第百七話 学園への入学
朝。
目が覚めた。
昨日と同じ天井。
でも。
今日でしばらく見なくなる。
起きる。
服を着る。
顔を洗う。
朝食を食べる。
一つずつは。
いつもと同じ。
違うのは。
部屋の隅にあった荷物が。
もう廊下へ運ばれていること。
玄関には。
家族が集まっていた。
父上。
母上。
兄。
姉。
先生。
マリー。
全員が学園まで行くわけではない。
見送るためにいる。
「忘れ物は?」
母上が聞く。
「一覧では、ない」
「一覧にない物は?」
止まる。
「分からない」
兄が笑った。
「必要になったら送ってもらえ」
それでいいらしい。
全部を出発前に知ることはできない。
必要になってから分かる物もある。
「困ったら?」
姉が聞く。
「何に困ったか確認する」
「その後は?」
「自分でできるか考える」
「それでも駄目なら?」
「人に聞く」
姉が頷く。
試された?
多分。
先生は。
いつもと同じ顔だった。
「質問はありますか」
最後まで先生らしい。
「今はない」
「では、見つけてきてください」
それだけ。
マリーが。
服の襟を直す。
昨日も直した。
今朝。
部屋でも直した。
玄関でも直す。
「そんなに曲がる?」
「少しだけです」
「直さなくても分からない」
「私は分かります」
前にも似たことを聞いた。
洗礼の朝。
服で見え方が変わる。
今日は。
学園の制服ではない。
入学前だから。
まだ徽章も付けていない。
それでも。
旅に使う服は。
普段より整っている。
見送る人のため?
着る俺のため?
学園で最初に会う人のため?
一つではない。
馬車へ乗る。
父上と母上。
マリーも一緒だった。
兄と姉は残る。
先生も。
馬車が動く。
窓から見る。
屋敷が少しずつ離れる。
兄が手を上げる。
姉も。
先生は頭を下げた。
俺も手を上げる。
声は出さない。
距離が開く。
顔が見えにくくなる。
門を出る。
屋敷は見えなくなった。
「変な感じ」
母上が聞く。
「何が?」
「帰る場所なのに、離れていく」
「帰れなくなるわけではないわ」
分かっている。
休みには戻る。
荷物も全部は持っていない。
でも。
毎日戻る場所ではなくなる。
場所の意味は。
距離だけでは変わらない。
使い方で変わる。
町を抜ける。
村へ行った時とは。
違う道へ進む。
道幅が広い。
馬車も多い。
同じ方向へ進む車が。
何台もある。
荷物。
家族。
俺と同じくらいの子供。
「あれも学園?」
「おそらくな」
父上が答える。
一台を追い越す。
窓の向こうに。
長い耳が見えた。
エルフ。
その隣には。
人族の男。
親子?
違うかもしれない。
別の馬車には。
頭の上に耳のある子供。
獣人。
窓際で。
外を見ている。
向こうもこちらを見る。
目が合う。
すぐに離れる。
名前も知らない。
でも。
同じ方向へ進んでいる。
学園が近づくほど。
同じ年代の子供が増える。
家では。
兄や姉を除けば。
俺と同じ年齢の者と。
長く過ごすことは少なかった。
町では見た。
祭りでも。
神殿でも。
でも。
見るだけ。
今日は。
同じ場所に入る。
「全員十二歳?」
「近い年齢だ」
入学の時期が同じでも。
誕生日は違う。
十一歳の者も。
十二歳になったばかりの者も。
もうすぐ十三歳の者もいる。
同じ学年。
同じ年齢ではない。
また。
人が引いた区切り。
学園が見えた。
最初に見えたのは。
高い塔。
その次に。
長い石の壁。
門。
屋根。
建物が一つではない。
大きな校舎。
低い建物。
広い運動場。
離れた場所にも屋根がある。
「あれ全部?」
「学園の敷地だ」
屋敷より大きい。
町の一部みたいだった。
本を学ぶ場所。
魔法を学ぶ場所。
体を動かす場所。
寝る場所。
食べる場所。
多くの人が。
同じ時間を過ごすための場所。
門の前で。
馬車が止まった。
前にも何台かいる。
すぐには進めない。
「入れない?」
「順番を待っている」
待つ。
先生に言われた。
自分の順番でなくても学ぶ。
入るところから。
もう順番がある。
門の脇に。
大きな板が立っている。
入学者。
家族。
荷物。
それぞれの進む場所が。
矢印で分けられている。
人が多いから。
全員が好きな方向へ動けば。
詰まる。
道を分ける。
薪の運搬と同じ?
同じではない。
でも。
流れが多い時。
通る場所を分けるのは似ている。
馬車を降りる。
荷物は。
別の係が運ぶ。
札を渡す。
名前。
家。
寮の番号。
箱にも。
同じ札が付いている。
「俺より先に部屋へ行く?」
係の男が答える。
「荷物の方が早いかもしれませんね」
人と物。
別の道を通る。
最後に。
同じ部屋で合流する。
屋敷の薪と。
少し似ている。
俺は入学者の列へ。
父上たちは。
家族の列へ進む。
まだ離れない。
でも。
立つ列が変わった。
前には。
人族の少年。
後ろには。
背の低いドワーフの少女。
さらに後ろ。
灰色の耳と尾を持つ獣人の少年。
服も違う。
持っている鞄も違う。
話す声の大きさも違う。
でも。
手には同じ形の書類がある。
一人ずつ。
受付へ進む。
名前。
年齢。
出身。
提出済みの書類。
確認される。
俺の番。
「名前を」
「アルス」
家名も答える。
担当者が。
紙と名簿を見比べる。
印を付ける。
「本人確認をします。こちらへ手を」
小さな板へ手を置く。
冷たい。
魔道具らしい。
薄く光る。
測定?
少し期待する。
でも。
表示されたのは。
登録された名前だけだった。
魔素量ではない。
得意な魔法でもない。
「これは何を見る?」
「提出者と登録者が同じ人物か確認します」
本人との線。
学園の書類に書かれたアルスと。
今ここにいる俺が。
同じだと確認する。
能力は見ない。
洗礼とは目的が違う。
でも。
必要でないものを測らないところは同じだった。
担当者が。
小さな札を渡す。
組。
寮。
入学式で座る場所。
番号が書かれている。
「なくさないでください」
「名前は書く?」
「すでに登録されています」
見る。
確かに。
俺の名前がある。
今朝まで。
学園の名簿にいるアルスは。
紙の中だけだった。
受付を通って。
本人とつながった。
次の机。
制服を受け取る。
すでに寸法を送ってある。
袖を通す。
マリーが見る。
襟。
肩。
袖。
裾。
すぐに近づく。
「少しだけ」
「やっぱり直す?」
「直します」
係の女が笑った。
「初日は、皆さん少しずつ直しますよ」
測った時から。
体が変わる。
布を切った時。
縫った時。
今日。
時間が違う。
寸法が合っていても。
最後は着た体へ合わせる。
マリーが。
小さく縫い直す。
それから。
父上から渡された徽章を。
決められた場所へ付けた。
左胸。
金属の重さは。
ほとんど感じない。
鏡を見る。
同じ顔。
同じ体。
服と徽章が変わった。
「生徒になった?」
係の女が答える。
「入学式が終われば、正式に」
まだ。
入口の途中。
受付を通った。
制服を着た。
徽章を付けた。
それでも。
まだ入学者。
生徒になる線は。
式の後に置かれている。
大きな講堂へ向かう。
家族も一緒。
中には。
椅子が並んでいる。
前方に入学者。
後方に家族。
また場所が分かれる。
俺は。
札に書かれた席へ行く。
父上たちは後ろへ。
振り返る。
母上が小さく手を上げた。
マリーもいる。
父上は。
いつものように頷くだけ。
近くにいる。
でも。
もう同じ列ではない。
隣の席には。
さっき門の後ろにいた。
ドワーフの少女が座った。
椅子へ深く座ると。
足が床へ少し届かない。
少女は。
それを気にしたように。
一度だけ足を伸ばした。
目が合う。
「何?」
「床に届くか見てた」
「見れば分かるでしょ」
「確認した」
少女は眉を寄せる。
怒った?
多分。
「見すぎ」
「ごめん」
謝る。
観測する。
見られる。
同じではない。
俺が知りたいから見ても。
相手は。
見られたいとは限らない。
帳面へ書きたい。
でも今は出さない。
さらに怒られそうだから。
少しして。
鐘が鳴った。
話し声が小さくなる。
完全には止まらない。
教員らしい人が前へ出る。
手を上げる。
それで。
講堂が静かになった。
魔法は使っていない。
一人が手を上げる。
前の列が黙る。
それを見た後ろの列も黙る。
静けさが。
前から後ろへ広がる。
人の動きが。
次の人の動きを変える。
屋敷の帳簿と同じではない。
でも。
伝わるところは似ている。
学園長が話し始めた。
長い挨拶ではなかった。
この学園には。
違う地域。
違う家。
違う種族。
違う学びを持った者が集まる。
入学した時点で。
同じではない。
得意なもの。
知っていること。
使える力。
体の作り。
全部違う。
それでも。
同じ規則の中で。
同じ場所を使い。
互いの違いから学ぶ。
そんな内容だった。
「同じにする場所じゃない」
小さく言う。
隣の少女が横を見る。
「何?」
「違うまま集める場所なんだと思った」
少女は前を見る。
「当たり前でしょ。種族まで違うのに」
当たり前。
俺には。
まだ当たり前ではない。
屋敷では。
家族。
使用人。
先生。
役割が先にあった。
学園では。
同じ入学者として座っている。
でも中身は違う。
同じ扱いと。
同じ人にすることは違う。
学園長の話が終わる。
全員が立つ。
決められた言葉を聞く。
返事をする。
洗礼に少し似ている。
名前を呼ばれない。
一人ずつ前にも出ない。
多くの人が。
同時に返事をする。
声が重なる。
俺の声が。
誰かの声に混ざる。
一人で返事をした洗礼とは違う。
これは。
集団へ入るための儀式。
最後に。
学園長が言う。
「今日より、皆さんは本学園の生徒です」
その瞬間。
光らない。
魔素も増えない。
分かっていた。
でも。
周りの大人が拍手をする。
教員も。
家族も。
入学者の何人かも。
俺も遅れて手を叩く。
生徒になった。
体は変わらない。
でも。
明日から。
決められた授業へ出る。
規則に従う。
評価を受ける。
同じ場所で暮らす。
言葉の後に。
行動が変わる。
だから。
ただの言葉では終わらない。
式の後。
講堂の外へ出る。
家族と会える時間は。
短く決められていた。
母上が。
制服姿の俺を見る。
「似合っているわ」
「さっき直したから」
「直さなくても似合っていたわよ」
マリーが少し困った顔をする。
父上が言う。
「最初から答えを決めるな」
先生と同じ。
でも。
少し違う。
「何の?」
「人のことだ」
人。
これから会う。
学園では。
同じ行動を見ても。
屋敷で知っている人より。
理由が分からない。
服。
種族。
家。
話し方。
一つだけで決めれば。
間違える。
「見る。聞く。分からなければ残す」
「それでいい」
母上が。
抱きしめる。
少し苦しい。
人が見ている。
でも。
離れてほしいとは思わなかった。
「手紙を書いてね」
「何を書く?」
「あなたが見たものを」
それなら書ける。
マリーは。
何か言おうとして。
一度止まった。
「お困りになった時は、お一人で決めずにお知らせください」
「分かった」
「本当に?」
「多分」
「そこは、はい、とお答えください」
「はい」
マリーが笑う。
別れる時間。
鐘が鳴る。
家族は。
来た門の方へ戻る。
生徒は。
校舎と寮の方へ進む。
同じ場所から。
線が二つに分かれる。
俺は。
父上たちが見えなくなるまで見る。
今朝。
屋敷が見えなくなった時とは違う。
今度は。
俺が残る側。
寮へ向かう。
入学者の列。
誰も道を知らない。
前を歩く上級生の案内に従う。
曲がる。
階段。
渡り廊下。
中庭。
似た扉が多い。
一度で覚えるのは難しい。
俺は。
歩きながら数える。
門から講堂。
講堂から中庭。
右。
二つ目の階段。
上。
渡り廊下。
左。
「何してるの?」
後ろから声。
獣人の少年だった。
門で見た。
灰色の耳。
「道を覚えてる」
「案内板があるぞ」
見る。
壁に。
寮の方向が書いてある。
「本当だ」
「見てなかったのか?」
「人を見てた」
少年は。
少し離れた。
また見すぎたかもしれない。
寮へ着く。
入口で。
部屋の鍵を受け取る。
二人部屋。
番号を確認する。
廊下を進む。
扉の数字。
一つ。
二つ。
三つ。
自分の部屋。
鍵を入れる。
少し固い。
一度戻す。
まっすぐ差す。
回る。
扉を開ける。
ベッドが二つ。
机も二つ。
棚も二つ。
窓は一つ。
左右は。
ほぼ同じ。
俺の荷物は。
右側へ置かれていた。
札の番号が。
部屋まで運んだ。
朝。
屋敷を出た箱。
俺より先に着いている。
左側には。
別の箱が二つ。
同室の者の荷物。
名前は。
見ない。
札を裏返せば見える。
でも。
本人から聞く方がいい気がした。
荷物を開く。
服。
本。
筆記具。
徽章の空箱。
帳面。
空の帳面もある。
机の上へ置く。
椅子に座る。
静か。
廊下からは。
足音。
扉の音。
誰かの声。
屋敷の部屋とは違う。
知らない音が多い。
新しい帳面を開く。
最初の頁。
何を書く。
門。
列。
本人確認。
制服。
徽章。
入学式。
家族と別れたこと。
寮。
全部。
でも。
最初に書いたのは。
『同じ入学者として集められた者は、何も同じではなかった』
次。
『学園は、違う者を同じにする場所ではない』
少し止まる。
まだ一日目。
決めるのは早い。
線を引いて。
書き足す。
『少なくとも、入学式ではそう説明された』
これでいい。
聞いたこと。
自分が考えたこと。
分ける。
次に。
『見ることにも、相手がいる』
ドワーフの少女。
獣人の少年。
二人とも。
俺が見た時に反応した。
物を観察するのとは違う。
人は。
見られたことを受け取る。
俺の観測が。
相手の行動を変える。
観測する側だけでは終わらない。
そこまで書いた時。
扉の外で。
足音が止まった。
鍵が差し込まれる。
俺は帳面を閉じる。
扉が開く。
同じ制服を着た少年が立っていた。
後ろに。
灰色の耳と尾。
さっき。
俺から少し離れた少年だった。
少年は。
俺を見る。
右側の荷物を見る。
左側の自分の荷物を見る。
もう一度。
俺を見る。
「お前か」
最初の言葉は。
それだった。
俺も答える。
「同室?」
「見れば分かるだろ」
また言われた。
見れば分かる。
確かに。
でも。
「確認した」
少年は。
少しだけ顔をしかめた。
それから。
扉を閉める。
学園で最初に。
毎日近くで見ることになる相手は。
俺を少し面倒だと思っているらしい。
まだ。
名前も知らない。
入学初日は。
終わっていなかった。
レイン12歳
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