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第76話 この世ならざる者

22.


 儀式の当日は、先見の通り、朝から澄んだ空が広がった。

 ユグの人々は、遅い日の出を待つことなく、暗いうちから道に積もる雪を橇でならしたり、かがり火を焚くための薪を運んだりと儀式の準備を始めた。


 レニとコウマも防寒具を着込み、よく晴れた空の下で作業の手伝いをした。


「レニ、昨日はちゃんと寝れたか?」


 憔悴の色が濃いレニの顔を見て、コウマが声をかける。

 リオと離れてから、夜は余りよく眠れていない。

 旅に出てからは毎晩、グッスリ眠れることが多かったのに、また皇宮にいた頃の不安で孤独な夜に戻ってしまったかのようだった。

 リオの決断を信じる、と決めたのに、リオがいないとその心すら自分一人で支えきれず、気持ちが揺れ動いてしまう。

 旅のあいだ、いかにリオに支えられ守られていたか、離れてみて初めてわかった。


「おう、イズル、どうだった?」


 湖の様子を見に行った一行の中にイズルを見つけて、コウマは気さくに声をかける。

 イズルはジロリとコウマのことを睨んだが、特に文句は言わず、事務的な口調で答えた。


「駄目だな。まだ氷が薄い」


 イズルは愛想の無い顔を、空に向ける。


「今日、何としても火の神に降りてもらわねばならん」


 レニもつられたように、雲ひとつなく澄みわたった空を見上げた。

 この空のどこかに本当に陽の神がいるなら、リオのために降りてきて欲しい。


 そう祈りたかった。



23.


 北方の冬の昼は短い。

 昼食を食べてしばらくすると、もう辺りは薄暗くなってくる。


 空が茜色から紫に、そうして濃い藍色に染まり、星がはっきりとした光を放ち出すと、男たちが舞台を乗せた橇を引き出した。女たちが灯りを持って脇に付き従う。

 男たちは掛け声を上げながら橇を引き、その声に女たちが唱和し、合いの手を打つ。

 まるで全員でひとつのうたを歌っているかのようだ。

 女たちが持つ松明と下に敷き詰められた雪灯りの陰影の中を橇が引かれ、人々の声が木霊のように響く光景は、日常からかけ離れた幻想のように見えた。


 レニとコウマは舞台の運搬には参加することが出来ず、少し離れて後から付いていった。


「す、すごい」


 運搬の風景に見とれているレニの目の前を、続いて四方を覆われた輿のような形の橇が引かれていく。

 レニの瞳は、運ばれていく輿に吸い寄せられ、そこから離れなくなる。


(リオ……)


 中を見ることは出来ないが、レニにはそこにリオがいることがはっきりとわかった。


 少しでいいから、姿を見たい。

 今すぐ側に行きたい。


 リオがそこにいる、と思うだけで、自分の身の内で、想いが抑えきれないほど膨れ上がっていく。


(リオ)

(何も出来ないけれど、最後までずっと見ているから)

(信じているから、リオのこと)


 レニは遠くなっていく輿から目を離さず、その姿が見えなくなるまで見つめ続けた。



24.


 舞台が湖の岸辺にたどり着くと、男たちは唱和を続けながら設置の作業を始めた。女たちは、昼間に用意されたかがり火に火を灯す。

 かがり火に着火した炎は、天まで着くような勢いで燃え上がり、辺りはアッという間に昼間のような明るさになった。

 その間も、人々の唱和の声は途切れない。

 何重にも重なり響き合うその声は、人のものではなく、北の大地の自然に宿るものたちが発しているものだと錯覚しそうになる。


 準備が整うと、唱和が止んだ。

 辺りは急に、シンとした静けさに包まれる。

 闇の中で、かがり火の火が燃え上がりはぜる音だけが響く。

 その静まり返った夜の中。

 舞台に上がるためのきざはしの前に、輿が横付けされる。


 人々は、少し離れた場所から舞台を取り囲む。

 病人以外のユグの人々全員が集まっているが、子供も含めて誰一人、コソリとすら音を立てない。

 皆が位置に着くと、一瞬の深い静寂の後、運搬の時とは違う詩の詠唱が始まる。

 夜の静寂を打ち破るような、力強く荘厳な詩だ。

 その力強い、大地そのもののうなりに誘われるかのように。

 輿の扉が開いた。


 開かれた扉から、月明かりの下にほっそりとした人影が現れる。

 髪はいくつもの美しい飾りひもによって結われ、体には袖口の長い色鮮やかなユグの民族衣裳を身にまとっていた。繊細な白皙の美貌は、魔除けの紋様で彩られている。

 その美しい者は、地鳴りのような人々の唱和が聞こえていないかのように、空を見つめながら舞台の階を上がった。


「すげえ……」


 レニの隣りで、コウマが我知らずといった風に呟く。

 レニはハシバミ色の瞳を大きく見開いた。

 月の光の下に降りたったその姿は、確かにリオのものだった。

 それでもそれが、今まで自分と共に旅をし、一緒にいてくれたリオと同一人物とは信じられない気持ちだった。

 炎に照らされた舞台に立つ姿は、この世ならざる者のように思えた。


 リオは何も表情が浮かばない眼差しで夜空を仰ぎ、美しい所作で拝礼する。


 その瞬間、大地のうなりのような唱和がピタリと止み、辺りは再び静まり返った。

 炎が燃える音だけが響く、音の消えた世界の中心に、ただ一人、リオだけが月の光を浴びて立っていた。


★次回

第77話「ずっと探していた。」

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