第一話
第一話
頭がガンガンする。これが俗に言う「二日酔い」か。初めてのアルコールで飲み過ぎたらしい。
ぼんやりした頭でベッドから這い出て、カーテンを開けて、差し込む陽射しに目を細める。今日は大学は無いはずだけど、それにしても寝過ぎた。スマホを探して机に向かうと、なんだか違和感がある。あれ?こんなにこの部屋、広かったか?頭は痛いのに身体はいつもより少しだけ軽く、胸元だけ重い。肩が凝っているのかな。そこまで考えて、ふとモニターに反射している自分が視界に入る。
「は……?!」
そこには、見知らぬ美少女が映っていた。
慌ててトイレに駆け込む。見間違いではない、トイレの鏡にも先ほどの美少女が写っている。まさか、これ、オレか?!本来ならば身長180cmのイケメンが映っているはずの鏡では、緩くウェーブがかったミディアムロングの女がこちらを怪訝そうに覗いている。髪色は元のオレと同じオレンジがかった茶髪、八重歯もそのままに切れ長だった目元は少し丸みを帯びて猫目に近くなっている。しかしどことなくオレの面影を残すその美少女。そして最も重要なのが、明らかに平均よりも大きな胸元の重みである。
オレは自分のやわらかな胸の重みを両手に感じながら確信した。にわかには信じられないが間違いない、オレはどうやら女体化してしまったようだ。それも、巨乳の美少女に。
母には事情を話し、病院で診てもらうことにした。こんなの何科にかかるんだよと思ったが、総合病院で診てくれた医者は何でもないことのように
「アルコールの分解に抵抗があったんでしょうね。初めてお酒を飲んだ若者がアルコールの分解が上手くできずに性転換してしまう、というのはごく稀にたまによくあるんですよ。」
「ごく稀にたまによくある???性転換が、っすか??」
「えぇ。一時的なものですから大丈夫ですよ。アルコールの摂取から丸一日もあれば元に戻るでしょう。戻らなかったらまた来てください。」
この医者本当に大丈夫か?
とは言え母さんもそれほど慌ててないし、ネットで調べたらあまりにも胡散臭いサイトではあるが似たような症例が紹介されていた。本当によくあることなんだろうか。この胡散臭さ、サイト主はあの医者だろ。
大事ではないということが分かったので、オレは落ち着いてきた。元来楽観的な性格で、何事も受け入れるのが早いオレは生きるのに向いていると自分でも思う。姉ちゃんにはちょっとバカにされたけど、せっかく期限付きで女になったんだから目一杯状況を楽しまなければ損ではないか?朝起きてからこの思考に至るまで、わずか四時間であった。
それならばまず一番最初にすべきことは、ヨシに連絡することである。ヨシこと広瀬義之はオレの幼馴染で、同じ大学に通う二年生だ。何をするにもヨシとツルむのが一番楽しい、一番の親友だと思ってる。こんな面白いことになっているオレを見せないわけにはいかない。スマホを取り出し、メッセージを入れる。
『ヨシ!めっちゃ面白いことになってんだけど今どこ?こんなの見ないと損だぜ』
すぐに既読がつく。
『今からバイト。面白いこと?』
ヨシのメッセージはいつもそっけない。
『文章じゃ面白さが伝わんねぇ、バイト先行くわ』
ヨシのバイト先は駅前のカフェだ。『分かった、待ってる』というメッセージにお気に入りの変なスタンプを返して駅の方に向かう。
ヨシ、オレを見てなんて言うかな?ヨシは色んなことを知ってるからもしかしたらアルコールアレルギーの女体化についても知ってるかもな。それでもぜってぇびっくりするぞ。
見慣れたはずの駅までの道のりも、なんだか今日は違って見える。物理的に視線の高さが低いからもあるけど、姉ちゃんの一番可愛い(本人談)服を着て姉ちゃんにメイクしてもらったオレは贔屓目無しにも美少女だから、心なしか周りから視線を集めている気がする。少しだけ広めに胸元の開いた服を着るってこんな気持ちなんだな。持てる武器は全部使う主義の姉ちゃんの服は大胆なのが多い。とは言え大胆になりすぎないように、「少しだけ」見せるのが秘訣なんだと。
初めてのヒールとスカートに浮かれているうちに、ヨシのバイト先に着いた。平日の昼間は店内も空いていて、落ち着いた時間が流れている。お目当ての男はカウンターでカップを拭っていた。黒髪にメガネのよく見知った店員に向かって歩く。目が合うと、オレはニヤリと笑って軽く手を挙げて見せた。どんな反応をするかと見ていたら、ヨシは一瞬だけ小さく目を見開く。お、驚いてる、と思ったら、すぐに営業スマイルに切り替わり、いらっしゃいませ、と穏やかに声をかけられた。オレはなんて言おうかな、なんて考えていたが、ヨシは店員の態度のままに「ご注文はお決まりですか」、とか聞いてくる。あまり手応えがないな。上手い言い回しが思いつかないままに流れでカフェラテを注文し、何も言えずに窓際の席に座った。
あれ?ヨシに何も言われなかったな。もしかして、ヨシはこの絶世の美少女がオレ、秦野瑞稀だと気づいていないんじゃ?……それもそうだ、オレはこれまでの二十年間、ただの勉強も運動もできる完璧なイケメンとして生きてきた。そんな親友がいきなり美少女になっていることに気がつけたらそっちの方がおかしいというものだ。つまりヨシにはこの美少女の正体がバレていないのだ。
待てよ、それにしては、オレと目が合った瞬間のヨシは少しびっくりしていたな。幼馴染歴十数年のオレの目は誤魔化せない、あれは確実に何かに驚いていた。オレが女体化したことに驚いたんでなければ、何に驚いたんだ?……すると突如、昨日の飲み会の記憶が蘇ってくる。
昨日は、なんと二十歳の誕生日当日に彼女にフラれたという大荒れのオレを慰める会だった。ヨシを含む大学のメンツ数人で飲んでて、メンツの中で最後に二十歳になったオレを慰めつつ、祝うために集まってくれた。だいぶ飲んで、オレはほぼ潰れかけだったが、周りは好みの女の子の話になったとかすかに記憶している。ヨシはほとんどそういう話をしないから、ここぞとばかりに周りが聞いてたんだっけ。ヨシもだいぶ飲んでたのか、普段なら絶対上手く躱わすだろうに昨日はタイプの話をしたんだ。たしか、「緩めカールの猫目の子、身長は高い方がいい」だったか。
……今のオレである。鎖骨下くらいの緩いカールの癖毛、男の時より丸みを帯びた猫目、女性にしては高めの身長。つまり、ヨシはバイト先に来たお客さんが好みドンピシャの女の子だったから驚いたわけだ。
……そうだ、これは非常に面白くなるぞ。オレは心の中で指を鳴らす。始めは、親友が女体化したぞ!って驚かそうと思ったが、それよりも「好みドンピシャの女の子が迫ってきたらどうする?」の方が面白いでないか。どタイプの女の子が蓋を開けてみたら男の親友だったと知ったらがっかりする?そんなこと構っていられるか。こんな面白い機会を逃すわけにはいかない。面白すぎて面白いを連呼してしまう。面白いのゲシュタルト崩壊である。バレたら謝ろう。もう十年以上の付き合いなんだ、ヨシもオレの性格を分かっているから許してくれるだろう。
そんなことを考えているうちに、ヨシが注文したカフェラテを運んできた。わざわざ自分で持ってくるなんて、やはりオレのことを好みだと思っているな?普段なら自分はレジにいるだろ。
「お待たせいたしました。カフェラテでございます。」
女になったオレから見ると、なんだかヨシもいつもより格好良く見える。オレが高身長だからあまり意識したことがなかったが、ヨシも背が高い方だったんだな。よし、話しかけてみるか。ヨシだけに。
「あの、店員さんがカッコよくて、一目惚れしちゃいました!よかったら、連絡先教えてくれませんか?」
女体化したオレは美少女なだけでなく声も可愛い。これは言われなければオレだって気づかないだろう。精一杯の可愛い声と仕草で、ヨシを上目遣いで見る。
ヨシは一瞬視線を泳がせたが、すぐに柔らかい微笑みを見せて、
「俺も可愛らしい方だなと思ってました。良ければこれ、俺のSNSのアカウントです。」
ふぅん、ヨシは好きな女の子にはこんな表情をするのか。ヨシは自分のメモ帳にさっとアカウントを書いて、ちぎってテーブルに置いた。ニヤけそうになるのを隠しつつ口元に手を添えて、上品に喜ぶ。
「ありがとうございます、帰ったら連絡しますね。またお店に来てもいいですか?」
「もちろんです。お待ちしています。」
ヨシは上品に一礼してにこやかに去っていった。
なんだ、随分スマートじゃないか。オレの知る限り、ヨシに彼女ができたことはない。オレほどではないにしろ、整った爽やかな顔立ちに加えて誰にでも優しいヨシは密かにモテていたが、告白されても全て断っていたはずだ。しかし、美少女に突然連絡先を聞かれてこれほどそつなくSNSのIDを渡せるとは知らなかった。オレの知らないところで恋人がいたことがあったのだろうか?それなら言ってくれればいいのに。なんだかもやもやとした気持ちになって、カフェラテを一気に飲み干した。
気持ちを切り替えて手元のメモ帳の切れ端を眺める。渡されたIDはオレとも繋がっている写真をメインに投稿するSNSのものだ。オレ個人のアカウントから連絡するわけにもいかないし、姉ちゃんに使ってないアカウントあるか聞いてみるか。
飲み干したカフェラテのカップを手に立ち上がる。カウンターに返すタイミングで改めてヨシの方を見ると、ちょうど接客中だった。オレの視線に気がついたヨシがこちらを向くのを待って、邪魔にならない程度に小さく手を振る。微笑んで会釈を返してくれたヨシに満足してカフェを出た。
「はぁ〜?あんたはほんとにどこまでバカなんだか……」
オレから経緯を聞いた姉ちゃんが大袈裟なため息をもらす。
「ウキウキで出かけて行ったと思ったら……。いい加減ヨシくんに愛想尽かされるよ?」
オレは姉ちゃんの使ってないアカウントにログインしながら適当に返事を返す。
「ヨシがオレに?それは無いね、オレたちは親友だからな。」
「後でちゃんとネタバラシして謝りなよ?どうなっても知らないよ。」
「へーへー。……おっ、ログインできた!さっそくDMしよ。」
『こんにちは』『カフェで声をかけた者です』……。堅苦しすぎるか?最近の女の子に成りきってメッセージを送るのも難しい。姉ちゃんに協力を仰ぎたいところだけどあの様子じゃ無理そうだし……。そうだ、名前もどうしよう。いいや、姉ちゃんの名前をそのまま借りよう。『さっきはありがとうございました。私は薫と言います。よろしくお願いします』……と。いいだろう。ひとまず満足したオレはそのままソファに寝転ぶ。初めて酒を飲んだ昨日から、ちょうど丸一日くらいの時間か。思えば今日は怒涛の一日だった。急に抗えない睡魔が襲ってくる。風呂も晩ごはんも済ませずにオレは寝落ちてしまった。
夢を見ている。誰かいる、ヨシだ。なんだヨシ、いつもよりでかいな?オレが見上げないといけないじゃないか。何か言ってる。よく聞こえない。ヨシはそっと視線を外す。頬が紅く染まっている。珍しい、照れているのか?愛おしいものを見つめるようなヨシの視線には熱がこもっている。ぎこちなく手を差し出してくる。オレはなんだか可笑しくなって、ヨシの筋張った手をとった。
はっと目が覚める。夢だ。時刻は夜中の一時。ソファで寝てしまったからか、身体中が痛い。なんとか上半身を起こすと、違和感に気が付く。逆だ、違和感がないのだ。自分の手を見る。さっきまでの白い華奢な手はそこにはなく、いつも通りのゴツゴツとした厚みのある手。当然胸は無いし、股間は“有る”。戻ったのだ。男に。ほっと息をついた。いくら楽観主義のオレでも、一生戻らなのではないかという言外の不安はあったらしい、緊張がほぐれる感覚があった。それにしても男女ではこうも身体構造に差があるのか。立ち上がっていつも通りのはずの視界の高さにちょっとだけビビる。
スマホには通知が溜まっている。ヨシからの返事だ!起きたら全てが夢だった可能性も考えていたのだが、どうやら女体化は夢ではなかったらしい。ヨシからは素っ気ないけどこちらを気遣うような返事が来ていた。
SNSの返事とは別でオレ宛てのメッセージも来ている。『今日結局来なかったけど大丈夫か?何かあったのか?』……まずい、そうだった、オレはヨシのバイト先に顔を出す予定だったんだ。二日酔いで酷い顔色だったのを見せるつもりが寝てしまった、ということにしよう。謝罪の連絡を入れると、相変わらず返信の早いヨシからは『そうか、お大事に』とやはり素っ気ない返事が返ってくる。今更ながら親友を騙した罪悪感がチクチクと胸を突く。心のなかでそっと謝った。
翌日は何事もなくやってきた。深夜にシャワーを浴びてきちんとベッドに入るとき、もう一度起きたらまた女体化しているのではないかと思ったがそんなことはなく、いつも通りの朝が来た。
大学に行くために家を出ると、向かいの通りでヨシが待っているのが見えた。小走りで近づいて、軽く手を挙げる。
「よっ、昨日は結局行けなくてごめんな。」
ヨシは顔を上げるといたずらっぽく笑う。
「おはよう、行くって言ったのに来ないからちょっと心配したぞ。初めての二日酔いはどうだった?」
オレが約束をすっぽかしたことは怒っていないらしい。バレないようにほっと安堵の息を漏らす。「もう最悪!頭いてぇしフラフラするし!」
ふと、昨日の出来事についてつついてみようと思い立った。
「そっちはどうだ?昨日のバイトはなんか面白いことあったか?」
実は……なんて言って美少女の話を始めるのを期待して話を振ってみる。
「? 別に何も無いよ」
予想に反し、きょとんとした表情のヨシは、昨日の出来事が夢だったのではないかと思うくらい自然に「何も無い」と言った。でも夢ではない。その証拠に今朝もオレは「薫」としてヨシにメッセージを送ったばかりだ。
「ふぅん、そうか。」
ヨシはこの大親友のオレに、昨日好みドンピシャの美少女から連絡先を聞かれた話をするつもりは無いらしい。ふぅん。……もしかして、普段からあんなふうに女の子から連絡先を聞かれることも多いのか?!オレに言わないだけで?!
もしそうだとしたらショックが大きい。オレは隠し事なんてせずに全部をヨシに話してきたのに、アイツはそうじゃないのか?親友なんだからなんでも話してくれればいいのに。オレの知らないヨシがいるとは思わなかった。言葉にならないモヤモヤを抱えたまま、二人で大学に向かった。




