第50話 あなたと行きたいの
六月の終わり。
窓の外では、梅雨特有の重たい雲が空を覆い、時折しとしとと降る雨がアスファルトを濃い色に染めていた。
自室で『エターナル・レジェンド』を立ち上げ、ヘッドセットを装着する。
カチリ、とマイクを入れると、同時に弾むような彼女の声が鼓膜を震わせた。
『――よお、カズ! 今日もログインお疲れ!』
ボイチェンなし。耳に心地よく響く、東雲さんの地声。
オフ会以来、彼女はギルド全体にはまだボイチェンを使っているが、俺と二人のプライベート・チャンネルでは、隠し事なしの「ハル」として接している。
「……おう。ハルもお疲れ。期末テストの勉強、進んでるか?」
『……。その話は禁止! 今は相棒として、全力で現実逃避させてよ。……。ねえ、それよりさ、カズ』
画面の中のハル――東雲さんのアバターが、俺の騎士アバターの周りを、何やら落ち着かない様子でぐるぐると走り回り始めた。
『今度の土曜日、空けておいてよ。一緒に買い物に行こ?』
「……。買い物? またオフ会か?」
『違うよー。……。来月、咲希の誕生日なんだけどさ、そろそろプレゼント選ばなきゃなーって思って。でも、咲希って意外とセンスうるさいし、一人だと迷っちゃうんだよね。……だから、その、カズを「男の子視点のアドバイザー」として召喚したいの!』
「……。一ノ瀬さんの誕プレ?」
俺はコントローラーを握る手を緩め、眉を寄せた。
一ノ瀬咲希。
学園トップ2の一人であり、女子力の権化のような彼女だ。そんな彼女へのプレゼントを、万年帰宅部ゲーマーである俺が選ぶ?
「……。いや、ハル。俺に女子のプレゼントのセンスなんてあるわけないだろ。……。海斗でも誘えばいいじゃないか。あいつ、東雲さんと一ノ瀬さんのことなら、毎日穴が開くほど観察してるんだから」
『海斗くんはダメ!! あの子を誘ったら、当日までに学校中に言いふらされちゃうもん。……。それに、これは「秘密の相談役」であるカズにしか頼めない特命なの!』
海斗……あいつ信頼されてねぇなぁ。
別にそんなやつではないとは思うが。イメージというものは怖い。
「……。特命って。……。でもさ、俺が行ったところで『このコントローラー、持ちやすくていいんじゃね?』とかしか言えないぞ。一ノ瀬さんが喜ぶとは思えないんだが」
『いいの! とにかく、「男子から見て可愛いかどうか」の意見が欲しいの! ……。いいでしょ、相棒?』
彼女の声は、いつになく必死だった。
けれど、俺はどうしても腑に落ちなかった。東雲凛と一ノ瀬咲希。
中学からの親友である彼女たちが、お互いの好みを把握していないはずがない。
わざわざ俺を引っ張り出す理由としては、あまりに根拠が薄すぎる。
「……。ハル。……本当にお前、俺の意見が必要なのか? ……。お前のセンスの方が、一ノ瀬さんの好みには絶対に合ってるだろ」
『…………うっ。……。それは、そうだけど……』
「だろ? ……。悪いけど、土曜日はログインしてたいし。……。お前が一人で選ぶか、双葉にでも相談――」
『――もう、いいから!!』
不意に、スピーカー越しに東雲さんの鋭い声が響いた。
……。
沈黙。
ディスプレイの中のアバターが、ピタリと動きを止める。
マイクを通じて、彼女の少し荒くなった鼻息が聞こえてくる。
「……。ハル?」
『……。バカ。……バカ一真。……。なんで、そうやって理屈ばっかり並べるの。……相棒なら、察してよ』
「……。察しろって。……。だから、何を――」
『…………。……行きたいの』
「え?」
『……。……。咲希のプレゼントなんて、ぶっちゃけもうほぼ決まってる! カズに頼みたいのは最後のいいねの確認くらい……。そんなの、ただの口実だよ、バカ……』
ハル――いや、東雲さんの声が、みるみるうちに熱を帯び、最後には震え始めていた。
ボイスチャットの向こう側で、彼女が顔を真っ赤にして、俯いている光景が、痛いほど鮮明に脳裏に浮かぶ。
『……ただ。……カズと、二人で買い物に行きたいの。……この前のオフ会、すっごく楽しかったから。……学校で他人のふりをするのも、もう限界なんだもん。……。だから、二人きりで、ハルとカズとして、街を歩きたいの。……。これ以上言わせないでよ、恥ずかしいんだから……!』
「――――っ!!」
心臓が、今日一番の――いや、これまでの人生で一番の、暴力的なまでの音を立てて跳ねた。
圧倒的な、デレ。
「相棒だから」という言い訳さえもかなぐり捨てて、彼女は「私個人の願い」として、俺を求めてきたのだ。
「……。……わかった」
喉の奥が熱くて、うまく声が出ない。
けれど俺は、震える指でマイクを握り直し、精一杯の誠実さを込めて答えた。
「……。悪かった、ハル。……俺も、お前と出かけるの楽しみだよ。土曜日、駅前な。……。絶対、行くから」
『……にひひ。……最初から、そう言いなさいよ、相棒』
彼女の声は、まだ少し震えていたけれど、どこか安堵したような、最高の「ハル」の笑みを含んでいた。
……。
…………。
その後、俺たちがどんなゲームプレイをしたのか、正直あまり覚えていない。
ただ、ログアウトした後の静まり返った部屋で、俺は自分の胸に手を当て、いつまでも止まらない鼓動を鎮めるのに必死だった。
(……。……。……あんなこと言われたら、もう「親友」なんて言葉、使えねーだろ)
彼女の「二人でいたい」という願い。
それは、三年前の電子の海での出会いから、俺たちの関係が、ついに後戻りできない場所へと足を踏み入れたことを意味していた。
――土曜日。
俺は、彼女との「二度目の密会」に向けて、クローゼットの中をひっくり返し始めた。
外では雨が、さらに強く窓を叩いている。
けれど俺の心の中には、六月のどんよりとした空気など吹き飛ばすほどの、眩しくて熱い太陽が昇っていた。
一ノ瀬咲希への嘘のプレゼント。
そして、その後に待ち受けている、雨音に包まれた「二人きりの特等席」。
俺たちの物語は、この湿った季節の中で、また一段と甘く、深く、溶け合い始めていた。
ついにこのお話も50話となりました!
ここまで読んでくださってる方、応援してくださってる方、ブクマと評価してくださっている方、とてもいつも励みになっております!
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次は夢の100話を目標に頑張ります!
今後とも是非是非よろしくお願いしますm(_ _)m




