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第59話 暗い部屋

22.


 アーゼンは、応接間からさらに奥まった薄暗い廊下の先の部屋にレニを案内した。

 調度は品よく趣味のよいものが取り揃えられ、美しく調えられているのに、どこか暗く膿んだ雰囲気が漂う。人の心のほの暗い部分を、覗きこんでいるような心地になる。

 レニは、緊張で湿り気を帯び始めた手を我知らず強く握りしめた。

 皇宮や貴族の住まいには、必ずこういう陽の光の届かない薄暗い場所がある。高貴な身分の者たちの、暗い秘密が澱む場所だ。


 美しいレリーフが堀りこまれた部屋の扉を開けた瞬間、ムッとするような生臭い空気が漂ってきた。

 汗と体液の匂いが部屋にこもり、空気を重苦しくさせている。

 窓は重いカーテンで閉ざされ、広い部屋の中央にぼんやりとした灯りがひとつだけがついている。

 その灯りに照らされて、大人が三、四人は横になれそうな巨大な天蓋つきの寝台とそこに、うつむき加減に座っている細い人影が見えた。

 寝台の上の裸身は、闇の中で燐光を発しているかのように、驚くほど白く美しかった。


「リオっ!」


 レニは叫んで駆け寄ろうとした瞬間、闇の中で人影がまるで鞭で打たれたかのように大きく身を震わせた。


「レ……ニ……?」


 呟いてわずかに顔を動かそうとし、その瞬間、人影は傷ついた獣の咆哮のような、苦痛に歪んだ叫びを上げた。


「近寄らないで下さい!」


 リオは姿を消したいと望んでいるかのように身を縮こませる。

 その声に宿る恐怖の余りの強さに、レニは反射的に足を止めた。


「リオ?」


 リオは恐怖に震えながら、必死で掛け布を集め、裸身を覆い隠した。

 黒く長い髪で顔を隠し、震える声を絞り出す。


「レニさま、見ないで下さい。どうか……どうか……」


 あなたにだけは見られたくない。

 確かにリオのものであるのに、いつものたおやかな女性らしい声とは別の人間のもののような声が耳に届いた。

 そう思った瞬間、少年の声は幻のように消えた。


 作り物のように美しい白い裸身が覆い隠される寸前、体液で汚されたその肌に、いくつもの打たれた跡や噛み跡がつけられているのをレニは目にした。 

 ドス黒い怒りが体内に充満し、何かを破壊したくなるような強い衝動に体を震わせて耐える。


「殿下、この状態では連れ帰るのに差し障りがございましょう。家の者に支度をさせますので、部屋の外でしばしお待ちを」


「リオに触るな!」


 レニはアーゼンの言葉を合図に室内に入ろうとした女たちに、怒声を叩きつける。

 全身から殺意をほとばしらせるレニの姿に、女たちは顔を蒼白にしてすくみ上がった。

 一人、アーゼンだけはレニの怒りを気に留める様子もなく、聞き分けのない子供に言い聞かせる辛抱強い乳母のような口調で言った。


「妃殿下、殿下のお持ち者も、いったん殿下が席を外されることを希望しているようですが」

「リオ……」


 レニは訴えかけるように、震えるリオの背中に声をかける。

 布に包まれたリオの体が一瞬震えたが、それ以上のいらえはなかった。

 レニの顔から血の気が引き、生命を失ったかのように蒼白になった。凍りついたように見開かれた瞳が、何かに耐えるように細かく痙攣している。


「殿下」


 アーゼンがもう一度声をかけた瞬間、レニは振り返り、アーゼンのすぐ脇の壁に拳を叩きつけた。

 すさまじい音と共に壁に拳がのめり込み、頑丈な木の壁に拳の跡とヒビを生じる。傷ついた手から流れた血が、壁を点々と彩る。


 アーゼンは風圧を受けても目線すら動かさなかった。

 レニは、ゆっくりと壁にのめり込んだ拳を引くと、薄暗い部屋から出て行った。


★次回

第60話「ちゃんとしたい。」

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