第23話 にぎやかな相客
1.
八の月も半ばになろうとしている今は、小麦の収穫がまっさかりの時期だ。
暑い空気の中で、上半身裸の男たちが小麦を刈り、束にして積み上げていく。
ゆったりとした速度で進む幌馬車の荷台から顔を出して、レニはその姿を熱心に見守っていた。
一面の黄金色の小麦畑が広がる中を、長く連なった幌馬車の隊列が進んで行く。
「凄いね、リオ。黄金の海みたい」
見渡す限り、地平線の果てまで小麦畑が広がる。
レニはハシバミ色の目を輝かせて、その光景を飽きもせずに見つめた。
「この辺りは大陸一の穀倉地帯だからな。レグナドルトの小麦畑っていったら、この大陸の食糧庫、いわば台所みたいなもんだ。この小麦で焼いたホカホカのパンも上手いし、カラス麦の粥も悪くないぞお」
レニの言葉に反応するように、荷台の奥から陽気な声が飛んでくる。
「俺がよく通っていた店の馴染みの女の子も、この地方の出身だったなあ。いつもパンやら菓子やら作って出してくれてさあ、これがまた絶品だったんだよ。『コウマのためにクッキーを焼いたのよ。他のお客さんには出していないの、コウマは特別だから』って言って、熱い茶とジャムと一緒に出してくれて、帰りに土産まで持たしてくれてさあ。
また茶がね、ちゃんと俺の好みに合ってんのよ。俺、猫舌だから熱いのは駄目なの。人肌くらいの温いのが最高なんだけど、冷まして出してくれるんだよねえ。
この地方の女の子は、素朴だが家庭的で情が細やかな子が多いんだ。こう、肉付きがいい子が多くてさあ。女の子は、少しくらい太めのふっくらした子のほうが俺は好きだね。その点、リオは少し細すぎるな……おっと、こんなことは言っちゃいけねえか」
と、品がいいとは言いがたい話をベラベラとまくし立て、わざとらしく自分の口まで塞いで見せたのは、もちろんリオではない。
声の主は、黒髪に常にくるくると動く、ひどく抜け目がなさそうな瞳を持った二十歳手前くらいの小柄な若者だ。
東方の血をひくのか、淡く黄みがかった肌をしている。
皮肉で狡猾そうな眼差しが見る人間を警戒をさせるが、相好を崩すと途端に愛嬌が生まれるため、気付かないうちに懐に潜り込ませてしまう。
気まぐれですばしこい、野生の猫を思わせる若者だ。
小柄な若者の言葉に、麦畑の光景を眺めていたレニは振り返って眉をしかめた。
「コウマ、リオにそういうことを言うのやめてよ」
レニに言われて、「コウマ」と呼ばれた猫を思わせる若者は、笑いながら大袈裟に手を振る。
「おおっと、わりいな。レニみたいなお子さまには、ちょいと早すぎる話だったな」
「お子さまじゃないよ。コウマと同い年だし」
「年齢は数字じゃねえよ。精神の成熟度? ってやつ?」
ゲラゲラと大声で笑うコウマの言葉に、レニは頬を膨らます。
「『コウマだけ特別』なんて、ただの、ええっと『営業』? じゃないの?」
「おいおい、抜けたことを言ってんなよ。これだからお子さまは」
コウマはニヤニヤ笑いながら、わざとらしくため息をついた。
「そんなこと百も承知で楽しむのが、男と女の駆け引きの楽しみってもんだろうよ。なあ、ソフィスさん。あんたも枯れちまう前には、そんな楽しい思い出もあっただろう」
いきなり話を振られて、荷台の壁に寄りかかるように座っている「ソフィス」と呼ばれた、穏やかそうな七十にも手が届きそうな老人は、喉の奥に絡むような低い笑い声を立てた。巡礼者のような長衣を着て、その上に日差しよけのマントを羽織っている。
格好がごく一般的な薄汚れた旅装なだけに、首元に巻かれた色鮮やかな青いスカーフが、ひときわ目を引いた。
「コウマは若くて元気がいいのう。結構なことだ」
「けっ、爺さん連中はこれだからな。何かって言っちゃあ、すぐに『若い者はいいのう』だ」
コウマは地面に唾でも吐きたそうな顔をしたが、馬車の荷台だということを思い出してか、さすがに実行はしなかった。
コウマの憎まれ口に、ソフィスは温かい陽射しの中で茶でも飲んでいるかのような暢気な笑い声を立てた。
2.
コウマとソフィスは、レニとリオが乗り合わせた隊商の相客だ。
コウマは大陸各地を回る行商人だ。一ヶ所で商品を仕入れ、その仕入れた商品を別の場所で売りさばき、その金で別のものを仕入れてまた移動する、という生活をしている。
子供のときから行商人をしていた親に付いて回る生活をしていた、というだけあって、世事に長け、明るく人好きし、その一方で抜け目がなかった。
隊商が出発すると、コウマはさっそく旅人でいっぱいの荷馬車の中で商売を始めた。
★次回
第24話「商人・コウマ」




