青の森には、まだまだ知らないことがいっぱいあるよ
私たちはトルトゥーガの縄張りがある方角に進み、視線をめぐらせて歩きながら必要な薬草を採取する。ガウターは鼻をひくつかせて、なにかに興味をひかれると草むらに突っ込み、そのたびに薄汚れて帰ってきた。
梅雨に入ったからか草木がよく伸び、若木に絡みつく蔓性植物が増えたため、根もとからナイフで切り取り成長阻害を防ぐ。巻きついたままで放っておくと、ツタでぐるぐるに締めつけられ、せっかく育ってきた若木が枯れてしまうからだ。
それでも手当たり次第に剥ぎ取っていいものでもないので、吟味してそのまま残すものも選んでいる。密集している場所では一本枯れることにより、その木のまわりにも日光が当たるようになるので、下草がスクスクと育つのだ。植物にも世代交代は必要なのである。
自然の間伐として蔓性植物に協力してもらっている管理者って、なんだか森林管理署の人みたいだね。
《もうすぐ、じぃじのおにわだよ》
ガウターが草花を跳ねて避けながら進み、亀臭いとボヤきながらそう言った。
どうやら爺様がいる亀の楽園には、もうすぐ着くらしい。私ひとりでは、変わらず続く風景にどこまで進んだのかサッパリわからず、距離感をまったくつかむことができなかった。
「おぉ! きょうもめっちゃいるなぁ〜」
相変わらず亀まみれの空き地で、雨で水かさが増した川岸に近づく小さな亀たちに注意を向けながら先に進む。爺様からこのあたりに生えているポポル草について教えもらおう。
以前、爺様が目を離した隙に毒キノコを口にした若い亀たちは、数日ですべて回復したらしいけど、またなにかあったら怖い。よって、この場所の薬草は採取しないと決めていた。
いまはほとんどの葉に亀たちが噛みちぎった跡があり、まばらに生えている新芽も少ないので痛々しく思えるが、しばらく摘まなければ、また同じくらいには育つだろう。
「爺様、このあいだぶりですね! お変わりありませんか?」
パッと見た感じ変わったところはないけれど、楽しい会話のきっかけなんてものは知らないのだ。とりあえず健康か天気の話ではじめるしか、私にはネタが無いんだよ。
《ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。ワシらの暮らしに変化が起こるのは稀なことじゃのぅ。それは喜ばしいことばかりではないが、永く生きるとなにが起きてもゆぅるりと受け入れられるようになるのぅ》
そう言って、爺様はツヤツヤな瞳をパチクリさせながら、アリを眩しそうに眺めている。
どれほど永く生きているのかわからないが、年長者のことばには重みがあるね。
《ぼく、じぃじのせなかにのぼりたい》
マイペースさって、時として空気が読めない非常識な子って印象を持たれても仕方がないと思う。
わたし天然って言われるのとか自分で言っちゃう人は、己の非常識さを自ら公表していることになるから気をつけた方がいいよね。
「ガウターはまだまだお子ちゃまだからなぁ」
精神年齢はまだ園児くらいだし、無垢ってことで許される範囲かな。
爺様と世間話をしているあいだも、亀たちはその辺の草を食んだりぬかるんだ水たまりに潜ったりして、自由気ままに過ごしている。
来世は毎日が日向ぼっこな亀ライフもいいなと、ほんわかしながらトテトテ動く子亀を見守った。このまま一週間くらい、亀を観察しながら過ごすのも楽しそうだと思いつつも、予定が詰まっているのでガウターを呼ぶ。
「お願いガウター。この葉っぱの匂いがしたら、私に教えてね」
あまり生えていないポポル草を見つけるのは困難である。だから自分ひとりではできないことを、優秀な相棒に頼むのだ。
《かめのはっぱ?》
ガウターはコテンと首を傾げながら、ちぎれたポポル草の匂いを嗅ぐ。
「そうそう。できれば、これがたくさん生えてるところがあったら嬉しいな」
そんな私たちの会話を聞き、爺様が頭を高くあげて考え込んでいる。
《もう少ぅしばかり南に行ったところの窪地に、生えとるんじゃないかのぅ》
「さらに優秀な先輩がいたわ! (…………あれっ? そもそもプリ先生に聞けばよかったのでは?)」
爺様が教えてくれたのは、亀たちの庭から五十メートルほど離れた場所で、亀たちが歩くにはちょっと不向きな斜面の下だった。まだ小さなポポル草の群生地だったので、一週間後くらいに様子を見に来ることにする。
「ここは水はけがあまり良くないし、ポポル草は谷地に生える薬草なのかもしれないな」
降った雨がジワリと滲んでくるくらい、この場所は水分を含んでいる。
ポポル草はまだ本葉が出たばかりなので、この成長具合では今日のものにはならないが、本格的に暑くなる前には薬師棟に届けられるだろう。
「あっ! ちがったわ」
薬師棟でそれらを小分けにして、それから各地に送るんだった。だから、なる早で届けないといけないんだよ。
それに雨季に成長した薬草は水分を多く摂取しているから、いつもよりも薬効が薄れる品種がいくつかあるんだった。これから伸びる若葉なら、量は倍くらい必要だろうね。
若ければ若いほど良い薬になる草や葉っぱもあるから、できれば文庫サイズの植物事典が欲しい。すべての薬草を覚えられるほど私の頭のデキはよくないので、いちいち確認しに家に帰っていたら、青の森の探索は一向に進まないだろう。カバンに入れておけば重さは気にならないので、家にあるあのどデカい図鑑を持ってきてもいいのだが、アレを野外で開く気にはならないんだよね。
《ぐちゃぐちゃ、たのしいね》
「ガウター、わざと汚れるのはどうかと思うよ。その都度浄化できるからいいけどさぁ。汚れたままで帰ったら、プリ先生に怒られるんだからね」
爺様たちと別れてから、そんな会話をガウターとしながら東に向かってドンドン進む。目当ての薬草や果実を集め、たどり着いたのは直径二メートルもない水たまりだった。それが十メートルほど離れて、見える範囲で五つある。
「うおおお! ぶよぶよしてる。ぶよぶよしてるよ! にゅるってしてるし、ぶにょってて弾力がキモすぎ〜」
カエルの卵の触り心地があまりにもぶよぶよで、タピオカやところてんはもちろんのこと、わらび餅とかゼリー系は食べられそうにないよ。
「いまのところ、そんなのを売ってるのは見たことないけどね」
《なにをみたことないのぉ?》
ガウターが不思議そうに見上げてくるが、頭の毛を結ったことであらわになったキラキラのお目々が、おいしいものかもしれないという期待で輝いている。
「前に住んでたとこで食べたんだよ。青の森にあるなら先生が知ってるかもしれないから、帰ったら聞いてみるね。森になくても、どっかの店で売ってたらいいんだけど」
王都でもほかの街でも、わらび粉やゼリーのもとを売ってるところは見てない。
ゼラチンや天草って、店とかで売ってるのかなぁ。もともと料理はそれほどしなかったけど、まったく困らないくらいお店が充実していたし、日本では出来上がったものが店で手軽に買えたので、残念ながら作り方なんて知らない。
海藻の見分け方もわからない。ただ、天草がもともとは赤い色をしているってことはなんとなく覚えている。
わらび粉はどうだろう? 蕨が生えていれば気がつくかな。ただ、そのまま乾燥させて粉に挽けばいいんだろうか。アク抜きって必要かなぁ。そもそもわらび餅って、原材料は山菜の蕨で合ってるのか?
「粉関係って種類多いもんな。じゃあ、白玉粉って何? 米粉?」
このバカみたいに広い青の森の中を、あてもなく探すのはつらい。馬車より速く走れるけれど、それは平坦な場所での話で、木々が生い茂る森では能力が半減されている。
薬草だってなかなか見つからないのに、特徴もあやふやな物を見つけるのは難しいよね。
時間ができたら磯浜を調査しよう。岩のりくらいなら、頑張れば見分けられるかもしれないな。
《てんぐさっておいしーの?》
「どうだろうね。そのままでは食べたことってないんだよなぁ。いや、お刺身の横についていた赤いのが天草だったのかも? でも、たぶん味なんかしないんじゃない?」
杏仁豆腐とか牛乳寒天とかだと、寒天そのものの味はまったくわからなかった。みつ豆の寒天だって砂糖で甘さを加えてるし。
エメリコさんのところでアガーを見たんだっけ? それともエウリコさんのキッチンだった? どちらだったかは忘れちゃったけど、何故か木の実から採れる、謎のアガーがあったよね。アガーがあるならゼリー系の料理はあるはずなんだ。
肉や魚料理があるんだから、煮凝りは知ってそうだけど、それを乾燥させて粉末状にして売っているかはわからないんだよね。
「暑くなったら冷たいゼリーが食べたいから、そのうちアガーを買ってくるね。この森のフルーツを使えば、おいしいシャーベットも作れるよ」
《ぼく、しゃーべっとはしらない》
「そっか。じゃあ、楽しみにしていてね」
フルーツゼリーを凍らせて、シャーベットとして食べるのが好きだったんだよね。私のオススメは桃が一番で、次点がミカンだ。だけどブドウやグレープフルーツも捨てがたいな。この国にしかないフルーツがあったら、どんな味なのか是非試してみたい。
異世界フルーツって、予想外の味であって欲しいけど、結構、地球産のなにかに似てるんだよねえ。
「まぁ、食べ慣れたもの以外はマズいって感じそうだよね」
味覚にだって経験値があると思う。未知の食材が口に合う確率って、本当はかなり低いんじゃないのかな。時間に余裕があったら、いろんなお店を見てまわりたい。でも、暑くなって食欲不振になる前に、冷んやり系のデザートはもっと欲しい。
プリンがあるのは知ってるけど、王都の子どもたちは氷すら珍しがっていたから、この国にはアイスクリームとかはなさそうだ。
それでは今後の買い食いの楽しみが半減してしまうが、材料と分量を知っていたとしても作れる気がしない。
「果物をカチコチに凍らせて、スムージーにするのが精一杯か」
この国の王弟が、あれを喜んで飲んでたくらいだからなぁ。
こんな時は前世の生活が恋しい。あの頃は、森の中で暮らすなんて想像もしていなかった。家に虫が入っていただけで泣きそうになっていた私が、森の中でオタマジャクシを集めているなんて、自分でもにわかには信じがたい。
多すぎる水たまりからオタマジャクシを掬って、比較的余裕がある場所へ移動させながら、アリはお財布の中身を考えていた。
領主からの依頼なんだから、七色カエルのオタマジャクシを納品した報酬は、かなりおいしいんじゃなかろうか。懐が暖かいと、購買意欲も増すってものだ。
《あり、こっちにもいっぱいいるよ!》
「オッケー。いま行くから、ちょっと待ってて」
カ゚ウターが、いくつもある水たまりを飛び越えながら、オタマジャクシが増えすぎている場所を教えてくれる。
けれど、アリの作業は思ったよりも捗らない。余計なことを考えているのも問題だが、そもそも頼みの綱の魔素サマにうまく頼むことができなかった。
卵の下にもオタマジャクシが下敷きになっているから、避けてから捕まえないといけないのに、飽和状態の池ではうまく魔術が使えず、素手で触るしかなかったのだ。
「うわぁ、親ももうちょっと場所を考えて産めばいいのに」
すぐ近くには大きな河川があるんだけど、あれは産卵には向かないらしい。たぶん、水の流れがはやい場所ではダメなのだろう。
あのストーカーみたいな魚だっているんだし、産みに行ったら秒で丸呑みだよ。
《あり! こっちのかえるのこも、なないろだよ》
ガウターが覗いている水たまりは、木の根元にある窪みにできていて、他よりも深さがありそうだ。
落ちていた木の枝で卵をそっと退けると、黒いオタマジャクシよりも虹色の個体数が勝っている。
「おっ! ホントだ。ありがとうガウター」
雨乞いガエルの卵はまだ全滅していなかったけど、七色ガエルがこれ以上孵化したら、餌不足で共食いを始める可能性も高い。いや、その前に酸素不足で窒息死か、増え過ぎで圧死するのが早いだろう。
さっき水たまりから救い出した分も合わせると、コンバで頼まれた数は揃ったと思う。
けれど、まだ手をつけていない水たまりは、狭い水の中に孵化したオタマジャクシが飽和状態で、超人気の海水浴場みたいな状態だった。
「こっちもイモ洗い状態かぁ」
残念ながら、こちらはすでに共食いが起きてたんだよ。兄弟たちに押しつぶされて弱った個体は、餌のない水たまりで良い栄養源になったのだろう。可哀想だけど、オタマジャクシたちも生きたいのだから、自然の摂理として納得せざるを得ないよね。
「美味し〜い、お〜米が、食べた〜いなぁ〜」
調子がはずれた掛け声で、オタマジャクシを掬っていく。心なしかがウターとの距離を感じるが、無意識で鼻歌が出たアリが悪い。
最後の水たまりはまだ余裕があるので、素手でなくても捕まえられそうだ。プリップリでカラフルなピンポン玉のようなオタマジャクシを、一年間水やりでお世話になった柄杓で掬うのは、縁日で見た色とりどりのジェリーボールを掬うゲームに似ていると思う。
あのときは百均でも買えるジェリーボールに五百円も出すのは馬鹿らしく思い、楽しんでいる子どもを見てちょっと引いていたんだよ。あれはお金を払う親だって、ちょっと迷う金額だと思うな。
「トルネードポテトが三百円とかも、いまいち食べたいとは思えなかったな〜」
三百円あれば、近所のスーパーでジャガイモが二袋買えたからね。
《なんのおはなし〜?》
「ああ、なんか昔のことを思い出してたんだよ」
だいたい母親が厳しかったから、お祭りなんて子どものときは行かせてもらったことなんてなかったし。会社の同僚たちと花見に行ったとき、そこで初めて屋台の焼きそばを買ったんだったよなぁ。
麺が殆どでキャベツや肉なんてろくに入ってなかったのに、モヤシと紅生姜で四百円って。先輩は、お祭りの屋台は雰囲気を楽しむものだって言ってたっけ。そして、私の財布の紐の固さに、ちょっと引いていた。
そんな先輩は、私を含めて五人の後輩たちにフルーツ飴をひとつずつ選ばせてくれた。四百円の焼きそばに、ブツブツと文句を言っていた私とは器が違うね。
「はぁ〜、でもなぁ、あのレベルの焼きそばなんて四百円あったら三人分は作れたよね」
まぁ、人件費や初期費用を考えていないからか。ならあの値段は妥当かもなぁ。
《ありはなにかつくるの? おいしいの?》
ガウターがペロリと自分の鼻先を舐めているが、焼きそばを売っているところは王都でも見ていない。双子のパンダちゃんのレストランでもメニューに無かった気がする。焼きそばの麺は材料があったとしても、自力で作るのは無理だ。
パスタやフォーがあったから麺類を食べる習慣はあるんだし、どこかの国では食べられているかもしれないな。それか、まだ行ってない領地の特産って可能性もゼロじゃない。
「いまのところ焼きそばは作れないけど、マルマッシュに片栗粉とチーズがあれば、おいしい芋餅が作れるよ」
《おいしいの!》
小麦粉を買ったんだから、作れるものはだいぶ増えた。お米も十分あるし、おにぎりを量産してもいいけど、ろくな具がないかぁ。かと言って、毎日卵かけご飯って訳にもいかないだろうし。
メルに家においでって言ったのは、やっぱり軽率過ぎたかなぁ。ごはんの準備もまともにできないのに、無責任だったよ。
中身が大人でも、あの子はまだまだ保護が必要な幼児だった。
「とりあえず、後でクッキーを焼いてあげるよ。マルマトウにチボミルク、マルマゴもあるからね」
チボのバターは魔術でゴリ押せば、腱鞘炎になることはないだろう。
ミックスナッツの実を見つけられたのは、かなり運がよかった。あれは煎っただけでも美味しいし、クッキーのトッピングにしても最高だからね。
「ガウター、フルトセコの実があったら教えてくれる?」
《いいよ。あれはかぜがふくと、からからってなるから、ぼく、すぐにわかるんだよ》
「いっぱい実がついてたら良いなぁ。ここまで来るハンターは少ないし『疾風迅雷』のみんなは、まだコンバにいるはずだもん」
いまなら独り占めしても問題ないよね。
タライに入れっぱなしだとオタマジャクシが窒息しそうなので、ポンプっぽいものを取り付けた。ストローでブクブクと空気を送るイメージだけでできてしまったから、魔素の優秀さには感謝しかないよ。
そんなタライを三つほど浮かせながら、美味しいものを求めて歩いている。あとはカクァスィのやる気しだいだが、夏バテ防止に梅雨明け後も与えていたらしいから、その頃に赤の森で採れなければ、またオタマジャクシの追加捕獲を頼まれるのかもね。
「この辺には、チボの群れがこないのかな」
青の森を横断する大河の南側には、チボはそれほどいないのかもしれない。
若木に巻きつく薄い黄色のツタを、ナイフで切って引きはがす。チボが好む植物なので、怖ろしい勢いで繁殖することは少ないが、肝心のチポがいないのでは、私が剥ぎ取るしかない。この取ったツタはうちの子たちへのお土産にしよう。
《もしゃもしゃのにおいはしないよ》
おいおい。自分だってモジャモジャの毛むくじゃらなのに、キミはチボをそんな風に呼ぶのかい。そう思ったら、草をモシャモシャ食べるからだそうだ。私の方が失礼だった。カウターにもチボたちにも。ホントごめんなさい。
「晩ごはんは、ガウターが好きなものにするね」
良心の呵責に耐えかね、好物を捧げることで謝罪とすることにした。
《おにく!》
元気よく答えたのは、ハバリーのお肉だった。大人数で食べたのが楽しかったから、印象に残っているのかな。
「りょーかい」
ツタをバッグに押しこめると、またひとりと一頭でふらふらと森をさまよう。
ガウターさんや。お耳をピコピコさせてるってことは、キミにもちゃんと聞こえてるんだよね?
そのうえで、あえて無視を決め込んでいると。
「ガウター。こんな森の深部に大リーガーもビックリなホームランバッターがいるよ!」
ビュオン、ブォンと風をきる音が一定間隔で聞こえてくるが、川に近づくほど明瞭になっていく。これはそろそろ姿が見えるかも――。
「ガウたん。私、あんな植物見たことないんだけど?」
《まいまいだぁ!》
なるほど、あれがマイスマイスか! 両腕っぽいトウモロコシを、バットみたいに振り回している。それがあまりにも勢いが良いので、ビュンビュンと空気を切り裂く音があたりに響いているのだ。
黄色みがかったトウモロコシのヒゲが、振り回すたびに真横になびいているのが見えて、風圧で抜けないか心配になるレベルなんだが。
少し掠っただけでも肌が切り裂かれて血が出そうな、大リーガーばりの腰が入ったフルスイングである。
《こわいよぉ》
ガウターの尻尾は、プルプルと震える後ろ脚にはさまれている。まさしく、尻尾をまいて逃げる五秒前といった風情だ。
それにしても、トウモロコシは実を大きくするために、一株で育てるのは一本だけと聞いていたのに、マイスマイスの両腕はどちらも立派なサイズである。
青の森での栄養状態が良いからなのか、そもそも地球産のトウモロコシとは異なる生育方法なのか。
調べる方法が無いので、そういうものと納得するしかないのだが、農家さんが羨むほどの秀逸な作物だ。
「まあ、相手は移動できないんだし、射程圏内に行かなきゃ大丈夫でしょ」
アレだって、管理者を敬う素振りは欠片も見せていない。こちらに構わず素振りを続けている。
ちょっとでも管理者がありがたい存在なら、その美味しそうなトウモロコシをくれたっていいと思うんだが。
「あっ! いいこと思いついた」
アリはいそいそと斜めに掛けたバッグから、中身を抜いた後のマルマの実を取り出した。これはガウターのおもちゃとして取っておいた品だが、そもそもこの実で遊ぶことがほとんど無いので壊れない。つまり、在庫は溜まる一方であった。
「バッチコーイ。それじゃあいくよー!」
「ナイバッティーン」
「いいね〜! ナイスぅ〜」
ポコーン、パコーン、カキーンという高い音の後に、アリの掛け声が響く。
「おおぉ! いまのはかなり飛んだんじゃない?」
魔素でコーティングされたマルマの実は、金属バットで打ったときのような音がする。はじめに投げたマルマの実は、マイスマイスの力強いフルスイングで粉砕され、まったく飛ばずにあたりに散らばってしまった。
石ころや土を詰めたらどうかと考えたものの、開けてある穴は二ミリ程度なので、拡げなくてはならない。それは正直めんどくさいので、アリはわりとあっさりと、魔素を使うことを選んだ。
やる気満々のマイスマイスにマルマボールを投げると、慣れるまではピッチャーライナーやファウルボールが目立った。しかし、アリが十球も投げないうちに大きなアーチを描いて、まわりの木々を越える当たりが増えだしたのだ。
「はー! おもしろかったぁ。そろそろ帰らないと遅くなっちゃうな」
すでに投げ始めから一時間以上経っているので、食った道草は山になっているだろう。牛でもあるまいし、さすがに食物繊維を摂り過ぎだ。反芻できないアリでは、消化不良で苦しむレベルである。
「えっ! いいの?」
マイスマイスには声帯がないのか、フルスイングで大気を揺らして返事をしている。しかし、残念ながらアリにはマイスマイスの意図を理解することができなかった。
たぶんだが、マイスマイスはバッティングの練習につきあったお礼として、トウモロコシの山をくれたのだろう。
それはマイスマイスの両腕の実と同じくらい太くて、一本、一本数えながらバッグにしまったところ、ほぼ均一のサイズで五十七本あった。
どこから出したのか、なぜこんなにあるのかさえもマイスマイスに聞くことはできなかったが、ダンジョンで採取される人気なドロップ品らしいし、ウィル様から提供されたサラダのトッピングがかなり美味しかった。
当初の目的である虹ガエルの子を捕まえたのは当然のことだが、薬草や木の実もいろいろ採れた。それにも増して、トウモロコシが手に入った方が喜びがおおきい。
一年間同じ物を食べ続けられたのが不思議なくらい、いまではいろんな食材が見つかる度に、どんな料理が食べられるかと、記憶を探ることが増えているのだ。
「急いで帰ろっか」
これからコンバの街まで走らないといけない。早めに森から出ないと、街に着く前に夜中になってしまう。
「はやくチコさんたちが帰ってこないかなぁ」
《かんりしゃさま!》
「うん、ウィル様ね」
決して移動が便利だからとか思ってないよ。チコさんをタクシー代わりに使おうとか思ってないけど、連日の移動だけで一日が終わってしまうのは、管理者としていかがなものかと感じるだけだ。
とにかくいま起きている問題が解決しない限り、私のスローライフは始まらない。
もうどんな女性だったのかこれっぽっちも残っていない姿を思い浮かべながら、アリは面倒事を押しつけられたと鼻息が荒くなるのであった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました
誤字報告も、とても感謝しています
今回、アリが刺身のツマが天草かも? と言っていますが、あれはトサカノリやマフノリなので、全然違います
残念ながら、アリには海藻の知識があまりありません
昆布とワカメの違いくらいは判断できますが、海の中にある姿は知らないです
あと、谷地とは湿地のことてす。アリの実家ではそう呼んでいました




