運気0と『獅子なる巨人達』
朧朧たる月が照らす夜空の下の小さな平原。
鬱蒼とした森が囲むその真ん中に、一人の少女が、茫然とした様子で電脳体の満月を見上げていた。
しかし少女の瞳は黒いベールの下に隠されており、本当に月に向いているのかは定かではない。
その姿は如何にも無防備で、腰に下げる剣もゆらゆらとまるで安堵しているように揺れている。その腰に下げる剣の装飾は豪奢で、柄には小さな天秤が飾られている。
「……?」
背後に気配を感じた。
「GRRRRRR……」
ギラギラとした瞳で獲物を狙うデッドリーウルフ。プレイヤー達からは、一匹でもいれば大量に群がっていると言われおり、ある所では『初見殺し』、またある所では『経験値狼』と呼ばれるモンスターだ。
退屈そうに一匹の狼と……そして近くに隠れる多数の狼を見て、少女は退屈そうにため息を吐いた、
「……違う。あなたじゃない」
つまらなそうに目を逸らし、自分を狙う狼から視線を外した。命を狙われているというのに、何とも呑気な行動だ。
そして、その好機を逃すほど、モンスターを生み出すシステムは稚拙な作りになっていない。
「わたしが殺めるべきは、人間だ」
迫る狼に背を向けて、少女は剣を抜き放つ。月明かりに照らされて、白銀に光る刀身を大地に突き刺し、膨大な魔力を解き放つ。
少女の持つ剣から球体を描くように放たれた魔力は、迫る狼すらも悠々と飲み込んで喰らう。
「欲の塊。食の獣。――悪の権化」
風が渦巻き、嵐を描き、ベールが下から捲り上げられ、少女の縹色の瞳が晒される。
解き放たれた魔力が逆巻き、今度は周囲の万象すらも飲み込まんとする勢いで、魔力の吸収を開始する。
「あなた達は既に裁かれた罪人……だから、わたしが裁くべきは他にいる」
吸収力が弱まってくる。
同時に、放たれた魔力による、甚大な被害の爪痕が露呈されてくる。
まるでここで爆発でもあったのかと問いたくなる程の、螺旋を描いた大きなクレーター。
迫って来ていたはずの狼の姿はなく、ただ、そこには少女を中心とした楕円形の穴があるだけだった。
大魔王がここに顕現した、と言われても信じてしまえるほどの小さな大災害を前に、災害の元凶である少女は息を吐く。
「……。」
しかし、あくまでも言葉は発さない。
刹那だけ見えた縹色の瞳を月に向け、何かを傍観するように視線を細める。ゲームのシステムが大地を修復していく中で、少女は微動だにせず、たった一言呟いた。
「……早く、裁かねば」
その瞳には、憎しみと後悔だけが含まれている。
街から少し離れた郊外の屋敷。
それが《ギガントレオ》が所有するギルドホーム『勇士の館』だ。
館と名付けられた割に小さな物であるが、それでも中は現在所属の5人が広々と過ごせる空間が広がっており、メンバーがそれぞれ持ち込んだ娯楽物質や書籍等で、暇にならず、かつそれぞれが落ち着ける空間を確保できている。
普段は遊び場所として使用されている円卓も、会議を開くときには作業机として活用できるように大きくなっている。
その大きな円卓には現メンバー5人と、一人の不審者が肩を並べて座っていた。
借りて来た猫のように身を小さくして、気まずそうに座るその姿からは想像もできないほどの美少女で、連れてきたジゼルに腕にくっ付き、寄り添うように座っている。
美少女の見た目は……一言で纏めるなら『ヨーロピアン』といったところだろうか。茶髪混じりの黒い艶やかな美髪。透き通るように薄い白い肌。薄い唇と高い鼻。女のジゼルから見ても羨ましいと思えるほどの美貌である。
何処からどう見てもプレイヤーではない。そう思えるのは首元に刻まれたタトゥーのような翼の紋様だ。
この世界にはタトゥーを入れる店もアイテムもない。つまり首元に紋様が刻み込まれている時点で、この少女がプレイヤーではないことは明白なのだ。
しかし、だとしたら困った物だ。
この少女は、自分が誰なのかわからないと言っている。それはつまり『記憶喪失』という設定を組み込まれたNPCであるということだ。
RPGゲームのクエストでは『記憶喪失』という単語が出てくると、大抵そのクエストは『強制クエスト』である可能性が高い。
「……さっ、ジゼル。アンタの腕に引っ付いてる女の子の説明をしてもらいましょうか?」
「……さぁ?」
「さぁ? って……アンタね、アタシ達の会話を聞いて何も思わなかったの? アタシ達は誰も巻き込まないために、わざわざ少数精鋭のギルドを作ったのであって、知らない美少女を連れ込めるほど余裕のある状況じゃないのよ? だってのにアンタという人はぁ……」
「まぁまぁ、いいではありませぬかカナデ殿。誰かが受けたクエストは皆で解決する。それが暗黙の掟でありましょう。それで、主殿にくっ付いておられる少女よ。クッキーは如何かな?」
「……貰うわ」
「餌付けすんなよなァ……」
カナデ特製の焼き菓子が山積みにされている皿を片手に、少女に菓子を渡すアヤメ。そしてキラキラした目で受け取り、ハムハムと頬張る名無しの少女。そして呆れるジェネシス。
少女が菓子を受け取る時に揺れた体を直して、椅子に座り直したジゼルは、未だ不服そうに自分を見るカナデに、まるで浮気がバレた彼氏のように取り繕った。
「ち、違うんだって! 本当にわたしもよくわかってないんだよ! 路地裏の出店を回ろうかと思って角を曲がったら、いきなりこの子に幻術系統の魔法をかけられて……。追いかけて捕まえたらなんか懐かれてぇ……」
「……そう。経緯はよぉーくわかったわ。けれど腑に落ちないのが、なんでアンタに懐いているのか、よ。何をしたの?」
「何もしてないし、したとしても懐かれることなんて、普通はないでしょ! これ、絶対に何かの強制クエストだろうし!」
勢いのままに少女にくっ付かれている言い訳をするジゼル。それに同調したのは、以外にも傍観を決め込んでいたユーリンだった。
「えぇ。ジゼルさんの言う通り、これは何かしらのクエストの可能性が高いかもしれません」
「なんで?」
「この娘にはネームタグがないため、プレイヤーかNPCかはわかりませんが、しかし街の中でプレイヤーが他のプレイヤーに対して魔法を行使する可能性はゼロに等しいです。それはつまり、クエストのNPCならあり得るということです」
――クエストなんて受けてない!
と反論しようとしたが、それよりも先に納得してしまったのは、誰であろうカナデであった。
「……ジゼルは天賦の運の悪さという地雷を踏み、知らないうちにクエストの発生条件を満たしてしまい、今の状況に至るってわけで……。なるほど。それならジゼルが知らない理由も念頭に置けるわね」
「いや、だからわたしは店を回ってただけで……」
「回ってるうちに運の悪さを発揮したんじゃないの? って話よ。アンタの運の悪さはアタシだって知ってるし、誰よりもアンタが理解してるでしょ」
「うっ……」
言いくるめられる。
運が悪い、と言われれば何も言えなくなってしまうのが、ジゼルの弱さの一つであった、それを理解し、誰よりも助けようとしているカナデであるからこそ、ジゼルに対する説得力があるというものだ。
「つまり俺らは、ジゼルが受けた強制イベントをクリアしなきゃいけないってことだよなァ? ンなら考えることなく、俺とジゼルのゴリ押しでクリアすりゃいいだろォ」
「それができれば苦労はしませんよ」
「あァ? なんでだよォ? コイツからクエストの内容を聞いて、クエボスを狩りゃいいだけの話だろォ?」
「ですから、その『聞き出す』作業が重労働なのですよ。記憶喪失のキャラクターが登場するゲームは、アナタもプレイしたことあるでしょう?」
「チッ……、これだからRPGってのは……」
舌打ちを一つ打って引き下がる。
記憶喪失キャラがキーマンのクエストは、大抵の場合情報が一つもないところから始まるものである。ゲームというのは内容が鍵となる。内容があればクリア方法は分かるというものなのだ。
しかし今回ジゼルが持ってきたのは突発クエスト。
クエストの内容がわからない上に、倒せばクリアになるはずのボスの居場所もわからないときた。となれば、今の状態では打つ手がないということになる。
隣でハムハムと呑気にクッキーにありついている少女を見て、ジゼルは溜まっていた様々な葛藤とともにため息を吐き出した。
「……兎も角、わたしはこの子のことを調べなきゃならないから、もしわたしが調べてる間にストーリーが追加されたら、先に行ってても構わないよってことを言いたくて――」
「……馬鹿。そんなことするわけないじゃない。ただでさえ安本丹なアンタを置いとけるわけないでしょ。アタシはギルドのリーダーである以前に親友なんだから」
「カナデ……」
「なんかドラマティックになってますね。……私も混ぜてもらいましょうか?」
「……やめとけ。身が持たねェぞ」
興味深そうに、そして僅かな疎外感を覚えたアヤメが進言し、ジェネシスがそれを止める。
側から一連の流れを見ていた謎の(?)少女は、クッキーを頬張り、頬をリスのように膨らませながら、モグモグと美味しそうに咀嚼していた。
「……やれやれ。やるべきことが多そうだ」
そんな混沌と化した場の中で唯一冷静を保っているユーリンは、収集がつかなくなってきたギルドホーム内のやり取りを、面白そうに観察するのだった。




