ハジメマシテ、ニンゲン②
走り続けること数時間。
出発した時はまだ東にあった太陽(本質的には太陽とは違う恒星だが、空を通る軌道も含めてそっくりなので俺は太陽と呼んでいる)はゆっくりと空を泳ぎ、今は西の空から地表を照らしていた。
想像していたより道中は平坦で、スウの想定の半分近くの時間で聖域近くに到達した俺は、今、草むらの陰から聖域を観察していた。
スウ曰くそんなに大きい聖域ではないらしいが、遠くから見ると大きなしゃぼん玉が村一つをすっぽりと覆っているようにも見え、自分が普段住んでいる聖域の小ささを改めて思い知らされる。
村の周りは広い範囲が聖域の外まで開拓されているのか、木も草も一本もなく見晴らしがいい。思っていたよりディストピア異世界ではなかったことに安心していると、スウが言った。
「資源が足りんから渋々聖域の外に出て、近いものから木も草も伐採しておるだけで、開拓のような前向きな行為からは程遠いぞ? そんなことよりあれを見よ。」
魔石の先端が指した方向に目を向けると、なんと聖域の外に小屋があった。
他の建物は全て聖域内にあり、高さはあまりないが柵のようなものすら村を一周取り囲むように立てられているというのに、その小屋だけは不自然に飛び出していた。
「なにあれ。」
「おそらく魔物小屋じゃな。視力を上げてみろ。小屋の窓から何か見えんか?」
言われた通り視力を上げると、確かに見えた。
「あれは……牛?」
そうとしか見えない魔物が小屋の中にいた。
「魔物は聖域の中に入れたら黒い灰になって消えてしまう。かといって聖域内で育てられる野菜や穀物だけではマナが十分に取れんし、わざわざ聖域の外に出て魔物を狩ってくるのも一苦労じゃ。じゃからああして聖域ギリギリに魔物小屋を立て、弱い魔物を集めて繁殖させるんじゃ。」
「襲ってこないの?」
「普通に襲ってくるぞ? 服従の魔法という、まだお前も覚えていない上級魔法があるにはあるが、あの規模の小屋じゃとまず使えるものはおらんな。力技で管理しておるんじゃろ。増やしすぎると手に負えなくなって飼育係が食われるとは思うが。」
「ふーん。どう? 数百年前と比べて文明進化してる?」
「あんまり変わっておらんな。退化しているわけではないが。ただあの村も含めてこの地域はこの星の端にある。中心部に行けば前とは色々変わっておろう。」
その言葉を聞いて疑問が浮かんだ。星の端ってどこだ。
「前々から思ってたんだけど、星の中心とか星の端ってどこ? 中心は掘っていけばいつか辿り着くかなって思ってあんまり気にしてなかったけど、端は本格的にどこ?」
「はあ? 端も中心もそのままの意味じゃが?」
「いやいや、球体に端なんてないでしょ。」
「球体? この星はジョウゴ型じゃ。」
耳馴染みのない言葉が出てきて一瞬混乱した。ジョウゴ……漏斗……ああ、小学校の理科の授業でろ過の実験をする時に使った逆円錐型のあれか。
……え?
「え? 待って。漏斗型?今立ってるの、円錐の平らな部分ってこと? それって海とか川とか色々どうなって……」
「アル。」
俺の疑問はスウの声に遮られた。
「なにかおかしい。村から人が出てくる。」
「そりゃ人くらい出てくるでしょ……?」
そう言ってはみたものの、見れば明らかにおかしかった。
村には一応門番なのか、そこだけ柵が途切れている聖域の内側ギリギリにごつめの格好をした大きい男が二人立っているのだが、その間を何かが別の男に引きずられるようにして通過する。何かを引きずっていた男は聖域の内側ギリギリで止まると、ハンマー投げをするような体勢をとり、引きずっていたものを思いっきり聖域の外に投げた。
何かが空を舞う中、ようやく俺はそれが何か気づいた。
人間だった。
人間は高く舞い上がってから、聖域から少し離れた場所にどすんと落ちた。
瞬間、俺が今いる場所からはだいぶ離れた位置にいたであろう一匹の魔物が、その人間目掛けて走り出した。
魔物が人間に食らいつく瞬間、村の方から複数の魔法が放たれ、人間もろとも魔物を吹き飛ばす。
その光景に絶句している俺をよそに、男は再びハンマー投げの姿勢を取った。見れば手元には既に他の人間が掴まれていた。
思わず立ち上がり駆け出そうとする俺を、スウは止めた。
「待て、アル! あれは死体じゃ!」
その言葉を聞いてよく見れば、確かに掴まれている人間はピクリともしていない。宙を舞った身体はさっきとは少しズレた地点に落ちた。
また魔物が来る。今度は二匹が競うように駆け寄ってきて、そこをまた村から放たれた魔法が襲った。
スウが言う。
「どうやら、相当食糧に困っている村のようじゃな。数百年前でもあまり見なかった光景じゃ。確かに死んだ人間の有効活用としては正しいが……信仰でも変わったか? あまり死者にしていい扱いではないと思うが。」
その言葉に俺が頷いていると、次が来た。
生きた小さな女の子が、ジタバタしながら引きずられていた。
「いや、あれはダメだろ。」
そう呟き、俺は走り出した。今度はスウは止めなかった。それどころか追加で身体強化魔法をかけてくれた。
男がハンマー投げの体勢を取って女の子を宙に投げる。俺は全速力で駆け抜けて、女の子が地面に落ちるギリギリでキャッチした。ものすごいスピードでこちらに突進してきていた魔物に向けて魔弾を放つ。命中したことを確認して反対側を見ると、村の方から光の矢が飛んできている。
避けようとしてその場から離れようとしたら、矢は軌道を変えた。あの距離からよく当てるなぁと密かに感心していたが、追尾弾か。しかもこちらに向かってきているのを見るに対象指定は魔物ではなく投げるものにしているらしい。急いで防御魔法を張り、間一髪で間に合う。
何が起きたかまだ理解できていない、俺より一回りほど小さい女の子を抱えつつ、俺は一瞬考えた。このままここにいるか、森の方に引き返すか、村の聖域に駆け込むか。最後だけは有り得ないとして、どうしよう。
「引き返せ。可能性は高くないが撃たれるやもしれん。」
俺の憂慮にスウは一瞬で気づいて指示を出してくれた。
女の子を抱えて走り、森の中に姿を隠す。じっと見ていると、村の人間は少ししてから聖域から素早く出てきて、俺が仕留めたものを含めた魔物の死骸を回収して行った。
その後も村を観察していると、女の子にローブの裾を引っ張られた。俺も慌てていて外見はよく見えていなかったが、近くで見るととても整った容姿をしている。身にまとっている服こそ質素だが、大きなエメラルドグリーンの瞳と、胸の辺りまで伸ばした桃色の髪がとても綺麗だ。
引きずられて土がついている髪を払っていると、小さな口を開いて女の子は言った。
「◎△$♪×¥●&%#?!」
全く聞き取れない。急いで言葉を理解する魔法の呪文を思い出そうと頭を捻っている俺を置き去りにして、スウがぽつりと呟いた。
「……パンドラ……?」
今まで聞いたことのないようなスウの声だった。
優しさと怒りと懐かしさと、切ないほどの哀しみと、抑えきれない憎悪と、それでも消えない愛おしさが、激しく渦巻きながら絡み合うような声だった。
それを聞いて驚きながらも急いで魔法を発動し、女の子の声に耳を傾けると、女の子も女の子で、誰もいないはずの空間から明らかに5歳児の男の子からは出ないような声が聞こえてきたことにびっくりし、また、そもそもスウの言葉が理解できていなかったのか首を小さく傾げていた。
それを見てスウもようやく伝わらなかったことを理解したのか、魔石を光らせ同じように魔法を発動させる。
女の子が再び口を開く。
「あなた達はだあれ?お話はできないんですか?」
聞き取れたことに興奮し返事をしようとして、これだと向こうに伝わらないことに気づき、女の子にも魔法をかけてから話す。
「俺の名前はアル。それからこれ、この魔石から声がするのはスウ。君の名前は?」
女の子はようやく会話できたことが嬉しかったのか、にっこり笑うと教えてくれた。
「わたしの名前はクレア。クレア、です。助けてくれてありがとうございます。」
「どういたしまして。歳はいくつなの?」
「4歳と少しです。」
「4歳か。一個下だね。クレアはどうして……」
どうして聖域の外に放り出されたの? と聞こうとして途中でやめる。そんなんこの子が一番聞きたいはずだ。
クレアは他人の気持ちを感じ取るのが上手いのか、俺が言おうとしていた事の続きを察して教えてくれた。
「クレアが魔物の餌になったのは、クレアがなんの魔法も読めないからです。出来損ないなので捨てられました。」
それを聞いて沈黙する。ディストピア異世界すぎる。
「えっと……クレアはあの村に帰りたい?」
「嫌です。帰りたくない。」
当たり前のことを聞いてしまったが、意思確認は大切だ。他にもいくつか聞いていると、スウが言った。
「アル、少しずつじゃが日が傾いてきた。足元が見えにくくなれば同じ距離でも行きにかかった時より時間がかかってしまう。日が落ちる前に急いで帰るぞ。その幼子の処遇は帰ってから考えれば良い。」
それを聞いて急いで立ち上がり、女の子を抱える。
「アルたちの家に行くの?」
「うん。ちょっとスピード出すからしっかり掴まっててね。」
そう声をかけてから、俺は身体強化をかけ、行きの何倍もの速度で森を駆け抜けていった。




