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邪神の子  作者: 月宮 結
巨大樹の森編

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ケッペキショウ①

ガガガガガガガガガガガガガガガ

 けたたましい音が脳を揺らす。俺は目をゆっくりと開いて、眼球を動かした。白い天井、白い壁、清潔ないつも通りの俺の部屋。相棒のロボット掃除機が視界の端、部屋の隅に見える。時間通りに開いたシャッターは騒音を響かせるのをやめて沈黙した。カーテンの付いていない大窓から目が痛くなるような陽の光と、うるさい蝉の声が侵入し寝起きの脳を刺激する。起きる時間だ。寝袋のジッパーを開け、軽く伸びをする。すぐに起き上がるとふらついてしまうので、まずは軽い運動から。両手両足の指先を握りしめては離すのを何度か繰り返す。身体の端まで血が巡るのを感じてから、ゆっくりと上体を起こす。身体を捻って血行を良くしてから、これまたゆっくりと立ち上がる。こんなに予備動作を繰り返しても結局軽い目眩はするが、まあいい、転けるほどでもない。少しふらつきながらキッチンへ向かう。


 キッチンといっても、住んでいるのは6畳1間のワンルーム。備え付けのキッチンも大層なものではなく、シンクと1口コンロがあるだけだ。普通の人なら、洗った食器を乾かすラックを置くスペースすらないこのキッチンモドキを不便に思うかもしれないが、俺の家にはあいにく食器の類は一つもない。15歳の時にこの物件を見つけた時は数年後には自炊の類をしているかもと未来の自分へ若干の希望を持ってはいたが、結局この3年間、1度の活躍も無かったことを考えると2口どころか1口コンロすら必要無かったなと言わざるを得ない。


 ため息をつきながらシンクで手を5分ほど洗いペーパータオルで水滴を取り除いてから、戸棚を開けて新品の歯ブラシとホテルのアメニティによくある使い捨ての小さな歯磨き粉のチューブを取り出し、歯を磨く。丁寧に、丁寧に。頭の中でお母さんの声が響く。


"朝起きた時のお口の中にはおしりの穴よりもたくさん菌がいるの。隅々まで磨きなさい。"


一人暮らしを始めてだいぶ経つが、今でもお母さんは頭の中で清潔を説いてくる。シャカシャカシャカシャカと無心で30分ほど満足いくまで歯を磨いてから口をすすぐ。歯ブラシは1本で済んだがチューブは結局2本目を開けてしまった。少し迷ってから今日も結局、その全てをトイレ近くのゴミ箱に捨て、上からアルコールスプレーを箱内に吹きかける。

シュッシュッシュッシュッシュッ……

市が指定した青い可燃ごみの袋についた水滴の大きさを見て、慌てて吹きかけるのをやめた。勿体ない。いつもそうだ。時間もお金も資源も、人生そのものすら俺は無駄にし続けている。


浴室の扉に目が止まる。今すぐこの汚い身体を清潔にしたかった。だというのに、先程から慢性的に続く頭痛は俺に脱水症状を真剣に訴えかけている。 渋々、キッチン横にある小さな冷蔵庫を開ける。中に入っているのは500mLのペットボトルが1本のみ。中身は水だ。購入してからというものこの中にそれ以外の飲食物が入ったことはただの一度もない。水を冷やすためだけの白い箱と化した冷蔵庫を少し不憫に思いながらもペットボトルを取り出してキャップを開け、代わりに浄水機能の付いたストローを付け替えて飲む。水は生命の源だ。慢性的な水不足の俺の身体が久しぶりの給水に喜んでいるがわかる。それがとてつもなく気持ち悪い。必要最低限飲んでからキャップと浄水器を再度付け替えてペットボトルを中に戻し、浄水器をシンクで念入りに洗う。ペーパータオルで水気を拭き取り、アルコール除菌をしてからこれも冷蔵庫の中に戻す。この浄水器も本来なら、災害時などに川や池、風呂の残り湯などを安全に飲むために開発された商品だが、中学の頃、誕生日にお母さんからプレゼントされてからこのシリーズを愛用している。


 さて、給水は終わった。さっさとシャワーを浴びよう。


そう思って振り返った瞬間、強い立ちくらみが視界を揺らした。どうやら今日は普段より調子が良くないらしかった。苛立ちながらも冷蔵庫の上に置いてある食料箱を開け、中からサプリを取り出す。栄養素が豊富でたくさんカロリーが取れる商品。錠剤を数粒口に含む。本来なら水で流し込みたいところだが、もう一度さっきの動作を繰り返してシャワーを浴びる時間が遠ざかってしまうのが、俺には少し耐えられなかった。ごくんと喉を鳴らしてそのままの状態で飲み込めば、粘膜に引っかかるよつなざらついた不快感を残しながらも錠剤は食道を落ちていった。


 若干の喉の痛みを感じつつも再度踏み出せば、ふらつきは出なかった。この速度でサプリの成分が吸収されるわけがない。これなら飲まなくてよかったじゃないかと思いながらやっとの思いで服を脱ぐ。


洗濯機に表示された時刻は5:40。始業まではあと5時間半ほどある。下着も含め全て脱いで全裸になり、まとめて中に放り込んでから、洗濯機上に置いてあるボックスにしまっていたタオルを取り出す。このドラム式洗濯機は洗濯から乾燥までやってくれる優れものだ。家具が多いと掃除の手間が増えるからと家に物を置かない俺だが、これだけは絶対に手放せない。性能の割には小型で、動かしての掃除もしやすいこともお気に入りポイントの一つだ。


 ゴウンゴウンと音を立てて衣類が回転するのを見届けてからようやく浴室に入る。浴槽の付いていない物件を選んだこともあって、非常にコンパクトなシャワールームだ。中を手早く15分ほど掃除してから、熱いお湯で全身を洗い流す。全身の所々にある傷口にしみてヒリヒリと痛むが耐える。痛みなんかどうでも良くて、早く、早く清潔になりたかった。身体の汚れの7割はシャワーを浴びれば落ちるためシャンプーやボディソープはその残りを落とすためにあるのだと昔テレビで言っていた。そうなんだと素直に感心する小学生の俺を見て、お母さんはテレビを消して腕を引っ張って浴室に連れていき痛いくらいに擦りまくって俺の全身を洗ってくれた。


「君は他の人よりたくさん洗わなきゃダメなの。」

というのが俺を洗っている時のお母さんの口癖だった。


あの当時の俺はその理由も自分の身体に流れている汚い血のことも何も知らなくてただされるがままお母さんの機嫌が良くなるまで洗われていた。



 そんなことを思い出しながらたっぷりとお湯を浴びて、持ち込んだ小分けのシャンプーの封を開け、手に出して洗う。ひたすら洗う。頭皮を擦るように強く。汚れがきちんと全て落ちるように。擦れば髪の毛がするすると抜けていく。浴室を含めてこの家には鏡が1枚もないため確認はできていないが手を滑る髪の感触的に相当薄くなっているのだろうと察していた。まだ10代だというのに。惨めだ。排水溝に集まっていく髪の毛を視界の端に捉えつつ、次は身体を洗う。同じく小分けのボディソープの封を開け、持ち込んだタオルにお湯を含ませて付け、洗う。ひたすらに洗う。


 全身を洗い終えて一息つく。口に出して確認しながら洗い残しがないことを確かめ、満足した俺はシャワーを止めた。そのまま浴室の外に出ようとすると、何故か視界の端に映った右腕がまだ汚れている気がした。


「汚いな…。」


 ぽつりと呟き、再びシャワーからお湯を出して、タオルに予備のボディソープを出し、擦る。取れない。汚れが一向に取れない。しばらくゴシゴシと擦って満足し、シャワーを止める。


 一歩踏み出そうとして、今度は左足の太ももが気になった。再度シャワーを流し、太ももを擦る。今度こそ満足し、出ようとしてまたすぐに今度は頭皮が気になってしまった。


結局、持ち込んだ予備のボディソープとシャンプーを全て使い切って、ようやく完全に満足し、浴室から出る。洗濯機の時刻は7:00を表示し、衣服は回転をやめて完全に沈黙していた。


 出たゴミを捨てた後、清潔なタオルを取り出し、全身を丁寧に拭く。今日の朝は古いかさぶたが捲れて出血したくらいで新しい傷ができるほどは時間をかけて洗わなかった。少し嬉しくなる。出血している部分を消毒し、絆創膏を貼ってから乾燥の終わった衣服を身に纏う。持っている衣服はこれしかない。タオルもこれを含めて数枚だけだ。下半身のみ着てから洗濯機横の箱からドライヤーを取り出し髪を乾かした後、上半身も着て湿ったタオルを再度洗濯機に入れ回転させる。この時点で7:15。始業まで残りあと4時間ほど。掃除の時間は十分にある。


戸棚からゴム手袋を取り出し、装着する。まずは拭き掃除から。取っ手やドアノブ、窓、壁から床、天井に至るまで、あらゆる箇所を丁寧に拭き上げる。手の届かないところには専用のお掃除道具を使い、冷蔵庫は動かして後ろや下も拭く。それが終われば、キッチン周りの水垢を残さないよう、シンクと、使っていないコンロも念入りに磨く。


 そんなこんなでしばらくすると、タオルの洗濯が終わった。取り出して畳み、ボックスに仕舞う。洗濯機も少し動かして周りを拭き、今度は先ほどまで使っていた寝袋を入れ、再び回転させる。洗えるタイプで、選び抜いた一品だ。今回のものはもう3ヶ月も愛用している。


 ここまで終えて一息つく。壁についているエアコンに目が止まった。外出しないので今日の正確な最高気温は知らないが、季節は7月の中頃、夏真っ盛りだ。我が家のエアコンも24時間稼働を続け、冷たい風を運んでくれている。素人ながら週に一度、仕事のない週末にエアコン掃除をしているが、今日は始業までまだ時間がある。軽くやってしまおうか。


っておーい!

と心の中で自分にツッコミを入れる。


エアコン掃除が2時間で終わるわけないやろがい!


ははは。それもそうだな。じゃあ本でも読んでいようかな。


頭の中で1人でノリツッコミをしながら、身体を縮めて震える俺の表情は暗かった。



俺は今、猛烈な尿意と便意に襲われていた。


先程までは掃除しながら何とか気を紛らわせてはいたがそれももう限界が来ていた。



 潔癖症——強迫性障害の一つ。



人によって個人差はあるものの汚れや細菌、ウイルスなどに対して極端に強い恐怖や不安を抱き、それを避けようとするあまり、日常生活が大きく乱れてしまう病気。


本格的に発症したのは中学一年生の時。向き合い続けて7年目。

潔癖症を患っている俺にとって、日々の生活の中で最もストレスがかかる行為が排泄だった。排泄回数を減らしたくて水も食事も必要最低限に抑えているおかげで、普通の人よりは遥かに少ない回数で済ませられている。便意を感じるのも3日ぶりだ。それでも、人として生きていれば、口から何かを摂取すれば——それがサプリの錠剤であろうとも——来るものは来てしまう。


 身を縮め、限界まで耐えた末に、俺はついにトイレに駆け込んだ。


 全てを終えた後、絶望した顔で服を脱ぐ。どれだけ拭いても、もう一度シャワーを浴びたいという欲求が抑えられなかった。数時間前にした動作と全く同じ手順を、今度は先ほどよりもさらに丁寧に繰り返し、一連の入浴作業を終える。効率的とは程遠い生活だ。排泄からは逃れられないのだから、朝起きてシャワーを浴びる前にトイレに行けばいいだけの話だ。それでも、それができない。今日こそは、今回こそは排泄をしなくて済む体になっているかもしれない。そんなありもしない妄想に縋ってしまっているから。


 急いで仕事用の白い机と白い椅子を足の先まで拭き上げ、なんとか11:00ギリギリに掃除は間に合った。最後に相棒のロボット掃除機の電源を入れ、今日もよろしくと心の中で声をかける。


 椅子に座ってノートパソコンを開き、業務を開始する。年齢は18歳、性別は男。趣味は掃除と読書。大学進学率が上がり続けている今、同い年の人間の大半はキャンパスにいるのだろう。そんな中、俺は働いている。完全リモートワークで、家の中で完結する仕事だ。他の社員さんたちは週に数回出勤しているが、俺は事情を考慮されてこの状態が許されている。職場の人達はとても優しい。給料もそれなりにある。月給20万、手取り16万。家賃が4万と少し。残りは全て日々の生活費で消えていき、貯金に回す金はない。


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