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第97話 何をしに来た?

 マルセリスは……この常に冷静さを失わない公女にしては珍しく、戸惑ったように瞳を見開いた。


「……女性ですが」

「小僧だ」


 マルセリスの言葉など気にも留めず、クレオは力強く断言した。


「卵の殻を尻にくっつけておる。こんなヒヨッコがどこから紛れ込みおった。おい、小僧」


 クレオは体を強張らせているリオに向かって叫んだ。


「一体全体、何だってこんなところにやって来た? 右も左も何もわからん、何を自分が求めているかもわからんようなアホ面をしおって」


 自分の言葉に興奮してきたのか、やにわにクレオは机に乗り上がらんばかりに前のめりになりリオの顔を覗き込んだ。


「一体、ここで何をしておる? 何をしにやって来た?」


 唾を飛ばしながらまくし立てるクレオの前で、リオは立ちすくんだままでいた。

 相手の剣幕に押されたように、小さく呟く。


「わかり……ません」

「ああっ? 何だと? この小僧っ子が! はっきり言え。何だと? 何と言った?」

「わかりません、自分が何を求めているのか。なぜ、ここに来たのか」


 クレオは掌で執務机を叩いて吐き捨てるように言った。


「馬鹿か。何もわかっておらん。自分のケツに卵の殻がついておることすらわかっておらんのだ」


「何なんだ、こいつは」と喚き、頼りなげなリオの顔を親の仇を見るような眼差しで睨みつけた。

 今にも「出ていけ」と言いそうなクレオの表情を見て、マルセリスは慌てて横から言葉を添える。


「学長、リオはソフィスというかたに勧められて、学府へ来たそうです」

「ソフィス?」

「学長の同窓のかた、と言われていたそうですが」


 ソフィスの名前を聞いた瞬間、クレオは唇を苦々しげに曲げた。


「ああ、ソフィスか。あいつは私が知る人間の中で二番目に阿呆だ。マルセリス導師、三番めはあんただかな」


 意地の悪そうなクレオの言葉を、マルセリスは礼儀正しく無視した。

 クレオは鼻を鳴らすと、視線をリオのほうへ移す。


「なるほど……。似ておるわ」


 不快そうに口の中で呟くと、不意に執務机の上に置いてあった分厚い本を、投げつけるようにリオに手渡す。


「読め」

「……は?」

「聞こえんのか? お前の顔の横に付いているものは、耳じゃなくただの飾りか? おいっ、小僧、どこへ行く。気でも狂ったのか。ここだ。ここで読め。私の前でだ」


 戸惑ったように外へ出ていこうとしたリオを呼びとめ、クレオは荒々しく部屋の隅に置いてある古ぼけた椅子を指し示す。 

 椅子の上には、本が不安定な形で山のように積まれている。


「そこに座れ。本はどかせ。何だ、こいつは。何もわかっておらんな。マルセリス導師」


 事の成り行きをただ呆気に取られて眺めていたマルセリスに向かって、クレオは苛立ちを露にして目を剥いた。


「一体、あんたは何の恨みがあって、こんな小僧っ子を私の前に連れて来たんだ」


 マルセリスが返事をするよりも早く、というより始めから聞く気さえなく、クレオは次々と矢継ぎ早にまくしたてる。


「いいか、小僧、その本を読め。お前が何を知っていて何を知らないか。そんなことも知らずに()()だと? はっ! ちゃんちゃらおかしいわ。

 お前は何も知らん。私はそれをわかっている。しかしお前はわかっていない。これは一種の悲劇だ。喜劇よりはマシだが、マシ程度だ。どちらにしろふざけた話であることに変わりはない」


 クレオはふと、リオが自分が渡した本を両手で抱えたまま、立ちすくんでいることに気付いた。

 ジロリとその顔を睨む。


「おい小僧! いつまでそうやっているつもりだ? この世界が崩れ落ちるまで、そこに突っ立っているつもりか?」


 大声で言われて、リオは慌てて客用の椅子から本をどかして座わる。

 背筋を伸ばした姿勢のまま、膝の上に本を乗せて開く。そうしてクレオがぶつぶつぼやく言葉を聞きながら、たどたどしく文字を読み始める。

 最初のうちは内容を追うことに精一杯だったリオの声は、時間が経つにつれて内容に集中した美しくはっきりとしたものに変わっていった。


 そのことを確認すると、マルセリスは二人を残してそっと部屋から出た。


★次回

第98話「行き場のない思い」

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