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ぼんやりと座ってテーブルに頬杖をついた。行儀が悪いけど許して欲しい。
なんのことはない、今後の予定を考え中なのだ。
ここから森の入り口までは二十キロもないのだが、それは真北に移動した場合だ。けれどアセデラの街は現在地の北西にある。
だからアセデラの街まではなるべく森の中を移動して、一番近いところで森から出るようにしたい。
外にいられるのはたったの一日すらないのだ。つまり森から出たら、二十四時間後にはまた森に戻っていなければならない。だから少しでも街にいられる時間を増やせるように、その手段を考えなければいけないのだ。
アセデラのギルドでお兄さんの所在を聞くのはいいけれど、レアンドラさんのことを伝えるのは止めた方がいいような気がする。
レアンドラさんたちが無事だということを、犯人たちに気づかれたくないのだ。
ブレソの街から五日かかったのなら、帰りも同じくらいかそれよりは少し早く着くと思う。
それに帰りはバラけて移動するかもしれないし、数日は近くの町村で見張っている可能性もある。
レアンドラさんはすぐにでもブレソの街へ帰りたいだろうけど、しばらくは森から出ない方がいいね。動き回るにしても体力を回復してからじゃないと心配だ。
それに帰りは運河を使えば、身体に負担をかけないですむんじゃないかな。レオカディオ君……長いな。ディオ君たちもその方が楽だと思うからね。
ただ街に入るにはレアンドラさんの個人カードが必要だ。持っているようには見えないし、どこにあるのか聞いておいた方がいいのかな。
自宅にあるなら理由を話せば街に入れるんだろうか? それとも再発行になるんだろうか。こんなことすら、いまの私にはわからないのだ。
いっそのこと、自宅までチコさんから送ってもらうのはどうだろう。
犯人たちも、バックにドラゴンがついている親子を、再度狙ったりはしないだろうし。
「ウィル様はいまどのあたりにいるのかな」
「どこにいたとしても、雨が降ってるならチコは飛ばないわよ」
「濡れたくないなら負担軽減の魔術に防水を追加したらいいじゃん」
「それができるのは管理者だけよ」
「ウィル様でもムリなの?」
「ひたすら食べ続けてもムリよ、白プレールのお茶を飲み続ければなんとかなるのかしら」
どうやら魔素の量だけの問題らしい。
先生は肩をすくめるように羽を動かすと、身体を傾けタープの端から空を見上げた。するとポツポツと水の粒が葉を叩く音がして、そのスピードはだんだんと速くなっていく。
「降ってきたかぁ」
これで明日の昼までは、ここにいるしかなくなってしまったね。早く眠った方がいいのはわかるけど、気が昂って眠気がちっともやってこない。
アリは目を凝らして真っ暗な森の中を見回すと、泉の端の方にトイレがぼんやりと見えた。
この雨だとトイレに行くだけでびしょ濡れになってしまうね。
アリはタープの一部を伸ばすようにして、近くの木に繋げた。そして先ほどのトイレを浄化して消すと穴を埋める。
新しいトイレをテントの近くまで移動しておくのだ。トイレには小さな台を設置して、セマフォロの葉を積み上げておいた。
これで伸ばしたタープの下を歩けば雨に叩かれることはないだろう。
気配を消してチボの様子を見てみると、スノコの上に丸まって眠っていた。どうやら雨の影響もなく過ごせているようだ。
「そろそろ寝ようか」
アリはカンテラの明かりを小さくすると、プリ先生とともにテントの中に入っていった。
テントの中は三分の二がエアベッドで占められている。一番端に赤ん坊が眠り、その隣がレアンドラさん、ディオ君、そしてガウターだ。
ガウターの野性的なところはどこに落としちゃったんだろうか? 南の崖の下なら拾いに降りることはほぼ不可能だね。
アリは仰向けで眠るガウターの横に寝そべると、枕元にはプリ先生が蹲った。
「おやすみ」
そう言って目を閉じると、すぐに深い眠りへと落ちていった。
「あ~ん、ふぇ~」
パチリと目が覚めて状況を思い出す。ここはログハウスじゃないんだった。
ガウターに巻きついていた腕と足をはずすと、ゆっくりと起き上がった。レアンドラさんは授乳中だったけれど、あまりお乳が出ていないのか赤ん坊はふにゃふにゃと泣いている。
この子が顔を真っ赤にして泣き叫ぶところを見ていないのは、たんに大人しいからなのか、それとも泣けるほどの体力がないからなのだろうか。
「ごめんね、起こしにくかったよね」
コソコソとそばに行き鞄の中からミルクと布を取り出した。
「アリ殿、起こしてしまいましたか」
頭を下げようとするレアンドラさんを制止して、ミルクを与えるように言った。
赤ん坊はちゅぷちゅぷと布をしゃぶって、じっとお母さんを見つめている。それを見たレアンドラもホッとしたように微笑んだ。
「アリ殿には本当に感謝しているのです。この子がお腹を空かせていても、日に日にお乳の出が悪くなってしまって……」
レアンドラさんは元気がなくなっていく我が子を見て、どれほどの無力感に苛まれたことだろう。自分が食べないことには母乳が出ないのに、ディオ君にだって食事は必要だから本当に困ったのだろうね。
「目が覚めたときには天国にいるのかと思いました」
武器になるようなものをいっさい持たされず、あの大蛇に立ち向かわなければならなかったとき、自分はここで死ぬのだとそう覚悟したとレアンドラさんは言った。
ただ幼い我が子をこんなにも寂しいところで喪うことが、どうしようもなく悲しかった。そして父親に抱かれることがなかった二番目の子が、ただただ哀れに思ったのだとその瞳を潤ませていた。
一度目に目覚めたときは、空腹感のせいで騎士見習い時代の夢を見ていたそうだ。そのときは子どもの命が助かり、空腹を満たせたことに気をとられてしまった。
一度休んだあとに子どもや自分の切り傷に処置がしてあることや、この世の物とは思えない寝台に気がついたのだという。
やっぱりエアベッドは存在しないんだな。うちのベッドも木製だし、マットレスもないからね。スノコ状の台に厚めの敷物が二枚重ねて敷いてあるのだ。
寝心地は畳の上に直に寝た感じかな。
レアンドラさんは私が転入者だと教えると、驚いたもののすぐに納得してくれた。
エアベッドをそこまでお気に召していただけるとは、頑張って作ってよかったよ。ほんと魔素って偉いね。
このあとはたいてい朝まで寝てくれるのだと言っていたから、アリはガウターの横に戻って目を閉じた。
「アリ、ちょっと問題が起きてるわ」
おでこに重みが加わりツンツンと突っつかれたことで、ゆっくりと覚醒した。先生から起こされることはあまりなかったね。
「んん~。先生おはよう」
「おはよ、それどころじゃないの」
「なぁに?」
「こっそりよ」
テントを開けると気づかれるからと、ドアスコープのように小さい透明な場所を作った。
そしてタープを張ってテーブルを設置している、テントの入り口付近をそっと覗いてみた。
外はまだ薄暗くシトシトと雨が降り続いていた。
よく見なくても椅子に何かが座っている。それくらい大きい。後ろ姿しか確認できないけど人には見えないね。だってシマシマのしっぽがあるし、灰色の身体は完全に毛皮に覆われている。
「先生、あれはなに?」
「レモルよ。どうやら雨宿りをしているようね」
「チボは結界で囲んだから大丈夫だよね?」
肉食獣には見えないけど、襲われて食べられてしまったら悲しすぎる。
「レモルは魔生物よ」
「えっ? それならコソコソすることないよね。敵意のない人を襲ったりしないんだから」
「あれはちょっとしつこいのよね」
「なにが?」
「話よ」
「はぁ?」
ごめんね、先生。本当に意味がわからないよ。
「話が長くてしつこくてウザいのよ」
「ウザいって言った!」
舌打ちはよくしてるけど、ハッキリと不快を表明するのは初めてじゃないかな。
「ということはかなり知能が高いのかな?」
魔生物たちは特に発生する場所が決まっていない。しかし知能が高いものは総じて森の奥へと移動するようだ。それはハンターや動物たちとかち合いたくないからなのだが、どこにでも変わり者はいる。
レモルは知能が高くとても人懐っこい。いや馴れ馴れしいのだそうだ。夜にハンターが火を囲んでいると、いつの間にか一緒になって焚き火を見ている。そして世間話をしてくるらしい。その話が二、三時間は続く。
言語魔術が使えない人がいるからなのか、それとも睡眠時間を削られるからだろうか。とにかくハンターが出くわしたくない魔生物一、二を争う嫌われっぷりらしいのだ。
「どちらにせよ話し相手になるしかないよね。雨が止まないことには移動ができないんだし」
それにしても、なぜ問題ごとはまとめてやってくるんだろうか? 同時には対処しきれないよ。
ひとつ目が解決してから次の問題が起きてくれたらいいのに…………いや問題ごとは起きない方がいいんだけどね。
テント内はまだ眠りに包まれているからそうとう早い時間らしいね。
アリはそっとテントから出ると、レモルを脅かさないように横に移動してから声をかけてみた。
「おはようございます。雨は昼には止むそうですよ」
《えぇ? なんかいい匂いだと思ったら管理者さんたぁ驚きだねぃ!》
「よくわかりましたね……」
アリは話しながらもゆっくりと正面にまわり、そうしてレモルと対面した。レモルは椅子の上にガニ股で腰かけて腕をだらんと下げていた。サウナにいるおっさんのイメージだな。実際に見たことはないけど。
カンテラの明かりが映しだしたその姿は、目が黄色でその周りを黒い毛が三角のかたちに覆っていた。鼻先も黒いし頭は灰色だ。そして身体よりも長いしっぽはシマシマである。
これは動物園で見たことがあるよ、ワオキツネザルだね。ただサイズが全然違う。目の前のレモルは椅子に座っているのに、立っているアリよりはるかに大きいのだ。たぶん尻尾の長さは二メートルを超えているね。
「アンタはこんなところで何をしてんのよ」
《守護者様までご一緒でしたか! オイラぁこのあたりを行ったり来たりしてるんでさぁ!》
木の上で寝ていたら雨が降ってきたので、どこかに雨宿りができるところはないかと探していて、ここにたどり着いたらしい。
そういうのって雨を察知して濡れないところで寝るか、濡れてもあまり気にならないのが野生の生き物なんだと思ってたよ。
それに身体が大きいからか声も大きいよ。甲高いわけじゃないんだけど、早朝には止めて欲しいね。
「赤ちゃんが寝てるので、ちょっと声を抑えてもらえますか」
《ほぉう? 赤ん坊が一緒たぁ、いったいなんの集まりなんでぇ?》
「ちょっと訳アリなんですよ」
《隠し子たぁビックリだねぃ》
「んなわけあるか!」
「アリ、声が大きいわよ」
「ゴメン」
ついついイラッとして大きな声になってしまった。しょぼんと頭を下げたアリをレモルはイシシと笑っている。さらにイラッとした。たぶんこれがウザがられる理由だな。
それにしても私って本当に魔生物から敬われる存在なのかな? トリャフェンといい、まったくそんな風には思えないね。
「とりあえず椅子はもう少し大きい方がいいかな」
アリはていねいに話すのを止めた。そしてレモルが座っている椅子の座面を二倍の大きさに変えた。背もたれにはカバーがないからしっぽは邪魔にならないだろう。
《おおぅ、こいつぁすげぇなぁ。管理者さんの魔素はビュンビュンするねぃ》
ビュンビュン? なんだそれは。楽しそうだから問題はないのかね。
レモルは椅子をあちらこちらと撫で回すと、やっぱりガニ股で腰を下ろした。
テーブルで大事なところは隠れているんだから、まあよしとするか。いや、性別はないんだし排泄もしないんだから、股間はツルツルなのか?
アリは魔生物の身体がどうなっているのか考えて込んでいたが、無意識のうちに視線はテーブルで隠れているレモルの股間に向いていた。
穴が開くほどの視線を受けて居心地が悪そうなレモルは、ちょっと内股になりつつ質問を投げかけてきた。
《管理者さんはどこにお住まいなんでぇ?》
「南西にある湾の北側だよ」
ようやくアリは視線をレモルの顔に戻した。自分が相手の下半身を凝視していたことには、気づいてもいない。
《あんな辺鄙なとこに住んでんですかい》
「やっぱりそう思うんだね。でもウィル様が見つけてくれた安全な場所だよ」
《なるほどねぇ。管理者さんは――》
「ああ、名前でいいよ。アリって呼んで」
《ほほぅ、そりゃぁいいねぃ。これでオイラとは友だちだぁ》
「えっ? そういうものなの?」
《アリっちはなんも知らねぇんだなぁ》
レモルはどういうことなのか説明をせずに、またイシシと笑って話をはぐらかしている。助けを求めてプリ先生を見つめるが、羽をすくめるだけで答えはなかった。
それにしてもアリっちとは……。アリは早くも名前呼びを許可したことを後悔し始めていた。
そうこうしているうちに日がのぼり、木々のてっぺんから朝日がうっすらと差してきた。雨は多少弱まってはいるが、まだ止む気配はない。
「アリ殿、ミルクを――ぬっ、これはレモルですね」
テントからレアンドラさんが出てきてレモルを見つけると、驚きと同時に顔が引きつっている。
どうやら騎士からみてもレモルという存在は厄介なものらしい。
「お腹が空いて目を覚ましたんだね」
ミルクセットをレアンドラさんに渡すと、残りのミルクはグラス一杯程度だった。アリは自分のカップに入れて七十度まで熱を加えると、これもレアンドラさんに渡した。
授乳しているんだから水分補給は大事だ。
バケツは浄化しているうちに形があやふやになって、ふわりと大気に溶けてしまった。
「あれっ? 消えちゃったよ」
「魔素を消費しきったのね」
「えっ? どういうことなの?」
プリ先生の説明によれば、魔素で作ったものが永遠に形を保っていることはないらしい。
込めた魔素の量にもよるが、だいたい一日もてばいい方なのだそうだ。
食器や土鍋は使い終わったときに消してしまったから、時間が経つとなくなることに気がつかなかったよ。
「ログハウスの結界は?」
「あそこはアタシたちの拠点よ」
なるほど、魔素が尽きるわけがないってことか。私が作ったバケツは魔素を補充できなかったから、そのまま消えてしまったんだね。
そうなると魔素で作った容器に液体を入れて、さらに鞄に入れるのは危険かもしれないな。忘れた頃に容器が溶けて、液体が鞄の中にぶちまけられたら悲惨だよ。
鞄の中の時は止まってはいないんだからね。
必要なものは魔素で作れば節約になると思ったのに、そう上手くはいかないみたいだ。
アリは昨日作ったものに次々と魔素を補充していった。ちなみにかけ声は『充電!』であった。
魔素は電気とは似ても似つかないのだが、イメージが完璧だったので魔術は失敗しなかった。
雨のせいでいつもよりは暗いが、周りを見回せるくらいには明るくなってきた。アリはランタンを魔素に戻して食事の準備に取りかかろうとしたが、鞄に手をかけガックリと肩を落とした。
買った食材のほとんどが、家の貯蔵庫や戸棚の中だということに気がついたからだ。




