運気0の新イベント
とある探検服の男は見た。
無窮の空から光が降るところを。
とある探検家の男は撮る。
天秤を大事そうに抱えた女神の記録を。
その日、虚数空間の宇宙から、まるで神が下界へと降臨するような光の柱が、実数空間の大地へと降り注がれた。
好奇心が旺盛な探検家の男は、光が降りた場所まで行く。そこには身の丈にあっていない天秤を、大事そうに両手で抱えた女の子がいたらしい。
新イベントのAIかと思って話しかけようとした男は、急に襲って来た眠気に負けて、気付けば街の噴水の前で突っ立っていたらしい。
「――とまぁ、ここまでが巷で噂の『女神降臨伝説』の概要よ。今じゃ浸透しすぎて『女神ちゃん』だとか『アストレアたん』だとか呼称されてるこの女の子だけど、新しいストーリーのキーマンだってことは運営からも発表されてます。……というわけで! アタシたちはこのイベント(仮)の調査に出向きたいわけなのです」
ここは街の中にあるギルド《ギガントレオ》のギルドホーム。外装も内装も特に拘ったような形にはなっていないが、しかし広さは充分過ぎる程に確保されていて、ホームの中央に大きな円卓を置けるほどである。
その大きな円卓を囲むように、《ギガントレオ》に所属しているギルドメンバーが、カナデの説明に耳を傾けていた。
「はい。カナデ先生」
「はい。なんでしょう、ジゼルくん」
いぶし銀の長髪の少女――巷では『最凶』という二つ名を付けられたジゼルが、頭に疑問符を乗せて手をあげる。
「アストライアってなんですか?」
「そこからかよ……」
ジェネシスが呆れた声を出し、それに反応してジゼルが睨む。
教養はあるが神話や伝説といったマニアックなものには疎いジゼルだった。
「――主殿。僭越ながら私がご説明しましょう」
最近、ジゼルの影に隠れていることが多くなったアヤメが、今度もジゼルの影からヌッと現れた。影の中から這い出るように出てくる姿は、まるで本物のくノ一のようだ。
「アストライアというのは、ギリシア神話に登場する女神の名前です。善悪をはかる天秤を持ち、欲望に塗れた人々に正義を布教した、真正の正義の女神と語られています。ローマ神話に登場する正義の神ユースティティアと同列視されております」
「ふーん……。つまり、良い神様ってことでいいの?」
「そういう考えであれば問題はないでしょう。ギリシャではアストライアが正義そのものですので。余談ですが、アストライアの持つ天秤は天秤座のシンボルで、アストライア自身は乙女座のシンボルです」
「えっ? じゃあ次のストーリーが始まる前兆なんじゃない?」
「だからこの話をしてンだろがよォ」
「なるほど」
ようやく合点がいったとばかりに手を打つ。
話の内容は理解していたつもりだったが、何が起こってるのかをまるで理解していなかったジゼルが、ここでようやく話に追いついた。
「……さて、うちのおバカちゃんが話に付いてきたことで、やっと切り出せる話が一つあります。ユーリンさん、お願いします」
「――了解です」
ジェネシスの隣に座っていた眼鏡の男が、満を辞して立ち上がる。
彼の名はユーリン。ジェネシスがプロゲーマーとして活動するに至って、ジェネシスが参加する大会の段取りや、ジェネシスの撮った動画の編集などの手伝いをする、ジェネシス専属のマネージャー兼相棒だ。
「今回の情報だけでも判明しているのは、天秤と乙女の2つです。ストーリーがアンロックされ、攻略をするしたらこの2つですが、このギルドが発端するに至った理由は『ゲームの裏の事情を暴く』ことにあります。ですのでダンジョン攻略をするとしたら、最善、最速、最高の戦闘を心がけてもらわなければなりません」
「……ストーリーもあるんだろうし、そこも楽しもうよ」
「いいえ、カナデさん。水瓶座の時、ログに物語の活字は流れてきましたか? 僕のログにはありませんでしたよ。あのグゥラにどんな伏線が隠されているのかはわかりませんが、それでも水瓶座には少なくともストーリーと呼べるものはありませんでした」
「けどこれは“ストーリー”クエストだよ? アタシたちは別にゲームの裏事情なんて知ろうともしてないし、貴方達みたいなガチゲーマーなんかじゃないの。考えて遊びながら攻略する方が面白いでしょ? アタシたちはそれがしたいの」
「ならどうしてこのギルドを発足しようと思ったんですか? このギルドの最終目標は、発足した時に伝えたはずですが。それに先ほども言いましたよね? もう忘れたのですか?」
「そんなわけないでしょ。仮にもこのギルドのリーダーを務めてるんだよ? そんなヘマなんてするわけないじゃん」
――また始まった……
カナデとユゥリン以外のメンバーの心が一つに定まる。
見て分かる通り、この二人はすごく仲が悪い。一応ギルドリーダーはカナデが、副リーダーはユーリンが務めているのだが、何分、二人のゲームに対して持つ感情はまったくの逆方向のモノであり、共感し合えるモノが一つもない、というのがカナデの談である。
カナデには「同じクランなんだから喧嘩しないでね?」と念を押されたジゼルは、不服そうな顔で頬を膨らませる。
「……長くなりそうだから、わたし、少し外に出てるね。後はアヤメ、よろしく」
「御意」
「んじゃァ、俺もいといてやるよォ」
「うん。じゃあ行ってくる」
そう言ってジゼルは外に出る。
《ギガントレオ》のホームは街からかなり離れた郊外にあり、人気が少ないため訪れる者も少ない。
ZDO内でのギルドの役割は、『多くのプレイヤーが所属し、対抗戦を行う』ことにあり、個人的な戦闘能力がトップクラスの化け物が、二人も揃ってしまった《ギガントレオ》には、入団志望者が後を絶たないため、ホームは他プレイヤーに見つかりにくい場所に設定している。
そもそものギルド発端理由から、他プレイヤーを巻き込まないために、ギルドに入れるわけにもいかないため、『ギガントレオ』は少数精鋭でなければならないのだそうだ。
考えてみれば当然である。
エンジョイにしろガチにしろ、素人にしろ猛者にしろ、ゲームをプレイする人は全員ゲーマー。このゲームを楽しむために、このゲームをプレイしているのだ。
その根本を暴き出そうとしているジゼルたちの行為は、本来ならモラルに則っていない行いであり、プレイヤーがして良い行為を逸脱していると言えるだろう。
ジゼルだって普通に遊びたい。
カナデやアヤメと楽しくゲームをしていたい。
けれど、マジュリティーやらアドラやら、この世界で生まれたとは到底思えない色物に干渉してしまった以上、一プレイヤーとして見て見ぬ振りはできないのだ。
「はぁ……、やっと着いた。まったく、遠いよぉ」
ちなみに、ギルドホームから街まで、徒歩で5分ほどかかる位置に存在する。この5分とは普通のプレイヤーよりも少し歩調が早いジゼルの場合であり、普通のプレイヤーが歩けば7分ほどかかる。ようするに、めっちゃ遠いのである。
街の中に入ったジゼルは、まずアイテムショップに赴き、当初の予定通り回復ポーション×6と大回復ポーション×2をAIの女性店員から買い取る。
後は連絡があるまでウィンドウショッピングだ。ZDOには現実世界にありそうな可愛らしい服や、絶対にない水着アーマーのような、身体の一部が露出しているような。きわどい装備まで諸々揃っている。
どうせ着ないんだし、という理由で、それらを見て歩くのが、最近のジゼルの日課になりつつあった。
この多くの出店は表通りだけではなく、プレイヤーたちからは裏路地と呼ばれる通りにもある、そちらは性能が悪く、見た目もあまり良くない物ばかり売っているのだが、たまに性能が良く見た目も良い掘り出し物があったりする時がある。
ジゼルは昨日のうちに表通りの散策は終わってしまっていたため、民家と民家の隙間にある道から、裏路地へと入って行く。
「……ん?」
すると、目の前が真っ白になり、まるで貧血でも起こしたのかと思ってしまうくらいに、世界の色が一変していた。
「なに……これ……」
ズキズキと頭が疼き、急に瞼が重くなる。
脚に力が入って来なくなり、突然睡魔も襲ってくる。
「っ……!」
歯を食い縛る。ギリギリと音を立てて歯に通った神経に負荷を与える。それだけでは足りない。睡魔を本気で無くすときは、舌を噛まなければ!
「ギ……ィッ!」
口内に走る激痛。味わうのも不快な鉄の味。現実世界ではしたことがあるとはいえ、この仮想世界でも感じることになるとは思わなかった赤い液体を、ジゼルはプッ、と口から吐き出した。
しかし世界の色は戻らない。
睡魔が消し飛んでもなくならないということは、これは誰か術者が行使している魔法ということで間違いないだろう。
「誰ッ!?」
気配のする方向を頼りに、ジゼルは声を荒げて問う。すると術者は相当焦ったのか、幻術を解いてしまい逃げ出してしまう。
「嘘ぉっ……!?」
微かに聞こえた近くの声。難聴ではないジゼルの耳は、はっきりとした方向が聞き取れた。
「逃すか……!」
この状況で自分から逃げ出したということは、自分が犯人だと自白したようなものだ。それを見逃してやるほど、ジゼルの堪忍袋は寛大ではない。せめて「ごめんなさい」の一言でも言わせなければ。
逃げ出した人を追いかけるジゼルは、路地裏やダンジョン内などの閉鎖的空間でのみ使える歩行術を披露する。
「ふ……ッ!」
細い路地裏のど真ん中で、筋力値を脚力に割り振り、ドォンと地鳴りが鳴るほどの力で大地を蹴る。
流石のジゼルも、己の脚力で地面が割れたことには驚いたが、それはそれとして、そんなことを気にしていると術者が逃げてしまうため、一旦脳内の思考から切り離す。
意識するべきは前方の顔の見えない彼、もしくは彼女。目指すべきゴールがすでに定まっている中でのジゼルは、努力をするジゼルは――とても強い。
「だァあああああああッッ!」
「――なッ!?」
疾く駆け走る。
しかし駆けるのは大地ではなく、聳え立つ壁の側面。いわゆる《垂直走》と呼ばれるシステム外スキルである。
その名の通り、壁などの地面に対して垂直に立つ物の側面を走る歩行技術でありながら、使いどころが少ないという欠点を持つネタスキルでもある。
しかし『垂直に走る』ということは、すなわち『普通よりも足を早く動かすことを矯正する』ということであり、使いようによってはかなり勝手の良いスキルでもある。
コーナーで差を詰めるのはレースの鉄則。ならばコーナーそのものを走れば、追いつくのは容易いことなのだ。
「捕ぁ、まぇ……たぁああーーッッ!」
「――きゃあっ!」
上から覆い被さるように、彼(彼女?)の首根っこを掴んでマウントを取る。してやったりといったドヤ顔を浮かべた。
「ふふん。わたしから逃げられるとは思わないでね、幻術魔法の魔法使いさん」
「えぇ。降参です。流石はこの世界で最強と呼ばれる女傑なだけありますね」
ふてぶてしくそう言いのけた中性的な顔は、少年にも少女にも取れる曖昧な顔だった。
「あなたは誰? なんであんなことをしたの?」
「わたくしに誰と問いますか……。わたくしは、……はて、誰でしょう? プレイヤーではないですし、内部NPCでもありません。かといって外部から混入されたNPCでもありませんしぃ……。ジゼルさん、わたくし、誰だと思います?」
「わたしに聞いてどうすんのさ」
フードを取った顔は実に端正だ。
鼻の高いラテン風の美貌。押し倒され乱れた茶髪は、まさに麻布のようにサラサラと流れている。
少なくとも、今現在判明しているのはプレイヤーでもなくただのNPCでもないということだけだ。巫山戯て惚けているようにも見えないし、完全完璧に異物的存在としか見れない。
(まさか……またぁ……?)
マジュリティーやアドラに続く、この世界のシステムに逆らってできた普通じゃないNPCが、不幸にもジゼルの前に現れ、さらなるトラブルを持ってやって来たのだった。




