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第91話 これまでのことを聞かせて・2

12.


 マルセリスは部屋の棚から茶道具を出すと、二人の前に陶器の椀に入った温かい茶を置いた。

 しばらく口をつぐんだ後、独り言のように呟いた。


「お祖父さまが亡くなった時のことを聞いたわ」


 レニが口の中で小さく「うん」と言うと、マルセリスは顔を上げた。

 俯いているレニを見る眼差しには、半ば痛ましげな半ば自らを責めるような感情が揺れていた。


「レニ、ごめんなさい。何もかも背負わせてしまって……」


 マルセリスの言葉に、レニは軽く首を振った。

 マルセリスはその姿を見つめながら、呟いた。


「リオ兄さまは正しいかただった。でもレニ、あなたをこんな風に……」

「いいんだよ」


 レニは少し慌てたように、マルセリスの言葉を遮る。


「お祖父さまのことは、私たちが何とかしなくちゃいけないことだったんだから。リオ兄さまだって、そのために命を賭けて死んだんだ。私は兄さまの望みを果たせて満足しているよ」

「そう……」


 マルセリスは何か言いたそうにレニの顔を見つめたが、レニが目を合わせようとしないことに気付くと、口をつぐんだ。

 それから気を取り直すかのように微笑んだ。


「二人は、いつ頃、王都を出てきたの? どうやってここまで来たの? 聞かせて」


 話が旅のことになった途端、レニのハシバミ色の瞳が輝き出す。

 マルセリスの求めに頷くと、レニは体を前のめりにして勢いよくこれまでの旅路について話し出した。



 リオと二人で王宮から出てきたこと、王都にほど近い町で知り合った子供たちのこと、船に乗り港町に着いたこと、ヤズロとマリラの老夫婦が営む海鳩亭の話、ゲインズゲートで宿屋を営むクシュナとパッセの話、ユグ族に頼まれ、リオが舞を奉納したこと。


 レニが頬を上気させ話し、時々リオが控え目に必要な事柄を補足する話に、マルセリスは注意深く耳を傾ける。

 レニが話しやすいように相槌をうちながら聞くが、ソフィスの話の時は言葉を選びながら質問を重ねた。


「スカーフは学府の身分を詐称するために着ける人間もいるけれど、ソフィスというかたは学府の人で間違いなさそうね」


 リオからソフィス話を聞き終えた後、マルセリスは納得したように頷いた。


「学徒になられたかたの推薦なら、入学のための試験を受ける資格は十分だわ」


 レニが、怪訝そうにマルセリスの胸元のスカーフに視線を向ける。


「ソフィスのスカーフは青かったけれど、マールのは赤なんだね」

「青は学徒の証で、赤は導師の証なの」

「導師?」


 マルセリスは、自分の胸元に巻かれた赤いスカーフに目を落としながら答える。


「導師は学生を教える立場の人間よ。学徒の人間がさらに三年、研鑽を積んだあと、試験に合格するとなれるわ」

「マールって教える人なの?」


 讃嘆の念で目を丸くするレニに軽く微笑みかけてから、マルセリスはリオのほうへ茶色の瞳を向けた。


「リオ、学府で学びたい、と言っていたわね?」

「それは……私のような身分のものが学べるかどうかは、わかりませんけれども」

「学府で勉強するのに、身分は関係ないんだよね?」


 口ごもるリオを見かねて、レニが横から身を乗り出すようにして口を挟む。

 マルセリスは従姉妹の真剣な眼差しをしばらく眺めたあと、静かに口を開いた。


「そうね。そう言われているわ。少なくとも表向きは」

「表向き?」


 レニの呟きに、マルセリスは軽くうなずいて言葉を続ける。


「学府は他の場所よりは、ずっと公平よ。それでも、権力やお金と無縁ではないわ。学府を運営する資金は、ほとんど大国からの支援で成り立っている。そういう縁があったほうが、学府にはずっと入りやすいわ」


 それにね、とマルセリスは、リオのほうへ顔を向けて付け加える。


「リオ、学府は男のほうが圧倒的に多い世界よ。外の世界と同じ、男が支配する世界なの。違うのは、私たちが女でありながら、彼らと対等の競争相手となりうるということ。私たちは、まずそれを男たちに認めさせければならない。これはとても大変なことよ」


 マルセリスの穏やかな顔立ちに、僅かな翳りが射す。


「学府には千人近い学生がいる。この中で、女性が何人いると思う?」


 顔を見合わせるレニとリオを見て、マルセリスは言った。


「二十七人よ」


 レニとリオは軽く目を見開く。

 マルセリスは付け加えた。


「導師に至っては私一人。五百年近い学府の歴史の中で、女の導師は私で二人めなの」


 マルセリスは、リオの美しい顔に真っすぐな眼差しを向ける。


「リオ、正直に話すわね。あなたはとても美しい人だわ。私が今まで見た誰よりも。あなたに学府のことを伝えたソフィスさまのように、ごく一部の稀な人を除いて、恐らく誰もがあなたを若く美しい女性として扱うでしょう。学問を愛する仲間としてではなく。自分が人生を賭けて行う領域で、人から能力ではなく属性だけを注目されるというのは、とても辛いことよ。あなたが真剣であればあるほど、それはとても屈辱的なことだから。

 女性というだけじゃない。ここも外の世界と、それほど大きく変わりはないの。期待が大きければ大きいほど、ここでの現実を目の当たりにして去っていく人を、私は大勢見てきたわ」


 マルセリスは、静かな眼差しをリオの美しい顔に向ける。


「あなたはそれでも、学府に入りたいと思う?」


 何も答えず、ただマルセリスの顔を見返すリオの様子を見て、レニがこらえきれなくなったように口を挟んだ。


「も、もちろんだよ。マール、リオは凄く本が好きだし、何でもすぐに覚えちゃうんだよ。ソフィスだって、リオが学府で学べるくらい力があると思ったから勧めてくれたんだと思うし」

「そうね。それはそう思うわ」


 マルセリスは、波立つレニの心を宥めるように微笑んだ。

 それからもう一度、リオのほうを向く。


「リオ、もしあなたが学府に入りたいなら、私からもクレオ導師に推薦してあげることが出来るわ。クレオ様から許可をもらえれば、あなたは学生になれる。どうする?」

「ほんと? リオ、やったね! リオならきっと……!」


 マルセリスの言葉にレニは顔を輝かせて、リオのほうを向いた。だが当のリオが惑うように俯いているのを見て、顔を曇らせる。


「リオ、どうしたの? 大丈夫だよ! クレオって人だって、きっと……!」

「レニ様……」


 どこかぎこちない空気が流れる二人の様子を見て、マルセリスは言った。


「ごめんなさい。着いたばかりなのに、急に色々と言いすぎちゃったわね」


 表情を緩ませて、マルセリスは笑った。


「時間はあるんだもの。ゆっくり考えればいいわ。レニ、もっと旅の話を聞かせて」

「うん……」


 気がかりそうにリオの横顔を見つめていたレニは、マルセリスの言葉に頷いた。


★次回

第92話「遺志を継ぐため」

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