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第60話 ちゃんとしたい。

23.


「陽だまり亭」に戻ったあと、リオはすぐに熱を出して倒れた。

 クシュナはレニを呼び、二人きりで差し向かいで話した。

 リオがいる部屋には誰も入れない、と訴えるレニに、クシュナは優しく、だが断固とした口調で言った。


「レニ、大切なことだからはっきり言うわ。こういうことがあった後は、医者にちゃんと体を診てもらわないといけない。特に女はね。この街では色々なことが起こるから、医者のほうも心得ているわ。診た人間のことは、外部には漏らさないから。

 外からは分からない部分を傷つけられている可能性もある。リオの体のことを考えるなら、ちゃんと診てもらったほうがいいわ」


 レニは黙っていた。

 クシュナたちのことを信頼していないわけではない。 

 それでも、リオのことを話す気にはなれなかった。

 もうこれ以上、リオの「秘密」に誰も触れて欲しくなかった。これ以上誰か一人でもその部分に触れたら、リオが壊れてしまう。

 レニの中にそんな恐怖があった。



24.


 最初のうち、レニはずっとリオの側についていた。

 リオが自分にそうしてくれたように、付きっきりで献身的に面倒を見るつもりだった。一日中、寝るときも側におり、食事も手早く済ませ、リオの様子を見守った。

 最初のうちは気のせいだ、と思った。きっと誰がいてもいなくとも辛いのだろうと、自分の中に生まれた疑いを誤魔化していた。

 だがやがて、強い心の痛みと共に、認めざるえなかった。

 リオは自分に面倒を見てもらうことが嫌なのだ。

 側にもいて欲しくないのだ。

 リオは決して自分からレニに何かを求めることはなかったが、一緒にいるとリオの強い苦痛が伝わってきた。


 倒れたリオの日常の用を足すのは、いつの間にかコウマの役目になっていた。

 コウマは気負う風もなく、ごく当たり前のことのようにリオの面倒を見た。

 一日中、リオの側にいるわけでなく、食事を運んだり、具合が悪い時だけ側にいて、後は自分の日常的な用事も普段通りにこなしていた。

 レニは時々、コウマにリオの様子を聞きに行くことしか出来なかった。


「リオは、私のことを怒っているの?」


 レニはたまらなくなって、コウマにそう聞いたことがある。

 コウマは憔悴しきったレニの様子を見てから、宥めるように言った。


「怒ってなんかいねえよ。レニ、お前、もう少し飯食えよ。夜は寝ているのか?」

「私のことなんか……」


 レニはカッとしたように叫びかけたが、すぐに視線を下に落とした。


「私より、リオのほうがずっと辛いのに……」


 コウマは頷いた。


「ああ、そうだ。だから、お前は自分の体勢をちゃんと立て直せよ。お前まで倒れたら、さすがに手が回んねえぞ」


 レニは項垂れたまま呟いた。


「コウマ、何でリオは、私に会ってくれないの? 私よりもコウマに面倒を見てもらったほうがいいの?」


 コウマは何と言っていいかわからない、と言った風に、困ったように首を捻った。


「それは、俺にもわかんねえよ」


 レニの肩が細かく震え出したのを見て、コウマはあちこちに視線をさまよわせたあげく、あやふやな口調で言った。


「たぶんリオは、お前の前ではちゃんとしていたいんだよ」


 レニは勢いよく顔を上げた。


「何で? 私はどんなリオだっていいよ。元気がなくったって、我がままだって、ずっと寝ていたって、あれこれ言われたっていい! ちゃんとなんて、していなくたっていい。出来るわけないじゃん、あんなことがあったんだから!」


 コウマは困ったように言った。


「まっ、そういう風にお前に思われるのが嫌なんじゃねえ?」

「何で? 思うよ。思うに決まっているじゃん! リオのことが心配だし……大切だから!」

「俺は、何となくわかるけどな。リオの気持ち」


 コウマは、自分にぶつけられるレニの激しい感情を持てあますかのように、空中を見つめて何となく呟いた。

 それから、この話は自分の手に余ると言いたげに、レニの肩を叩く。


「とにかく、だ。お前はまず、自分が元に戻ることを考えろ。お前がそうやって、いつまでもおかしなままじゃあ、リオが元気になっても戻る場所がねえじゃねえか」


「俺、ほんとこういうの苦手」とブツブツぼやきながら、コウマはそそくさとレニの側から離れた。


 一人、取り残されたレニは、力なくその場に座り込んだ。

 何故、リオは自分に会ってくれないのか。

 一緒に旅をしてきた自分に頼ろうとしてくれないのか。

 リオを守り切れなかったことが許せないのか。

 頼りがいのない人間、と思われてしまったのだろうか。


 きっと、そうなのだ。

 レニは組んだ腕の中に顔を埋め、眼を強くつぶる。

 先日、アーゼンの家で目にした光景が鮮明に頭の中に蘇る。

 灯りひとつが灯されただけの薄暗い部屋。

 鼻孔に忍び込む、生臭い、人の営みから生まれる臭気。

 巨大な天蓋付きのベッド。

 その上に力なく置かれた、リオの細く美しい体。

 闇の中に浮かび上がる抜けるような透明な白い肌。

 そこにつけられた、苦痛と屈辱の無数の跡……。


 それらはまるで、脳裏に映像を焼きつけられたかのように、細部まで浮かび上がって来る。

 いくら忘れようと思っても忘れることが出来ない。


 レニは掌に爪が食い込むほど、強く拳を握りしめる。

 自分はリオを守り切ることが出来ず、リオは深く傷つけられてしまった。

 取返しがつかない……!


 「レニ」


 その時、背後から声をかけられた。

 振り返ると、先ほど去ったばかりのコウマが怪訝そうな顔をして、後ろに立っていた。

 顔を上げたレニに、コウマは言った。


「お前に呼ばれた、って言う医者が来ているぞ」

「私に?」


 コウマはレニの反応を見て、さらに自分の中の疑惑を深めたようだったが、とりあえずと言った感じで頷いた。


「ここら辺りじゃ見たことがない奴だし、俺も怪しいと思ったんだがな。一応、医師協会の免許は持っている」


 レニは唇を引き結ぶと、「陽だまり亭」の入り口に向かった。



 まだ客が入るには早い時間帯の、人気のない食堂の隅の卓に、五十歳前後とおぼしき身なりのいい紳士然とした男が悠然とした様子で座っていた。

「陽だまり亭」の客層とは明らかに階層が違う人間にも関わらず、不思議なほど雰囲気に馴染んで見える。

 男は近づいてきたレニに気付くと立ち上がり、その場にいたクシュナとパッセが見とれるほど見事な所作の礼をした。

 レニは怒りを含んだすさまじい目つきで、目の前に立つ、灰色の瞳を持った上品な紳士を睨みつける。


「何をしに来たの?」

「私は医師の資格も持っております」


 男……イライス・アーゼンは、レニの怒りを気に留めた風もなく、穏やかな表情で答えた。


「お役に立てるかと思い、参上いたしました」


★次回

第61話「宝の持ち腐れ」

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