成り上がりの始まり
新しい小説です!ぜひ読んでみてください。
シーーーン……。
夕食時だというのに、店内に響くのは天井から滴る水の音と、気だるげにハエを追い払う音だけ。
ここ、冒険者ギルドの最下層にある酒場『荒獅子の牙亭』は、私――レニの実家だ。
「はぁ……今日も客はゼロ、か」
私はカウンターに頬杖をつき、誰もいない薄暗いフロアを見渡してため息をついた。
たまに迷い込んでくる客といえば、他のお店が満席で渋々やってくるような、身なりの汚い下級冒険者くらい。彼らが残していく言葉は決まって「不味い」「二度と来るか」の二言だ。
それもそのはず。試しに私が厨房の鍋を覗き込むと、そこには強烈な泥臭さを放つ灰色に濁った液体が溜まっていた。
(……うん、知ってたけど、やっぱりドブ川の匂いがする)
アク抜きもされていない泥臭い根菜が浮いているスープ。そして、噛み切るのに顎の筋トレが必要なほどカチカチに干からびた、塩辛いだけの肉。
これがこの店の「看板メニュー」なのだから、客が寄り付かないのも当然だった。
私は前世、日本の小さな小料理屋で働く若手料理人だった。しかし、不慮の事故で命を落とし、気づけばこの異世界の、万年赤字のボロ酒場の娘に転生していた。
この世界の食文化は、一言で言って「絶望的」だ。
調味料といえば雑味が強くて苦い塩くらいで、出汁の概念もなければ、適切な火加減の概念もない。みんな「腹が膨れればいい」と、家畜の餌のような飯を渋々食べている。このままだと、今月分の仕入れの借金すら返せずに店は潰れてしまう。
「おい、レニ。何ぼーっとしてんだ?」
後ろから声をかけてきたのは、私の兄のルークだ。
ボサボサの赤髪に、無駄にガタイが良い十九歳。実家の用心棒兼、買い出し担当をしている。妹想いでいい奴なのだが、いかんせん脳みそまで筋肉でできている。
「お兄ちゃん。うちの店、このままだと本当に今月で潰れちゃうよ?」
「うっ……それは分かってるけどよ。親父もお袋も体調が悪いし、俺がギルドで依頼を受けて稼ごうにも、下級冒険者の稼ぎじゃたかが知れてる。やっぱり、飯が不味いのが原因か?」
「原因の10割がそれだよ。お兄ちゃん、今日買ってきたのは?」
ルークは自分が買ってきた、カゴいっぱいの「アースポテト」を見て顔をしかめた。泥がついた、ラグビーボールのような形の芋だ。
「これだって、一番安くて誰も買わないから押し付けられたんだよ……。茹でてもパサパサで、喉に詰まるからって家畜の餌にしかならねえ不人気芋だ。山ほど余っちまった」
私はそのアースポテトをじっと見つめた。
見た目は不格好だが、水分量と澱粉の質は、前世のジャガイモに酷似している。
「……ねえ、お兄ちゃん」
「あん? なんだよ」
「ちょっと厨房、貸して。この余ってる芋、私が全部買い取るから。あ、あと、前にお兄ちゃんが買ってきた、あの『獣の脂の塊』も使っていい?」
「え? ああ、構わないけど……お前、料理なんてできんのか?」
私はフッと不敵な笑みを浮かべた。
「舐めないで。元・プロをね」
◇
厨房に入った私は、さっそく袖をまくった。
まずはアースポテトの泥を綺麗に洗い流し、皮を剥いて、均等な細切りにする。
「お、おいレニ、そんな細く切っちまったら、茹でた時にボロボロに崩れるぞ!?」
後ろで見ていたルークが慌てるが、私は無視だ。
「茹でないよ。これを『揚げる』の」
私は鉄鍋に、獣の脂を入れて火にかけた。この世界では、脂は「肉を焼くときに焦げ付かないように塗るもの」という認識しかない。鍋になみなみと注がれた脂を見て、ルークは目を丸くしている。
脂が適温になったところで、水気を切った芋を投入する。
シュワァァァァァァァッ!!!
心地よい音とともに、厨房に一気に香ばしい匂いが広がり始めた。
「な、なんだこの音と匂いは!?」
「ここからがポイント。一度、うっすら色がつくくらいで引き上げるの」
一度油から上げ、少し休ませる。そして、今度は火力を強めて高温にし、もう一度油に放り込む。――そう、必殺の「二度揚げ」だ。
ジュワワワワッ!とさっきより激しい音が響き、芋の表面がきつね色に変わっていく。外側が完全にカリッとしたタイミングで引き上げ、ボウルに移した。
仕上げに、すり鉢で細かく砕いた上質な岩塩をサラサラと振りかけ、ボウルをあおって全体に馴染ませる。
カラカラ、と小気味いい音が響く。
黄金色に輝く、湯気たっぷりの『フレンチフライ(ポテトフライ)』の完成だ。
「はい、お兄ちゃん。熱いうちに食べてみて」
「こ、これをか……? 箸もフォークもないぞ」
「手でつまんで食べるの。それが一番美味しいんだから」
ゴクリ、と喉を鳴らしながら、ルークは大きな指で黄金の一本をつまみ、口に放り込んだ。
サクッ。
静かな厨房に、信じられないほど軽快な音が響いた。
その瞬間、ルークの目がこぼれ落ちそうなくらいに見開かれた。
「――ッ!!?! な、なんだこれ……っ!? 外側がサクサクなのに、中は信じられないくらいホクホクしてて、甘い……! それにこの塩気と油のコクが、悪魔的なくらいマッチしてやがる……っ!」
ルークは止まらなくなり、2本、3本と一気に掴んで口に放り込む。
「美味い、美味すぎる! 泥臭さなんて微塵もない! これが、あの安物の芋だってのか!?」
「ふふん、大成功。……よし、ちょうど客が来たみたい。店に出よう!」
◇
カランコロン、と寂しい音を立ててドアが開き、疲れ切った下級冒険者の3人組が入ってきた。
「ハァ……今日も大した獲物は狩れず、まともな店に入る金もねえ。最悪だ」
「この店、いつもガラガラだし、飯も不味いんだよなぁ……。おい、泥スープ3つ――」
そこへ、私はお盆いっぱいに盛った、出来立て熱々のポテトフライを机にドンと置いた。
揚げたての油と香ばしい塩の匂いが、一瞬で店内のドブ臭さをかき消していく。
「お待たせしました! こちら当店特製の新メニュー、お芋を使った『ポテトフライ』です! 新発売記念で、今なら大銅貨3枚! めちゃくちゃ安いよ!」
普段の不味い泥スープの半額以下の値段だ。
「ゲッ、ただの芋かよ……。でも、なんだこの匂い。めちゃくちゃ美味そうじゃねえか」
一人の大柄な戦士が、匂いに耐えかねて大銅貨を投げつけ、恐る恐る一本つまんだ。
サクッ。
男の動きが、完全に止まった。
「……おい、ガッツ? どうしたんだよ。やっぱり不味いのか?」
仲間の声も聞こえていない様子で、男はガタッと立ち上がると、皿の上のポテトを鷲掴みにして口に放り込んだ。
「う、美味ええええええええええええっ!!! なんだこれは! 芋ってこんなに美味いもんなのか!?」
「は!? おい、ガッツ、嘘だろ――サクッ。……うわ、本当だ! 手が止まらねえ!」
「おい、俺にも一皿くれ! 今なら安いんだろ!?」
「俺もだ! あとエール(酒)も追加だ! この芋、酒に合いすぎる!」
その声と香ばしい匂いは、開いたドアから外の通りへと漏れ出していった。
「おい、なんだあの店、いつも誰もいないのに盛り上がってないか?」
「嗅いだことのない、もの凄くいい匂いがするぞ……!」
一人、また一人と、吸い寄せられるように客が店に入ってくる。ガラガラだった店内が、あっという間に見たこともない熱気に包まれていく。
「おい、レニ! 芋が全然足りねえ! 俺、今から市場にあるアースポテト、全部買い占めてくるわ!!」
ルークが興奮で鼻息を荒くしながら、厨房から飛び出していった。
注文の嵐の中、私はお盆を掲げてニヤリと笑う。
(よし……まずは第一歩。次は、この世界の住人の常識を完全にひっくり返す、最高の『主食』を出してあげるんだから)
「おいっ、そこのポテトフライもう一皿! それと冷えたエールを頼む!」
「こっちもだ! 今なら安いんだろ? 大銅貨3枚でこの美味さは神がかってやがる!」
「待て待て、俺のほうが先に注文したぞ!」
カランコロン、カランコロンと、ドアの鈴が壊れそうな勢いで鳴り続けている。
普段は天井から滴る水の音しか聞こえなかった『荒獅子の牙亭』は、いまや熱気と怒号、そして香ばしい油の匂いで溢れかえっていた。
「はいはい、ポテトフライ3丁お待ち! 熱いから気をつけてね!」
私は厨房とフロアを全速力で往復していた。
前世の小料理屋でのピークタイムを思い出す。あの時の経験が、まさか異世界のボロ酒場で活きることになるとは思わなかった。
「お、おいレニ……! 市場から買えるだけのアースポテトを担いできたぞ!」
背後に、大きな麻袋を3つも抱えた兄のルークが息を切らせて戻ってきた。筋肉モリモリの体が、さらに汗で光っている。
「お兄ちゃんナイス! すぐ皮を剥いて細切りにして! 私は揚げる方に集中するから!」
「お、おう! 任せろ!」
ルークは慣れない手つきながらも、圧倒的な腕力で次々と芋の皮を剥いていく。彼が仕込んでくれた芋を、私が絶妙なタイミングで二度揚げしていく。この連携が、さらに店の回転を加速させた。
最初は「ただの安い芋」と侮っていた下級冒険者たちだったが、一口食べればその魔力の虜だ。
カリッとした歯ごたえの後に押し寄せる、ほくほくとした甘み。そして、それを引き立てる岩塩の塩気。さらに、この世界では体験したことのない「揚げ物のコク」が、安物のエール(酒)を極上の美酒へと変えてしまう。
「なあ……この店、本当にあのドブスープを出してた店か?」
「信じられねえ。あのチビの妹ちゃん、もしかして特別な『調理スキル』でも覚醒させたんじゃねえか?」
客たちがそんな噂を囁きながら、競い合うように皿を空にしていく。
気がつけば、床に置かれた売上回収用の木箱には、大銅貨がジャラジャラと山のように積み上がっていた。一晩で、これまでの1ヶ月分以上の売り上げだ。
しかし。
夜が更けるにつれ、冒険者たちの胃袋にある変化が起き始めていた。
「ゴフッ……美味い。美味いんだが……」
最初にポテトを食べた大柄な戦士・ガッツが、ふぅと息を吐いてお腹をさすった。
「ポテトは最高だ。だけどよ、芋と酒だけだと、なんというか……ガッツリした『飯』が食いたくなるな」
「わかるぜ。俺たち、今日は一日中ダンジョンを這い回って腹がペコペコなんだ。芋の買い食いじゃなくて、米とか肉とか、腹にドスンと溜まる主食が欲しい……」
周囲の冒険者たちからも、同意の呟きが漏れ始める。
「おい、妹ちゃん。なんかガッツリした美味い飯はねえのか? いつものあの硬い干し肉と泥スープは御免だぜ?」
私は厨房の入り口で、待ってましたとばかりにニヤリと笑った。
ポテトフライで客の胃袋を刺激し、喉を乾かせ、油への耐性をつけさせる。そこへ、最高のタイミングで「本物の主食」を叩き込む。これこそが、私の描いた『成り上がり』の第2段階だ。
「皆さん、お腹が空いてるんですね? ……お兄ちゃん、今日、鳥系の魔獣の肉って入ってない?」
「え? ああ、コカトリスの肉なら、ギルドの売れ残りを安く分けてもらったけどよ。あれ、パサパサで硬くて、煮ても焼いてもゴムみたいだぞ?」
「ふふん、大丈夫。私の手にかかれば、極上の柔らかさになるから。あと、卵と……あそこにある、お米に似た『コメノ実』を炊いて!」
私は再び厨房の奥へと引きこもった。
まずはコカトリスの肉。ルークの言う通り、普通に焼けばパサパサになる部位だが、繊維を断ち切るようにそぎ切りにし、あらかじめ少量の酒(この世界の大衆酒)に漬け込んで保水性を高める。
そして、今回の主役は「出汁」だ。
この世界には鰹節も昆布もない。だが、ルークが森で拾ってきた、誰も見向きもしない乾燥キノコ(前世の椎茸に似ている)と、魔獣の骨から取ったスープを合わせる。そこに、私が独自に塩とハーブ、そして麦を発酵させて作った「簡易醤油風調味料」を調合する。
鍋に出汁を注ぎ、クツクツと沸いたところに、玉ねぎに似た甘みのある野草と、下処理した鳥肉を投入する。
出汁の旨味が肉にじんわりと染み込んでいく。
「うわ……なんだこの、優しくて深みのある匂いは……」
ルークが鍋を覗き込み、よだれを垂らしそうになっている。
「仕上げはこれだよ、お兄ちゃん」
私はボウルにといた卵を、円を描くように鍋へ流し込んだ。
ここでのポイントは、「絶対に火を通しすぎないこと」。異世界の料理は、衛生面の恐怖から何でもカチカチになるまで加熱する。だが、新鮮な卵であれば、半熟が一番美味い。
一瞬だけ強火にし、卵の縁がふわっと膨らんだところで火を消し、蓋をする。余熱で数十秒。
「よし、ルーク。炊きたてのコメノ実を丼に持って!」
「お、おう!」
湯気が立つ真っ白なご飯の上に、鍋から豪快に具材を滑らせる。
出汁を吸って飴色になったお肉と野草。その上を、いまにも溢れそうな、とろっとろの黄金色の半熟卵が包み込んでいる。
『異世界風・親子丼』の完成だ。
「ガッツさん。お待たせしました」
私は湯気が立ち上る丼を、カウンターのガッツの前にドンと置いた。
「な、なんだこれは……!? 米の上に、黄色いドロドロしたものが乗ってるぞ……?」
「見たことねえ料理だ。これが飯なのか?」
怪訝そうな顔をする冒険者たちに、私は木製のスプーンを差し出した。
「新メニュー第2弾、コカトリスと卵の『親子丼』だよ。これも今なら、お試し価格で大銅貨5枚! スプーンでご飯ごと、豪快にかき込んで食べてみて!」
ガッツはゴクリと唾を飲み込み、スプーンを黄金の山へと突き刺した。
すくい上げられたご飯には、出汁をたっぷり吸った半熟の卵が絡みついている。それを、大きな口へ一気に放り込んだ。
モグ……。
ガッツの身体が、ビクンと硬直した。
持っていたスプーンが、ガタガタと震えている。
「おい、ガッツ!? どうしたんだよ、毒でも入って――」
「う……うおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!」
突然、ガッツが獣のような咆哮をあげた。
「美味いっ! 美味すぎるぞこれぇぇぇ!! なんだこの肉は!? あのパサパサのコカトリスが、なんでこんなに柔らかくてジューシーなんだ!? それに、この黄色い卵……とろとろで、口の中で米と一緒に溶けていく! この甘辛いタレの味は何なんだよチクショウ!!」
ガッツは狂ったようにスプーンを動かし始めた。
一気にかき込み、咀嚼し、飲み込む。丼から立ち上る湯気と旨味の香りが、店内の全冒険者の理性を完全に破壊した。
「おい、俺にもそれをくれ!」
「俺もだ! 大銅貨5枚なんて安すぎる、2杯持ってこい!!」
「卵がとろとろってどういうことだ!? 俺も早く食わせろ!!」
「はいはい、順番に作りますから、お兄ちゃん、ご飯のおかわり急いで!!」
「おおお! 任せろ、いくらでも炊いてやるぜええ!」
その夜、『荒獅子の牙亭』の明かりは、夜が明ける直前まで消えることはなかった。
ポテトフライで胃袋を掴まれ、親子丼で魂まで奪われた冒険者たちの口コミは、翌朝、瞬く間にギルド全体へと広がっていくことになる。
貧乏ボロ酒場が、異世界の歴史を揺るがす「美食の聖地」へと成り上がる――その伝説は、まだ始まったばかりだ。
読んでいただきありがとうございます!
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