己を存在する為の名前
カム視点です。
「お兄様、お待たせして申し訳ございません。」
リリー様とグレン様が部屋に入ってきた。
「いえ、問題ないですよ。ですが御二人とも、いくら用事でもあまり授業をお休みして駄目ですよ?」
「学園の授業など俺達には簡単すぎて受ける必要はない。それより話があるんだ。」
グレン様はあっさり言うが、そういう問題じゃない。
二人は生徒会役員。他の生徒の見本にならないといけないのだ。
ただでさえ学園祭も近づいているのに…。
「…お話とはなんですか?」
内容は何となく分かっている。でも俺は変わらない。
「…お前もロザリアと一緒だな。顔にでているぞ?一応言っておくが、話はロザリアの件だけじゃない。俺たちはカムに話があるんだ。」
俺を見てグレン様は呆れた。
…お嬢様と行動を長く共にした為か感情が表に出ていたらしい。
「はい。私たちはカムお兄様…いえ、カルフェン・クラベル様にお話があります。」
リリー様の優し気な目が鋭くなる。
それも俺の真名で呼ぶ。
「…俺はカムです。その名前で呼ばないでください。」
俺の強めの拒絶に二人は驚くかと思ったが、肝が据わっている。
怯える事はない。
「ああ、そうだ。お前はカムだ。いくら真名が異なっても、目の前に居るお前が俺たちにとって全て。名前なんて相手の存在を肯定するだけのただの表徴だ。名前で全てが否定される訳ではない。」
“名前だけで全てが否定されない。”
その言葉に胸が少し軽く感じがした。
でも真名は呪縛以外なんでもない。
「ですが、今はカルフェン・クラベル様とお話がしたいのです。…本来なら私達が口を出して良い事ではないのですが、今その名で苦しんでいる貴方を見過ごすなどできません。お姉様の為にも。今度は私達が貴方を助ける番です。」
リリー様は強い眼差しで俺を見つめる。グレン様も同様だ。
この二人は俺を本当の兄の様に慕ってくれている。
それに二人だけじゃない。色んな人が俺を必要としてくれる。
俺はこれだけでも十分に幸せ…なのに…
何故助けると言う?
「…有難うございます。でも、俺は今のままで幸せです。…もう十分なんですよ?」
そう、身の丈に合わない程に沢山の幸せを貰えた。
気持ちを伝えたが、リリー様は「そうですね。」と返す。
「では、もっと幸せになりましょう?辛い過去は取り戻せないですが、まだ未来がある。貴方が私達に与えてくれたように、私たちも貴方に与えたい。だから私達は調べたのです、過去のカルフェン・マクロスの事を。」
カルフェン・マクロス?
するとグレン様は真顔で答える。
「カム…カルフェン・マクロスはお前の本当の父親。そう、母親の恋人だった男の名前だ。」
母親の恋人の名前…確かにカルフェンは間違っていない。
でも、母親の恋人は平民だったと聞いている。
平民に姓など無い。間違いではないのか?
「…どういうことですか?」
「調べたんだ。クラベル夫人の実家、ノートン男爵家で娘が付き合っていた男を。没落しているノートン家を調べるのは難しかったが、何とか一つだけ手掛りが掴めた。使用人の一人が準男爵家の娘で良かったよ。」
ノートン家は母親の自害でクラベル家を醜聞に晒した為に没落したのは知っている。
クラベル家の親戚が評判を落としたんだ。
だからノートン家の事情は調べることが出来ない。
当時の使用人達は様々なやり方で口封じされているのだから。
『貴族名簿なんて国の機密情報だ、本来は王族と大神官長だけが目を通せるもの。…シリウス様が宰相の息子だから可能になったのか?』
どうやらグレン様はシリウス様と一緒にカルフェン・マクロスの手掛りを掴む為、過去の貴族名簿を探ったそうだ。
そして当時の使用人に会い、ノートン家の事情を聞くことに成功した。
流石は大臣の子息達。
手を伸ばす範囲が広い。
「そうか?殆ど俺達はリリーの小間使いだったぞ?」
「え?」
何処からか妙な風が吹く。
「…グレン、今その話は無しにしましょう?話は戻しますが、その人は確かに平民。ですが身分を隠していたのです。彼はマクロス伯爵家の嫡子。貴族名簿では成人前に死亡と記載されています。」
元使用人の娘は母の恋人と何度か顔合わせしていて、恋人の持ち物から貴族の家紋を見たそうだ。
そしてその家紋を手掛かりに男の身元を追求した。
彼はマクロス伯爵家の一人息子。
マクロス家は代々由緒正しき医療に携わる家。
マーカス侯爵家の傘下である貴族の一つだ。
カルフェン・マクロスは例外なく医療の道に進むはずだった。
だが、当時の当主は実の息子に酷い扱いしていた。
それが辛くて息子は逃げ出し行方不明となる。
「マクロス家の親族は息子が死んだとみたそうだ。マクロス伯爵は否定していたが、何年も帰ってこない為、死んだと王家に申告。そしてマクロス家の跡継ぎが親戚に移った。息子は無事逃げ切った訳だ。彼は逃亡の末にノートン家の娘と出会った。」
二人は出会い恋人同士になった。
まるで運命だったかのようにお互い惹かれたそうだ。
それが恋人の素性。そして母と恋人の馴れ初め。
「…母の恋人が貴族とは思いませんでした。だとしても、母が父を裏切った事に変わりはありません。」
血の問題は無いと言いたいのだろう。
だがそれが何だ?
恋人が何者でも、母は優しい父と兄を裏切った。
その所為で俺がどんな思いをしたか、父と兄は俺よりもっと苦しい思いをしたのに。
俺はクラベル家にとって異物しかないのは変わらない。
「…確かにその事実は変えられません。ですが、これだけが真相ではありませんよ?」
リリー様は俺に微笑んだ。
「まだ続きがあります。ですが、まだ彼について知ってください。カルフェン・マクロスは逃走後から名前を変えて暮らしていました。夫人から“フィン”と呼ばれていたそうです。彼は貴方と一緒で、その名を捨てていたの。」
「…『フィン』?」
「お前の母親は“カルフェン”という名を知らなかったそうだ。カルフェン・マクロスは死ぬまで『フィン』と名乗っていた。だけど、ある切っ掛けで知ったそうだ。」
何故別館で引き籠っていた母は、恋人が死んだ事を知ったのか?
グレン様は話を続けた。
「お前の母親宛てに一通の手紙が届いた。差出人は息子を失って親戚に家を追い出された元マクロス家の当主。手紙の内容は…息子を誑かし死なせた夫人への憎悪を綴ったものだ。」
「…今、その手紙を預かっています。見られますか?」
リリー様は鞄から一通の古い手紙を取り出して俺に差し出した。
母に宛てた手紙…差出人の名前に当時のマクロス氏の名前がある。
手紙を開くと二人の話通り母に対する暴言が書いてあった。
“お前が息子を誑かせなければ、息子はマクロス家を継いだのに”
“お前がいなければ、殺されることもなかったのに”
そんな文句が沢山綴られていた。
これを読んで母は恋人の本当の名と死んだ事を知ったのか。
どういう経緯で息子の事を知ったか分からないが彼は母に恨みを持った。
でも相手は伯爵夫人。どんなに憎悪をぶつけたくても手が届かない相手。
だから手紙を送ったのだろう。
「貴方のお母様は恐らく彼の家庭の事情だけは知っていたのでしょう。彼の真名を知っても『フィン』だと言っていたそうです。そして赤子の貴方に『“カルフェン”は私とフィンの子。父親の分まで私が愛してあげるの。』と話していたそうです。」
「…。」
リリー様の話に俺の頭の中は反発する様に葛藤する。
母は恋人が捨てた名前を付けた。
どういうつもりだったんだ?
恋人の代わりではないのか?
でも母の目は俺を映していなかった。
葛藤する俺にグレン様は軽くため息を吐く。
「お前の母親の気持ちは分からないが、少なくてもお前は恋人の代わりと思っていない。でなければ恋人が捨てた名前を子供に付けないだろう?」
「…貴方はお亡くなりになったお母様によく似ている。その事で貴方のお母様は複雑な気持ちを抱いていたそうです。小さい頃を思い出してください。お母様に自分に似ていると言われませんでしたか?」
「…。」
リリー様の言われた通り、似ていると言われたことがある。
母は俺の容姿をみて一度だけ残念そうに話した。
『貴方は髪の色以外、私によく似ているのね…お父様に似なかったのは少し残念だわ?』
ああ…思えばそうだ。
俺がクラベル家の使用人達に後ろ指をさされた原因は髪の色。
銀髪は父達と同じでも異なる青みが掛かった銀だ。
それ以外は母親に似ているから、当然母が不貞したと噂が広まった。
「そこまでになった経緯ですが、当時は様々な事情がクラベル家にあったのです。」
「ああ。今の話はクラベル前伯爵と当時の使用人から聞いた話だが、クラベル前伯爵は…何と言うか複雑だな?大人の事情と言えば事情だが、話し合うという事が大事だとよく分かった。…俺も伯爵と同じ様に誤解させたとしても、きっと彼と同じ事をする。リリーを狙う奴は当然死罪だ。」
「え?」
誤解とはどういうことだ?
訳が分からない。
一人納得するグレン様に苦笑するリリー様は俺に微笑んだ。
「お兄様、まだ真実はすべて明らかになっていません。この後の話は貴方の事を良く知っている方にお話をして貰いましょう。お待たせしました。どうぞお入り下さい。」
リリー様は扉の方へ声を掛けると扉が開いた。
そして入ってきたのは…。
「ロウウェン兄様…。」
そこには俺の異父兄、ロウウェン・クラベル伯爵がいる。
まさか兄に再会すると思わなかった。
もしかしてさっきグレン様が言っていた“来客”は兄のことなのか?
兄が俺を見て微笑む。
「久しぶりだね?カムがブロッサム家に行ったきりで中々家に帰ってこないから、父様は『カムの顔が見たい!』と泣いていたよ?」
「…父様は足を悪くして寝たきり状態ですよね…?いつも顔出さずに悪いと思っています。」
優しく窘める兄に、バツが悪くて顔を背けた。
そんな俺に兄は苦笑する。
「君の事をリリー様に聞いてびっくりした。話が進むうちに、僕は初めて父様に腹を立てて大喧嘩した。お前が元凶か!?…って。」
喧嘩?父が元凶?
その言葉に兄の顔をみる。
「…何があったのですか?」
「真相の続きを話そう。」
兄は顔を一度伏せてから俺に向き合った。
「…君には辛い話かもしれないが、母がつけた『カルフェン』の名前がマクロス前伯爵にとっても、父にとって当てつけだったのは間違いない。…父様はカムが思っているほど善人ではないよ?」
「…え?」
耳を疑った。
「リリー様が調べてくれたんだ。母が僕を身籠っている時、父は仕事で伯爵家に帰ってこない。理由は仕事場に愛人を連れていたそうだ。それを指摘されて父は認めたよ。それが発端で母様は恋人と寄りを戻した。」
「…。」
信じられない事実に目が張る。
母の浮気からではなく父の浮気がはじめだったなんて。
無意識にリリー様に目を向けると、彼女は申し訳なさそうにする。
「…クラベル前伯爵様の事も調べたのです。彼は当時お父様の依頼でブロッサム邸近辺を改善していました。主任とはいえ、なぜクラベル家に一度も戻らなかったのか不思議でした。」
クラベル家はブロッサム領地内の一部を任されており、本家もブロッサム邸と左程離れていない。
仕事場は家にすぐ戻れる距離だった。
「だから念のため、前伯爵と関係者達の活動日誌を全て調べたのです。…そしてそれが分かり、前伯爵に確認しました。…喧嘩になったのは私の所為です。申し訳ございません。」
「いいえ、リリー様は何も悪くありません。そのお陰で父の本性が分かったのですから。」
リリー様が謝ると、兄は否定する。
「カム聞いて?父様は事情があったとしても母に相談せずに勝手なことして母との関係を壊した。その上、嫉妬して母の恋人を死に追いやったんだ。そのせいで母様は父様を心から憎んでしまった…。元は父様の不誠実が原因なのに…。」
頭を強く殴られた気がした。
「…嘘です。あの父様が?…嘘だ。」
母を溺愛していたあの父が?どうしてそんな不誠実を?
俺の頭がぐるぐるとまわる。
信じられない。
俺が混乱しているのに兄は話を続けた。
「父様は身勝手な上に母様への執着が凄かった。…母様が自害した原因は父が強引に母を求めたからだよ。亡くなった前夜に…父様は母様の元に行った。これは聞きたくない話だよね?…同じ男としても同情できない。」
母は耐えられなくて自害した。
…とても生々しい話だ。
「…。」
何かが崩れた気がした。
父はこの事実をなぜ隠していた?
何故、母が悪い様に言った?
「…父様は母様に似ているお前を離したくなくて嘘をついてしまったと言っていた。カムまで嫌われたくなくて仕方なかったと…身勝手で腹が立ったけどね?一応、後悔はしていたよ?その事実を隠したせいで、カムを苦しませてしまったと父様は凄く後悔していた。」
母に似ている俺に嫌われない様に母親が悪いように言って、母の恋人へ悪意を持たせた。
それが息子を苦しめるものになってしまうのにも構わず。
複雑すぎて心が追い付かない。
「バッカみたいだよ?こんなに複雑にするぐらいなら、なんでもっと早く対応しなかったのだろう?父様も母様も出来た人ではないから仕方なくても…その子供の僕達はとんだとばっちり受けた。でも僕は今、二人を憎む気持ちはない。馬鹿だと憐れむだけだ。」
驚いた。兄は親を赦しているのか?
でも兄の目に偽りない。
霧が晴れたようにまっすぐ俺を見ている。
「だから、全ての元凶はカムではない。お前は一番の被害者だ。何一つ悪くない。」
決して俺の存在がみんなを苦しめていたわけじゃない。
兄は微笑んだ。
「父様はカムに謝りたいと言っていた。身勝手な自分を憎んで、この先会う事が叶わなくても、せめて一言謝りたいと言っていたよ。そして悔いのない幸せな人生を歩んでほしいと願っていた。…僕もそう思う。カムには今まで傷ついた分、幸せになってほしい。」
許す、許さない。
今の気持ちはどっちにあるのか分からない。
いきなり真実を知って混乱している。
「…実は僕もね?カムを憎んだ事が無いと言えば嘘になる。でもお前は僕を慕ってくれた…歪な環境にいつも疑問に思っていたお前は僕と同類、そして大好きな弟だ。」
兄様は俺を憎んでも弟として愛してくれた。
そして今も大切に想ってくれる。
涙が出そうだ…。
「お前は『カルフェン』でも『カム』でも変わらない。どんな名前だって僕の弟だ。だからカムもどうか父や母のしがらみから抜けて自分の幸せをみつけて?僕の幸せは自分で掴んで幸せになる。絶対、父達みたいに後悔する人生を歩まない!」
ハッキリと言う兄はもう父達の柵に囚われていない。
なら俺は?
「名前は自分が存在している事を肯定するもの。『カルフェン・クラベル』はお前だけの名前だ。過去にどんな深い理由があろうと全部関係ない。そんな理由でお前が歩む人生を憚れる事は決してないんだ。」
「…グレン様。」
「誰の血が流れていようとカルフェン様はクラベル伯爵様の家族であり私達の家族です。どうか私達の想いを否定しないで?」
「リリー様…。」
俺を慕う二人の想いが心に刺さる。
「過去の出来事に苦しめられても、未来まで奪われてはいけません。貴方の未来は貴方のもの。カルフェン様はその未来に誰と歩みたいですか?」
リリー様の問いかけに脳がある人物を浮かべた。
『 カム! 』
ロザリアお嬢様だ。
ロザリア様が俺に手を差し伸べている。
「お姉様はクラベル家の事情に目を向けず、等身大の貴方を心から信じて隣にいます。どうかお姉様を思い出してください。」
リリー様は無邪気な笑顔を見せた。
いつもの仔兎の様な無邪気さではない。
その表情はロザリア様が良く見せる笑顔。
まるでロザリア様が目の前にいるよう。
ロザリア様の声が聞こえる…。
『わたくしには、カムが例えどんな名前だろうとも、カムがどんな過去を持っていても、わたくしにとっては今の『カム』が全てだわ。転生者だろうが、何者だろうが関係ない。わたくしの従者でわたくしの破滅を無くすために協力し合う同志ですもの。わたくしはカムを信じている。』
夜会の馬車で頼もしく微笑むロザリア様。
『過去なんてどうでもいいわよ!大切なのは今でしょう!?カムが何者だろうが関係ない!それなのに…それなのに、今のわたくしを否定しないでよ!』
講堂で俺の言葉に傷ついて必死に訴えるロザリア様。
『わたくしの気持ちは貴方が良いの。…好きなの…カム』
俺を求めてくれたロザリア様…。
頬に熱いものが伝う。
名前がなんであろうと…どこの生まれだろうと…
『俺は…“俺”だ。』
ロザリア様は『俺』を好きになってくれた。
俺の過去を話しても、“どうでもいい”と言った。
後先の事を考えていないと思ったが、あの子はそんな馬鹿な子ではない。
俺が転生者と言う話をした時点で既におかしい人だと思ってもおかしくないのに、ロザリア様は俺を信じてくれた。
信じていなかったのは俺だった。
勝手に諦めて、勝手に決めつけて、勝手にロザリア様を引き離した。
純粋な彼女を傷つけた。
本当は誰より彼女を離したくなかったのは俺自身なのに。
自分で自分を傷つけた。
自業自得だ。後悔しても遅い。
自分がした事の後悔に俯き涙を流した。
読んで頂き有難うございます。




