第58話 叔父と姪(承前)
「そんなことをすりゃあ、お前もあの淫売もまとめて殺されるぞ」
オズオンの言葉に、レニは笑った。
驚くほどオズオンと似た笑いかたであり、他人が見れば二人は確かに血縁という目に見えぬものでつながっているのだ、と納得しただろう。
「叔父さんほど賢い人なら、もう気付いていたかと思っていた」
レニは、その言葉を味わうように、口の中でゆっくりと転がす。
「アーゼンさんは、叔父さんと少し意見が違うみたいだよ」
先ほどから叔父と姪のやり取りをただ黙って見つめているアーゼンに、オズオンは鋭い眼差しを向けた。
顔から笑いが消え、陰惨で凶暴な感情がむき出しになる。
「アーゼン、てめえ、このガキと俺を天秤にかけるつもりか」
ドスのきいたオズオンの言葉に、アーゼンは宮廷にいるかのようなゆったりとした仕草で頭を下げる。
「私のように数ならぬ身で、尊きお方同士の関係に口を挟むなど恐れ多いことです」
灰色の瞳で、自分を暗い眼差しで睨みつけるオズオンの顔を見返す。
「大公殿下と王妃殿下の間には、何か誤解がお有りのようだ。差し出がましいとは思いますが、この機会に、よく話し合われてはいかがでしょうか。血のつながりのある御親族同士。わかりあえないことはございますまい」
アーゼンを見るオズオンの目の中に、凄まじい怒りが揺らめく。
アーゼンの表情を変えないまま一歩後ろへ下がり、室内の調度品に目を向けた。
オズオンは、意識をアーゼンから背後にいるレニに戻した。
「じゃ、なんだ、あの淫売姫をお返しすりゃあ、お前はこのまま俺を放して、はい、さようならってまたどこかへ行くのか」
獰猛な笑いを浮かべたオズオンに、レニは平板な声で答える。
「叔父さん、私は叔父さんのことをよく知っている。叔父さんは、どんな約束を口にしようが、私がこのナイフを引いた瞬間にそれを破って、私とリオを捕まえるだろうね」
「信用がねえな」
オズオンの軽口は無視して、レニは淡々とした口調で話を続ける。
「だからね、二度と叔父さんと関わらないで済むように保険をかけているんだ」
「保険?」
胡乱そうに眉を上げたオズオンの言葉に、レニは背後から感情のこもらない声で答える。
「私がお祖父さまを討ったのは、叔父さんに操られていたから。そうしてリオ兄さまも皇帝だったお父さまも、皇帝位簒奪を企む、叔父さんの陰謀で死んだ。そういう告発書が、私が死んだらある人の手元に届くことになっている」
オズオンは、露骨に馬鹿にしたように唇を歪めた。余裕をもった低い笑い声を立てる。
「ある人ぉ? 誰だよ? お前の旦那の国王か? んなものがあったって、あの坊っちゃんには何も出来ねえだろ」
レニは言った。
「陛下に、じゃない」
「あん?」
「レグナドルト公に」
瞬間、オズオンの顔から余裕が弾けとんだ。
肌が傷つくのも構わず、背後に怒りに燃えたぎる眼差しを向ける。
「てめえ……っ!」
「君側の奸を討つ。そういう大義のための証拠を得られたら、レグナドルトはどうするかな? レグナドルトがそれを公表するだけでも、叔父さん、けっこう危ないんじゃない? お祖父さまだけならまだしも、リオ兄さまも父上も殺したとあっちゃあ、ね。権力のために、父親を殺し、皇帝だった兄も皇后も殺し、皇太子だった甥も殺した逆臣。さすがに誰もついて来ないんじゃないかな?」
「ふざけんな! 俺はアイレリオも兄貴も皇后も殺しちゃいねえ! 親父を殺したのは、チビ! お前だろうが!」
激烈な怒りを露にする叔父の神経を逆撫でするように、レニは感情のこもらない声で答えた。
「ねえ、叔父さん。たかだか十七、八の小娘がたった一人で権力者の祖父を殺した、という話と、その背後には、権力を奪うために糸を引く叔父がいたっていう話、世間がどっちを信じると思う? 実際に叔父さんは、お祖父さまが死んだおかげでその権力を継げたわけだしね」
オズオンは黒い瞳を、暗い殺意でギラつかせて、レニの顔を睨みつけた。
「てめえ、国をレグナドルトに売るつもりか! たかだか淫売の男妾のためにっ!」
レニは、オズオンの髪を鷲掴みにし、容赦のない力で引っ張った。
オズオンの痩せた顔が、痛みで歪む。
「叔父さん、私はどっちでもいい。ここで叔父さんを殺して、後のことはアーゼンさんと相談してもいいんだ」
「……八ッタリだ」
オズオンは食い縛った歯の隙間から、憤怒に染まった声を押し出す。
「出来るわけがねえ……そんなこと」
「そう?」
レニは素早い動きで、オズオンの頭を両腕で囲むように固定し、そらされた頚部を圧迫するように背もたれ越しに体重を加えた。
屈強な男に同じことをされれば首がへし折れただろう。レニの小柄な体の重みでも、首を通る神経や気道を圧迫するには十分だった。
呼吸を封じられた苦痛と恐怖に、オズオンは我知らずうめき声を上げた。
レニは、その姿を感情のこもらない瞳で観察しながら、低い声で囁いた。
「試してみる? 悪いけど叔父さん、私はどちらかと言えば、叔父さんを殺したくて仕方がないんだ」
徐々に頚と喉を締め上げられ、オズオンは苦痛に顔を歪める。
吸い込んだ空気の逃げ場がない頭部には血液が集中し、充血した眼球が飛び出て、顔全体が真っ赤に染まっていく。
常人ならば、苦痛と恐怖で、泣き声や哀願の叫びをあげるところだ。
だが。
意外なことにオズオンの陰鬱な顔には、強い苦痛を打ち消すような狂喜じみた嘲笑が浮かんだ。
「ハハ……ハッ! アイレリオの奴も、罪なことをしやがるぜ!」
オズオンは苦しみを見せることを拒絶するように、ゼイゼイと喘ぎながらも、唇から姪に対する悪意をほとばしらせた。
「お前も……可哀想な奴だよ、エウレニア。健気に兄貴の思いどおりに、こんなに血も涙もねえ立派な殺人鬼に育っちまいやがって。あげくに自分の祖父さんをぶち殺しちまうんだからなあっ?! そのイヤったらしい赤毛のせいで……母親に捨てられて……アイレリオに拾われた。
お前なんてアイレリオにとっちゃあ、自分の理想を叶えるための、ただの捨て駒にすぎねえよ! 捨てられた泥をこねくり回して人間の形にしただけの……誰からも……愛されない、哀れな泥人形だ! だから、あの淫売人形と気が合うんじゃねえのか?!」
「……黙れ」
レニのハシバミ色の瞳に激烈な怒りがほとばしり、赤く燃え上がった。
喉を圧迫されたオズオンの顔は充血で赤黒く染まっていき、次いで紫色になり始めた。
オズオンは死に物狂いでもがいたが、自分の喉を締め上げる小さな少女の腕はびくともしなかった。
手足の先が痺れだし、目の前が急速に暗くなる。余りの苦しさに、全身を巨人の手で掴まれ捻られているかのような錯覚さえ覚えた。
「妃殿下、どうかそこまでに。私の家で大公殿下がお亡くなりになるのは、少し困ります」
途切れ途切れにしか意味が取れないアーゼンの声が、遥か遠くから微かに聞こえた瞬間、不意に空気が胸の中に流れ込んできた。
縛めから解放されたオズオンは、床に手をつき唾液を流しながら、えづくように大きな音を立てて息を吐き出す。
レニは、床に這いつくばり盛大に咳き込む叔父を冷ややかな侮蔑の視線で見下ろす。
その視線を今度は、部屋の反対側にいる男の穏やかな風貌へ向けた。
「アーゼンさん、私の望みはさっき言った通りだ。リオを返すこと。私や私に関わる人たちに干渉しない、させないように便宜を払ってくれること」
感情のこもらない無機質なレニの言葉に、アーゼンは軽く頭を下げる。
「私どもが妃殿下のために便宜をはかる。さすれば殿下は、私どもと友情を結んでくださる。そういうお話でしたな?」
「友情?」
レニは泥でも口に含んだかのように、鋭い口調で言葉を吐き捨てた。
「あなたが私に便宜を図ってくれるなら、それ相応の計らいはする。約束出来るのは、それだけだな」
レニは、まだ息を整えきれないオズオンを見下ろしながら言った。
「少なくとも、叔父さんに持っているお金を全部賭けるよりはいいと思うよ。この人を信用するなんて、盗賊に家の留守を任せるようなものだから」
「これは手厳しい」
レニの瞳に、今まで強い意思の力でかろうじて押さえつけていた、焦燥が浮かび上がる。
「リオはどこにいるの?」
少女の顔から支配階級に属する人間特有の冷厳な表情が消え、みるみるうちに恋する娘の一途な必死さが表れるのを見て、アーゼンはわずかに目を見張った。
灰色の瞳を、床に伏したまま口元から溢れた唾液を拭っているオズオンのほうへ一瞬走らせてから、ゆっくりと口を開く。
「お望みならご案内いたしますが。あるいは、こちらでお待ちいただいたほうがよろしいかもしれません。殿下のお持ち物については、元の通りにした上で連れて参りますので」
レニは唇を引き結び、反抗的な眼差しでアーゼンの顔を睨みつける。
言外に提案を拒否されて、アーゼンは仕方ないと言いたげにわずかに肩をすくめた。
「では、案内させましょう」
「おい、チビ」
アーゼンについて部屋を出ていこうとしたレニの背中に向かって、オズオンは毒液がしたたるような笑いを投げつける。
「どうせ、お前らは逃げられねえ。例え世界の果てまで行こうがな。
何のことはねえ、お前が閉じ込められていると思っている冷たい鬼の一族の血は、お前が一番濃くついでいるじゃねえか。あの淫売奴隷だって、親父に買われて、今度はお前が鎖につないで連れ回している」
オズオンはどうにも笑いを抑えきれないという風に、爆発的な嘲笑を唇からほとばしらせた。
「お前は本当に、何から何まで祖父さんにそっくりだよ。あの赤髪の悪魔にな」
レニは、叔父のほうを振り返りすらしなかった。
姪が何も答えず出ていった後も、オズオンは一人で部屋の中で笑い続けた。
★次回
第59話「暗い部屋」




