第99話『Can't really hear that』聞き取れない言葉
華やかなアパレル界のパーティーに参列し、司に付き添われるようにして酔っぱらって帰ってきた有紗が入浴したいと言いだしたので、玲音は二階のバスルームへ湯をはりに行った。
階段を上りながらふとリビングを見下ろすと、有紗がまたグラついたのか、ジェンミがその肩を支えている。
―― アイツ、ホントに風呂なんか入って大丈夫なのか?
そう呟きながら玲音は二階のバスルームに入り蛇口をひねる。
立ち上る湯気の中、ぬるめの温度にセッティングして廊下に出ると、玲音は時計を見ながら一旦自室に入った。
日本では朝の会議が始まっている時間帯で、送られてきた議事録にだけ目を通す。
そろそろ湯もたまる頃だろうと、階下へ向かってゆっくりと階段を下りていくと、ソファーにうなだれている有紗の頭が見えた。
玲音は顔をしかめる。
――ほらみろ、言わんこっちゃない……
その姿が、ブランケットを抱えて戻ってきたジェンミの影に遮られる。
フワッと身体を包み、ブランケットの上から有紗をゆっくりと横たえたジェンミは、その頭に手を置いた。
玲音は思わず足を止める。
ジェンミの手が、有紗の顔にかかる髪の束をよけながら頬へと降りていった。
――アイツ、何してる……!
ジェンミの背中が有紗に近付いていくのを見ながら、下ろした足が思いの外大きな音を立て、玲音は自分でも驚く。
「あ……」
同時にジェンミの背中がスッと離れ、そのまま立ち上がってくるりと振り向いた。
平静を保つように、玲音は近付く。
「寝ちまったか?」
「うん。さっきまで耐えてたんだけど、急に電池が切れたみたいに……」
「遅くなって悪かったな。会議の時間だから部屋に寄ってた」
「そっか」
玲音はスヤスヤと寝息をたてている有紗を、しらけた目で見下ろす。
最終的にこうなることは解ってんのに……懲りない奴だ」
ジェンミも微笑みながら同じ様に見下ろした。
「まぁ今日は、楽しいお酒だけどね」
「潰れちまったら一緒だろ。起こすか?」
「ううん。ボクが連れて上がるよ」
そう言って有紗の側にしゃがみこむジェンミの背中を玲音は見つめる。
「いや……」
玲音は大きく息を吸い込みながら、空を仰いだ。
「Rock! scissors! paper! 」
背後から突然、まくし立てるようにそう言われて、ジェンミは動揺する。
「えっ?!」
そして咄嗟に出た行動の後に事態を把握したジェンミは、自分の開いた手のひらを見つめた。
玲音は振りかざした握りこぶしで、ジェンミの肩を軽く打つ。
「俺が負けたから、コイツは俺が連れて上がる」
「そう……」
ジェンミが一歩下がった。
「ま、部屋に着いたら一度起こしてみるけどな」
そう言いながらソファーの前にしゃがみこんだ玲音は、有紗の身体の下に腕を入れ込むと、一気に持ち上げる。
「うっ……重っ! やっぱ死体だな、こりゃ」
ジェンミがカラカラと笑う。
「ははは。それ言っちゃダメだって。聞こえてたら大変だよ? じゃあ……よろしく」
「ああ。よっ……と!」
ブランケットごと持ち上げた玲音の後ろ姿を、ジェンミは静かに見送った。
一段ずつゆっくりと足を進め、自分の胸に寄りかかる有紗を見下ろしながら、玲音は、さっきあのままもし自分が足音を立てていなかったら、ジェンミはどうしていたのだろうと思う。
――ったく! 無防備なヤツめ……
そう囁く玲音の胸で、有紗がすーっと息を吸い上げた。
――なんだ? 聞こえてんのか?
二階に上りきり、有紗の部屋に向かってゆっくり足を進めながら、玲音はその様子をうかがう。
部屋の前に差しかかったその瞬間、それまで身体を預けて眠りこけていた有紗が、突然うわ言のような声をあげた。
「ん……待って……さん」
「は?!」
玲音は抱き上げたまま、聞き取ろうと耳を近付ける。
「おねがい……行かない……で……さん」
「なんだ?! 何て言った! クソッ聞き取れない……」
慌てて部屋の電気をつけて有紗をベッドに横たえ、声をかける。
「おい! どうした!」
身体を揺らしても、もうすでに有紗は静かな表情で眠りに落ちていた。
「はぁ……なんだったんだ?!」
玲音は息をつきながらベッドの脇に座り込んだ。
静かな部屋のなかを見回すと、以前、同じような光景に遭遇した記憶が蘇る。
まだ出会って間もない頃だった。
この家に来た当初、有紗がリビングでキャンプ生活のように過ごしていたことを思い出す。
強盗に間違われて植木を投げつけられたときの驚きや、探していたビジネスパートナー本人であったことの驚きも、ずっと昔のことのように思える。
この部屋を使うように指示したときの、目を丸くする有紗の表情が頭に浮かんで、思わず笑みがこぼれた。
――ったく……何度この死体のように重たい身体を担ぎ上げてきたことか!
そうボヤきながら、当時は居なかったジェンミが、今は階下でこの部屋のようすを気にしながら自分が戻るのを待っているのだと気付く。
玲音は立ち上がると、かがんで有紗にブランケットをかけ直し、襟元を整えた。
そのすこやかな寝顔を見ると、また一つの記憶がよぎる。
以前、有紗は寝言で " ドラマティカリー・コード " と、自分のオーデコロンの名前を言い当てていた。
――それにしても、さっきの言葉は……聞き取れなかったが、なんか緊迫感があったな……
玲音は一息つきながら、スッと背筋を伸ばす。
――おまえは一体、何を抱え込んでるんだ?
そう小さく呟いた玲音はライトを消して、静かにドアを閉める。
「おやすみ」
そしてジェンミの待つ階下へ向かって、幾分歩幅を速めながら戻っていった。
第99話『Can't really hear that』聞き取れない言葉 - 終 -




