第69話 今日この瞬間から
最後の打ち上げ花火が夜空の彼方へ消え、視界を埋め尽くしていた黄金の火花が、ゆっくりと黒い闇へと還っていく。
先ほどまでの轟音が嘘のように静まり返った展望台。
俺の腕の中には、まだ確かな熱と、少しだけ早まった彼女の鼓動が残っていた。
「……一真。そんなに抱きしめて……もう、腕、折れちゃうよ?」
凛の声が、俺の胸元でくぐもって響く。
「あ……わるい」
俺は慌てて彼女を抱きしめる力を緩めたが、凛は離れるどころか、俺のシャツの裾をさらにぎゅっと握りしめてきた。
「にひひ。嘘だよ。……もっと、こうしてていいよ。今日は私のワガママ、全部聞くって約束したもんね?」
「ああ、言ったな。……でも、そろそろ山を下りないと、本当に門限を過ぎるぞ。お前の親御さんに嫌われたくないしな」
俺が苦笑いしながら言うと、凛はようやく名残惜しそうに顔を上げた。
月明かりに照らされた彼女の顔は、これまでの何よりも輝いている。少しだけ潤んだ瞳が、俺のことを一秒たりとも逃さないと言わんばかりに真っ直ぐに見つめていた。
「わかった。じゃあ、駅まで。……今度は『彼女』として、エスコートしてよね」
凛はそう言って、俺の右手を自分の左手で、指を深く絡める『恋人繋ぎ』で強く握りしめた。
そして2人して立ち上がると元来た道を戻り始めた。
山道を下る足取りは、登りよりもずっと軽かった。
不揃いな土の段差を越えるたびに、浴衣の袖が俺の腕を撫でる。繋いだ手のひらから伝わってくるのは、もう「相棒としての信頼」なんていう便利な言葉では覆い隠せない、剥き出しの熱量だ。
坂を下りきると、そこにはまだ祭りの余韻が色濃く残っていた。
店じまいを始めた屋台からは、炭の燃える匂いとソースの焦げた香りが混ざり合って漂ってくる。
提灯の明かりに照らされた石畳の上を、数えきれないほどの風鈴がチリン、チリンと、夏の夜の終わりを惜しむように鳴らしていた。
「……夢じゃないんだよね。これ」
人混みを避けて細い路地に入ったとき、凛がポツリと呟いた。
「なにがだよ」
「カズ……一真が、私のことを好きだって言ってくれたこと。私たちが、親友じゃなくなったこと」
「ああ、夢じゃないよ。さっきから繋いでる手の温度、わかるだろ。俺の心臓、お前の手に響くくらいうるさいしな」
俺が自嘲気味に答えると、俺の心臓音を確認するためか凛は立ち止まり、「にひひ」と、今日一番の、そしてこれまでで一番可愛いハルの笑顔を咲かせた。
「本当だ。ドクドク言ってる。……。嬉しいな。一真をこんなにドキドキさせてるのが、私なんだって思うと、なんか無敵になれる気がするよ」
凛は俺の腕にさらに寄り添い、薄暗い路地裏の自動販売機の光を背に立ち止まった。
「ねえ、一真。明後日からの学校、どうする? やっぱり、他人のふり?」
「……。基本はそうなるだろ。お前は学園のアイドル、俺はただの帰宅部。急にベタベタしてたら、一ノ瀬さんはともかく海斗がショックで転校しかねないからな」
「あはは周りの人たちにどうして行こうか考えないとだね……。でも、それも楽しいかも」
凛は俺のシャツの第二ボタンを指先でいじりながら、上目遣いで俺を見た。
そして最高にいたずらめいた、それでいて魅惑的な笑みを浮かべた。
「みんなの前では『東雲さん』と『佐藤くん』。でも、机の下でLIMEしたり、誰も見てないところでアイコンタクトしたり。……。そのたびに、『この人は私の彼氏なんだ』って優越感に浸れるわけでしょ? ……にひひ、最高のご褒美じゃん」
「お前、本当に相変わらず性格悪いわ」
「知ってるでしょ? 一真が三年間も付き合ってきた相棒だもん。……。でも、一真にだけは、これからも一番『最悪』な私を見せてあげるから。覚悟してよね?」
凛はそう言って、俺の右手を自分の頬に押し当てた。
ひんやりとした夜風にさらされていたはずの彼女の肌は、驚くほど熱かった。
「……ああ。お前のわがまま、一生分予約済みだからな。……。凛、大好きだよ」
「――――っ! ズルい、名前呼びはずるい……っ!!」
凛は顔を真っ赤にして、逃げるように駅の改札へと早歩きを始めたのだった。
******
駅のホーム、電車を待つ数分間。
俺たちは、お互いに言葉を発しなかった。
けれど、繋いだ手だけは一度も解かなかった。
お祭りの浴衣姿の人たちが、チラチラとこちらを見ている。
「あの二人、お似合いだね」という声が、夜風に乗って聞こえてきた。
以前の俺なら、「俺なんかが東雲さんと……」と卑屈になっていただろう。
けれど今は違う。
俺の隣で、幸せそうに目を閉じているこの女の子こそが。
三年間、俺が画面越しに守り続けてきた、最高の相棒であり。
今日、俺が一生をかけて守ると誓った、最愛の彼女なのだ。
やがて、滑り込んできた電車のドアが開く。
「……じゃあな、凛。帰ったらログイン……は、疲れてるだろうし無理しなくていいからな」
「やだ。ログインする。……。五分だけでいいから、カズの声聞かないと、眠れないもん」
凛は改札の向こう側で立ち止まり、最後にもう一度だけ振り返った。
「おやすみ。一真。……。明日も、明後日も、ずっと。……よろしくね、相棒」
彼女が消えていったホーム。
俺は、彼女がいなくなった後の手のひらの空白を埋めるように、自分の拳を強く握りしめた。
******
帰り道、一人で歩く夜の街は、いつもより少しだけ明るく見えた。
コンビニの看板も、街灯の光も、通り過ぎる車のヘッドライトも。
そのすべてが、新しい世界の始まりを祝っているような、そんな不思議な感覚。
三年前。
俺はただ、現実の息苦しさから逃げるために、ネトゲの世界へログインした。
そこで出会った、生意気で、口が悪くて、けれど誰よりも真っ直ぐな「ハル」という存在。
姿も知らない。
名前も知らない。
声だって偽物。
そんなデジタルな繋がりが、俺にとって唯一の「救い」だった。
けれど、あのオフ会のあの日。
噴水の前に立っていたのは、俺の想像を遥かに超える、眩しすぎるくらいの「現実」だった。
東雲凛。
学園の天使。
住む世界が違うと思っていた彼女は、実は俺と同じように、自分の居場所を探して彷徨っていた、不器用な相棒だった。
お互いの黒歴史を握り合い。
一ノ瀬さんに翻弄され、海斗を誤魔化し、双葉に疑われ。
そうやって積み重ねてきた「嘘」と「親友」という名の防波堤を。
俺たちは今夜、自分たちの手で燃やし尽くした。
明後日。
月曜日の教室。
俺はまた「佐藤一真」というモブとして、自分の席に座るだろう。
東雲凛はまた「学園のアイドル」として、クラスの中心で笑うだろう。
けれど、俺たちの「裏側」は。
机の下で交わされる秘密のメッセージ。
廊下ですれ違う際の一瞬の熱。
そして、夜のログインで語り合う、恋人としての甘い会話。
それは、どんな伝説のレア装備よりも、どんな最高難易度のクリア称号よりも。
俺の人生を、最高にスリリングで、最高に幸福な物語へと塗り替えてくれる。
「……さて。……。急いで帰らないとな。相棒が待ってるし」
俺は夜空に浮かぶ、七夕の残り香を含んだ月を見上げた。
親友という名のチュートリアルは、今日で終わりだ。
今日この瞬間から。
佐藤一真と東雲凛。
世界で一番不器用な、恋人同士としての「本編」を、一歩ずつ攻略していこうと思う。
たとえどんな強敵が現れても。
たとえどんな困難なギミックが立ちはだかっても。
隣に、最強の相棒がいる限り。
俺たちのパーティは、絶対に解散することはない。
(――待ってろよ、凛)
俺は、スマホの裏側に貼られたドラゴンのシールをそっと指先でなぞり、走り出した。
新しいログイン。
新しい日常。
そして、終わらない二人の物語。
真夏の夜風は、どこまでも心地よく、俺たちの未来を優しく包み込んでいた。
とりあえず書きたいところまでかけて作者の自分としても大満足です!
このあとも2人の物語は夏休み編へと続いていきます!
引き続き応援よろしくお願いします!!!




