可愛いな。……いやそうじゃなくて!
「はぁぁぁああ⁈」
近所中に響くくらいのデカい声に、窓の外ではスズメが飛び立つ。
「なん……そ……いつか……。」
自分の体中の熱が顔に集まっているのが分かる。なんとか言わなければという気持ちだけが先走って、まともな言葉にならない。
「分かるに決まってるだろ。最初は気づかなかったが、一緒に過ごせば分かる。俺たち何年隣にいると思ってるんだ。幼なじみを舐めるな。」
ヨシはオレの狼狽えぶりを見て余裕が出てきたらしい、少し得意げな表情を見せる。
オレはさすがに平静を保っていられなくて、ヨロヨロと数歩さがる。ヨシの方を見られずに、両手で熱が噴き出す顔を覆った。
「じゃあオレが“薫”として送ったメッセージも?カフェで喋ってる時も?水族館で手ぇ繋いだ時も⁈」
ここまできて、とある疑問が浮かぶ。
「……分かってたなら、なんでこんないたずらに付き合ってくれたんだ?ヨシになんのメリットも無いだろ。」
ヨシは、さっきまでとはうって変わって力強い眼差しをオレに向けて、はっきりと口にした。
「言っただろ。俺は瑞稀が好きだ。いきなりじゃない、もうずっと前から、好きだ。……好きな人と、合法的にデートできると思ったら、気づいてても言えなかった。」
「ずっとって……いつから……。」
「分からない。物心ついた時には隣に瑞稀がいて、それが当たり前だった。“これ”がただの幼なじみに向けるものではないと気づいたのは、小学生くらいの頃だな。」
想像の何倍も昔のことに、驚きを隠せない。全然気がつかなかった。そんなに前からオレのことを……。
ということは、楽しそうに話を聞いてくれたあの時も、遅くまでDMでやりとりしたあの時も、……オレが好きだと自覚したあの時も、全部の眼差しはオレに向いていたのか。
予想だにしなかった答え合わせに、じわりと胸が熱くなる。込み上げてくる感情は行き場が無くて、今にも溢れ出しそうだった。そっか、ヨシはオレのことを……。
「……ごめん。」
オレが長いこと黙っていたからか、ヨシは再び目を伏せて、小さく呟いた。
その一言から、これまでヨシが積み重ねてきた色んな感情が滲んでいて、その健気さに胸が締めつけられる。これまでヨシは、どんな気持ちでオレの横に居たんだろう。
オレは、オレより華奢な、それでもしっかり男の骨格をした幼なじみの背中にそっと腕を回す。
「じゃあ、オレたち、付き合う……?」
今度はヨシが声を張り上げる番だった。
「はぁ⁈」
心底訝しげなヨシの予想外の反応に驚いて、オレはちょっとだけ背中に回した腕を緩める。
「お前、好きな人が出来たって言ったじゃないか!その人はどうなったんだ⁈」
「なんだ、伝わってなかったのか。」オレは改めてヨシをオレの腕の中に引き寄せる。
「オレが好きなのは、ヨシ、お前だよ。好きだ、付き合ってくれ。」
ヨシは、あの綺麗な目でオレを見つめる。頬がじわじわと紅くなったと思ったら、そっと目を逸らして、優しく低い声で、
「……よろしく頼む。」とだけ言った。
オレは今すぐにキスでもしてやりたかったけど、代わりにヨシの目元に新たに浮かんだ雫を、筋張った指で拭った。
あれから少し経った頃、夜道をヨシと二人で歩いて帰っていた。
あの日以来、ヨシは二人だと眼差しを隠そうとしない。二十年近くずっと隣にいたのに、まだちょっとこの新しい空気感に慣れなくて、くすぐったい。
夢みたいな、ぼんやりと温かい気持ちを噛み締めていたら、ヨシが小さく何かを呟く。
「ん?ごめん、何か言ったか?」
覗き込むと、ヨシはそっと視線を外す。最近よく見るようになってきたこの表情、照れてるんだ。愛おしいと全面に訴えるようなヨシの視線には熱がこもっている。ぎこちなく手を差し出してきた。オレはなんだか可笑しくなるけど、ふと既視感を覚えて立ち止まって、自分の手のひらを眺めた。急に立ち止まったオレを心配そうに振り返るヨシを見て、夢じゃないんだな、と思う。なんでもない、と微笑んで見せた。
ヨシはオレのゴツゴツした厚みのある手を、迷いなくとって歩き始めた。
本編は完結です。気が向けば今後も番外編とかを書きます。




