第74話 お前の女か?
19.
外から来た娘……リオが「水の器」となり、再度、「火の神降ろし」を行う。
そのことは、その日の夕刻の集会でユグの人々に伝えられた。
「異存のある者はいるか?」
リオを脇に控えさせたキオラの言葉に、人々は僅かにざわめく。
何とはなしに不満そうな空気がただよい、人々の視線は辺りをさまよったあげく、腕組みをして押し黙っているイズルのたくましい姿に集まった。
口を開こうとしないイズルに、キオラも青い瞳を向ける。
「イズル、何か意見はあるかい?」
キオラの問いに、イズルは顔を上げた。
明るい空色の目を優美な人形のようにひっそりと控えているリオのほうへ向け、また視線を元に戻した。
「ない。仮にその娘が死んだところで、ユグの損失にはならないからな」
「なっ……」
キオラやリオから最も離れた一番の下座にいたレニが、カッとして立ち上がろうとした。
隣りに座っていたコウマが、慌てて押しとどめる。
イズルは下座の様子には目もくれず、皮肉な眼差しをキオラに送った。
「太母、あなたもそう考えたから、俺の意見を入れて、よそ者を選んだのではないか?」
キオラはイズルの強い視線に動じた風もなく、ゆっくりとした口調で言った。
「リオに頼んだのは、この場にいる誰よりもこの娘が、火の神の心に叶うだろうと思ったからだ。私はユグの一族を代表して、リオに私ら一族の神事を頼んだ。そうして、リオは我らの願いを快く引き受けてくれた」
キオラはそこで言葉を区切り、自分と似たイズルの武骨な顔を見つめた。
イズルはその視線をしばらく黙って受け止めていたが、やがて表情を変えずに言った。
「わかった。さっきの言葉は取り消す」
だが。
と、イズルは付け加えた。
「礼を言うのは、湖が凍ったら、だ。火の神が降りなければ、冬に客人を入れた太母の判断は誤っていたと考えざるえない」
ちらほらとイズルの言葉に賛同する声が上がった。
キオラはその声を遮ることなく、黙って聞いていた。
一座のざわつきが収まると、特に表情を変えることなく口を開く。
「先見によると、五日後が青天だそうだ。その日の夕刻に、火の神を迎える儀式を行う。みんな、準備を始めるように」
力強いキオラの言葉に、一族の者たちは一斉に頭を下げた。
20.
集会が終わると、退室する太母と慈父を一座の者たちは見送った。
キオラの脇に控えていたリオも、場に一礼してキオラの後に従う。
レニは何とか視線を捉えようと、ずっとリオのことを見つめていた。だが、リオはレニたちのほうへ目を向けることもなく部屋から出て行った。
しょんぼりと肩を落としたレニに、コウマがからかうように声をかける。
「リオと離れるのがそんなに心細いのかよ。たかが五日の辛抱だろ?」
お前、そういうとこ、ほんとガキだよな、と笑われても反発することもなく、レニはしょげた顔のまま呟いた。
「だって、旅に出てから初めてだもん。こんなにリオと離れるの。ずっと一緒だったから」
リオはこれから五日間、「火の神降ろし」の儀式のために舞を教えるキオラ以外、誰とも会わずに身を清める。
レニも儀式が終わるまで、リオに会うことは出来ない。
リオは自分と会えなくても寂しくはないのだろうか。
言葉にすると情けないそんな思いが、心の内では動きを止めることのない機械のようにグルグルと回っている。
レニの様子を見れば、そんな内心など一目瞭然なのか、コウマはしょうがねえな、と半ば呆れたように半ば笑うように頭をかいた。
「んじゃ、寝るまで俺と飲むか。言ってもどうしようもねえことを忘れるには、酒が一番だからな」
「うん……」
粗っぽく肩を叩かれて、レニは小さく頷く。
酒を飲んでそのまま眠らなければ、この寂しさと不安に耐えられそうになかった。
厨房で酒とつまみを調達しようぜ、とコウマに促されて立ち上がろうとしたとき、大柄な人影がレニとコウマの側に近寄ってきた。
北の厳しい環境に作られたがっしりとした体格、無骨な無表情、明るい金色の髪と空色の瞳を持つ人影を見て、二人は意外そうな表情を作る。
ユグの村に逗留するようになって半月ほどが経っていたが、その人物が二人に近寄ってきたのは初めてだった。
コウマはすぐに底意のない笑顔になり、気楽な口調で声をかける。
「おう、イズル。お前も一緒に飲むか? 今日は集会があったから、まだ飲み足りないだろ」
イズルはコウマの暢気そうな表情が浮かぶ顔を、ジロリと睨んだ。
それから唐突に口を開く。
「あの娘は、お前の女か?」
「は?」
余りに予想外のことを言われ、コウマは間の抜けた声を出す。
イズルは愛想のない、低い声で言葉を続けた。
「『水の器』のことだ」
「あ? ああ、リオのことか」
コウマは肩をすくめた。
「ちげーよ。ただの旅の連れだ」
イズルは、その言葉に対する不信を表明するように「フン」と小さく呟く。
「なぜ、止めない?」
「あ?」
イズルは友好的とは言い難い感情のこもった瞳で、コウマを見つめた。
「よそ者に『火の神降ろし』は無理だ。ここの環境に慣れているユグの人間ですら、冷気でやられることが多い。あんな風が吹けば飛ぶような娘では、下手をしたら死ぬかもしれないぞ」
コウマは自分に向けられている強い視線は意に介さず、肩を軽くすくめた。
「仕方ねえだろ、本人がやるって言っているんだから」
顔を青ざめさせているレニのほうへは、イズルはちらりとすら視線を向けなかった。
ただコウマの姿だけを映す空色の瞳に、軽侮が揺らぐ剣呑な光が浮かび上がる。
「お前はいつもそうだ。己は己。他人は他人。土地や人との関わりを引き受けず、何者にも責任を負わず、ただ浮薄に漂って生きているだけだ」
「浮薄、ねえ」
コウマはポリポリと頭を掻きながら笑った。
イズルは空色の瞳を冷たく細めて、コウマを見つめた。それから視線をレニに向ける。
「あんたはいいのか? 『神降ろし』は過酷な儀式だ。連れの娘の命は保証は出来ないぞ」
青ざめた顔をして立ち尽くしていたレニは、イズルの言葉に反射的に何か言おうとした。
だがすぐに、そんな自分を抑え込むために胸の前で拳を握りしめる。
胸の中に、「側を離れることを許して欲しい」と言ったリオの姿が浮かび上がる。
(わかりません)
(ただ、舞い終わったあと、レニさまに聞いていただきたいことがあるのです)
(そのために、舞を捧げたいのです。北への道を作るために)
リオの様子は普段通り静かで穏やかだった。
だが自分を見つめる青い瞳の奥には、いつにない強い意思があった。
レニは、自分に向けられたその意思に向かって言った。
「私は信じている。リオのこと」
レニの強い言葉に、イズルは僅かに瞳を動かした。いま初めて見たかのように、小柄なレニの姿を凝視する。
コウマがヒュウと口笛を吹き、イズルのほうへ顔を向けた。
「リオは俺の女じゃねえよ。こいつの女なんだ。お前が言っていた、ええと、何だっけ? 浮薄か。浮薄じゃねえ絆で結ばれているんだよ」
イズルはコウマの言葉に眉をひそめたが、すぐに自分の方へ強い眼差しを向けるレニのほうに向きなおる。
内心の不安と恐怖と戦いながらも、ハシバミ色の瞳を真っすぐに向けてくるレニの姿をジッと見つめたあと、イズルは言った。
「わかった。ならば、もう何も言うまい」
イズルはレニのほうを向いたまま、言葉を続ける。
「俺もユグのために祈ろう。あんたの連れである娘が、無事に火の神を降ろすことを」
★次回
第75話「信じている。」




