第96話 学長クレオ
マルセリスの後をついて部屋の中に入ろうとして、リオは思わず足を止めた。
元々は、手のこんだ作りの広い部屋なのだろう。
明るい陽射しが射し込む窓以外の壁の部分は、天井まで届く作りつけの書棚になっており、雑多な種類の本が窮屈そうに押し込まれている。上段の棚の本を取るための木の脚立や来客用と思しき椅子や小机も置いてあったが、その全てに書物の山がひどくアンバランスに積み上がっていた。
床の上にも本の小山が出来上がっており、気を抜いて歩くとそのうちのどれかを崩してしまいそうな緊張感がある。
よくよく気をつけて見てみれば、それらの書物の山は一見雑多に置かれているように見えて、窓から入る陽射しにさらされないように工夫されていた。
さながら本の森のようになっている室内を、マルセリスは慣れた足取りで歩く。そうして、様々な資料や書物が乱雑に広げられた巨大な執務机の前に立った。
机の奥に置かれた椅子は、元は豪華だったのだろうが手入れもろくにしない乱暴な扱いでひどくくたびれてしまったことが一目瞭然だった。
「クレオ学長、お時間をさいていただきありがとうございます」
マルセリスは執務机の奥の椅子に座っている人物に向かって、丁寧に頭を下げる。
そこに座っていたのは、この世の全てを忌々しく思っているかのような、剣呑で意地悪げな眼差しをした老齢の男だった。
首には色鮮やかな紫色のスカーフが、恐ろしく乱雑に巻き付けられている。
ただでさえ気難しそうな顔は、露骨な悪感情で引きつれたように歪んでおり、ひどく感じが悪いものになっていた。
男はマルセリスの顔をジロリと睨み、無遠慮に鼻を鳴らした。
「まったくだ。あんたが連れて来た奴が使いものになることをせいぜい祈るしかないな、マルセリス導師」
穏やかな表情を崩さないマルセリスの前で、「クレオ」と呼ばれた男は嫌味な口調で言う。
マルセリスに対して悪感情があるわけではなく、これが普段からの話し方らしかった。
「人生は茶番だ。だが、それをあえてやるほど長くもない。あんたがそれを知らんかったとはな」
不機嫌と不愉快を煮詰めたような言葉に、マルセリスは黙って頭を下げる。
クレオはマルセリスの反応など一顧だにせず、言葉を連ねる。
「どいつもこいつも、やろうがやるまいが大して変わらんことに血道を上げる。そうして何か起これば、さも人生の一大事のように騒ぎ立てる。価値があることだから、時間を費やすのではない。時間を費やすことで、値段が釣り上がると思っている。ハッ、自作自演もいいところだ。
商人がそこらで拾って来た石ころを、他世界から命がけで持ち帰った貴重な石だ、と言って売りつけるのと同じだ。付加価値にすぎない。まやかしだ。
後には、そこら辺りに転がる石ころが残るだけだ。そうして死ぬ間際になって、ようやく自分が石ころに大金を払っていたことに気付く。しかし商人に騙される奴はまだマシだ。アホはアホにせよ、少なくとも他人に騙されたわけだからな。一番の阿呆は、自分で自分を騙す」
息継ぐ暇もなく話し続けていたクレオは、不意に酷薄そうな青い瞳をリオのほうへ向ける。
「お前はどうだ? 他人に騙されるアホか、自分を騙すアホか?」
言ってからクレオは、今初めて気づいたかのように瞳を細めた。
「お前は誰だ? なぜ私の部屋いる?」
「私が学長にご紹介するために連れて参りました」
マルセリスは、ようやく見つけた隙間に素早く言葉をねじ込む。
「先日お話した、学府への入学を推薦したい者です。身元については私が保証いたします」
「リオと申します」
リオはマルセリスに紹介されて、すぐに目上の者に対する礼をする。
様々な癖のある人間の相手をし、合わせることは、リオにとっては幼いころから仕込まれていることだ。振る舞いや言動を観察し、すぐにクレオの性格の傾向を飲み込んだ。
クレオはリオの顔から目をそらし、「ハッ」と息を吐く。
「ここにいさせたいのなら、マルセリス導師、あんたの権限でいさせればいい。聴講生、個人学生、助手、小間使い、導師であれば手元に置くのに、好きなように肩書を与えられるだろう。何だって私の貴重な時間を奪おうとする?」
「私は彼女を、学生として正式に入学させたいのです」
挑発的なクレオの言葉に、マルセリスは答える。
それまで穏やかだった口調が、僅かに硬質な響きを帯びた。
「とても優秀ですし、学びへの意欲もあります」
クレオは不意に顔を上げる。
「彼女?」
「はい。女性であることは、学府への入学の妨げにならないかとは思いますが……」
固い響きを帯びたマルセリスの言葉は、クレオの耳にはまるで入っていないようだった。
いま初めてリオに興味を惹かれたように、その優美な細い姿を上から下まで無遠慮な眼差しで眺める。いささか場にそぐわない素っ頓狂な声で叫んだ。
「小僧ではないか」
★次回
第97話「何をしに来た?」




