ギルドマスター
「お、おい……嘘だろ? 今日は『紅蓮の牙』だけじゃねえ、Aランクの『漆黒の翼』も全員揃って並んでやがるぞ」
「最下層の『荒獅子の牙亭』に行列ができるなんて、数ヶ月前のドブスープ時代を知ってる俺からしたら天変地異のレベルだわ……」
ギルドの噂を聞きつけた他の冒険者たちで、夕方の店内は溢れかえんばかりの熱気に包まれていた。Bランクの『紅蓮の牙』が完全に胃袋を掴まれて降伏したというニュースは、瞬く間にギルド全階層へ波及し、今やこの店は「高ランク冒険者たちの聖地」としての風格さえ漂わせ始めている。
「はい、お待たせしました! 『紅蓮の牙』の皆さん、お待ちかねの極上親子丼4名様です!」
私がドン、ドン、ドン、ドン!と黄金色の丼を並べると、リーダーの戦士をはじめとする4人が、まるで飢えた獣のような目でスプーンをひったくった。
「これだ……! この出汁の香りが夢にまで出てきそうだったんだよ!」
モグモグ、ゴクン……! と口にかき込んだ瞬間、リーダーの顔に極上の恍惚感が広がる。
「美味い……美味すぎる! トロトロの卵がご飯に絡みついて、喉越しが最高だ! 最下層の飯がこんなに五臓六腑に染み渡るなんて、今までの高級レストランの概念が崩壊しちまう!」
「ガハハ! だから言っただろうが!」
ドワーフのゴルがエールのジョッキを叩きながら笑う。
「ワシらの見込んだ料理人の腕に狂いはないわい! おい小娘、ワシにも唐揚げをおかわりじゃ!」
「はーい、おかわり入ります!」
厨房では、ルークお兄ちゃんが新型二連鍋の前で、完全に職人の目になっていた。
「高ランクが何人来ようが関係ねえ! 最高の温度でバリッと揚げてやるぜ!」
バリクッ!!! サクッ!!!
店内に響き渡る最高の揚げ音が、並んでいる冒険者たちの食欲をさらに限界まで引き上げていく。エルフのリーザも、長い耳を揺らしながらハーブソルトポテトを上品に、かつ猛烈な勢いで口に運んでいた。
「ふふ、エルザ。あなたの言う通りだったわ。このお店の料理には、戦う者の魂を奮い立たせる不思議な力があるみたい」
「当然よ、リーザ。私の目に狂いは出ないわ」
エルザが自慢げに微笑み、ゼクスも満足そうにエールを煽る。
その時だった。店のドアが静かに、しかし妙な威圧感を伴って開いた。
カランコロン……。
入ってきたのは、全身を仕立ての良い白いローブで包んだ、いかにも『ギルド本部の特使』という雰囲気の男だった。彼の胸元には、ギルドマスター直属の証明である金色の紋章が輝いている。
店内が一瞬にして静まり返った。『紅蓮の牙』の面々もスプーンを止め、ゼクスがわずかに鋭い眼光をその男に向けた。
「……何用だ、本部の査察官がこんな場所に」
ゼクスが低く冷徹な声で問い詰める。
特使の男は、周囲の視線に気圧されることなく、カウンターの私の前まで歩いてくると、一枚の厳重に封印された書面を差し出した。
「ギルドマスターからの伝令です。『荒獅子の牙亭』の料理人、レニ。およびルーク」
お兄ちゃんが厨房からビクッと顔を出す。特使の男は書面を開き、厳かに読み上げた。
「最高位Aランクパーティー、および複数のBランク冒険者から上がった度重なる絶賛を受け、当店舗の提供する料理は『冒険者の士気を著しく向上させる特級の兵站資源』と認められました。よって本日より、この『荒獅子の牙亭』をギルド本部直轄の【指定一級憩所】へと格上げします」
「……ええっ!?」
私とお兄ちゃんの声がハモった。周囲の冒険者たちからも「おおおおおっ!」「本部公認の店になったぞ!」と地鳴りのような大歓声が巻き起こる。
「さらに」と特使の男は言葉を続け、私の手の中に、これまでに見たこともないほど眩く輝く『大金貨1枚』を握らせた。
「これはギルドマスターからの個人的な前金、および『席の予約代』です。近々、マスター自身もこちらの料理を食しに足を運ぶとのこと。その際はよろしく頼みますよ、小さな料理人さん」
特使の男はそう言って、私に敬意を込めた一礼を送り、去っていった。
手の中にある大金貨の重みと、周りからの圧倒的な歓声。
下級冒険者のドブスープ酒場から始まった私たちの等身大な成り上がりは、ついにギルドの最高権力者であるギルドマスターの耳にまで届き、誰も追いつけない伝説の領域へと突入していくのだった。
「ちょっと待って、お兄ちゃん! ストップ!」
大金貨をカウンターに置いたまま、私は勢いよく両手を広げた。特使の男が去っていったばかりの店内で、ルークお兄ちゃんが目を丸くしている。
「な、なんだよレニ。ギルドマスターが来るって言ってたし、早く料理の仕込みを……」
「仕込みの前にやることがあるでしょ! この大金貨を見てよ。これだけのお金があれば、ずっとやりたかった『あそこ』も『ここ』も、全部大改装できちゃうじゃない!」
私は新調されたばかりとはいえ、まだまだ最下層のボロ酒場の名残がある店内の壁や床を指差した。
「ギルドの最高権力者が来るんだよ? もし今の状態で来たら、席数が足りなくて他のお客様が入れなくなっちゃうし、厨房の火力だって今の魔導鍋二つじゃ追いつかなくなっちゃう。だから――思い切って、少しの間お店を閉めて、徹底的に大改装しましょう!」
「店を閉めるって……おいおいマジかよ!?」
厨房の奥からお兄ちゃんがひっくり返ったような声をあげる。
しかし、私の決意は固かった。美味しい料理を最高の状態で出すためには、最高の環境が必要不可欠なのだ。
翌朝。『荒獅子の牙亭』の頑丈な木の扉には、一枚の大きな張り紙が張り出された。
【お客様へのお知らせ:業務拡大および店内大改装のため、三日間の臨時休業とさせていただきます。さらに美味しくなった料理をお楽しみに! 店主レニ】
これが、最下層の冒険者ギルドに大パニックを引き起こす引き金になるとは、その時の私はまだ知る由もなかった。
臨時休業一日目
「嘘だろ……。おい、嘘だと言ってくれよ……!!」
午前中、一番乗りで店にやってきた下級冒険者の若者が、張り紙の前で膝から崩れ落ちた。彼の胃袋はすでに、レニのハーブソルトポテトなしでは一日を終えられない体に調教されていたのだ。
「三日間!? 三日間もあの唐揚げが食えないのか!? 俺は今日、命がけでゴブリンの群れを討伐して、あのバリクッて音を聞くためだけに帰ってきたんだぞ……!」
時間が経つにつれ、張り紙の前には次々と冒険者たちが集まり、ドブスープ時代には見られなかったような奇妙な人だかりができていた。
「おいおい、何事だ?」
そこへやってきたのは、Aランクのゼクスさんだった。いつものように連戦の疲れを癒やそうと涼しい顔で歩いてきたが、人だかりと張り紙を見た瞬間、その鋭い眼光がわずかに揺れた。
「臨時……休業……?」
ゼクスさんは信じられないといった様子で呟き、張り紙の文字を三度見した。あのドラゴンを単独で討伐した英雄の肩が、目に見えて落胆で小さく落ち込んでいく。
「ゼクス? 一体どうしたのよ、そんなところで立ち止ま――って、えええええ!?」
後ろから歩いてきた『冷徹の魔女』エルザさんが、張り紙を見るなり上品な悲鳴をあげた。
「ちょっと待ちなさいよ! 私は今日の宮廷魔術師団との退屈な会議を、ここの親子丼を食べるためだけに耐え抜いたのよ!? 三日間もあのトロトロの卵がお口に入らないなんて、私、明日からどうやって魔力を練ればいいのよ!」
「ガハハハ! おいおい、冗談がきついぞエルザ!」
さらに後ろから巨漢ドワーフのゴルさんが大笑いしながらやってきたが、張り紙の文字を読んだ瞬間、彼の豪快な笑い声がピタリと止まった。
「……樽のエールと、あの味の濃い唐揚げがない? ワシの腹の虫に、三日間も断食しろと言うのか……? おのれ、ギルドの本部め! 余計な特使などを寄越してレニちゃんを急かせるからこんなことに……!」
「私の鼻が、あの完璧なハーブの香りを求めて泣いているわ……」
エルフのリーザさんまでが、長い耳をへにゃりと垂らしてドアに突っ伏している。
最下層のボロ酒場の前は、今やAランクから下級まで、ありとあらゆる冒険者たちが集まって「レニ・ロス」を嘆く、奇妙な絶望の溜まり場と化していた。
臨時休業2日目
店外での阿鼻叫喚をよそに、店の中では熱い戦いが繰り広げられていた。
「ガハハ! 泣いてばかりいても飯は食えん! ならばワシが最高の職人どもを集めて、一日でも早く店を開けさせてやるわい!」
昨日あれほど嘆いていたゴルさんが、翌朝にはドワーフの超一流の建築職人たちを十数人も引き連れて、店内に怒鳴り込んできたのだ。大金貨の予算とドワーフの技術が合わされば、三日かかる工事も爆発的な速度で進む。
ガコン! ドカン! パチパチパチ!
店内には心地よい工事の音が響き渡る。
床板は、魔獣の爪でも傷がつかない最高級の「白木のアダマンウッド」へと張り替えられ、歩くたびに光を反射するほどピカピカに磨き上げられていく。
「レニちゃん、この天井を見てくれ!」
ゴルさんが胸を張って指差したのは、天井に取り付けられた巨大な風の精霊石。
「これは最新の『排煙・魔導ファン』じゃ! これがあれば、お主たちがどれだけ大量の唐揚げや芋を揚げようとも、煙や油の匂いが一切客席に残らん! 衣服に匂いがつくのを嫌うエルフのリーザも、これなら毎日大喜びで通うわい!」
「すごーい! ゴルさん、ありがとうございます!」
さらに厨房の改造は、ルークお兄ちゃんが気絶しそうなほど豪華だった。
新しく導入されたのは、火力を自在にコントロールできる「魔導式高火力三連コンロ」。そして、ダンジョンの最深部で採れる万年氷を組み込んだ「氷結魔導冷蔵庫」だ。これにより、鳥肉や新鮮な卵を最高の状態で大量に保存できるようになる。
「これ……本当に俺たちの厨房なのか……?」
お兄ちゃんはピカピカに輝くステンレスの調理台を撫でながら、もはや感動で涙をボロボロと流していた。
改装最終日。店内のインテリアも一新された。
大人数で押しかけてくる高ランク冒険者たちのために、クッション性の高い極上レザーを使った広々としたソファー席がいくつも設置された。カウンターも、元々はガタガタだった木枠から、重厚な一枚板を贅沢に使った高級感あふれるものへと生まれ変わっている。
それでいて、下級冒険者たちが気後れしないよう、かつての『荒獅子の牙亭』の温かみのある木のぬくもりはしっかりと残されていた。
店の外では、明日からの営業再開を待ちきれない冒険者たちが、すでにそわそわと店の様子を伺っている。
「おい、見たか? 窓からチラッと見えたけど、中がとんでもなく綺麗になってるぞ」
「明日は絶対に朝一番で並ぶ。俺はもう、他の店のドブスープもどきじゃ満足できない体になっちまったんだ……」
彼らの期待値は、三日間の飢えによって極限まで高まっていた。
「よし、お兄ちゃん! 準備は完璧だね!」
新しくなった厨房で、私は真っ白なエプロンをきゅっと結んだ。
「おうよレニ! この三連コンロなら、何人客が来ようが、ギルドマスターが来ようが、一瞬で最高に美味い唐揚げを作ってみせるぜ!」
ボロ酒場としての歴史に幕を閉じ、ギルド本部公認の【指定一級憩所】として生まれ変わった『荒獅子の牙亭』。
極限まで飢えた最強の常連たちと、ついにやってくる最高権力者ギルドマスターを迎えるための、伝説の新装開店の幕が、いよいよ明日、上がろうとしていた。
「三日間の断食は、もう限界だああああ!」
新装開店の当日、朝一番の鐘が鳴ると同時に、『荒獅子の牙亭』の新しい扉の前には、最下層ギルドの歴史に残るほどの長蛇の列ができていた。先頭に陣取っているのは、なんとAランクパーティー『漆黒の翼』の4人と、Bランク『紅蓮の牙』の面々だ。
「開けるよ、お兄ちゃん!」
私が勢いよく扉を開け放つと、待ってましたとばかりに冒険者たちが雪崩れ込んできた。
「おい、なんだこの床! ピカピカだし傷一つねえ!」
「匂いが……油臭さが全くない! 天井の魔導ファンが全部吸い取ってやがるぞ!」
新調された高級レザーのソファー席に滑り込んだゼクスさんは、深くため息をついてカウンターの一枚板を撫でた。
「……長かった。この三日間、死線を超える依頼よりも辛かったぞ、レニ」
「ふふ、お待たせしましたゼクスさん! 今日はたっぷり食べていってくださいね!」
「おい小娘! まずは唐揚げ5人前と、この新しいデカい樽のキンキンに冷えたエールをくれい!」
ドワーフのゴルさんがテーブルを叩いて大笑いする。
「はい、喜んで! お兄ちゃん、新型三連コンロ、フル稼働でいくよ!」
「おうよ! 待たせたな野郎ども! 限界突破の揚げたて、今行くぜ!」
ルークお兄ちゃんが魔導コンロの点火スイッチを入れる。かつてとは比較にならない爆発的な高火力が、新型鍋の
油を瞬時に完璧な温度へと引き上げた。特製タレに漬け込まれた鳥肉が、一気に投入される。
バリクッ!!! サクサクッ!!! バリバリクッ!!!
三つの鍋から同時に響き渡る、これまでにないほど軽快でジューシーな「最強の揚げ音」。その心地よい音が最新の魔導ファンを通じて店内に響き渡るだけで、冒険者たちの喉がゴクリと一斉に鳴った。
私はその横で、大金貨の予算で仕入れた極上のキノコ出汁を贅沢に使い、濃厚な地鶏の卵を絶妙な半熟状態でご飯の上へと滑らせていく。
「お待たせしました! 新生『荒獅子の牙亭』特製ハニーマスタード唐揚げと、極上親子丼です!」
ピカピカのテーブルに次々と並べられる黄金の料理たち。
「これよ……この音と香りを待っていたのよ!」
エルザさんが我慢できずに唐揚げを口へ運ぶ。
バリッ!!!
「んんんーーーっ! 改装前よりさらに皮のサクサク感が増してる! 中の肉汁が弾けるみたいに溢れてくるわ!」
「ガハハハ! この親子丼の出汁の濃さも尋常じゃねえ! 米が、米が止まらんわい!」
ゴルさんが豪快に丼をかき込み、エルフのリーザさんも長い耳をパタパタと揺らしながら「ポテト追加! あと唐揚げももう一皿!」と目を輝かせて叫んでいる。
店内の熱気が最高潮に達し、下級も上級も関係なく誰もが笑顔でB級グルメを貪り食っている――まさにその時だった。
カランコロン……。
新調されたドアが静かに開き、店内の喧騒がピタリと止んだ。
入ってきたのは、仕立ての良い漆黒の長外套を羽織り、白髪混じりの髭を蓄えた眼光鋭い老紳士。その圧倒的な威圧感に、食べていた冒険者たちが一斉に直立不動になる。
彼こそが、この街の全冒険者を統べる最高権力者――ギルドマスター・バルトロメウスだった。
「ほう……最下層の酒場と聞いていたが、ずいぶんと品のある見事な店じゃないか。風の魔導ファンの使い方も贅沢で素晴らしい」
バルトロメウスはフッと目を細めると、堂々とした足取りでカウンターの中央へと腰掛けた。
「お前が噂の小さな天才料理人レニか。ゼクスたちが任務帰りに毎日ここへ直行すると聞いてな。老い先短いワシの胃袋を満足させられるか、試させてもらおう。……注文は、あの『からあげ』と『親子丼』だ」
「はい、ギルドマスター! ギルドのトップを唸らせる最高の一皿、すぐにお作りします!」
私はお兄ちゃんと視線を交わし、ニヤリと笑った。相手がどれほど偉い人だろうが関係ない。私たちの料理の美味さは、もう誰も止められないのだから。
新しくなった厨房の総力を結集し、今日一番の完璧な状態で仕上げられた唐揚げと親子丼が、ギルドマスターの前に差し出される。バルトロメウスは無言で唐揚げを手に取り、ゆっくりと口へと運んだ――。
最下層のドブスープ酒場から始まったレニとルークの等身大の成り上がりストーリー。最高の仲間と、最強の厨房を手に入れた『荒獅子の牙亭』の美味なる伝説は、ここから本当の意味で、世界を揺るがした。
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