ひたすらコロコロ転がすだけの一日
朝起きるとアリは喉に痛みを感じた。
「風邪かな、なんだか喉がゴロゴロする」
喉に手を当て何度か咳払いをしてみる。
「どうしたのよ」
プリ先生が心配そうに声をかけてきた。
「おはよう、プリ先生、ガウター」
いつもの声は出るな。
「引っかかるような気がしたけど大丈夫だよ」
それに対してガウターは鼻をぴすぴすさせている。
仕方ない、のど飴もどきの干しクプの実を舌の上でコロコロと転がしながら、様子を見るとしよう。
身支度を整えて水やりのため外に出る。今日は少し寒いけど清々しい青空だな。アリは両手を高く挙げて背中をぐんと伸ばした。
畑に着くと薬草には朝露がついていた。
すると目の前のピョップンの葉についた朝露が、葉脈を伝って集まり、根元にコロコロと転がり落ちた。
「ホゲッ!」
ピョップンはびくりと葉を震わせた。
わかるよピョップン! 私も友人から背中に氷を入れられて、ウヒョッってなったことがあるからね。友人はしばらく笑い転げていたよ。
アリは友人に、笑い出して五秒で横腹がつる祝福が授けられるようにと、目を閉じて祈ってみた。
ピョップンは私の喉の不調を察したのか、荒ぶることはなかった。
ガウターは今日も漁業に勤しんでいる。まだ一度も成功していないけど、七転び八起きの精神で頑張って欲しい。
「ガウター、カッコいいよ。頑張って!」
私も魚が欲しい。ガウターを誉めつつ応援した。
朝のジョギングは控えて家に戻ると、うがい、手洗いを忘れずにしてからサンダルに履き替えた。
アリは地下に降りるとマルマッシュとマルマゴを二個ずつ手に取った。
持ちきれないけど抱えれば大丈夫かと階段を上る。するりと腕の中からマルマゴが一個、滑り落ちそうになった。マルマの実は伸ばした指をかすめてこぼれ落ちた。
掴み損ねたマルマゴはコロコロと転がり、階段の下まで落ちてしまった。
横着はするもんじゃないなと、かごにいれて運んだ。ちょっと遅かったが転ばぬ先の杖だと、アリは棚に空のバスケットを常備した。
「これ、もう溶き卵になってないかな」
キッチンでマルマゴを手にしたアリは、ちょっと振りながら疑問に思った。
ボウルに割り入れると双子卵のままだった。
「なんという衝撃吸収力!」
アリはマルマの実の防御力を称えた。
フライパンを火にかけると洗った手から落ちた水滴が、フライパンの上をコロコロと転がり熱せられて蒸発した。
アリはそのタイミングで、割りほぐして味つけをしたマルマゴを投入して、スクランブルエッグを作った。
お皿に盛りつけるとき、フライ返しが滑ってこぼしてしまった。
お皿から逃げた一欠片のスクランブルエッグは、コロコロとテーブルの上を転がり、落ちる瞬間ガウターがパクリと食べた。
今日は食べたい気分だったガウターが、おあずけ状態で待ち構えていたのだ。
それを見たプリ先生は、コロコロと鈴を転がすような笑い声をあげた。
箸が転がっても笑う年頃はとっくに過ぎたと思うんだけど。
「さて、今日は丸薬を作らないと」
アリがそう口にしたとたん、プリ先生とガウターが慌ただしく席を立った。
手伝って欲しいなんて言わないのにな。アリはちょっとだけ切なくなった。
アリは粉にしたユコラ苔に、少しずつ擦りおろしたギムルを加え混ぜていく。入れすぎると今度は粉を足さないといけなくなるから慎重にしないと。
纏まる固さになったら、高さが一センチ無いくらいの長方形の木枠に落とし平らにする。
一粒の分量を同じにするため、めん棒をコロコロ転がして表面を均したあと、定規のような板で余分なところを削り取った。
しばらく落ち着かせたあとで、高さと同じ幅に切っていく。サイコロを作る感じだ。
できたらそれを丸める。ある程度貯まったら平らな板に置き、上から大きなバレンのような物でコロコロ転がす。力を入れて潰さないように、均等に軽く押さえるのがポイントだ。
ひたすらコロコロ転がしていく。艶が出てきたらシナモンのような粉をまぶして乾燥させる。
「腕痛い、魔術使いたい」
アリはひたすら転がし続けていたが、とうとう口から泣き言がこぼれた。
しかし丸薬の材料はまだまだ残っている。アリは昼を過ぎても、ひたすら薬を丸め続けた。
しばらくすると調合部屋から人の気配が消えた。机の上には道具が転がったままだし、読みかけの本がその辺に転がっている。出しっぱなしでどこに行ったのだろうか。
『転がる石には苔は生えぬ』イギリスとアメリカでは意味がまったく違うが、アリはどちらに当てはまるのか。
アリはガウターと一緒に庭にいた。同じ作業を続けるのは飽きる。つまり気分転換という名のサボりである。
マルマの実を振りかぶって投げるとガウターが取りに行く。たまにフェイントでコロコロ転がす。マルマボールは三桁も予備があるから壊れても大丈夫だ。
夢中になっていたガウターが勢いあまって突進してきた。ふたりはぶつかりアリはその場に転がった。そしてガウターもアリを転ばせてしまったことに驚き、マルマの実に足を取られて転がった。
ガウターよ、四つ足でなぜ転ぶ。鈍臭い子、そこがまた可愛らしい。
立ち上がると目に違和感がある。砂ぼこりが入ったらしい。ゴロゴロするから洗い流さないと。
アリは転んでもただでは起きぬ。ピョップンからはお見舞いに株分けした子株を貰った。これはとっても貴重な薬草で、その辺に転がってるものとはわけが違う。
薬を調合して高額で売り払うか、土地を転がして儲けるように転売でもしようか。どう転がっても損はない。
プリ先生に相談したらもの凄い雷が落ちた。
わかってる、うまい話はそう転がってはいない。冗談だったのに……。アリの目から涙がコロリと転がった。
先ほどの砂ぼこりが原因なのだが、驚いたプリ先生がアリをなぐさめるために、自分の身体を提供してくれた。
「しかたないわね。今回だけよ」
プリ先生は渋々だったが。
アリは気がすむまでプリ先生を手のひらで転がし、撫で回した。アリのズボンには、また白い粉が落ちていた。
「ぐぅ、がぅ~」(しゅごしゃさまばっかりだ)
ガウターが嫉妬して、自分の寝床に転がりふて寝をしている。
「よしよし、プリ先生は可愛いけど、ガウターだって可愛いよ」
アリは大きなガウターも撫で回した。さらば喘息、くしゃみすら出ない。腕は限界だが笑顔で乗り切った。
ガウターのマットにはそんなに毛は落ちていなかった。モジャモジャのカーリーヘアは毛が落ちにくいようだ。
アリはほっとした。ここには毛を貼りつけて掃除するコロコロがない。アリはコロコロを転がして絨毯を掃除するのが好きだった。
だがあれは長い髪の毛などが貼りつくと、上手く紙がめくれないのだ。
それにしてもガウターや、なんだか甘え上手じゃないかね。女性を手のひらの上でコロコロ転がす雄になってはいけませんよ。まぁ、ガウターのは肉球だけど。
アリはようやく重い腰をあげ調合部屋に向かうと、なんとか残りの薬を丸め終えた。
アリは次に採取するとき、ユコラ苔は今回の三分の二に減らそうと心に誓った。
夕食のあと少し休んでから、アリはバスタブに浸かり丸薬作りで疲れた腕をマッサージした。空瓶を腕の上から押しながらコロコロ転がす。反対の腕もだ。だいぶスッキリできた。
お風呂上がりのアリは疲れてベッドに転がり込んだ。
コロコロ転がることができるほど広くはないが、ふかふかのお布団に包まれて眠るのは気持ちがいい。
よく眠れるようにヨガをする。ウールケットをくるくる棒状に丸めてヨガ用ポールのかわりにするのだ。それを縦にして上に寝転がる。肩甲骨でコロコロ転がすように動かして、肩甲骨を剥がす運動だ。
すっかりリラックスして目を閉じたアリは、ほどなく眠りについた。
愛車を転がしてブイブイ言わせる夢を見たが、相変わらずゼッ君は水色の軽自動車だった。
ブイブイ言わせているはずのアリは、転生後の姿で有が仕事で愛用していた、グレーのパンツスーツを着ている。
地味なことこの上無い。
『おかしいだろぉ』
夢の中でアリは舌を転がすように巻き舌で突っ込んだ。




